*吠える男*
ドロアリ(初手から手錠プレイ)
どうした経緯でコンタクトを取ってきたのか。幾つもの可能性から、それを探るのは容易いことだ。しかし彼は深くを調べることをせず、招かれるまま、そこへと赴いた。
指定の場所はホテルの最上階。フロアの半分以上を専有する一室。相手の家名に聞き覚えはあった。だから、送られてきた文面に著名なホテルの名を見ても、彼は別段愕くこともなかった。廊下から入ったドアの先、そこには更に長い内廊下が続いている。通されたのは最も手前の部屋。面談などに用いられる、客室なのだと彼は判じた。案内役は一見すると少女にも思える青年で、整った顔つきと、華奢な体つきから、十代にも見えたが、落ち着いた物腰が、それより幾つかは上であるかの印象を与えた。間もなく現れるであろう招待主の面相は知っている。メディアへの露出は少なくない。数種の肩書きを得るのも了解済み。その男が、ソファに掛ける自分を見て、第一声を何と発するか。呆れるか、蔑むか、或いは鼻先でせせら笑うか。サーシェスは恐らく外れていないだろう、幾つかの可能性を浮かべ、何処か愉しげに口角を引き上げた。
待ったのは十分ていど。今し方の青年が先にドアを開き、ゆったりとした足取りで、相手が入室を果たす。
「待たせてしまったようだ。」
初対面の挨拶より先に、相手はそう宣う。待てと言われて待っていたのだ。今更何を…と腹の底で呟くが、そんな不作法を口にするほど、サーシェスも青くはない。腰を上げ、相手へ向き、さほども待ってはいないと、月並みな台詞を垂れる。
「ご足労に感謝する。」
正面へ立ち、軽く右手を伸べながら、男は言った。
「アレハンドロ・コーナーだ。」
差し出された手を受け、彼もまた名を告げる。
「アリー・アル・サーシェス。」
儀式めいた一連が終わる。どちらも落ち着いた仕草で腰を降ろし、同じ高さでかち合う目線を絡めた。
先を発したのはコーナーだった。
「本題の前に一つよいかな?」
サーシェスは片眉を軽く引き上げ、なんだ?の意を表す。
「君のその形(なり)は現在のスタンスをアピールする為の符号と考えて構わないのだろうか?」
長く伸びた髪は無造作に下ろしたままで、手入れなどお構いなしな顎髭と無精髭、羽織る上着は払い下げの軍用、下肢へ身につけるパンツも恐らく同様の代物。凡そこの場へやって来るには不適切な、無礼とも取られかねない身なりだった。
「傭兵ってのはこんな感じだろ?」
「非常に分かり易い。」
「アンタが相手にしてんのは、こんな人間なんでね…。」
「大いに結構だ。」
サーシェスの予想は外れる。大概の人間、まして家名にしがみついている類は、形式を重んじ型式に囚われる。相手の反応如何によっては、あっと言う間に席を立つ心づもりだった。が、コーナーは良い意味で予想を覆す。あと少し、この場に留まっても損はないだろう。
「で、本題ってのはなんだ?」
長々と前フリを聞くつもりはない。無用なご託を並べられるのも御免被る。サーシェスは探る眼差しを向けつつ、相手の次を待った。
例えば下へ落とした書類を拾い上げて欲しい。或いは街のストアで珈琲を買ってきて欲しい。コーナーの口にした依頼は、その程度の簡潔さで、そのくらいの気やすい口調で述べられた。
「戦争を…起こして貰いたい。」
「戦争を……ねぇ。」
「君に依頼するのが最も適切と判断したのだが、人選を誤っただろうか?」
「いや、大正解だろう。」
「ならば受けて貰えるかな?」
「詳細は?」
「後で専用の通信手段を知らせる。内容は随時連絡する。」
「報酬は?」
「こうした事には疎いものでね、君からの提示に沿って相応のものを…。」
「装備やら何やらは?」
「此方で用意するつもりだが、もしも指定があれば何なりと…。」
「別にない。」
「では、其方に関しても当方に任せて頂こう。」
書面など取り交わさない。痕跡は残さない。それがルールだった。
傭兵は報酬の分だけ仕事をこなす。報酬が尽きなければ、裏切りもない。だから形ある契約の書簡など不要であり、無形の信頼を依頼主が抱かねば成立しない。
「裏切らない…と言うが、本当のところはどうなのだろうね?」
疑っているというより、投げかけた問いへの反応を愉しんでいるようだ。コーナーは口元だけで笑う。
「どうだかな…。」
興味のなさそうな答えだった。
「例えば、今のやり取りを何処かへ流す。証拠となる物証はないが、スキャンダルとしてなら、それなりの額を取れるだろう。」
君がそれをしない保証はない…。
人の悪そうな表情を張り付け、依頼主は真正面からサーシェスを見つめた。
「そりゃ、オレの仕事じゃねぇ。」
そいつは情報屋のやり口だ。うんざりした顔でそれだけを口にすると、傭兵は辟易した風に肩を竦めた。
「君のプライドを傷つけてしまったかな?」
「いや、元からそんなモンの持ち合わせはないもんでね。」
「プライドを持たない?」
「兵隊にそんなモンは要らねぇんだよ。軍人じゃねぇ。兵隊だ。大勢殺せと言われりゃ、引き金引くような生き物なんだよ。」
「実にシンプルなシステムだ。」
「勲章が欲しいのが軍人だ。兵隊は勲章じゃ、飯が食えねぇと知ってる。事の次第によっちゃぁ、ケツ掘らせもするぜ?敵さんの親玉潰すのに必要なら、それも有りだ。」
淡々とした口調で、サーシェスは語る。物を知らない相手へ、常識を解いてやる風な言いようだった。
「とても興味深い話だ。」
コーナーはひどく満足そうに低く言った。それからうっそりと口の端を引き上げ、双眸を細め、更に声を潜めると、兵隊と言うものをもっと知らねばならないと、独り言のように呟いた。
寝室は無駄に広い。広さに見合う調度が置かれていない所為で、ガランとした空間にたった一つあるベッドが、間違って置き忘れられた印象を与えた。室内の灯りは点いたままだ。目を瞬かせるほどの光量ではない。が、肉体の隅々、些細な顔の動きていどは、余すことなく見て取れる明るさだった。薄青いシーツの上、下肢だけでなく衣服と名の付く総てを脱ぎ捨てた男が居る。俯せて、腰ばかりを高く持ち上げ、肩はシーツへ付くほども低く、そして洒落たアクセントにはほど遠い、背へ廻した両手には、無粋な手錠がはめられていた。
「君には驚かされる。」
「何がだ?」
「もっと抵抗されると思った。」
「そりゃ、どーも…。」
「プライドがないと言った手前の芝居かと思ったくらいだ。」
「そんな面倒は好かないってことだ。」
それにしても…。ベッドの足下へ立つコーナーは、ひどく感歎したと深く息を吐いた。
SEXを匂わせてきたのはサーシェスだった。恐らくそれは敢えて向けられた台詞だろうとコーナーは読んだ。実際に閨へと促したのは、彼だったが、一切の躊躇いもなくそれに乗ってくるとは、実際のところ考えていなかったのだ。自分をからかっているのだろうと察し、それはきっと鼻持ちならない金持ちへの揶揄に近い台詞だろうと判じ、だから口にした性的な意味合いを仕掛けたなら、いくらプライドの持ち合わせがないとほざく男でも、それなりの抵抗を顕わにすると勝手に思いこんでいた。ところが客用の寝室へと入った途端、兵隊は抗うどころか、腹を抱えて笑った。
「結局アンタが知りたいってのはコレかよ!」
声を震わせ、サーシェスは続ける。
「あの、お綺麗な顔の小僧は小姓ってヤツじゃねぇかと思ったから、カマ掛けたら乗ってきやがった。」
手放しの笑いが不意に途切れた。今までの笑気など忘れてしまったかに、低く抑えた声音でサーシェスが問う。
「で、オレはタチかネコか?」
「私がトップで良いと言うのか?」
「ああ…。で、これは報酬内って事でイイんだよな?」
コーナーの端正な顔が崩れる。
「君は本当に面白い。」
言い終わると、彼は暫しの間、次を発するでもなく、細かな笑い声をこぼし続けた。
身につける全部を取れと言えば、当たり前の仕草で衣服を脱ぐ。ベッドに上がり、獣のように四肢を付けろと言えば、てらいもなく四つんばいになる。
「そのまま両手を背へ廻してくれないか…。」
「注文が多いな。」
「オーダーに関しての規制があったのかな?」
「別にねぇよ。」
言われるまま、男の両腕が背へ廻る。するとひんやりとした感触が手首へ当たり、直後カチャリと乾いた音が鳴った。
「こういうのがお好みってワケか?」
「いや、私はとても臆病なのだよ。情欲に流された君が、果たして私に疵を付けないとは言い切れないだろう?」
「保険は必要ってことか。」
「ご理解頂いて光栄だ。その聡明さに敬意を表して、一つ…打ち明けよう。」
「…?」
「実は、こうするのが好きと言うのは確かなことだ。」
勘の良さに更なる敬意を…。
コーナーは芝居がかった仕草で、一度深く頭を垂れた。
ベッドに乗り上げ、背後へと廻った男は、満遍なく潤滑油を塗りつけた指を、尻へ滑らせる。ぬるりとした感触。アナルの周囲を探る指使いで、円を描き解していく。殊更の前戯はない。目的は明確だ。だからどちらも、それ以外を望んでいなかった。様子を伺いながら鳥羽口付近を緩めていた指が、頃合いを計り内へと入る。それまでの慎重さとは逆に、無造作な侵入だ。サーシェスから詰まった音が洩れる。
「つっ…。」
「どこか傷めたかな?」
「いや…。」
気遣う素振りとは裏腹に、指は中ほどまでを一気に進み、折り曲げた節の硬さを周りへ擦り付ける動きで、狭窄を拡げようと努めた。腹の中で様々に動く指の数が間もなく二本へ増える。二つはそれぞれに狭さを拓き、性感を探り当てると、その場所へ執着した。前立腺の裏側、凝りのような筋を、上品に整えられた爪の硬さが幾度も擦る。後ろ手に手錠をかけられる、不自然な姿勢で前へ屈む男が、堪えきれないとばかりに、脇腹を震わせた。
「はっ…っ…面白ぇ…な…、アンタ…。」
突っ伏しているから妙にくぐもった声が、短い呼吸の合間に聞こえる。
「何が…だね?」
「慣らしとか……っ…しねぇと思った…。」
まさか…と大袈裟に愕いてみせる。そんな事をしたら衝き入れた自分のモノが絞られる結果になる。
「快楽を享受する手間を惜しむなど、愚かしいことだよ。」
穏やかな語り口調。しかし指は意地悪く性感を刺激する。指先が凝りを弄る。コリコリと爪の硬さがそこへ当たった。
「くっ…。」
低く呻き、額をシーツへ押し付ける男へ、背後から懇願が投げられた。
「これだけで終わってしまわないだろうね?是非ともこの後の愉悦を堪能せてくれたまえよ…。」
腰の裏から怠い痺れが股間へと広がり、自分の性器が激しく脈動するのを感じつつ、サーシェスはまた抑えた唸りを漏らし、次いで見くびるんじゃねぇ…と憎々しげに吠えた。
ペニスをねじ込んだなら、直ぐさま奥まで貫くと思ったサーシェスの予想は外れる。指を相手の都合も推し量らず、無造作に深くへ入れたから浮かんだ予想だったが、コーナーは半ばくらい育った雄を入り口から僅かに射れた辺りで止めてしまった。
「壮観だな…。」
言った意味が量れず、黙り込む相手を気にすることもなく、コーナーは半端に挿入した陰茎を止めたまま、不自然に腰を屈めた。
「これは、一体どのようにして付いたモノだろう…。」
自問に近く独りごち、男は舌先でサーシェスの背を擽った。
「くすぐってぇ…。」
「痛ましいな…。」
要点を暈かした言葉の羅列から、うっすらとコーナーの意思を読みとる。男は兵隊の背に残る幾つもの疵を舐めているのだ。
ヌルとしたなま暖かさが皮膚を這う。快感とは異なる感触。サーシェスは喉の奥で笑う。小馬鹿にした風な呆れたような笑いだ。
「他人の悪意でこのような痕跡を刻まれると言うのは、如何なる気分なのか…。」
「覚えちゃいねぇ…な。」
「皮膚と肉を裂かれてた時、何を思ったかを忘れてしまえるのか?」
「痛ぇ…と思うくらいだ。」
不可思議だ…。困惑した風に呟いた男は、次々と疵痕を舐め、時には引きつれた皮膚の一筋へ爪を立て、相変わらず雄は動かしもしないで、無意味な問いを垂れては、おかしな感歎をこぼした。
中ほどに留まるペニスが、僅かな腰の動きで周壁を刺激しなければ、サーシェスもじりじりとした焦燥を味わったりしなかったろう。だがコーナーが点在する疵へ舌を這わせようと動けば動くだけ、陰茎の角度は変化し、カリの張り出しは、柔らかな襞を擦った。放り出され、一度も触れられていない性器は、それなりに硬く、それなりに反り返っていて、曖昧な悦に苛まれるたび、先端から薄く白んだ体液を垂らした。伸び上がるようにして、コーナーが肩に近い疵の名残へ口唇を寄せる。狭窄の下側を竿が強く押し、反対に亀頭の丸みが上側を抉った。
「う…っ…。」
肩へ力を込め、サーシェスが背を強張らせる。
「少々待たせすぎたようだね?」
触れる直前の唇が動き、他人事の響きがそんな事を宣う。
「喰えねぇ野郎だ…。」
抑揚のないそれは、しかし語尾が不自然に震えていた。
「申し訳ない。君の過去に夢中になってしまったよ。」
「質が悪い…ぜ。」
全く済まないと思っていないだろうに、コーナーは再度慇懃に謝罪を述べる。
「では、そろそろお互いの快楽を享受することにしよう。」
ひどく愉しげな声音だった。背で拘束される腕の痺れを気にしつつ、サーシェスは相手が恐ろしく愉快そうな笑顔を張り付けているのだろうと推測する。きっと間違っていないだろう。彼の内耳へ響くその音は、心底の嬉しさを滲ませていたのだから。
始まった律動は瞬く間に激しさを身につけた。もっとねちねちと、意地の悪い動きを予想していたサーシェスは、技巧に欠けるそれに若干の物足りなさを覚える。けれど、衝き入れて引くだけの繰り返しも、尋常ではない激烈さを伴えば、余裕などすぐに消し去る。奥へ勢いのまま先端を押し込み、そこから更に腰を入れて、深みを嫌と言うほど突き上げてくる。丸い硬さが、踞る性感を間断なく刺激して、忙しない呼吸すら遮ろうとする。
「おぁ…っ…クソッ…ぅ…ん…ん…。」
膨れあがった陰茎を周りへ押し付け、ご丁寧に掴んだ腰を大きく揺する。ペニスを手繰り寄せる時も、カリが襞を強く掻くよう擦り付けるのを忘れない。そして抜け落ちる手前から、激しさのまま奥を狙う。皮膚の打ち合わせる音が、艶めかしく何度も鳴った。
攻め立てられ、腹の中を掻き回され、鋭敏になった内部は、些細な動きも確かな愉悦として拾う。声を殺さない男は、獣のように呻き、唸り、高く吠えた。
「あっ…うぁ…キタ…ぜ…っ…。」
彼方此方に散らばる性感の一つを大いに突かれ、ゾッとする快感の中で喘ぎ混じりの言葉を吐く。
「ん…ぅ…くっ…。」
時に意味のない短音だけがこぼれ落ち、コーナーはそれらを具に拾っては、もう終いか?と畳みかけた。
「まだっ…だ。」
しかし股間で反り返るペニスは正直だ。ずっと途切れることなく精液を滴らせており、苦しげなうめき声を上げるたび、先端の口を喘ぐように開いては、充分に濁った粘りを吹き上げていた。
「堪えることが美徳ではないと…知らない君ではないだろう?」
耳殻へ寄せた口唇が、濡れた声音で囁いた。
それは正しい。全身から吹き出る汗や、股間で痛いほど張り詰める性器や、声を出し続けて所為で茫漠とした音しか拾えない耳管が、あと少しと足掻く男を嘲笑する。背へ廻した腕は、随分前から感覚を逸しているし、閉じきれない口からは、唾液と小刻みな呼吸と淫猥な声が流れ続けている。腹の中は薄気味悪くうねりを止めず、思いだした風に埋め込まれた雄をきつく締め上げていた。
「っ…竿……。」
「今、何と…?」
「終わり…だ…。」
「それで…?」
「竿…っ…掻けって…言ってんだよ…。」
了解は言葉ではない。素早く股間へ忍び込んだ手が、濡れそぼる性器を握った。
「あぁ…っ…ん…ぅ…。」
強く押し付ける指の腹が、裏筋に沿ってすべった。陰茎が歓喜を表すかに大きく震える。
「う…あっ…あぁ…っ…。」
解放を予感する男が、惜しげもなく声を上げた。恰も獲物を狩った、野獣の雄叫びの如き嬌声が、汗と精液の臭いにまみれる空気を、切り裂くように響き渡った。
シーツはどこもかしこも皺だらけだ。点々と広がる染みは、こぼし続けた精液のもの。射精の充足と倦怠で動くことを忘れた男は、漸く腕の拘束から解かれることになる。痺れ、感覚の淀んだ腕を引き寄せる。見れば両手首がすっかり擦れ、薄く血の赤が滲んでいた。ゴロリと仰向け、自身の手首を口元へ運ぶ。痛みはない。未だ失せた痛覚が戻らないのだ。染み出た血液を、ゆっくりと舐める。乾いた口の中に、錆臭いしょっぱさが広がった。すると足下から忍び笑いが聞こえる。目線だけで其方を伺うと、ベッドの端に腰掛けた男が、ジッとサーシェスを見ていた。
「良い眺めだ。」
「そうか…?」
「一糸まとわぬ姿で、汚れを拭いもせず、それでいて新に刻まれた疵を舐める…。」
フッと鼻先を鳴らすコーナーは、悦に入った顔つきで続けた。
「君はそうして、人の情欲を煽るのだね。」
「そりゃ、未だヤリてぇって意味か?」
「そう取って貰って構わないよ。」
サーシェスはもう一度、今度は視軸をコーナーに据えたまま、見せつける風に手首を舐めた。
「追加は高いぜ?」
「一国の防衛予算よりは安価であって欲しいものだな。」
大して笑えない相手の冗談へ申し訳程度に口元を緩め、男はそれよりは幾分安いと、呟くように答えた。
了