*エースの報復*

『エースの受難』後日談/コーラ×アリー(?)

 彼の所属する軍と、あの男が飼われる組織は以前とは比べられない親密さになった。あの合同軍事演習からあとのことだ。ソレスタルビーングの介入は、傍目には演習を中途で終わらせ、まるで戦争の要因を一つ消したかに見え、その実、連合と一企業を深く結びつかせた。互いの実利が一致したからだ。二つを繋ぐ鎹は戦争。巨大な厄災を根絶させる目的の軍事介入が、薄紙一枚くらいの裏で戦火へ油を注いだと知ったら、ガンダムのパイロットとその組織は、一体どんな顔をするのだろうか。いや、彼らが単なる妄想に支配される莫迦の集まりでないなら、これも又想定の内と言うことなのかもしれない。
 しかしそうした実情も彼にはどうでも良いことだった。AEUのエースは施設内に自軍以外の人間が多く見られる状況だけに意識を向けていた。制服や軍服を身につけない輩、それらは大概外からの来訪者だ。コーラサワーはハンガーで、整備所で、更には事務室や職員の詰め所で、明らかに外部の人間と思える顔を見かけると、その周囲を執拗に見回した。それが絶対にPMCの人間である証拠はない。が、彼の中でAEU以外はイコールPMCという図式が出来上がっていて、PMCは彼に無礼の極みを働いた男のいる組織として刷り込まれているのだ。見慣れない顔の周りを捜せば、件の男が居る可能性が高いと勝手に決めていて、だから彼はあれ以来始終キョロキョロと落ち着きなく、人のツラを馬鹿馬鹿しいくらい確認するパイロットになっていた。



 その日、彼はとても機嫌が良かった。シミュレータでの戦闘に於いて、過去最高の成果を叩き出していたからだ。この疑似戦闘を頭から莫迦にする輩は多い。所詮はゲームの延長。実践こそがものをいうのだと、鼻先でせせら笑う叩き上げのパイロットにも一理はある。が、だからといって、トレーニング用のマシンを否定するべきではない。実践さながらの体感は当然ながら、近々の戦闘データを総て記憶させたシミュレータで、全機を尽く落とすのは容易なことではないのだ。コーラサワーは平均戦闘時間も最短を打ちだした。恐らく暫くの間、それを越える者は居ない。だからエースパイロットは有頂天に近い上機嫌で基地内を闊歩していた。但し、シミュレータ訓練に臨む熟練パイロットが殆ど居らず、新人或いは実践への参加のままならない訓練兵が殆どである事実を、コーラサワーがどのように捉えているかは不明であるが…。
 パイロットスーツから制服へ着替え、間もなく正午になる施設の廊下を、彼は食堂へ向け歩いていた。鼻歌交じりの快活な足取り。すれ違う顔見知りへ、わざわざ声を掛けるほども浮ついた有様だ。施設内の廊下は分岐と合流を繰り返し、幾つにも別れる建物を繋ぐ。コーラサワーの行く先の手前には、諸々の事務手続きを行う部署が並ぶ。事務官が忙しなく行き交っていた。チラホラと整備棟からやってきたメカニックの姿もある。外部業者は搬入の面倒な手続きに悪態をつき、不慣れな来訪者は壁面の案内プレートを睨み付ける。
 普段なら、最も外来の人間の多いこの一画を通る際、エースは出くわす相手を殊更気にしていた。が、今日はそれも忘れているらしく、半ば上の空でそこを通過しようとしていた。左前方のドアが開き、上背のある男がコーラサワーへ向け歩いてくる。外来の者だ。制服も軍服も整備用の揃いでもない恰好だから、当然彼にもそれは判った。間もなく距離が縮まり、あっという間にすれ違う。行き過ぎるその時、エースパイロットはギョッとした顔で立ち止まった。視界の端を掠めるひげ面の横顔。見覚えどころではない。金輪際、忘れるはずのない男だ。瞬時に向き直り、大股で去っていく相手を追う。瞬く間に追いすがり、無言で男の肩を掴んだ。
 何事かと振り返る男。
「やっと見つけたぞ!!!」
前置きもなく声高に言い放つエース。男はポカンとしたツラで首を傾げる。そして大層不思議そうな表情を浮かべてこう言った。
「誰だ…テメェは?」
男にとってそれは当たり前の反応だった。軍の施設に知り合いは居ない。今回も契約企業からの依頼で仕方なしにやって来ている。男に支給された機体がAEU開発機でなければ、雇われてもいない無関係な軍施設は足を向ける筈のない場所だからだ。
「な、な、なんだと??!!」
見る間に瞠目し、声を上擦らせるエース。男は相変わらず現状をさっぱり理解できないツラで、もう一度同じ台詞を繰り返した。そして痛恨の一撃。
「前に会ったか?」
「覚えてないとか言うな!!」
まじまじとエースパイロットを見つめ、更に追い打ちが吐き出された。
「悪ぃ、全然覚えてねぇな。」
握りしめるコーラサワーの両拳は、これ以上ないくらいに力が込められ、骨の軋む音がするかと訝るほども強張っていた。
 頭に血の昇ったエースは全くの無意識に声を張り上げる。
「ふ、ふざけるな!貴様、オレをシャワー室に連れ込んだのも覚えてないのか!!」
「シャワー室だ?」
「そこで何したか思い出せ!!」
男は黙り込む。投げつけられたヒントを頼りに、記憶の中を漁っているらしい。
『ギャンギャンと喚く若造』
『AEUの軍人』
『シャワー室』
数個のキーワードを声にせず繰り返した。
「シャワー室…。」
何かが引っ掛かる。
「おい、テメェの名前…言ってみろ。」
もう一つくらい断片が欲しいのか、男はボソリと訊ねる。
「パトリック・コーラサワーだ!エースの名前、忘れるんじゃねぇよ!!」
「あぁ!」
幾つかの欠片が一つに繋がる。確実に思いだしたように、男は鮮やかな笑いを浮かべた。
「思いだしたのか?」
「そうだ!テメェだ!」
続けて、凡そ施設内の通路には不適切な台詞を男は口にした。
「俺にケツ掘られたエースだったよな?」
ざわりと周囲の空気が動く。男の言ったそれを耳にした誰しもが、思わず視線をエースパイロットへと向けていた。
 コーラサワーが男の腕を掴んだのはほぼ反射的なものだった。彼の頭の中にあったのは、兎に角この場を離れねばならないと言うこと。そしてもう一つ、漸く見つけた憎々しい傭兵を逃がしてはならないことだった。聞き捨てならない台詞のあと、見慣れない男の腕を取り足早に去っていくエースの姿が、周囲の人間の目にどう映るか。暫くの間、ロッカールームやら談話室での話題を攫う出来事だ等と、エースパイロットは欠片も微塵も爪の先も予想するゆとりはなかった。後になってから仕舞ったと…臍を噛むハメになるが、長い施設の廊下をズンズンと行く時、彼の思考はたった二つだけで手一杯だったのだから、この行動は仕方のない振る舞いに違いなかった。
 辿り着いた先は今し方の会話にも登場したシャワー室だ。但しそこは以前の場所とは全く別の部屋だった。施設内でも、最も誰も利用しない、そこにそうした設備があるのかも知られていない場所だ。予備のロッカールームの奥に設えられたシャワー室。そこを目指したのは、コーラサワーが件の男へ報復すると決めていたからで、その際に使うならそこだろうと当たりを付けていたからだ。
 ドアを開け、壁のスィッチで室内へ灯りを灯す。白んだ光の下、くすんだ鼠色のロッカーが整然と並んでいる。普段使われていない室内は、人の居ない部屋の匂いがした。
「手ぇ離してくんねぇか?」
斜め上からタッパのある男が投げ降ろしたそれで、漸く自分が相手の腕を掴んだままであることを認識する。パッと手が離れた。
「で、こんなトコへ俺を引っ張ってきた魂胆はアレか?一発で味締めたって奴か?」
「へ?」
「だったら他当たれ。テメェの性欲に付き合う義理はねぇからな。」
金を払えば大概の欲は充たされる。然るべき場所へ行けば良いだけの話だと、男はエースの真意を勝手に決めつけた。
 多くはないが珍しくはない。本来は異性に欲情する、所謂世間一般の嗜好が、たった一度の経験で突如同性とのSEXに目覚めることがある。
「そういう手合いは厄介なんだよ。前にもケツ追い回されて難儀したぜ。俺ぁ淫売じゃねぇ。テメェのケツの穴はテメェで何とかしろ。」
間断なく並べる好き勝手な言い分にコーラサワーが声を荒げた。
「ちがーーーう!!お前に何とかしろって言ってねぇ!!オレはこの前の借りをここで返すって言ってんだ!」
「はぁ?」
「何か判らないウチにケツ掘られたんだ!やり返さないと気がすまねぇよ!だからずっと捜してた!見つけたから今度はオレがヤってやる!」
「…てこたぁアレか?掘られてぇんじゃなくて、俺のケツに竿突っ込みてぇって話か?」
「目には目をだ!」
エースは素晴らしい宣言を声高に言い放った。ガランとしたロッカールームにそれは馬鹿馬鹿しい響きとなって鳴り渡る。すると、更にそれを上回る大笑いが部屋中の空気を揺らした。傭兵は戸口で馬鹿笑いを垂れる。腹を抱え、一頻り笑い転げ、最後はなかなか治まらない笑気に声をひくつかせた。
「ケツ…掘るってか。俺の…ケツに竿、突っ込みてぇのか…。」
「笑うな!黙れ!」
やっとの思いで笑いを飲み込んだ男は、呼吸を整える風に一つ大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出すと酷く冷静な声音でこう言った。
「いいぜ。」



 ロッカールームの白んだ光の下。エースは無闇やたらと自分の陰茎を扱いている。ベンチへ腰を降ろし、前を拡げ両足を放り出してコーラサワーは引っ張り出したペニスを自ら勃たせる事に必死の形相だ。それを別のベンチに腰掛け、男が眺めていた。心底呆れたツラだ。つまらなそうに欠伸をする。
「なぁ、エースの兄ちゃんよ。」
「ウルセェよ。」
エースは目線を上げもしない。竿を握った手をひたすら上下させている。
「てめぇ、インポか?」
「なに??!!」
「竿扱いてどんだけ経つよ?そんだけ掻いてもサッパリじゃねぇか。勃たねぇなら諦めろや。」
「うるせぇ!インポじゃネェ!」
カッと頭に血の昇ったエースは、更に指の動きを速める。が、努力はあまり効果を現さない。理由は簡単だ。彼は男に欲情しないからだ。野郎のケツに竿を衝き入れる趣味など、これっぽっちもない。ましてその相手が間近で彼の手淫を眺めている。勃起するのに時間が掛かるのも当たり前の事なのだ。
 こんな筈ではない…とコーラサワーは思う。なんでこんな醜態を晒すことになったんだ?と、ここへやって来てからの経緯を辿る。あっと言う間に、傭兵へ報復して大満足でここから出ていく予定が、何でこんな羽目になっているんだ?と自問すれば、たった数個のやりとりが瞬く間に甦った。
 男がニヤついた顔で言う。
「テメェが俺のケツ掘るっつーのはイイとしてよ。」
壁を背に押し付けられ、さながら若造に無理矢理SEXを仕掛けられようとしている図式に在って、傭兵は欠片も動揺せず、微塵の危機感も抱かない、余裕綽々の様でコーラサワーの股間へ目線を這わせる。
「勃ってねぇよな?そんなフニャちんで掘れんのか?」
「今から勃たせるんだよ!あっと言う間にビンビンになるんだよ!!」
「ああ、そーかい。」
男は小馬鹿にした響きで、それならさっさとご立派なイチモツをお目に掛けて欲しいモンだと、エースパイロットを急き立てた。
「待ってろ!逃げるんじゃねーぞ!!」
男から離れ近場のベンチへ腰を降ろし、引っ張り出したイチモツを扱き始めるコーラサワー。向き合ったベンチへドカリと座り、その様をヘラヘラとだらしない面で眺めるサーシェス。それは10分以上前のこと。しかし未だにエースのペニスは申し訳程度しか勃起していない。
 男がまた一つ盛大な欠伸を垂れる。面白半分にいきり立つ若造の誘いを受けてやった。全く筋の通らない話だ。ケツを掘られたのが悔しかったと言う部分は判る。だからやり返さなければ納まりがつかないのも理解の範疇だ。だが、手段が解せない。悔しさに殴りかかってくるとか、もしくは刃物なり拳銃(はじき)なりで疵を負わせる術もある。殺さない程度に叩きのめし、二度とするなと言い捨てれば総て完了。それが普通のやり方だろうと男は考えた。血気盛んな若い軍人なら、大概はその辺りの行動に出るはずだ。掘られたから掘り返す。それは随分と馬鹿馬鹿しいやり方で、だから乗ってやったのが実のところ。しかし勃起しない事には何も出来ない。後先を考えない直情型の若造につきあうのも、そろそろ潮時かと、もう一つ欠伸をすると男は徐に立ち上がった。
 既に半分以上ヤケになっている若造の真上から声が降る。
「兄ちゃんよぉ、俺ぁテメェがマス掻いてんの悠長に見てる暇人じゃぁねぇんだわ。」
「何度も言うな!あとちょっとなんだよ。」顔を上げない。手も止めない。だから男が恐ろしく冷めた顔だと気づきもしない。そしてがっしりとした腕が、ズィと伸びるのにも全く意識が向いていなかった。
「え?!」
襟首を鷲掴みにされ、漸くコーラサワーは顔を上げた。掴んだ手へ容赦なく力が籠もる。
「その辺の立ちんぼだってな、股ぐら勃たせんのに客待たせたりしねぇんだ。」
襟を締め上げる右手。空いたもう一方の腕が引き出された陰茎の方へと伸びた。
「うぁっ…!」
「クダラネェ遊びに付き合わせんじゃねぇよ、兄ちゃん。」
節の立った手が陰嚢を握る。ギュっと包み込む掌がそこを握りしめた。
「テメっ……痛ぇ…。」
「イイ具合に掘れたんなら、テメェのツマンネェやり方もチャラにしてやろうかと思ったんだがな。」
更にギチギチと掴んだモノを締め上げる男の片手。若造は呻くばかりだ。
「竿、おっ勃てるのも満足にできねぇクセに、洒落た事抜かすんじゃねぇ。」
襟元もグィグィと締められ、股間も本気で握りしめられ、コーラサワーは悲痛な呻きを漏らし続ける。
「どうせ勃たねぇなら、こんなモン潰しちまった方がイイんじゃねぇか?」
「痛っ…ヤメ…ろ…。」
「割と簡単に潰れんだよな、キンタマってのは…よ。」
恐ろしく平坦な響きだった。大層なことなど語っていないのだと、声の調子が教えていて、しかもコーラサワーの双眸に映る相手の顔は、ニヤついた軽薄な笑いを張り付けているくせに、二つの眼だけは全く笑っておらず、吐きだした単語の並びが単なる脅しではないことを、即座に読みとるしかない若造は、握られる痛みの所為ではない悪寒めいたざわめきが、ジワリと背に広がるのを止められなかった。
 本当にあと僅かでも掌に込める力が増したなら、哀れなエースは股間の一部を台無しにされに違いない。けれども襟元を締め付ける手が不意に外れ、同時に股間からも激しい圧迫感が失せる。
「え……?」
空気の抜けた風な音を漏らす若造は、その意味が図れずに上目遣いで相手の表情を伺った。
「ただなぁ、テメェのキンタマ潰しても、俺には何の得もねぇんだよ。」
手が汚れるだけだと、つまらなそうに言う。
「一銭も儲からないねぇのに、テメェが偉いさんに垂れこまねぇよう、始末する羽目になるのも厄介だしな…。」
無駄を嫌う男は、すっかり飽きてしまったのか、ベンチの上で固まったエースをその場に残し、ブツブツと文句を垂れながら出口へ歩み去る。
 苦痛は去った。危機からも取り敢えずは脱したらしい。普通なら黙って凶悪な人間が消えるのを待つだろう。もう何事も起こらないよう、息を殺してスライドするドアが閉じるまで、そのまま固まっているのが賢明だと子供でも判じられる。しかしエースは負けん気が強かった。頭に莫迦が数個付くくらい、立ち直りが早く、即座に切り返す妙な威勢の良さを持ち合わせていた。
「今度はガンガンに勃たせてやる。」
呟きにも聞こえるそれに、サーシェスはドア前で足を止める。
「今は上手くいかなかった。けど、次ぎは絶対オレがヤってやる。」
肩越しに振り返る男は、呆れたツラで相手を眺めた。
「ケツ洗って待ってろ!!」
諦めの悪いエースは、既に直前までの失態も、男の凶暴さもどこかへ払い飛ばしたらしく、最後は声を張り上げた。
 傭兵は可笑しくて堪らない。こんなトンチンカンなヤツは初めてお目に掛かった。それは思わずプッと吹き出すくらいの面白さだ。
「そうかい。そりゃあ、おっかねぇな。」
「オレは本気だ!!」
「そんじゃ、腹ん中まで綺麗さっぱり掻き出して待っててやるよ。」
出口へ向き直る男の眼前で、ロックを外したドアが静かにスライドした。鼻で笑い、出て行く傭兵。しかし置き土産は忘れない。
「威勢が良いのは結構だけどな、どうせなら萎えた竿くらい仕舞ってから吠えてくれや。」
言い終わると共に馬鹿笑いが響き渡る。ドアが閉じきる前、地団駄を踏みながらエースが怒鳴る声が聞こえた。余程悔しかったのか、語尾を震わせ、コーラサワーは叫んだ。
「うるせーーー馬鹿野郎!!絶対掘ってやるからな!!!」
通路に誰も居なかったことを、散々一人で怒鳴り散らしたのち、冷静になったエースパイロットが不幸中の幸いだと気づくのは、もう少し経ってからのことだった。







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