*Memory Band*

アレハンドロ&アリー(一期第一話直前/CBの初陣に立ち会わなかった理由の捏造)

 手の中の端末は同じ間隔でコールを続ける。10を数えるのを待たず、コーナーはスィッチを切った。少しの間、無機質で面白味のない機器を眺め、何とも解せないとばかりに眉根を寄せた。それは特定の者とのみ連絡をとる為のものだ。唯一の秘匿回線だけで通信する。互いの利害が一致し、契約を結んでから数ヶ月、音声による通信が不可能な状況であれば、幾らかの時間の後に必ず何某かの反応があった。ところがここ数日、音声のみならず文字データへも返答がない。それが何を意味するか、流石のコーナーにも判じられずにいる。
 相手の大凡は情報として押さえてあった。表向き、巨大軍事企業に籍を置く男が、二日ほど前まで任務で国外へ派遣されていたのは承知している。が、既に帰還した事実も情報として得ていた。戻るや否や、再度の派遣があったなら納得もするが、居場所さえ定かでない状況で、パタリと音信が途絶えたのだから気にならない筈もなかった。不可思議だと更に眉間の皺は深まる。そして諦め悪く、また指先がスィッチを押し、同じ調子で繰り返されるコールを困惑めいた面相で聞き続けていた。
 10を幾らか越えた辺りで、仕方なしに電源を落とす。伝えるのは簡素な内容だ。三日後に行われるAEUの新型機デモンストレーション。軌道エレベータ及び太陽光発電に関してだけでなく、モビルスーツ開発に於いても遅れを取るAEUが軍事演習場へ各方面から賓客を招き、華々しく新たなMSを披露するその場で、誰もが予想しない別の見せ物が展開される筈なのだ。コーナーもその場へ行く段取りを付けた。仮設の客席へ赴くつもりはないが、それを極近しい場所で見物する予定ではある。雇い入れた傭兵を同行させようと考え、彼はその由を伝えるべく日に幾度も通信を試みたのだ。が、応えはない。是が非にも連れて行く必要はないとしても、間近でその出し物を目にしたならば、話ばかりで現実感を伴わない壮大な計画に焦れったさを覚えている男も、大いに得心するだろうと目論んだだけのことだ。
 中途で仕事を放棄したなら、所詮その程度の人間だと見限れば良い。コーナーの手の中にもそうした選択肢は確かにある。ただ事前に数多揃え、満遍なく吟味して選出した兵隊の戦歴やら経歴に、そうした事実が見あたらなかった部分が引っ掛かるのだ。世間が思う雇われる兵士に付いて廻るイメージが、少なからず正しくないことも彼は熟知していた。中には世評通りの輩も居るだろう。が、コーナーが抱く大儀に不可欠と決した傭兵は、精鋭であるだけでなく、ビジネスとしての己のスタンスを崩す阿呆ではない筈なのだ。
『浅はかな者を撰んだのなら、それを撰んだ己こそが間抜けと言うことになる。』
胸中で自身へ言い聞かせる。そして意匠を凝らした一人がけから立ち上がる。不意の外出。行く先は一つしか思い当たらない場所。行ったところで何ら状況は変わらないかもしれない。が、行かないよりはましと、彼は部屋を後にした。



 横に幾つも並ぶ同じ形のドア。長い廊下は灯りを落とし、未だ宵の口だというのに静まりかえっている。人が住んでいるのかと疑いたくなるそこにコーナーの靴音は一際響き渡った。端から数えて六つ目、鉛色のドアの前で止まる。
「ここに居なければお手上げだ。」
薄く笑いを浮かべ、壁に埋まる呼び鈴を押した。中からの反応はない。もう一度、彼は鳴っているのか疑わしいベルのボタンを指先で突いた。反応が戻る。ドアに何かがぶつかった音。愚鈍な音だ。それを入室の許可だと勝手に解釈する。ポケットから取り出すカード状の解除キー。スロットへ差し入れると浮ついた音と共にドアはスライドし大きく開いた。室内は薄い闇の中にある。唯一の光源は壁際のモニタ。白んだ光がくっきりとした陰影を作る。白光に浮き上がるのはテーブルと椅子。部屋の奥にある作りつけのベッドは、それが何であるか知らなければ単なる墨色の塊にしか見えない。床に何やら転がっているが、それは影になり歴とした輪郭を逸していた。
「急ぎだったのかよ?」
暗がりから声がする。声のする辺りで、もぞりと何かが動いた。
「火急ではなかった。けれども君が何も返して来ないのが不思議でね…。」
話しつつ一歩足を踏み出すと靴の先に何かが当たる。目線を降ろすと、水の入るボトルが床に落ちていた。今し方、ドアにぶつかったのはそれだと気づく。よく見れば、底の辺りがひしゃげていた。
 大して広くもない部屋を突き当たりまで進む。黒い塊だったものがベッドだと判る距離でコーナーは立ち止まる。幾枚ものブランケットにくるまっている人の形。そこからくぐもった声がした。
「何遍も鳴ってるのは聞こえてたんだがな…。」
「何があったんだい?」
「ぶっ壊れたMSの回収だ。ポンコツを動かしてたら、すぐ傍で車が爆発しやがった。」
「戦闘は終結していたのだろう?」
「置き土産だ。珍しくねぇ。だから正規の作業班を行かせなかったんだろうよ。」
「それで?」
「外装の破片が刺さった。」
「どこにだい?」
「腹だ。」
コーナーは一つ頷き、成る程…と呟いた。大体の状況は理解した。内紛の後始末に駆り出されていたのだろう。対峙する組織のどちらかが、設置式の車両爆弾を残していったに違いない。振動を感知するタイプかもしれない。戦いの最中には何故か作動せず、忘れた頃に爆発する。忌々しい置き土産が、偶々サーシェスの間近で威力を発揮してしまったのだと察した。
 暗さに慣れた目で辺りを見回す。ベッドの周囲、丁度手を伸ばせば届く範囲の床には水のボトルが相当数並んでいる。申し訳程度に携帯用の補助食料もあった。あとは薬剤が袋ごと無造作に落ちている。端末はどこにも見あたらない。コールが聞こえても、それを手に出来なかったのだとコーナーは深く理解した。
「で、用件はなんだ?」
ブランケットが僅かにずれ、顔が覗く。背を丸め、小さく躯を屈めて横になる男は、普段よりずっと小さな声音で訊く。
「やっとガンダムが動き出すのでね、それを共に見物しようと連絡を入れたのだけれど…。」
「いつだ?」
「三日後だよ。しかし場所がAEUの演習場だから、明日の夕刻にはこちらを経つ予定にしていた。」
「ちっと厳しいな…。」
「無理にとは言わない。恐らく瞬く間に終わってしまうだろうし、一度動き出せば嫌でも目にする状況になる。」
初陣は一見の価値を持つかもしれない。けれど何としても見なければならない程ではないと、コーナーが諭す風に続けた。
「そりゃ、そうだ…。」
存外物わかりの良い台詞。しかしそこには随分と残念そうな含みも滲んでいた。



 会話が途切れる。数秒の沈黙が空間を満たした。
「治療ポッドを使えば早かったろうに…。」
ふっと思いついたとコーナーが言う。
「ありゃ駄目だ。好きじゃねぇ。こっちの都合もお構いなしに閉じこめて蓋を開けねぇ。」
「体験からの結論かい?」
「一遍で懲りた。」
しかし踞ってひたすら治癒を待つのは、あまり効率的ではないとコーナーは正論を投げる。
「毎度のコトだ。もう、慣れた。」
ひっそりと吐き出される一つづり。コーナーはそれに共感と近しい何かを覚えた。広大な屋敷の私室。独りでは余る寝台の大きさ。偶に覗く使用人の気配。幼少からそれを当然と受け入れてきた彼は、男のこぼした言葉に同じ手触りを感じ取った。
「君も同じか…。」
意識せず独りごちる。なんだ?と問いが向けられたが、コーナーは穏やかな笑いを作ると、何事でもないと当たり前のように返した。
 既に用件は済んでいる。コーナーがここに留まる理由はない。
「そろそろ失礼するよ。」
何か必要なものがあれば届けさせる。付け足したそれへ予想通り不要と応えた男が、急に思い直したのかこんな台詞を吐いた。
「悪ぃが一個頼む。」
「なにかな?」
「その辺で五月蠅く鳴ってた。拾ってくんねぇか?」
「その辺り?」
振り返り影の蔓延る床を捜す。端末らしき物はない。在るのは脱ぎ捨てた野戦服と小振りの荷物のみ。それらに埋もれているのかと近づき手近な衣服を持ち上げた。立ち上る異臭に手が止まる。仄明かりの中でも、黒々とした染みが何であるかは明確だった。布地の裂け目から広がる乾いた液体の痕。眉を顰めつつ、探ればポケットに硬質な感触を見つける。取りだし、持ち主へと渡す。
「これで喧しくなくなる。」
「暫くは鳴らさないつもりだ。」
「そりゃ、有り難ぇな。」
五月蠅くておちおち寝ていられなかった…。
苦情めいた言い回しに、コーナーは短く済まなかったとだけ応えた。
 この男にとっては珍しくもない状態であるのだろう。が、雇い主にとっては滅多にない事態だった。手にした衣服の有様に少なからず動揺し、短い会話に混じる細かな呼吸音を意識する所為で、もう一度余計な提案を口にする羽目になる。
「あの衣服はその時に着用していたものだね?」
「ああ…。」
「とても軽傷には思えないが…。」
「そうかい?」
「然るべき施設で然るべき手当をするか…、或いはここへ医師を寄越すのは…。」
「要らねぇ。」
面倒そうに遮り、男は提案を却下する。何度も同じことを言うなと、投げる視線が鬱陶し気に語る。やはりこれは男の日常で特別でも何でもない事態なのだ。
「それなら良いのだが…。」
釈然としないというより、決まりの悪さが語尾を曖昧にする。他人へ干渉しすぎるなど、己らしくもないと自省めいた心持ちで、コーナーは口を噤んだ。
 改めて背を返そうとする。もう本当に用件は済んでいた。あとは退室し、外側から施錠するだけだ。
「なぁ…。」
「?」
踵を返しかけ、顔だけを声へ向ける。
「そんなに何かしてぇなら、舐めてくれよ。」
「え?」
「腹…舐めてくんねぇか?」
からかっているのが丸判りの言い様。コーナーは呆れたと肩を竦めて見せた。そして向き直り、つぃと腕を伸べる。指先が顔に掛かる相手の前髪を分け、滑らかな掌が軽く額と頬へ触れる。
「私の唾液に確かな治癒力があるとは思えないので、遠慮させてもらうよ。」
「…で、こりゃ何の真似だ?」
ひんやりとした手の感触。それは存外心地よいものだった。
「呪い(まじない)のようなものかな?」
「へぇ…。」
嫌がらず、払いのけることもしないで、男は大人しくしている。そして間もなく双眸が閉じ、力の抜けた寝息が聞こえ始めた。
 呪いも色あせた記憶の断片にあったものだ。どうした状況で効果を顕したかなど疾うに忘れている。ただ水底から気泡が立ち上るように、それだけが輪郭を得て脳裡へ浮かんだ。その程度のものだったけれど、思うよりもずっと効力はあったらしい。少しの間触れた掌をそのままにしていたが、何時までもこうして居るつもりは無かったようで、伸べた時と同じくらい唐突とコーナーはそれを引いた。背を向け、出入り口へ歩く。部屋は相変わらず黒々とした影にまみれていた。開くドア。廊下の暗さも変わらない。背後でスライドが閉じる音。振り返ると、目の前には鉛色のドアがあるだけだった。
 自身も雇った兵隊も浅はかな愚か者ではなかった。それが何よりの成果と彼は満足気な顔を作った。其れ以外にも幾つか得たものはあったけれど、彼にしてみれば日常とはかけ離れた状況での出来事なのだから、それらはひっそりと胸の内へ納めることにする。やってきた時と同じく廊下に靴音が高く響く。厳かに歩を進める長身のシルエットが去ると、再びその場には無人を思わせる静謐が霧のように広がり、総てを包んだ。







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