*微笑う男*

ドロアリ(髭なしアリー)

 ラウンジへ現れた相手を一目見て、コーナーは双眸をゆるく細め、ひどく満足そうな顔をした。実際、大仰な形容を幾つも織り交ぜながら、首の辺りがむずがゆくなる賛辞を並べる。
「今夜の君なら、早々に部屋へ引き上げてしまうのは惜しい。」
上階のバーへ寄って行こうと言うのが、それに続く一つづりで、彼は自身の思いつきに殊の外満悦している様子だった。けれど賞賛を投げられた相手は別段嬉しそうでもなく、強いて言えばそれらに欠片も興味がない有様で、しかしコーナーはそうした反応など気にもせず、嬉々として豪奢な吹き抜けのホールを行き、エレベータホールへと歩を進めた。
 そこは絵に描いたような空間だった。誰かにホテルの上階にある、眺望を売り物にするバーを説明するなら、打って付けの場所だった。それらの単語から連想されるファクタを総て揃えた、品のある、訪れる客を撰ぶ店のテーブルを挟み、二人の男は酒を呑んだ。話題はすっかりと小綺麗になった男に関する内容。つまり饒舌に語るのはコーナーで、グラスの中身をひたすら空け続けるサーシェスは、時折相づちを打つだけで、それを会話と呼ぶのも怪しかった。
「君自身、そうした姿はどうなのかね?やはり居心地が悪い…と思っているのかな?」
数秒の沈黙。向けられた問いを聞いていないのは明かだ。ふっとあからさまな溜息。それも相手には届いていないらしい。
「それで、今の君を何と呼べば良いのだね?」
硝子の向こう、何処か別の空間へ漂わせていた視線が漸く戻る。
「あ?何を呼ぶって?」
話手は肩を竦め、芝居じみた仕草でまた溜息を落とす。コーナーは直前の問いをもう一度繰り返すかを一瞬迷い、全く別の言葉を撰んだ。
「別段総てを落としてしまう必要はなかったと思うのだが、何が君にその清々しい様を撰ばせたのかが気になるところだ。」
「言ってる意味がサッパリだ。」
案の定、持って回った言いようにうんざりとした表情を浮かべ、サーシェスはもっと分かり易く話せないのか?と眉根を寄せた。



 新たな依頼を受けたサーシェスが珍しく要望を述べたのが十日ほど前。コーナーからの連絡はお決まりの専用回線を使った簡素な内容とは異なり、此までのおさらいとも読める現状へ至るまでの経緯を纏めたレポートと、今後世界が向かうであろう大まかな流れを認めた報告だった。間もなく始まると思しき大戦への動き。それは予測と呼ぶには生々しい詳細が並び、実際具体的な組織名や固有の名称までが書き連ねてある。そして最後の結びが『戦場の懐深くで成果を上げる立場を確保して貰いたい。』となっていた。つまり現在の傭兵では事が足りないと、依頼主は言っているのだ。新たなカテゴリーをサーシェスは得る必要があった。
 そこで彼は傭兵ではない、別の人間を一人作ることを提案し、その為に新しい経歴を所望した。
『経歴だけで良いと言うのだね?』
『適当な人間を一人分用立ててくる。そいつに俺の言った通りの経歴を書き足して欲しいってことだ。』
人間を用立てるの意味が図れず、コーナーは詳細を訊いた。
『捜せば居るんだよ。テメェの生き様を売っぱらった野郎がな。』
何処で産まれ、名を受け、それまで何をしてきたかと言うデータ。理由は様々だが、そうしたデータを売り、別の人生を買うのは、古今東西珍しくもない事実だ。未だに商売として成り立っている。サーシェスはそうした中から具合の良いデータを買ってくるのだと宣う。
『買い取ったデータに都合の良い過去を書き加えると言うことかね?』
『ご名答!』
『君はその人間となり、何をするつもりなのかな?』
『傭兵じゃあ入り込めない辺りまで、入って行ける野郎になるって寸法だ。』
『正規の兵士にでもなると?』
『おあつらえ向きの組織があってな。』
『それは?』
あまりクリアとは言い難い通信状況。小さなスピーカーからノイズ混じりの音声が短く告げた。
『AEU独立外人機兵連隊…。』
 三日と開けず、サーシェスからの連絡があった。指定したサーバーのデータベース。アクセスする箇所をピンポイントで示し、そこに軍人として遜色のない経歴を書き足せと、端末へ送られてきた注文。コーナーは造作もないことと直ぐさま動く。当然ながら秘密裏に事を行った。これでお膳立ては完了する。が、あくまでデータ上での下準備だ。生身の人間がそう容易く姿形を変化させるのは難しい。その点を指摘するとサーシェスは事も無げにこう言った。
『そっちも大凡は済んでる。なんなら直接依頼主様にご覧戴くってのもありだぜ?』
互いの都合を調整し、コーナーが指定した場所へとサーシェスは訪れる。見違えたと歓喜するコーナー。すっかりと髭を落とし、髪を切り、背広の上下を身につけた男は、億劫そうに口の端を緩め、短い返礼を吐いた。
「そりゃ、どーも。」



 仰向けた男の中から指が引き抜かれる。そしてすかさず押し付けられる丸い硬さ。潤滑油でヌルリと滑る感触が、未だ充分な柔らかさを引き出されていないアナルへ当たった。珍しいとサーシェスは思う。こんな粗雑で強引なSEXもするのかと腹の底で薄く嗤う。それは顔には出ていない筈の機微だ。ところが面白いくらいに上擦った声が、どうかしたか?と訊いてきた。
「いや、何を一人で盛り上がってんのかと思ったからな…。」
誘いかけるかに、尻を持ち上げ、これ見よがしに両足を開いて、サーシェスはアンタでも興奮するのか…とひとりごちる風に呟いた。
「興奮…?」
一つの単語を拾い上げ、コーナーは戸惑った表情を作る。自身の状況を著す単語が、それであるとは気づかなかった様子だ。
「違うのか?焦ってる若造みてぇだけどな…。」
心外だと返される。サーシェスは相手の反応を踏まえた上で、その一つづりを投げた。
「なるほど、私は興奮しているのかもしれないな。」
意外な反応だ。コーナーは普段の厳かさに揺らぎを混ぜ、そう言い終わったあと、うっそりと笑った。
 テーブルを挟んでの語らいを切り上げ、コーナーの促すまま彼の押さえた部屋へ移動した。ここが彼の定宿でないのはすぐに判った。これまで指定された場所は、どこも一つのフロア総てが彼の部屋で、しかも調度まで好みに合わせ変更されていた。が、大仰な一室ではあっても、ここは何もかもがお仕着せのままだ。突発的に決まった為に、急遽押さえたホテルであることが歴然としていた。但し寝室のベッドは変更してあり、上背のある男が二人、激しく情を交わしても遜色のないサイズの寝台が鎮座していたのだ。
 普段、無関係に言葉を連ねる男が口を閉ざしていて、サーシェスが新調したスーツを脱ぎ去り、シーツへ乗り上げた途端、間を置かず指へぬめりを塗りつけた時点で、コーナーは常の自身を何処かへ置き去りにしている風だった。しかも準備は万全に行うと常々宣うくせに、今日に限ってずいぶんとぞんざいに事を終わらせる。鳥羽口は怯えたように窄まり、身の内側も解されたとは言い難い。それでも指はさっさと失せ、そこそこに硬くなった性器が触れてきたのだ。何を焦っていると訝るのも当然だろう。
「なぁ、そんなにこの形(なり)が好みだったってか?」
切っ先が狭さへ入り込む直前、揶揄とも取れる口調がコーナーへ降りかかる。
「そうではないよ。」
短い否定。いつもならそのあとに、有り余る台詞が続く。何が違うのか、真意をぼかしつつも、自身の抱く何某かを飾り立てて語ってくるはずだ。ところが次はない。コーナーは薄く開いた口唇を動かそうとしなかった。
「うっ…。」
語る代わりに熱を帯びた塊がアナルを開いた。前触れの無さがサーシェスに身構える暇を与えない。ズリズリと怯えた風に震える内壁を擦り、雄は緩慢な速度で腹の中を進む。
「くっ……ぁ…っ…。」
不覚にも情けない喘ぎを漏らすサーシェスを、コーナーの双眸が見つめる。欲の熱を孕んだ視線。腹筋が細かく震え、脇腹が引きつれる様を、眼差しは絡みつく執拗さで暫し眺めていた。
 押し込んだ肉茎を引く。再び周囲を摺りながら肉塊が深みを衝く。同じ繰り返しが少しの間続き、引いて衝く行為に伴い、最初は半ばくらいの昂ぶりが、質量を増し硬質さを得る。腹の内部がじわりと侵入物を戒め、それにより生まれる刺激が、コーナーのペニスへ心地よさをもたらす所為だ。まだ吐き出したくて堪らないほどには至らない。そこで彼は一旦奥深くへ埋めた性器を、更にぐぃとねじ込み、先端の硬さで性感を押しながら、小刻みにそれを動かした。
「アンタ…っ…今日はサービス満点……じゃねぇか…。」
喘ぎを混ぜる呼吸の合間、細切れに続ける台詞はずいぶんと愉しそうだ。
「いつもは、愛想に欠けると…言う意味かな?」
「ぅ…っ…まぁ…そんなトコ…だ…っ…。」
「それは申し訳ないことを…したね。」
言いながらコーナーはしなやかな動きで腕を伸べる。行き着く先はサーシェスの股間。そこで雄々しく反り返るペニスを、男にしてはほっそりとした指がゆっくりと握った。
 腹の中を小刻みに掻き回す肉塊。それとは別の動きで股間の屹立を弄る指。二つは異なった意思を持ち、ただ一つの目的のために行為を持続する。仰臥する男を追い上げる。それが唯一の目的だった。
「おっ…あぁ…クソ…っ…。」
陰茎の表皮を擦り、根芯に熱を集めていた指が、不意に思いついたと先端を撫でる。滲み出た体液で存分に濡れる丸みを、指の腹が少し強めにさすっている。喘ぐかに開く先端の口。ジワリと染み出す体液は白濁を混ぜている。爪が割れ目を無理矢理に開く。爪の硬さが鋭敏な箇所を刺激した。
「んっ…ぅ…そりゃ…サービスのしすぎ…だろう?」
内側を翻弄する竿の動きに合わせ、細やかに腰を揺らすサーシェスが訊いた。
「不足分を補って…いるのだよ。」
喉の奥を震わせ、コーナーは面白そうに答える。
「出ちまっても…しらねぇ…ぞ。」
言ったそばから、ビクリと跳ねる腰を見て、コーナーはそれでも構わないと朗らかに述べた。
 射精は間もなくやってきた。中途まで手繰った性器で奥を強かに衝いた直後、コーナーが屹立の裏筋へ押し当てた指で、育ちきった竿を数度扱いた時、サーシェスの全身が大きく震え、熱い滾りが吹き上がったのだ。猛々しい吠え声が響く。惜しげもなく快楽を享受する音。残滓は絞らず離れていく指。吐精の生む内壁のうねりを逃さず、コーナーも快感を追った。他人の中へ精液を吐き出す。一頻りの開放感。徐々に広がる充足感。そしてゆったりと全身を覆う倦怠。
「どうかな?満足してもらえたかね?」
ペニスを手繰りながらコーナーが口を開いた。大きく一息を吐く男は、それに応える。
「まぁまぁだった…。」
けれど少し焦りすぎではないか?と、サーシェスはぼんやりした声音で問い返した。



 事が済んだ途端、それまでが嘘の如くコーナーは言葉を綴る。サーシェスは全裸のまま大の字に転がり、耳に流れ込む諸々を聞いていた。傍らでシーツの上へ座り込むコーナー。短くなった相手の髪先を人差し指で弄ぶ。
「君は今日の容姿が好みなのか?と訊いていたね?」
「ああ…。」
「はっきりと言わせて貰えば、君が粗野な形でも今日のような端正さでも、たいした違いはないよ。」
「じゃぁ、アレは何だったんだ?下手な淫売より愛想が良かったぜ?」
「それは…。」
途切れる言葉。言い淀んでいるのではない。何より適切な表現を数多ある語彙から拾い上げているのだ。
 別段、コーナーの本意が知りたいわけでもないらしく、サーシェスは茫漠とした眼差しを虚空へ投げている。待っている風情ではない。
「君が随分と退屈そうだったから…と言うのはどうだろうか?」
天上付近を彷徨っていた視線が傍らの男へ移る。意表を突かれた男は数秒ポカンとした顔で相手を眺め。それからボソリと呟いた。
「なんだ、そりゃぁ?」
はなから胸の内を赤裸々に語るつもりのないコーナーは、夢でも見ている風に見えたから、少々強めの刺激を与えてやろうと思った等と、差し障りのない理由を告げた。予想通りに、サーシェスは気の抜けた顔へ戻り、そう言うことか…とどうでも良さげないらえを吐く。この話はそこで終わる。もうどちらも続きを望んではいなかったからだ。
 物の本で読んだのか、或いは何かの講演で耳にしたのか、人の中には日常に於ける自身の存在を見いだせない者が在るという。非日常でのみ、自分の存在意義を得る、ある種の歪みを抱えた輩が居るらしいと知った。コーナーの周囲にそうした類の人間は居らず、うっすらとした希望として、一度くらい相見えてみたい程度には、頭の片隅にその存在を留めていた。サーシェスは間違いなく非日常へ身を置きたがる人間だった。コーナーが注視したのは言うまでもない。初見の頃は相手も探りを入れる為か、然したる違和感を覚えることもなかったのだが、顔を会わせる回数が増えるに従い、茫洋とした面差しを見せてきた。今夜は此までで最も日常への興味を逸した姿を晒し、それを目にしたコーナーはひどく心が躍った。
 サーシェスの口にした『興奮』が必ずしも的を射てはいなかったけれど、それに近い高揚感を覚えていたのは確かなことだ。此処ではない別の場所へ、意識を持って行かれている男を、根元的な肉体の快楽で翻弄してみたくなった。行為への欲情ではない。珍しい観察対象を手に入れた事実への高ぶりを、興奮と呼ぶなら、それは間違っていなかったのかもしれない。
 すっかりと肉体の愉悦が引いてしまったサーシェスは、再び視線を虚空へ遊ばせる。手を伸ばせば届く距離に存在する依頼主にも、気を配る様子はない。きっと手に入れたばかりの新しい名前がもたらす、歓喜と狂気が彼の思考を支配しているはずだ。
「ところで、この後君はどうするつもりなんだね?もしも火急の用件がないのなら、並びに取った部屋を使っても構わないよ。」
精液の染みで汚れたシーツを指で撫で、コーナーは此処はもう使えないだろうから…とひとりごちた。
「じゃぁ、そうするか…。」
ムクリと起きあがり男は一つ大きな欠伸をした。脱ぎ散らかした衣服を集め、適当な身支度をすると、サーシェスはさっさと部屋を出て行こうとした。
「ロックはしていないから、すぐ隣を使うといい。」
背にかかるコーナーの声音へ片手を上げ応える。ドアノブへ手を掛ける。すると依頼主が続きを投げ寄越す。
「一つ頼み事があるのだが…。」
「頼みだ?」
肩越しに顔だけを向けるサーシェスの双眸に、ひどく穏やかに微笑するコーナーの顔が映った。
「明日の朝、君の髭を当たらせて貰いたい。」
「はぁ?」
「一度、他人の髭を当たってみたかったのだよ。」
サーシェスは馬鹿馬鹿しいと苦く笑う。それから顔を返しドアを開けた。けれど廊下へ出る直前、好きにすればいい…と低く言った。
 日常を認識しない男へ、何より日常的な行為を施す。コーナーは咄嗟に思いついたにしては、大層素晴らしい提案だと、自身へ賞賛をおくる。大人しく従うか、或いは直前で拒んでくるか。想像しただけで心が浮き立つ。皺だらけのシーツに留まり、彼は暫くの間、様々なシーンを思い、薄く微かな笑いを浮かべていた。





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