存在の証

=7=(ペッポ×伯爵&ベルッチオ×伯爵)

 先に立ち上がったのは伯爵だった。あまりにも当然の仕草で部屋の中央より幾分奥まった辺りに置かれる寝台へと歩み寄り、天蓋から降りる帳を開いてその端へ軽く腰をかけた。まるで傍に誰も居ないように、身に纏ったガウンの前をゆるめしかし全てを脱ぐことはせず純白のシーツの上へゆっくりと身を横たえた。そのまま目蓋を閉じてしまうかと思えるほど、一連の動作は自然で淀みなくこの後始まるであろう饗宴を予感もしていないように見えた。
 ベルッチオは未だテーブルの脇で突っ立っている。小さく主が放った声は聞こえていた。
『では、始めるか…。』
伯爵はそう言って腰を上げたのだ。誰に向けた言葉でもない風に聞こえた。自らへ呟いた囁きとしかとれず、しかも其れがとても小さかった為ベルッチオは即座に従う間合いを逃した。相手など必要ないと言われた気がしたのだ。誰の手も借りず為してしまえるなら自分はそうすると、伯爵が常に踏み込めない一定の距離を他者に対して保持しているのと同じ、例え誰より近くにあっても受け入れるつもりはないと無言で知らしめているその頑なさと同様の空気を彼は微かな声音の中に感じていた。
「ベルッチオ…。」
どうした?と主は訊ねる。阿呆の如く棒立ちで動く気配もみせない家礼へ不審気な声が飛んだ。
「やはり気が変わったか?」
「いえ…そんなことは…。」
常より低く抑えた声音で静かに話す男が、今は随分と上擦った焦りの声を発した。
「別に…無理にとは言わぬがな。」
何かを返すのが煩わしかった。言葉など刹那の音でしかない。時には大きな意味を持つが今は何を形にしても大して変わりがないとベルッチオは思った。そこで無言のまま寝台へと進む。
 家礼が近寄るのを待っていたとばかりに伯爵は仰向けたまま躯の力を抜いた。寝台に乗り上げようとして、しかし思いついたかに上着だけを脱ぎ捨てたベルッチオは無防備な伯爵を見下ろす。主はただ視線を真上に据え、家礼を待っていた。
 寝台に膝を付き躙るが如く傍らへ寄ると一人では広すぎる其処も男二人の体重に低い軋みを上げる。何処に触れて良いのか、徐に行為へと雪崩れても構わないのか、手を伸ばせばそこに居る相手を前にベルッチオは迷った。
「余計な事はしなくて良い。」
伯爵の薄唇が事も無げにそう言う。つまり前戯は要らない、直ぐに始めろと命じられたようだ。それでもベルッチオは直接その部位へ触れようとはせず、胸前を少し開き形ばかりの愛撫を始めた。
 指が掠めた時、未だ乳首は全く硬さを宿してはおらず、果たして自分はこの人の望みを叶えられるのかと家礼はらしくない躊躇いを覚えた。だが片方をゆるゆるとさすり、次いで指の腹で押しつぶすように刺激し、途中摘み上げまた撫でているうちに、其れは嘘のように固く凝った。薄く開く伯爵の口から、数分前までは確かに密やかな呼吸の音が流れていた筈が、胸の突起が勃ちあがり始める頃には短く濡れた声が漏れている。ふっふっと切れ切れに聞こえるそれはベルッチオの股間を昂ぶらせるには充分すぎた。片方を嬲りながら、家礼は堪えきれずもう一方を口に含む。
「ん…っ…。」
鼻に掛かる微かな喘ぎは酷く官能的で、ベルッチオは軽く歯を当て直ぐにきつく吸い上げた。
「う…ん……ぁ…。」
伯爵は身じろぎながらギュッと双眸を閉じる。嫌がっているようにも見える顔は男なら誰でも持ちうる征服欲を煽り、ベルッチオは凝る突起にむしゃぶりつくと激しく貪った。
 舌先で充分に勃起した乳頭を転がしながらベルッチオは気づかなくても良い事を見つけてしまった自分に苛立ちを覚えていた。ペッポを呼び寄せたのはたったの二度、仮にあの野郎との時間が途方もなく濃密なものだったとしても数度の行為で此程感じ易くなるものか。瞬く間に身悶えをし始め、胸をまさぐられて欲情の片鱗をみせる伯爵は、男に触れられ愛撫される事に慣れすぎている。元から感じやすい質なのか、ペッポがあれだけの短期に仕込んだのか、それともあまり想像はしたくないが伯爵が宿すあの者がこうした反応をさせているのか。ヌラヌラと舌を這わせつつベルッチオは其処まで考えて浮かんだ幾つかの仮定を全部否定したい気分になった。凛とした表情を崩さず、優美で理知的な主を知っていればどれも似合わない気がするし、此は随分と傲慢な考えだが自分以外の誰かの影を受け入れたくない故だ。彼は書き損じた紙を丸めて捨てるように脳裡に浮かぶそれらを一掃しようと努めた。クダラナイ愚考が再び現れないよう、ベルッチオはこの行為へ夢中になろうとする。胸を弄っている掌を滑らせ、脇腹をさすり足の付け根できっと姿を変え始めているだろう其処を確かめようとした時、伯爵が荒げた呼吸と共に従僕を制する言を吐いた。
「もう……ぁ…やめ…っ…う……ん。」
シーツに落ちていた腕が少し上がり、払う仕草をする。ベルッチオは腹へ差し掛かっていた手を反射的に引いた。
「早く………先…を…。」
目蓋を下ろしたまま、伯爵は情事の先を命ずる。今の行為は不要だともう一度上がった腕の動きが伝えた。


 伯爵が如何なるSEXを望んでいるのかが全く見つけられないと迷いを胸にするベルッチオは、それでも主の命に従うしかなく既に着崩れるガウンの前を大きく捲った。下着の上からも股間にある其れは形を作り始めているのが見て取れた。でも未だ充分とは言えない。胸への刺激を不要と宣った伯爵はきっと性器への愛撫も要らないと言う筈だ。しかしベルッチオは薄い布越しにも半ば勃ちあがる其れに触れたい欲望を抑えられず、徐に手を伸ばすと下着を半端に下ろし掌でじんわりと圧迫した。
「ふっ……ん…ぁ…。」
背を浮かせ腰を幾分捩って伯爵は反応する。押しつけた掌でゆっくりと揉みしだくようにペニスを刺激する。緩慢な動きにも拘わらず伯爵は酷く善がり、掌の動きに呼応してブルと躯を震わせたり投げ出した両足に突如力を込めたりして快感の度合いを表した。間もなく先端からトロリとした透明の液体が滲み出る。其れは包み込むベルッチオの手と接触する腹へ滴り青白い皮膚を淫猥に汚した。
 胸を弄ばれ感じるより、直接性器を弄られる方がずっと馴染み深い。手淫に欲を高められるのは極自然な事だ。そして伯爵は他者により達かされる喜びを知っている。己の手で掻き上げるよりも遙かに心地よく、それでいて間合いやら頃合いやら強さの加減をどうにも出来ないもどかしさがより情欲を煽ることを覚えた。
 ペッポの口淫や手淫は随分と強引で激しい。其れに比べるとベルッチオが今伯爵に施しているのは穏やかで、しかし時折変化する強さや早さは充分に主を欲情させる。グッと力を込め圧迫し、直ぐさま触れるくらい弱い接触になり、でも其れとは別に一定の間隔を保って動く掌の感触は伯爵の陰茎を固く熱く変えていった。
 トロトロと溢れる粘液が薄白い色から濁った白色へ移るのに大して時間は掛からなかった。触れている質量が倍以上になったのを感じ、ベルッチオは其処から手を離す。人の温度に包まれていた自身の一部が突然大気に晒されたのに驚き伯爵は「ぁ…っ…。」と声を零す。酷く切なく聞こえ、ベルッチオは伯爵の顔を視線だけで伺う。主は名残惜し気に離れた家礼の手を見つめていた。 焦らすつもりではない。ベルッチオは伯爵の望む先へと進む為に手を引いたのだ。
「伯爵。」
深く息を吐き出すのに似た声音が密やかに主を呼ぶ。
「何……か?」
細かい呼吸の合間から主が答える。
「ご用意はされていますか?」
怪訝そうに顰めた眉が伯爵のいらえだった。何を問われたか瞬時に図れなかった。
「何もしませんと、恐らく先へは無理なので…。」
「ああ…。」
意味が理解できたと伯爵は一度頷き、微かに震える指先で寝台脇のテーブルを指した。細やかな細工を施された華奢な瓶が置かれている。ベルッチオはまた膝でシーツの上を進み瓶を掴むと直ぐさま元の位置へと戻った。
 邪香油に似た香が鼻孔の奥へ流れ込む。間違いなく高価なものだ。ペッポが持ち込んだとは考えがたい。恐らく伯爵が自ら用意したと思われた。粘性はさほどなく、それでいて指に垂らすとまとわるかに馴染んだ。満遍なく指へ塗布し、ベルッチオは伯爵の足下へ躙り寄った。
 投げ置いた二つの足、その膝裏へ手を宛い上へと持ち上げる。更にそれを左右へと開いた。伯爵は全く抵抗せず、されるまま潔く股間を晒す。開けた両足の更に奥へ徐に手を差し入れた。片手は再び性器へ伸ばす。但し今度はしっかりと勃ち上がった陰茎へ指を絡め同じリズムで上下させる。
 青白い伯爵の表皮、何事もなければペニスも同じ肌色に違いない。だが今は情動にまかせ流れ込んだ滾りで深い紅に色を変えている。張りつめた其れを絡めた指で掻き上げ掻き下ろす。薄い皮膚が根芯を摩擦すると言う、たったそれだけの行為が恐ろしいほどの快感とやりきれない吐精感を呼ぶ。既にすっかりと固く屹立する茎部が此の単調な動作で嘘のように熱を孕み、伯爵は幾度もやってくる射精への誘惑を吐息に乗せやり過ごす。時折きつく眉を寄せ、下ろした目蓋が微かに震えるのは、もう其処まで押し寄せる放出への欲望を堪えている為だった。
 幾ら貪っても空気が足りない。必死で呼吸を繰り返しても肺へ流れ込む酸素は何故か微々たるもので、伯爵は胸を喘がせ息を吸い込む。実は接種する量を濡れそぼった声に乗せて吐き出す方が凌駕している事に伯爵は気づいていない。其程夢中で肺を満たそうとするのは、下腹部へと集まる己の意識を別のものへと向けようとするからだ。間もなく不気味な感触が体内へと忍び込む。あの感覚を躯は記憶していて、微塵でも思い出すと忘れようとしている例の嘔吐感までもが蘇ってしまう。だから極力意識を拡散しておきたかった。胸苦しいのは酸素が足りないからだと思いこむことで、肌の間近まで迫る気配から注意を逸らしたいと願ったのだ。
 亀頭を指の腹が擦ると、伯爵は息を詰まらせ顔を歪める。充血した其処は針の先が掠めても激しく感じる。今にも淫らがましい声と共に精液を放ってしまいそうで、伯爵は爪が食い込むほども指先をシーツへ突き立てた。全身の熱流が一カ所に押し寄せているかの激流をなけなしの足掻きで逃したと思ったその時、最前からずっと予感していた憶えのある感触が秘所の鳥羽口から入り込んだ。
「うぅ…っ…ん…ッ…。」
やはり其れは途方もなく不快な異物感でしかない。ベルッチオが殊更気を配り挿入しているのは僅かずつ探るような動きで判る。無造作に割り開いたペッポとは比べものにならない細やかさだ。しかし心地よくないのは同じであり、肉体は此の異物を決して歓迎していない。しかもベルッチオの指はまさに男の其れである。無骨で節が立ちしなやかさ等欠片もない。たった一本であっても不快感は激しく伯爵を苛んだ。胃の辺りが急激に収縮し、喉元に向け饐えた苦みが込み上げる。額に冷たい汗が滲んだ。
「ぐっ……ぅ…。」
伯爵が喉を鳴らす。ベルッチオは瞬時にその異変に気づいた。
「伯爵?」
首をふるふると横に振るのは気にするなと言うことか、或いは堪えきれないと訴えているのかが判ぜられない。家礼は指を引き抜き主の顔を覗き込んだ。額に浮いた汗が快楽の所為でないことは歴然としている。不自然に強張る肩を軽くさすりベルッチオは主へ問う。
「どうされました?」
「大した事はない…、少し……気分が悪いだけだ…。」
細い囁きが伯爵の辛さを伝えていた。
「今夜は、ここまでにされた方が…。」
伯爵はまた首を振り、指が入り込む感触に慣れないと小さく言った。本当に最初だけのことだとも重ねた。其れは虚栄でも虚言でもなく、本当に何かの境を超えるように違和感が快楽へと変わっていく。だから続けろと伯爵は弱く命じた。
 理想を言うなら徐々に内部を解すのが望ましい。そうすることにより、最後の凶器となる性器を受け入れる際の負荷が軽減される。でも伯爵は此の解きほぐす動きに翻弄されているらしい。ならば方法は一つだけだ。内壁を緩めるのより先に最奥を衝くしかない。性感帯を刺激し、快楽の波に襲われている中で内側を広げれば異物感も薄らぐ。
「少々辛いかもしれません。」
未だ不快感の治まらぬ伯爵からは何の返答もなかったが、ベルッチオは選んだままを実行すべくまた硬く閉じてしまった秘所へと手を伸ばした。


 再度やってきた違和感はとても強引だった。ただ内部で蠢くかの動きをしなかったので此なら堪えられると思った。指は一切の迷いもなく深くへと這い進む。内壁を擦るでもなく、狭窄した空間を広げようともしなかった。内蔵を押し上げられる感覚はどうにもならないが、僅かを掘っては一所に留まるよりはずっと楽に感じた。だが伯爵は直後に味わう新たな悦の大きさを微塵も予想せず、其れはペッポの指では其処まで辿り着かなかった所為で、だから知らずとも当然であった。
「っ………!!」
後頭部を思い切り殴られたと表せば良いのか、それとも躯の中心を鉄の棒で射抜かれたと言えば適切か、その刹那伯爵は何が起こったのか全く理解できなかった。
 背骨が折れるくらい躯を撓らせ、口は叫びの形に開いたまま、けれど其処からは微音も発せられはしなかった。肉体が宙へ放り投げられたような浮遊感ののち、全身が激しく震えだしても未だ伯爵は状況を把握できずにいた。
「う……ぁ…っ…あ…ぁ…ぁ…。」
部屋の空気を震わせた濁音を発したのがまさか自身だとは判らず、伯爵は真っ白に発光した視界の中で何故己の躯は痙攣しているのか、どうして止める事ができないのかとぼんやり考えていた。
 そしてベルッチオの指が再び同じ場所を衝き、同様の衝撃に襲われながら伯爵は漸く事の次第を朧気ながら理解した。前立腺の裏側に佇む其処こそが性感帯で、家礼がその部分を指で突き数度こするたびに己は得も言われぬ感覚に犯されているのだと背を駆け上がる電流の如き悦に身を震わせ自身へ言い聞かせた。
 三度目は確かな愉悦として感じ取れた。一瞬、眼前が白光に霞むが霧が風に払われるように直ぐ視界を取り戻せ、相変わらず不規則に起こる痙攣は何ともしがたいが、体内に広がる悦楽の波動を確かめる余裕も生まれた。
「は…ぁあ…ん…ぁ…う…ん…。」
ベルッチオが辛抱強く奥を刺激したお陰で、彼程慣れなかった内側の蠢きが厭ではなくなった。それどころか鋭敏となった全ての感覚が壁を擦り指を折り曲げる其れすらも淫靡な心地よさへと変えており、ざらついた指の腹を執拗に襞へ擦り付ける感触にまでイヤらしい声が溢れた。
 シーツの上に散らばった髪が伯爵の動きに合わせ生き物の如く波打つ。さっきまで苦悶に顰められていた顔も、今は寄せては引く悦に溺れ泡沫に漂うかの表情を浮かべる。虚空に向けた眼差しは酷く曖昧で、時折頭を仰け反らせると細い喉元が室内の灯りに浮き上がる。半ば開いた口元からは湿った淫声と共に唾液が流れ、幾筋も細い帯となって頬を伝う。無防備に放り出した二つの腕は快感を得るたび、何かを求めてシーツを手繰った。
 秘所を暴いた直ぐは止め処ない不快感でくったりと萎えてしまった性器も、またすっくりと頭を擡げジクジクとした精液を吐き出し滑らかな腹を汚している。ベルッチオが指の数を増やす頃になれば、陰茎が最前よりもみちみちと膨れる有様だった。淫らで壮絶に美しい姿が家礼の前に横たわっている。
「ん…ぁ…、ベル…っ…オ…。」
濡れた声音で自分の名を呼ばれ、彼は伯爵が先を所望しているのだと知る。しかも主は許しを請うように腕を伸べ、聞き漏らしてしまうくらい微かに『頼む…。』と言った。既にスラックスの中で居心地悪く存在を主張している彼の性器がズクリと脈打った。痛いほども熱を持ち、今すぐにでもその場所へ挿入してくれと強請っているようだ。宙に在る伯爵の手を取り、ベルッチオは甲へ軽く唇を当てる。それは主への了解に違いなかった。
 スラックスをむしり取る。ピッタリとした着心地を普段は気に入っているが、この時ばかりは焦れったくて舌打ちをしながらベルッチオは脱いだそれを寝台の端へ投げた。潔く下着も取った。戒められていたペニスが開放感に大きく脈打つ。猛々しく屹立したいちもつはもう腹に付きそうなほども頭を真上に向けている。先端が濡れていて、チラと確認し自分がとっくに滴りを滲ませていたのに気づかなかったとベルッチオは苦笑を浮かべた。其程も夢中で伯爵を貪っていたのだ。自分ながら、らしくないと少し照れたような顔をした。
 力が抜けているのか伯爵の両足は少しばかり閉じかけている。膝頭に手を添えM字に開いた。股間はズキズキと欲望に疼き、ベルッチオは早まる気持ちを落ち着かせる為に一つ深い息をついた。褐色の肌が先ほどから高まる昂奮で薄く汗ばんでいる。くっきりと分かれる腹筋の下方、思ったよりすらりと伸びた足の付け根で自己を主張する性器は充血し黒にも近い紅色に変わっていた。
 気配を伺い薄く目蓋を開いた伯爵の眼に飛び込んだのは、息を飲むほどに欲望を湛えた家礼の性器だった。圧倒的な質量に怖気さえ起こり、己が間もなく其れに貫かれるのかと思えば目眩すら覚えた。未だ視覚から入り込む諸々に欲情するほど伯爵は同じ性を持つ相手との行為を知らない。だから背筋がぞくりと泡だったのは欲情の為でなく、脳裡に焼き付いた痛みの記憶によるものだった。
「伯爵…。」
ベルッチオが囁くくらい声を落としこう言った。
「出来る限り、躯の力を抜いてください。」
確かペッポも同じ事を言っていた。伯爵はあの時の感覚を反芻し、努めて深くゆっくりとした呼吸を開始した。
 きっと家礼は今までで一番丁寧な挿入をしたに違いない。まさかこんな日がやってくるとは夢にも思わなかった等と在り来たりな感慨に幾分胸を熱くして自身の性器を押し入れたかもしれない。着衣の時には想像もしない、主の華奢とも言える細い腰を支え、僅かも慣れていない鳥羽口へといきり立つペニスの先端をねじ込む際、性欲からではない鼓動の激しさを感じた。其れは緊張のもたらすものだと思い至る。情け容赦なく一夜の相手をねじ伏せた自分が、こんな気分になるなど全くあり得ないと胸中で呟いた。
 頭を入れても伯爵は声を上げなかった。何とか飲み下したのか、逆に何も発せないほど竦んでいるのかは判らない。でも少なくともベルッチオの陰茎を楽に受け入れている筈はなかった。けれどもしも伯爵が狂ったような悲鳴を上げ、もう止めろと拒絶をしても彼は此処から引くつもりはない。引き返す最後の線を越えてしまっている。きっと伯爵も其れに気づいているだろう。
 先端が埋まるのを確かめ、ベルッチオは腰を使いぐぃと茎を押し込む。一瞬の沈黙のあと、強烈な収縮と伯爵の叫びが同時に起こった。
「ぐぁ…ぁあぁ…ぅあぁぁあぁあぁ…。」
長く尾を引く悲鳴は室内に溢れ、残響は暫く消えなかった。大きく瞠る双眸は何も映さず、驚愕したかの表情は張り付いたように動かない。肩だけをシーツに残し背を大きく撓らせたまま、伯爵は呼吸すら止めていた。半端に衝き入れた自分の一部を内壁が狂ったように締め付け、ベルッチオは一カ所へ与えられる苦痛に低く呻く。
 躯の一部分だけが焼けたかに熱い。伯爵はあまりの熱さに胸を喘がせようとした。ところが躯がぴくりとも動かず、気づけば見開いている筈の眸には何も映っていなかった。ベルッチオが力を入れるなと言っていたのを思い出す。だが指先すら動かないのだからどうしたら良いのだろうか?と困惑した。息を吸えと言ったのはペッポだった。そこで呼吸をしようとした。けれど喉は渇いて張り付いてしまったらしく、いくら息を吸おうとしても何も流れ込んではこず、また吐き出そうにも叶わない。息が出来ないのだと気づいた途端、苦しさが押し寄せる。閉じられぬ双眸から物理的な泪が溢れた。
 その時、実は熱いのでないと鈍る頭が悟った。熱くない。恐ろしく痛いのだ。激痛が熱となり己を傷めていると理解した。
『嗚呼、此だ…。』
伯爵は漸く気づいた。己が何より欲していたのは、此の果てしない痛みなのだと……。




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