存在の証

=5=(ペッポ×伯爵&ベルッチオ×伯爵)

 他人に促され吐き出したのは初めてのことだった。自身の意思ではどうにもならぬ吐精は背後からせき立てられるような焦燥感に似ている。これ以上は放ちたくないと頭の中で叫び声を上げようと、そんなものは一切お構いなしに事は終わりへと流れていった。
 全てを搾り取られたようだ。己の手で精を吐出したことは幾度かある。未だ星の海を航海していた頃、当時の思い人に会えぬ寂寥と目蓋の裏に現れる面影に誘われて行ったのは極自然な行為だと思う。その時感じたのは満たされた故の達成感に近い。だが、今伯爵を苛むそれは全く異質で何ともしがたい倦怠以外の何ものでもなかった。
 身の奥が痺れたかに曖昧となり、眼を開いているが視界が捉える全ての意味が図れない。酷く滲んだ音が聞こえ、其れがペッポの声なのだと理解するのに数秒を要した。誰の放った声音かは判っても、意味するところはさっぱり解せず、だから伯爵は前触れもなく黒絹の衣服が下半身から剥ぎ取られたと知り心底仰天した。
 気づくと隣にペッポが座っている。凭れるようにしなだれかかり、胸元の釦を外そうとしていた。小娘の姿を持つ男はくつろげた襟の隙間から指を差し入れ鎖骨の辺りをつぃと撫でる。だがそれ以上は何もせず細い指先は離れていく。片手が顕わになった足の付け根付近に近づき内股へやんわりと触れ、少しの間フラフラと場所を移動し、漸く行き先を決めたとばかりに腰の裏側へ滑っていった。
 鳥羽口を緩めもせず、秘所へ指が衝き入れられ伯爵は思わず腰を浮かせる。
「うっ……。」
強引に奥へと進む指には労いなど持ち合わせがないらしい。内壁をわざと擦り、中途で周囲を押し広げるかの動きをする。本来挿入する為に存在する部位ではない。異物を飲み込めば経験のない違和感が伯爵を襲う。
「っ…ぅ……く…っ…。」
唇を噛みしめても異物がもたらす不快感に声が洩れる。
「ぁ"……くぅ……。」
ゾクゾクと背筋を走るのは快感ではなく、内蔵を這い回る何ものかの感触は悦を感じるどころか吐き気をもよおした。無意識に腰が逃げ、けれどペッポはそれを許すまいと全身を乗り上げる形で伯爵を押さえ込む。内襞に硬質な爪が摺れ、その度に伯爵は顔を歪める。痛みとは異なる異物感。内壁を広げる際の圧迫感。奥へと指が進めば襞がひきつれ鈍痛が下腹に集まる。呼吸が乱れ、胸の鼓動が不規則に早まった。
 首筋と額にじわりと滲み出たのは冷えた汗で、躯が止め処なく震えるのは寒気に似た悪寒の所為だった。投げ出されていた腕を持ち上げのし掛かる相手を払おうとした。しかし残念ながら振り上げたつもりの腕は僅かに動いただけで、ペッポに触れることすら叶わなかった。
「も……っ…よ……よせ…っ…。」
息を詰まらせ、絞り出した其れには威厳も威圧もない。縋るかの懇願としか聞こえなかった。
「冗談でしょ? これからがイイんだから。」
含む笑いで語尾が揺れている。この状況を野良猫はとても楽しんでいた。少々のことでは止めないのが鼻先から漏れる転がるような笑いからもわかる。
 他人の指で腹の中を掻き回されている事の何処が良いのか伯爵には理解できない。直ぐにでも止めさせるか、或いは何とか躯を離そうと半端に脱力する下肢に意識を集中し腰を動かそうと試みる。ところがどう考えても非力な筈の相手を突き放すどころか押さえている腕から逃げるのも不可能である。しかも躯を捩ってペッポに半ば背を向ける形になってしまい、其れは己の秘所を奴に曝す結果となった。
「やだ〜、催促のつもり?」
言うが早いか根本まで指をねじ込んだ。
「ぐっ……ぅ…。」
下腹部が絞られる感触は鳩尾に淀んでいた嘔吐感を一気に増長させ、伯爵は喉を鳴らし其れに堪える。しかし彼は自身の内部が僅かずつ緩み大きなうねりを起こしてペッポの指を絶妙に締め付けているのを知らない。一度でもその場所へ陰茎を挿入した者なら、この変化が素晴らしい快楽をもたらすと熟知している。それはペッポも同様であった。
 流石に慣れていない躯は簡単には迎える準備を整えず、だからと言って事を焦ると相手も自分も辛いだけだ。でも、慣れすぎて弛んだ処に入れるほど虚しい行為はない。伯爵は全く馴染んでいない。なかなか緩まない代わりにきつく締め付けてくる。挿しこんだ指を絞られながらペッポは急激に自分が昂ぶっているのを感じ、今にも其処へ熱くなり始めた性器を衝き入れたい衝動にかられていた。
 ぐるりと中で指を回す。即座に反応し壁が収縮した。伯爵は上体を折り曲げて相変わらず治まらない悪寒に震えている。ペッポは未だ少し早いかと一度迷い、だが待ちきれないとばかりの潔さで掴まっていた指を引き抜いた。数秒をおいて伯爵から安堵の吐息が洩れる。漸く此の苦悶から解放されたのかと強張っていた肩の力が抜けていった。が、呼吸を整えようとした矢先、秘所の鳥羽口を生暖かいものが強引に開き次いで固く熱を持った何ものかを押しつけられた。
「なに……をっ…。」
意味を為した音はそこで途切れる。ひきつる悲鳴が小さく上がった。
 身を裂かれる痛みとはきっと此なのだろう。見開いた双眸を閉じる事も忘れ伯爵は侵蝕による激痛に犯されていた。実際のところペッポは渾身で貫いてはおらず、指で感じたよりも遙かに狭窄した内部に締め付けられ緩慢に奥を目指していたにすぎないのだが、ジワジワと侵蝕している筈のものがもたらす強大な刺激は伯爵の痛覚にだけ響いたのであった。
「すごく……キツイ…。」
適度の圧迫は快楽への導きになる。でも度を超せば単なる苦痛でしかない。其れを緩和する術をペッポは持っている。腰を支える腕の片方が前部へ忍び寄る。長椅子に俯せる伯爵の腰だけを持ち上げ、半分ほど勃ちあがった自分の陰茎を押し込んでいたペッポは、受け入れる事を拒否し続ける躯を解きほぐしにかかる。すっかりと萎えてしまった伯爵のペニスを努めてゆっくりと掻き始めたのだ。
「ぁ……ん…う……ん…ぁあ…。」
閉じ忘れた口元から酷く甘やかな声が零れた。最前まで細かく震えていた肩がひくりと跳ねる。順当な反応だった。しかも与えた悦は伯爵の体内にも変化を促す。頑なに拒むが如き壁の強張りが突如柔らかな内動となりペッポを奥へと引き込み始める。誘っているような、或いは愉悦を強請るようなゆったりとしたうねりが陰茎を導いた。
 ペッポはやってきた波を逃すことなく、でも手加減など加えず少しばかり無理矢理な感を匂わて自身を進めていった。伯爵の性器へ与える刺激を微塵でも疎かにすると、内部は瞬く間に拒絶を表す。心地よいきつさが訪れるよう、ペッポは片手の動きを加減しつつ伯爵を徐々に貫いた。
 根本まで収まったところで一息を吐く。鳥羽口も内壁もお世辞程度しか緩んではいない。まして手近に潤滑油がなかった為、伯爵の吐き出した精を形ばかり塗りつけただけでの挿入であった。きっと恐ろしい辛さが相手を苛んでいるに違いない。でも事を望んだのは伯爵で、ぺっぽはこの期に及んで終わらせる気など更々なかった。
「動くよ…。」
声を掛けたのは自分への確認である。俯したままの伯爵が次の展開を予想し僅かに躯を固くした。
「力…抜いて。 ゆっくり息をするの。」
発した声音はやけに優しげで、掻き上げていた指を離し腰を支えるために添えられた掌は不思議なくらい柔らかかった。すっと息を吸い込んだのはペッポで、伯爵は吸っては吐き出す行為に意識を集め今にもやってくるであろう衝撃を考えないよう努めた。
「っ……ぅ……ッ…。」
ズルリと奥から手前に引かれる質量からは、やはり悦やら欲やらは感じない。衝かれるより引かれる方が遙かに楽ではあったが身の内に在る違和感はどうにもできない。押し殺した呻きが切れ切れの音になって長椅子へ落ちる。半ばまでたぐり寄せた陰茎をペッポは一気に押し込んだ。刹那、伯爵の腰が逃げをうつ。悲鳴が上がらなかったのは咄嗟に己の腕へ口唇を押しつけ其処を噛みしめたからだった。最奥へは届かなかったそれをペッポはまた手前に引く。同じあたりで止めて再び衝き入れた。そしてまた引き寄せ貫く行為は暫くの間続く。
 伯爵の反応が変わったのは埋め込まれたペッポの性器が先端からジクジクと粘液を滲ませ始めた頃であった。腕から唇を離していないから、室内の空気を揺らすのはくぐもった喘ぎの欠片でしかない。だが隙あらば逃げようとするかに前方へとずりあがってばかりだった腰が微妙に異なる動きをみせたのだ。ペッポの律動を追うように、呼吸の間合いを重ねるように、自身を犯す熱を誘うように、其れは厳かに揺れている。苦痛の裏に潜む悦楽が微かに輪郭を表しはじめた。苦鳴にしか思えなかった声が、いつしか淫猥な響きを帯びている。激しく入れれば大きく、やんわりと衝けば小さく、伯爵は明らかに何某かを感じていると啜り泣きにも似た音でペッポを焚きつけた。
 例え成り行きだったとしても、絡みつく湿り気とぬるい温度は犯す者の欲を煽る。ペッポはいつしか夢中で快楽を求めていた。薄青い皮膚に唇を当てても良いとさえ思うくらい、彼は欲情に雪崩れ込もうとしている。自身をただ挿し入れるだけでは足りなくなり、不規則な収縮を繰り返す内壁へ固く尖った先を擦りつけたり、中を掻き回すかに腰を使ったりした。それでも未だ悦は満たされない。抜け落ちるほども引き寄せた性器をこの上もない強さで挿入し、更に抉る動作を加えて最奥に踞る快感の殻を衝いた。
「ぅ……ぁっ…あぁ……。」
殺しきれない嬌声が大気を震わせる。其処こそが快楽の核だったと知る。ペッポは迷いなく同じ辺りへ切っ先を向け、力任せに貫いては先端を擦り付けた。
「はぁ…ぁ…ん…っ…ぅ…ん…。」
厭らしい喘ぎを惜しげもなく垂れ流し、伯爵は意味もなく腰を揺すり小刻みに肩を震わせる。もう理性など何処かへ置き忘れている筈だ。ペッポは眼前で淫らに悶える姿に自分が激しく欲情しているのに気づいた。あと少し、この涼やかで理知的な顔を持つ男の醜態を見ていたいと思う傍らで、今すぐにでも中へぶちまけてしまいたい衝動が膨れ上がるのを感じている。奥を犯しながら腰に当てた両手を動かす。貫かれたまま幾度も揺すぶられ、伯爵は新たな愉悦に襲われた。萎えていたはずの茎が今はすっくりと勃ちあがり、腹につくくらい頭を擡げたその先からタラタラと白濁した液を滴らせている。長椅子に幾つも淫猥な染みが残った。
「すごく……イイ…でしょ…?」
語尾を震わせペッポが囁く。何かが戻ると期待してのことではない。恐らく自分へ向けた賛辞だと思われた。
 あと数度、深みに刺激を与えたなら伯爵は絶頂へ達するだろうとしたペッポの読みは残念ながら大いに外れた。身を捩らせ、脇腹をひくつかせているが未だ堪えるに違いないと考えたのはそれなりの場数を踏んだ者の思考である。伯爵に残る余裕などなかった。最奥の感性へ繰り返す衝撃は疾うに伯爵を限界間近へと追い込んでいた。確かに強く衝き上げた。でも直前にしたのと大して変わらぬ程度の強さだった。ところが切っ先が前立腺の裏筋をずぃと押したと思った途端、両手で支える腰がビクリと震え背が不自然に波打ち相変わらず伏せたままの口元から掠れた悲鳴が長い尾を引いた。
「やだ……。」
一度大きく痙攣し、喉を鳴らしながら伯爵は一気に精を吐き出した。射精の反射で起こった巨大な収縮がペッポを締め上げ、彼も呆気なくあとを追った。あまりに唐突とした最後の訪れにペッポは満足できなかったようで、残滓を絞り出そうと壁に亀頭を幾度も擦り付け続けざまに三度射精する。いくら吐出しても足りない気がして、彼は少しの間内部を掻き回していた。
 漸く諦め性器を抜き、腰から手を離すと支えを失った躯が長椅子の上に力無く落ちた。己の垂れ流した精液の上にだらしなく横たわる姿を後目に、ペッポは名残の欠片もみせずさっさと立ち上がる。乱れた衣服を整え、汚れてしまった足やら腕やらをテーブルに置かれた水差しの水で適当に濯いだ。
 後ろを振り向きもしないのは、少しも満足出来なかった行為の痕を見るのを嫌ったからなのか。それとも誘いに頷いた末、無惨な姿を晒す相手へかける台詞などなかった所為かは判らない。ただ小さく聞こえた溜息は酷くやるせない響きを滲ませていた。扉の前に立ち、ノブへ手を伸ばしながら彼は誰に言う出もなく呟いた。
「アナタが悪いのよ。 あの子に…触れちゃいけないなんて言うから…。」
届かぬ者のない其れは、ペッポの足下に転がり瞬く間に消えていった。扉が開き、そして閉じる。あとには、ぐったりと弛緩した躯を持て余す伯爵だけが残った。


 間を置かず開いた扉から飛び込んできたのは従者の一人だった。普段は常に冷静を纏う男が一歩を踏み入れた場所で立ち竦んでいる。僅か先に信じられぬ姿が在ったからだ。豊かな髪は乱れ広がり、半端に着崩れた上着と一切を剥ぎ取られた下半身を晒しているのが敬愛する主だとは理解できず、ベルッチオは無言のまま眼前の光景を眺めていた。惚けたように突っ立っていた家礼が我に返ったのは低く耳に届いた声の為で、小刻みに震える肩に気づいた時伯爵は泣いているのかと訝った。だが途切れぬこと無く聞こえる其れが実は笑い声なのだと悟り、家礼は再び次ぎに発すべき言葉を失った。
 淫らな姿で俯せたまま、伯爵は静かに笑い続けた。




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