存在の証

=2=(ペッポ×伯爵&ベルッチオ×伯爵)

 子供はくるくると表情を変え良く笑い数多の言葉を紡ぐ。他愛のない会話、軽いいらえ、時折全く大袈裟と思える仕草で考え込む。
「さっきこの庭を眺めて思ったんです。最初の時に拝見した地下の海とこの庭と伯爵はどちらがお好きなのかな?って。」
上目遣いに寄越す問いへ返ったのはアルベールの予想とは異なる台詞だった。
「貴方はどちらだと思われますか?アルベール。」
「え?」
「あの地下世界と此の中庭、どちらを私が好んでいると貴方は思われたのかをお聞かせ願いたい。」
「それは、えーと、俺の勝手な想像ですけれど、伯爵はもしかしたら此方の庭がお好きなんじゃないかな?と考えてました。」
「ほぅ…? それはどのような理由からの想像でしょうか?」
伯爵は大層不思議そうな顔を作る。是非にでも少年の答えを聞きたくて堪らないと僅かに持ち上がった柳眉が彼の望みを伝えていた。
「そんな凄い理由とかないんです。ホントに何となく…、でも一つだけ感じたのはここからの眺めがとても暖かい印象だったので、それが伯爵に似ているな…と思えてしまったんです。」
「似ている? 私に…ですか?」
意外さを強調するかに双眸を瞠る。予想だにしなかったと表情、声音、肩を竦める仕草の全てが驚嘆を顕わにする。きっと子供はこの反応にすぐさま何某かを返す筈だ。どれほども眼前の大人が自分に優しくあるかを大仰な身振りで伝えるよう努めるに違いない。
「伯爵は…上手く言えないですけど、一緒に居ると安心するんです。」
案の定の展開だ。少年は辿々しい語句を稚拙に並べ主を麗賛する。言葉が上手くないので美辞はと言い難いにしても子供なりに精一杯の誉め言葉を思いつく限りに吐き出した。
「有り難うございます。其れが私には過ぎた言葉であっても喜ばしいことです。しかし折角のお褒めに水を差すようで甚だ恐縮なのですが、此の庭は私の趣味ではないのです。」
「え? 違うんですか??」
「はい、此処を求めましてから私が手を加えたのはご存知の通り地下のみのことで、此の庭も上階の居室も以前の持ち主が設えたまま全く何も行っておりません。」
「じゃぁこれは前に住んでいた方の趣味だってことですか…。」
「そうなります。」
何故にそうも落胆するのかと笑いが込み上げる。伯爵は当然ながら其れを飲み込み、少年を哀れむが如き表情を張り付ける。
「人にしろ、物にしてもですが…、他者に与える印象とは酷く曖昧なものです。受け取る側に内在する因子が大いに 影響を及ぼすと私は考えます。貴方が此の庭を暖かいと感じ、其れを私に重ねて下さったのは実のところ貴方こそが温もりをお持ちになっている証ではないのでしょうか?」
「俺のもっているモノがそう見せるのですか?」
「あくまでも私見ですから、全く見当の外れた私の思いこみであるかもしれません。只、私の目から見れば此の庭に溢れる陽射しの投げ寄越す印象は貴方にこそお似合いだと思えてなりません。」
不意に目を伏せる少年の両耳が仄かに朱を纏う。
「良く…判らないです。」
「己の事は良く判じられぬものです。そして自己は自ら確立するのでなく他者によって形成されるものですから、貴方が判らないと仰るのは当然かもしれません。しかし、こうしてご一緒する時間が私に安らぎを与えているのは偽らざる事実なのです。ですから、やはり貴方のお持ちになる優しさが此の空間を通して私に届いているのではないかと思います。」
つぃと上がる少年の視線を伯爵は穏やかな笑みで受け止める。中空で交わる二つの其れはまるで互いに深く理解しあい想い合っているかであった。
 『嬉しいです。』或いは『そんなことありません。』であろうか。少なくともアルベールは寄越された言を真っ正直に受け、恥じらいとはにかみに頬を上気させ何某かを返そうとした。が、其れを伯爵の次ぎが遮った。
「アルベール…。先刻よりお話すべきかを迷っていた事があります。」
「何でしょうか?」
伯爵の面(おもて)に薄い負の影が降りたのをアルベールは見逃さず突如不安げな声を発した。
「こうしてご一緒する機会を、今申し上げたように私は大層嬉しく感じております。しかし、このところ少々良からぬ流言を耳にするにつけ今後はお会いするのを控えた方が好ましいとも考えているのです。」
「どういう…意味ですか?」
「今申し上げたままの意味合いだとご理解ください。」
「それは、会って戴けないってことですか?」
「結果的にはそうなりましょう。」
「俺が伯爵のご都合も考えずにお邪魔するからですか?」
「それは違います。お好きなときにお越し下さいと申したのは私ですから…。」
「では、その良からぬ噂の所為ですか?」
「率直に言えばその通りです。」
「どんな噂ですか?」
「貴方のご友人は恐らくご存知だと思いますよ。」
「教えてください。」
「そのうち貴方の耳にも届くでしょう。」
「今、知りたいんです。」
ふっと諦めの表情が伯爵の顔を掠める。二つの色に染められる眸に翳りが降りた。
「モルセール子爵はあのペテン師の小姓になりたいらしい……。」
 甘い果実の次ぎには苦い現実を与える。それが虚言ではなく事実なら尚のこと、先に味わった甘美をうち消す効果は絶大となる。
「そんなのは……ただの…くだらない噂です…。」
「しかし噂ほど厄介なものはありません。」
「会わない方が良いと…伯爵はお考えなのですね…。」
「不本意ではありますが、今は其れが得策だと考えました。」
「わかりました…。」
苛立ったかに立ち上がる少年が顔を上げず在らぬ方へ視線を落としているのはどうにも納得できぬ結論への怒りと、恐ろしくくだらない流言に翻弄されるしかない己の立場に対する失望である。埒のない愚言だとはね除けてしまえば良いと頭の隅では反論が繰り返されている。けれど此を決したのが伯爵である事実に彼は屈したのだ。アルベールにとって今現在の伯爵は絶対にも近い対象である。抗うなど不可能だった。
 俯いたまま離席し、室内を扉へ向かう背の僅か後ろを伯爵は追う。客人を見送る為である。
「アルベール。」
呼びかけは確かに届いている筈だ。が、相手は無言で歩を緩める素振りもない。
「噂など一時(いっとき)のものです。」
自ら足下を掬い、しかし手を差し伸べるのを忘れてはならない。間合いすら計りつくされた絶妙さで伯爵はそう述べた。アルベールの足が止まる。くるりと背が返ったと思う間もなく、伯爵の胸に人の温もりがぶつかった。
「あなたにご迷惑をかけたくない。」
胸に押しつけた口元からくぐもった声音が聞こえた。ゆっくりと相手の背に腕を廻し、伯爵はアルベールを軽く抱き寄せる。
 茶番だと腹の底で失笑した。田舎芝居にも劣る馬鹿馬鹿しい筋立てで少年は手中に落ちた。訪ねて来た当初、彼は思慕と恋慕の間で揺れていた筈で、たったあれだけの言に因り憧憬を恋情が凌駕するとは嬉しい誤算だったと伯爵は胸中でほくそ笑む。信頼を深めるに留まらず新たな情が確立されたなら次ぎの策を打つのも容易い。喉元に込み上げようとする笑気を伯爵は飲み込み、何よりもやるせないと言いたげな声音で最後の台詞を吐いた。
「人の興味は移ろいやすい。きっと瞬く間に別の流言が囁かれる筈です。」
「そう…ですよね。」
「私とて、貴方と貴方の家名に泥を塗るような真似をしたくありません。」
「有り難う…ございます。」
「貴方とお会い出来ない事実に寂寥を覚えているのは私も同じなのです…。」
ハッと顔が跳ね上がる。鳶色の眸には伯爵の予想に違わぬ感情の色があった。其れは歓喜、そして満たされた想いへの充足。
 腕を引き躯を離したのは勿論伯爵からであった。もうこれ以上は不要だと判じたからに他ならない。だがしかし、彼が自らの導き出した間合いよりも早くアルベールから離れたのは本能の囁きである。これ以上人の温度に触れてはならぬと鋭い声音が脳裡に響いたのだ。其れは決して一つ肉体を共有する彼者が下した決ではなく、伯爵自身が自衛に鳴らした警鐘だったのである。




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