*too narrow*

アレハンドロ×アリー(レストルームにて)

 依頼主は一切の説明を省いてこういった。
「時間がない。残念ながら詳細を説明する暇は無いのでね…。」
呆気にとられたまま、男は仰々しい迎えの車へ押し込まれる。文句をぶつける暇もなく、車両は瞬く間に発進した。
「ところで、その有様はどうしたことかな?君は身だしなみと言う言葉を知らないとみえる。」
前席との間には遮蔽板を設けるリムジンの車中。取り敢えず走り出したなら何らかの状況説明があると践んでいた男は、咎め立てめいたニュアンスを投げられ、数秒ポカンとしたツラをしていた。
「ちょっと待て。」
「何を待てと?」
「急に来いっつーから来た。来た途端にコレだ。こっちの都合はナシか?」
「ああ、それに関しては非常に申し訳ないと思っているよ。」
爪の先も申し訳ないとは思っていないだろう依頼主が、幾度も耳にした慇懃な口調で本当に申し訳がないと重ねた。
 そして今し方の話を蒸し返す。
「五分前にベッドから抜けだして来たと言われたら納得もするのだけれど…。」
曖昧に語尾を濁し、つぃと伸べた指が顎の線をスルと撫で、ついでのように薄く生える髭の先を摘んで引っ張る。
「…てぇな。」
「手入れをしていないのが歴然としているよ。」
「今朝は剃ってねぇからな。」
「髪も酷い。櫛の歯が入らぬとはこんな様を言うのだろうか…。」
「悪ぃか?」
「悪い…とは言わない。が、見栄えが良くない。」
洗ったまま大して乾かしもしなかった筈だ。元から癖のある髪は面白いほども収拾がつかなくなっている。それをまじまじと眺め、暫し逡巡したのち、依頼主は自らの髪を括る紐を外し差し出した。
「当座凌ぎだが、これで纏めておきたまえ。」
流れは相変わらず依頼主であるアレハンドロ・コーナーが握っている。出された紐を手に取るしか雇われる男に術はなく、彼は全く納得行かない顔で、それを摘み上げると背で広がる髪を一つに括った。
 車両は目抜き通りを真っ直ぐに進む。
「で、どこ行くんだよ?」
窓外の流れを眺め、サーシェスは漸く本筋を訊ねた。
「空港だ。」
「空港だぁ?」
大袈裟に愕く様にコーナーは仄かに笑む。しかし流れの先が全く見えない男は、更に幾つもの問いを垂れた。何故自分がそこへ行くのか、空港と身なりの関係はなんだ、時間がないとはどういう意味か、急に呼び立てた本題は何か…。畳みかける言い様にあからさまな怒気は含まない。ただ、随分と手前勝手なやり口に、僅かながらの苛立ちは窺えた。
「AEUへの関わりを持って貰う段取りがついたので、その詳細を伝えようとしたのが本題だ。呼び出したのはそれだったのだが、どうしても外せない用向きが出来てしまった。なので同行して貰う。それで空港へと向かっている。これで大凡は理解してもらえたかな?」
「んで、何処まで連れて行こうって魂胆だ?」
コーナーは事も無げにユニオン加盟国の一つを口にする。
「懇意にする資産家に招かれていてね、一度は辞退を考えたが、やはり祝い事を反故にするのは良くない。」
「独りで行きゃあいいだろうが…。」
「自家用機ではなく、旅客機を使うのだよ。滅多にない機会だから、君を誘ったというわけさ。」
誘ったのではなく、強引に連れて行くのだろうと男は腹の底で低く呟く。が、口には出さない。車窓からあと少しで空港に到着する由の標識が見える。今更何を言ったところで、この流れは変えられない。ならば大人しくする方が身のためだ。コーナーとの関わりで学んだのは、下手に足掻くと聞きたくもない諸々を長々と聞かされ、結局は押し切られる結末しかないということ。
「ああ、そうかよ…。」
どうでも良さげに相づちを打つ。口元を綻ばせる依頼主は、男の不機嫌なツラなどお構いなしに、今度はそのだらしないスーツの着こなしをあれこれと指摘し始めた。恐らくそれは車が然るべき場所へ停まるまで続く。サーシェスはうんざりとした溜息を遠慮もなく吐き出した。



 一般の空港を利用するのは稀なことだ。それはサーシェスにしても、コーナーにしても同じだった。が、その稀にも大きな隔たりがある。依頼主は通常自家用機を使う。傭兵はここ何年か企業の輸送艇が主だった。それに一般の旅客機へ搭乗したとしても、片や個室に近い少数がくつろぐキャビン、片や足も満足に伸ばせない二等やら三等の客席。手続きを使用人に任せ、ずんずんとロビーを進むコーナー。僅か後を歩くサーシェスから疑問が飛ぶ。
「なぁ、時間待ちすんならあっちじゃねぇのか?」
顎をしゃくる風に示す先には幾つもの椅子が並ぶ。
「いや、ラウンジは彼方だよ。」
正面を見据える相手の視線を追えば、ファーストクラス専用ラウンジの文字が読めた。
「搭乗の前に幾つかしなければならないからね。急いでくれたまえ。」
気持ち足を速めるコーナー。未だ何かあるのか?と眉を顰めるも、どうせ訊いたところで埒は空かないと、賢明な判断でサーシェスは無言を決め込んだ。
 ラウンジには疎らに数人の乗客が在った。無駄に飾り立ててはいないが、無駄に空間を奢る一室。コーナーは最も奥まった、衝立で仕切られる一画を撰ぶ。対座する四つの一人掛け。中央には低めの卓。腰を降ろした途端、まだ突っ立って周囲へ満遍なく視線を送る男へ、持ち物を全部出せと言う。ほっそりとした指が卓の上をコツコツと叩き、ここへ並べろと指示を出す。
「出せって何をだ?」
「君が普段から携帯している物を総てだよ。」
含む意味は分かる。サーシェスはジャケットの内隠しから拳銃を、尻のポケットから刃物を無造作に取り出し言われるまま並べる。
「これだけ…と言うことはないのだろう?」
すると両手が着衣のあちこちへ動き、物を納められる場所をゴソゴソと探し、並べた以外の数点を次々陳列し始めた。刃物が4本、拳銃は最初の一丁のみ、但し補充用だと思える弾丸が17、9mmのパラベラムだ。つぃと上がる視線がこれで総てか?と訊く。
「もう無ぇよ。」
漸く腰を降ろした男はことの成り行きを察し、後で返せとつまらなそうに言った。
 一つ一つを吟味でもするかに摘み上げ、持参したケースへと納める。総てを仕舞ったコーナーはそれを衝立の外に控える従者へ渡した。
「こちらへ戻るまで預からせて貰うよ。」
深く椅子へかけ直し、軽く足を組むと、拳銃は兎も角として、刃物は市販でも手に入るものだったのが意外であったと、コーナーは感想めいた言を吐いた。
「けど、あれでも一人や二人は殺せる(ばらせる)ぜ?」
「大きさや質の問題ではないと言うのだね?」
「ペンが一本ありゃ、人間なんざぁ殺れる(やれる)ってことだ。」
ならば、次ぎに会う時は部屋にはペンを置かないよう心がけると、大して笑えない冗談を言いつつコーナーは時計を確認した。
 搭乗は、このラウンジから専用の通路を使う。わざわざ大回りをせずとも構わないのだが、目をやった腕の時計はそろそろ腰を上げるべきだと知らせている。
「君の持ち物検査で存外時間を使ってしまったらしい。」
立ち上がりつつ、ひどく残念そうに続ける。
「取り敢えず、その起き抜けのような有様をどうにかするつもりだったのだけれど…。」
それは恐らく半端に伸びた髭のことを指しているのだと思われ、間違いなく時間があれば手ずから当たってやろうと目論んでいるのだと読める。
「そりゃあ、残念だ。」
あからさまな皮肉を含ませ、心中では随分ホッとした傭兵は、さっさと専用ゲートへ向かう依頼主のあとを追った。



 人間の身体の形に合わせ、長時間座っていても負担の掛からない設計だという座席。そこに掛けて幾度目かの欠伸をかみ殺す。眠いわけではない。することが無く、退屈極まりないのだ。離陸直後は滅多にお目に掛からないキャビンの様子や、多機能をうたい文句にする座席の仕組み、オーダーできない物はないのでは?と思えてくる酒精や飯のメニュー、更に途切れることなくプログラムを垂れ流す映像モニタ等の所為で時間は直ぐに過ぎた。更に本題とも言える今後の展開をコーナーと話合っている間も時は順調に流れた。が、それらが済んでしまうと、急に総てが滞り始め、何もせず腰を掛けていると一分が数時間にも思えてきた。窓外は青と白以外の彩りがない。また欠伸がこみ上げる。今度は堪えもせず、阿呆ヅラで口を大きく開いた。
「退屈極まりないといったところかな?」
横から涼やかな声。
「飽きた。」
その短さが男の心中を雄弁に語りすぎていて、コーナーは思わず細く笑い声を漏らす。
「読書はどうだい?その端末からライブラリが呼び出せる。」
「さっき見た。大概読んじまってる。」
「万人に向けた揃えだからね。著名な作品を並べるのは仕方のないことだが、君がそれほどの読書家だとは知らなかった。」
「待機中はそれ以外することがねぇからな…。」
「成る程…。しかし空路で長時間を移動するのは珍しくない筈だ。任務でそうした状況に身を置く場合、普段はどうしているんだい?」
「大抵は輸送機の荷室に詰め込まれる。兵隊と一緒だ。最初は行く先の状況確認やら、作戦やらを固める。終わったら後は適当だ。くだらねぇ話したり、カードやったり、得物をバラして組み直したり…。そんでも暇なら残るのはお約束って塩梅だ。」
「約束とは?」
相手の察しの悪さに些か鼻白んだ様子で、しかし瞬く間に人の悪い薄笑いを口元へ浮かべると、サーシェスは敢えて顔を相手の耳元へ近づけ相当に声を潜めてこう言った。
「SEXに決まってんだろ?」
「輸送機には個室があるのかい?」
仰天めいた顔が間近に在る。その距離を保ったまま、男は更に意味ありげな言い回しで続けた。
「ねぇよ。床がありゃ何処でもでいい。ヤってるとこ見られるのも結構クるぜ?」
それがからかいを含む方便なのかは判らない。が、男が退屈凌ぎに遊んでいるのだとは察せられる。
「そうした趣向には馴染みがないので賛同しかねるよ。折角の御教授には感謝するし、それを知識として覚えてはおくけれどね。」
サラリと受け流すコーナーの耳管に、随分と面白くなさそうな舌打ちが聞こえた。やはりあれはからかいだったらしい。そして再びだらしのない欠伸。チラと視線だけで様子を伺う。窮屈そうにシートへ納まる男は、不貞腐れたツラで何もない窓外を眺めていた。
 幾度観たかも忘れてしまった著名なムービーを鑑賞するコーナーは、隣席から立ち上がる男へ何事か?と訊いた。
「便所。」
その僅か前、つまらなそうにする相手へ、いっそ寝てしまえば時間も潰れると言ったところ、サーシェスはそれは本当に何もすることがなくなった時だと返してきた。
『まだ何時間もあんだろ?今、寝ちまったら中途半端になる。切り札は最後ってガキでも知ってるぜ。』
そう言って仕方なしにライブラリから一冊を撰んでいたのが20分くらい前だった。腰を落ち着けたのかと思えば、半時間とせずに立ち上がってレストルームへ行った。じっと一所に居られない男だ。このぶんだと、その切り札とやらを使ってしまうのも、存外早いのかもしれない。そして折角のラストカードを使った挙げ句、大して役に立たず、不機嫌さを張り付けて、残りの時間を持て余すのだろうかと想像し、コーナーは可笑しくて堪らないとばかりに肩を細かく震わせた。
 今、座席から離れたと思うと、瞬く間に戻ってきたサーシェスが、搭乗の直前に手渡した機内持ち込みの荷物の中を掻き回し始める。見物を決め込み、直ぐに帰ってきた相手へ何も問わなかったコーナーも流石に探し物はなんだ?と訊く。
「洗面台が在るなら先に言え…。」
膝の上へ乗せた荷物の中身を引っかき回す男は、何ら応えにならない言を垂れた。
「あるのが当たり前ではないと?」
「普通はねぇだろうが…。」
「あるよ。」
「無ぇ。」
恐ろしく狭い空間に便器だけがある。それが機内の便所だと男は手を動かしたまま面倒そうに言う。
「等級による格差が設けられているとは、思わなかった。」
おかしな感心の仕方をし、コーナーはそれで何を捜しているのか?ともう一度同じ問いを口にした。
「ひげ剃り。」
「使い捨ての物がレストルームに備えてある筈だけれど、見つからなかったかな?」
「何処にだ?」
「鏡面の横辺りに収納スペースがあると思うが…。」
鞄の中に鼻面を突っ込みそうだった勢いが止まる。頭が持ち上がり、顔が依頼主へ向く。
「先に教えろ。」
「目的を言わない君が悪い。」
「ああ、そうかよ…。」
言い返すのも億劫なのだろう。適当に相づちを打つと、直ぐさま腰を上げ、もう一度男はキャビンの後方へと歩いていった。
 コーナーは逡巡する。髭を当たる様を見物に行くのは酷く愉しそうだ。が、ドアに鍵を下ろされていてはそれも叶わない。ノックして声を掛けたとして、あの男は簡単にそれを開くだろうか?無視を決め込む公算は高い。が、コーナーにしても既に筋を殆ど覚えている映像を眺めているのにも飽きてはいた。ならば取り敢えず、足を運んでみるべきだと結論する。面白い展開が在るかもしれない。そう考えれば、薄く口元が綻んだ。モニタを落とし、ゆっくりと席を立つ。厳かに通路を行く彼は、大層愉しげな顔をしていた。
 背後でスライドが滑らかに開く。鏡面に映り込むその様子。開いた戸口にはコーナーが立つ。仰天と言う程ではないが、明らかに愕いた顔で突っ立っている。
「なんだ?あんたもクソか?」
振り向かず、鏡に映った相手へ訊いた。
「ロックしていなかった…。」
惚けた声音が呟いたのに続き、何故鍵を下ろさないのか?と疑問が飛ぶ。
「何でって言われてもなぁ。髭剃ってただけだしな。」
逆に髭を当たったり顔を洗うのに、どうして一々ロックする必要があるのか?と疑問が返った。
「そうするものだから…としか応えられないな…。」
「まぁ、終わっちまったから、どうでもイイけどよ。」
鏡に映る男は、髪は兎も角として言葉通り、随分とサッパリしたツラになっていた。
 一歩を踏み入れると、スライドは音もなく閉じる。中へ入ったのは身だしなみに関して興味のないサーシェスが、どれだけ丁寧に済ませたかを見ようとしたからだ。どうせぞんざいに終わらせたのだろうと、コーナーは考える。
「…んだよ?」
上背のある男二人には些か狭すぎる空間。必然的に互いの距離は近い。後に立つコーナーが腕を伸べ、肩を越して顎の辺りへ触れる。視線は真正面。鏡面へ映る像で自身の指先を確認する。
「思ったよりも綺麗に仕上がっている。」
指先をスルリと滑らせ、意外そうな言を吐いた。
「綺麗もクソもねぇだろ?ちっと伸びてたのを剃っただけだぜ?」
顎の線を辿り、喉元まで確かめる指の感触がくすぐったいのか、サーシェスがおかしな間合いで鼻先から息を漏らした。
「君は仕事以外に興味がないからね。特に身だしなみには無頓着だろうと勝手に思っていた…。」
感心した風な言い回し。コーナーが触れる指を離さないのは、恐らく無意識のことで、特別な意味など、そこには含まれていないはずだった。
「なぁ…。」
「なにかな?」
「そうやって、ヒトのツラを撫で回してんのは、ここで一発ヤリてぇって意味か?」
「え?」
「時間潰すのに、付き合ってくださるスポンサー様の気遣いってヤツかよ?」
半瞬、呆気にとられた表情が浮かび、次いで眉根が寄り、瞬く間にそれが解けると、コーナーは大層愉快そうに口元を緩めた。背を返し、ドアのロックへ手を伸ばす。
「時間に区切られた行為も、面白いかもしれない。」
施錠する微かな音が短く鳴った。



 ファーストクラスにレストルームは二つ。前方と後方に一つずつ在る。乗客は彼らを含めたったの18人。だからと言って後方の一つを専有できる時間には限りがある。自分のスラックスを緩めつつ、サーシェスはコーナーに時計を寄越せと言った。
「腕にご大層なのを嵌めてんだろ?それ外してココへ置け。」
洗面台の滑らかな樹脂板を無骨な指が指す。コーナーは特別何も発しないで、言われた通りに品の良い作りの時計を置いた。
「精々20分だ。誰かが使うとか使わねぇとかは関係ねぇ。乗務員が様子見にくる筈だ。それ以上は拙ぃだろ?」
「君はそうした判断が早い。それも傭兵として必要なものなのかな?」
「偶に飛び込みで運び屋をするんでね…。ブツの入れ替えやら、途中での受け渡しにグダグダ時間を使えねぇってことだ。」
コーナーは酷く真摯な顔つきで一つ頷く。
「で、慣らしも本番も俺がやるか?あんたは無駄が多いしな。」
フルリと頭が横へ振れる。主導権は譲らないと鏡に映る眼差しが主張していた。
 時計の秒針の動きに急かされたのか、コーナーは多くを口にすることなく、ひたすらに埋めた指を動かした。狭窄を満遍なく解し拡げるには、どうしたら最良かを探っている風な様子だった。洗面台に腕をつき、腰を幾分屈め、尻を突き出す男が、意地悪い言い回しで過ぎゆく時間を告げる。もう三分経ったとか、もうすぐ五分だとか。そして八分くらい緩んだ辺りで、もうそれで良いと言って寄越した。
「俺の…上着、ポケットにゴムが在る。出して…付けろ。」
「持っていたのか…。」
「嗜みって…やつだ。」
ニヤリと口の端が引き上がる。続けて、自分も付けるから一つ寄越せと言った。
 普段は嫌というほども内部を弄り廻し、結果として狭さは存分に解される。けれど今は違っていた。立位であるのも災いし、そこは異物を嫌うように細かくうごめいては、進む陰茎の動きを阻もうとする。
「きつい…とても…。」
「…っせぇ。」
短く吐き出すそれに、低い呻きが続く。衝き射れる者も、飲み込む男も、同じだけの苦りを味わっているのは明らかだ。
「もっと…ぅ…っ…腰…入れろ。」
狭さにたじろぐ相手へ、抑えた声音が命じる。
「判っている…。」
煽られ、急かされ、コーナーは腹を括ったのか、ぐぃと雄をねじ込んだ。
「ぅ…く…っ…クソっ…ぁ…。」
台へ乗せる両腕。そこへ強く額を押し付け、サーシェスは喉元から迫り上がる声を吐き出す息で誤魔化す。高く吠えるわけにはいかない。くぐもった喘ぎは、苦鳴を思わせる。
 深くへ先端を埋めたコーナーが、迷った風に動きを止めた。腹の中が大きくうねり陰茎をじわりと締め付けてきたのだ。
「動け…っ…時間…ねぇ…からっ…。」
躯を強張らせ、引きつった呼吸と共に、それでも男は先を急かす。
「しかし…。」
当惑した声が小さく落ちる。
「竿…握れ。俺の…っ…。」
怖ず怖ずと伸べる腕。ほっそりとした指が、薄い被膜に包まれるペニスへ絡みついた。
「それ…扱け…。」
促されるまま、コーナーは絡めた指へ力を込め、勃ちあがりつつある陰茎をゆっくりと掻きだした。
 握り、張り詰める局部を扱いた。指が上がり根本まで降りる繰り返し。動きにつれ、硬さと質量が増す。顔を伏せたままの男。鏡面を見つめても、その表情をコーナーは読めない。手に触れるペニスの変化。熱を孕む喘ぎ、或いは押し殺す呻き。そして間断なく吐き出される小刻みな呼吸の音だけが、相手の様子を知るファクタだった。滑らかな鏡に映る自身の顔。顰めた眉のわずか下方、己を凝瞳する己の双眸。どこか茫洋とした眼差しの奥に欲の熱が潜んでいる。止まることのない抽送を続けながら、彼はその顔が他人のものであるかの錯覚をおぼえた。
「うっ…。」
角度を付け腰を打つ。密着するコーナーの胸とサーシェスの背。短い音の直後、触れる男の背が不自然に強張った。
「達き…そうだ…っ…。」
一つ息を吸い、あんたは?と訊く。
「それほど…かからない…。」
自身の吐き出す音と息が、冗談のように熱いと、コーナーは頭の隅、思考の醒めた部分でひっそりと思った。
 握りしめるペニスを更に力を込めて絞る。皮膜の上からも、その細かな脈動が感じられた。絡めた指が無闇に上下し、衝き射れた雄が腹の中を掻き回す。
「お…ぁ…っ…出る…っ…ぅ…ぁ…。」
手の中の竿がぶわりと膨れた。同時に内壁が激しく震え、この上もなく埋める陰茎を締め上げた。
「んっ…うっ…ぁあ…。」
男の肩へ額を押し付け、声を殺しながらコーナーが精を吐く。
「うっ…く…っ…。」
半瞬と置かず射精した男は、その場にしゃがみ込むのを何とか堪えていた。
「抜け…早く…っ…。」
半ばくらい反射的に埋めた雄を引き抜く。待っていたように、サーシェスの腰が落ちた。荒げた呼吸だけが狭い空間に在ったのは数分のこと。
「さっさと始末してくりゃいいだろ…。」
阿呆のように佇んでいるコーナーへ、漸く肩越しに振り返った男がそう言った。



 空港の到着ロビー。自然光をふんだんに取り入れた建物の中を、アレハンドロ・コーナーは常と同じ優雅な足取りで進んで行く。その数歩後から、だらりとした男が続く。早朝の光には似つかわしくない、緩慢な動作。先を行くコーナーとの間、徐々に距離が開く。
「車を待たせてある。もう少し急いで貰いたいのだがね。」
凛とした声に、自分の足下へ落ちていた視線が上がった。忌々しいほども柔らかな笑みを浮かべた依頼主が立ち止まり振り返っている。サーシェスは仕方なしに足を速めた。
「あれだけ熟睡して、未だ眠いとは言わせないよ。」
間近へ追いつくと、コーナーは朗らかに言い放った。機内での夕食を平らげるや否や、瞬く間に眠り込み着陸直前まで爆睡した男への揶揄を交えた台詞だ。
「…んなこたぁ言わねぇよ。」
「それなら良かった。」
クルリと背を返し、再び歩き出すコーナー。
「クソ…、こっちはケツが痛ぇんだよ。」
ボソリと吐き出したそれが聞こえたのかは定かでない。が、今し方よりもっと足を速めるコーナーの様子から、恐らく届いていたのだろうと判じられた。チッと舌を鳴らし、サーシェスはノロノロと追いかける。


 未だ人の疎らな建物の真上から、早朝の淡い陽射しが穏やかに降り落ちていた。







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