*Weeds*
アレハンドロ&傭兵アリー(memoから引き上げました)
密閉された車中から一歩外へ出る。案の定外気には特有の匂いがあった。乾いた土塊と動物と人の醸し出す匂いに加え、紛争地には付き物のきな臭さが大気に溢れていた。
「防塵マスクをお付け下さい。」
差し出されたそれを片手で軽く払う。同時に払う理由が述べられる。
「必要ない。もう粗方は済んでいるようだし、私は戦場のただ中へ行くつもりもない。」
現地の状況は既に書面と映像で把握している。足を運んだのは、何事をも机上で決定しているとする世論の批判に対するアピールにすぎない。情報と視察に基づき様々な支援を行っているのだと、形にして提示する為に彼はここに立っている。
マスクを…と進言したのは随伴の役人だ。国境付近で絶え間なく起こっては沈静化する諍いにより、土地を逸し行き場を無くした市井の人々への救済を求めてきたのは、その随伴員を含む小国の政府だった。物品と人員による救援は決定している。更に政府は防衛も求めてきた。国連に加盟する各国からの軍備を欲しがっている。食べ物や薬品の補充とはワケが違う。そこで現地への視察が提言された。実際に行った上でなら、是や非にも筋が通る。視察の任を受けた際、アレハンドロ・コーナーは涼しげな面相の下で酷く昂揚していた。それは好機の訪れだ。長きに渡り密かに進めていた大儀。そこへ漸く転機の風が吹き始めたと、彼は静かに心を躍らせていた。
コーナーは一人の男を捜していた。彼の大儀に必要な人材だ。数年を費やし、膨大な数の中から絞り込んだ数人。最終候補として落ち着いたそれらを、自身の目で確かめる為に足を運んだ。視察の任は歓待すべきチャンスだった。私財を注げば各地へ出向くのも容易い。候補を確認するだけに、少なくない金額を使うのも当然と考える。しかし、候補者が戦場に在る場合、一個人の踏み入れる場所には限界がある。視察先に候補の一人が派遣されていると知り、コーナーは少なからず歓喜した。公事に私事を持ち込む不敬は重々承知している。が、私事が公事を凌駕するわけではない。ほんの傍ら、ほんの一時、手にしたカードを利用するだけだと割り切った。
不整地に停めた車両から目測で200m強。草臥れたカーゴと一張りの天幕が見える。コーナーと随伴はそこを目指した。近づけば、天幕の下で忙しなく動く人間が、派遣された医療関係者であると知れる。並びに別の輸送車と大ぶりのテント。そちらには野戦服を着た兵士の姿。おそらく後方に設えた本部なのだと瞬時に理解できた。彼の捜す相手は正規の軍人ではない。民間の軍事企業より派遣された兵士のはずだ。しかし行き交うそれらしき兵隊は、皆揃いの戦闘服姿である。もしかしたら、そうした輩はもっと戦場の中心、未だ黒煙の上がる前線の辺りに配備されている懸念がコーナーの思考を掠めた。
いくら好機の手札を得ていても、この先まで歩を進めるのは至極困難だ。こうなると公事が逆に枷となる。そしてコーナーは枷を外してまで私事を押し通すような、無分別な人間ではなかった。諦めとは異なる、次ぎの機会を模索することで心中のざわめきを鎮め、彼は本来の任を遂行すべく、医療テントへと歩いた。持ち場で立ち働く幾人もの医師や看護士、その中で一人薬剤の補充を行っている男へ近寄る。優美さと如才なさを合わせた物腰と口調で、彼はその男に話しかける。手短な視察の概要を語れば、相手も手を休め快く応対を始めた。
「今はあと僅かで治まるだろうが、また同じようにここが戦場になるのは目に見えている。だから政府が防衛の軍備を欲しがるのも当然なんだろうな。」
不足する物資を問えば、医師は現状に不足はなく、問題は今後の対応だとばかりに、そんな台詞を向けてきた。
「そうした現場での意見を拝聴できて何よりです。」
コーナーは穏やかな言い様で相手の言葉を聞く。聞きながら、視軸を細やかに移動させ、行き来する兵士や、天幕の下に集まる兵隊の中に目的の者を捜した。だが予想に違わず件の男は見つからない。仕切り直しを彼は決する。
間もなく終結と思われた状況が一変したのは、コーナーが別の場所へと移動を決め、立ち去り掛けた時だった。中心部から突如上がる轟音。空が震える錯覚。振り返った視界に映ったのは、巨大な火柱と天を覆う禍々しい黒煙。
「まだ続けるつもりか…。」
傍らの医師が愕然とした表情で漏らす。最後の足掻きと、反撃に出たのがどちらの側かは分からない。はっきりしているのは、燻り掛けた戦火が再び燃えさかろうとしていること。そして不足はないと言った物資が、瞬く間に欠乏するであろう事態。
駆け寄った随伴がコーナーに即時の避難を促す。彼もそれに異存はなかった。天幕の下にも緊張が蔓延り、作戦本部は俄にざわめきで溢れる。末端の兵士は半ば諦めに似た表情を張り付けていた。長引く戦闘こそが戦意を削ぐ。彼らの望みは既に勝利より終結へと傾いていたのだろう。
「…?!」
車両へ戻るべく一歩を踏み出し掛けたコーナーが立ち止まり肩越しに振り返ったのは、視界の端に捉えた何かの所為だった。くすんだ砂色ばかりの彩りに、鮮やかな朱が現れる。仰天しその方を見れば、何処からやって来たのか、赤褐色の髪の兵士が佇んでいた。そして瞬く間にその場を離れ、本部の先で棒立ちとなるヒトガタの兵器へ猛然と駆けていた。一人として止める者はない。待機する機体は即座に起動し、火柱の方角へ目掛け移動を開始した。
間近で苦い溜息の音。目線を遣ると最前の医師がやり切れない顔で遠ざかるヒトガタを眺めている。どうかしたか?と訊ねたのは、張り付けた表情の意味が読めなかったからだ。
「あれは派遣された傭兵ですよ。連中は成果を上げないと報酬が下がる。そうした仕組みだから仕方ないのは分かっていますが…。」
「再び戦闘が始まる事を憂いて居られるのですね?」
「それもありますが…。」
「別の憂慮もあると?」
「今日の未明に戻ってきた時、足に装甲車の一部が突き刺さっていましてね。治療したのは私です。報酬の為に出ていったのだと思うと、何とも納得出来ないと言いますかね。」
「治療が無駄だったと仰る?」
「無駄とは思いませんが、事態を長引かせる片棒を担いだ気分になってしまって…。」
「成る程…。」
「連中の目的が金だと知っていると尚更…ですよ。」
数時間前に縫合したばかりで、まさか出ていくとは思わなかったと、医師は呆れた風に続けた。天幕の隅で支給されたブランケットを被り、座り込んでいた男は常識で考えたなら、歩ける筈がないのだと、苦く笑う医師はまた深く嘆息した。
不整地を走る車両はウィンドを総て閉じ、外部とは遮断された空間を作る。再開した砲撃の音や、落雷めいた地響きも既にここまでは届かない。大気に混じる特有の匂いも、乾いた砂混じりの風も、別時空に存在するファクタであるかに思えた。タイヤの拾う細かな振動を感じつつ、コーナーはぼんやりと窓外に流れる景観を眺める。茫洋とした横顔。しかし心中はひどくさんざめいていた。反芻するかに脳裡へ描く一連の情景。掠れた色合いを蹴散らすかに現れた赤褐色の髪の男。あれが候補者であるとコーナーは瞬時に悟った。あと僅か、始まりの砲撃が遅ければ、彼は気づかぬままあの場を去っていたに違いない。立ち上がり大地を蹴って走り出す俊敏さ。迷いの欠けらすらない潔さ。モニタに映し出されたあの男の戦歴を裏付ける鮮やかな動き。候補としての遜色は微塵もなかった。
「彼が良いな…。」
零れた呟きはあまりに微かだ。前席に座るドライバーや随伴が拾うはずもない。
コーナーは今一度走り出す男の様を思う。あの医師は金銭に取り憑かれた亡者の如くあの男を語っていたが、コーナーはそれをやわりと否定する。眼前の獲物へ一気に食らいつくかの初動。その時、件の男は確かに笑っていた。立ち上る戦火が、恰も祭事の神火でもあるかに、押さえ切れぬ歓喜を顕わにして、男は愉しげな笑いを張り付けていたのだ。精鋭であるに越したことはない。臆せず難題へ立ち向かう意思も必要だ。けれどそれだけでは足りない。コーナーの大儀には、手駒では終わらない才が不可欠だった。ある種の狂気にも似た類い希な資質。あの男に彼はその断片を見た。
「あの男が欲しい…。」
さらりと吐き出したそれは、変わらず密やかな音でしかない。しかし滲む熱を帯びた響きを伴い、無意識の切望を形にしていた。
了