*Malus pumila var. domestica*

アレハンドロ&アリー(エロなし)

 ローテーブルの上には溢れるほどの花。花器の豪奢な意匠さえ見劣りする、無節操に煌びやかな花が、甘やかな香りをまき散らしている。それは普段から見慣れた様だ。愕くこともない。そしてサーシェスは特別植物に興味もなかった。だから革張りのソファへ腰を下ろす際、チラとそれを見たけれども、美しく飾られたそれらへ何らコメントを向けなかった。
 掛けたソファからひょいと腰を浮かせ、腕は花器の横を素通りし、その傍らに置かれた盛り皿の上から、林檎を一つ摘み上げた。
「なぁ、喰っても構わねぇだろ?」
間もなく開始されるであろうガンダムによる武力介入。未だ行われてもいない一連の行動を、まるで見てきた事実であるかに語っていたコーナーが、唐突とした問いに言葉を切り、少しばかり愕いた顔をした。
「それは構わない。しかし間もなく君自身が関与する事態の解説より、目の前の果実を食する方が重要とは愕いたよ。」
「腹減ってんだよ。」
四日ばかり前線へ赴いていて、支給される食事は約束のように合成食材の盛り合わせ、流石に飽きて撤退間際の一食は食わなかったのだと、取って付けた風な説明が追加された。
 この男にとってリアリティに欠ける近い未来の戦闘より、当面の空腹を満たす一個の果実こそが現実なのだと知らされ、コーナーが面食らった顔をしていたのは一分程度。けれど聡明さが彼の思考を瞬く間に切り替える。
「では、すぐサービスの担当を寄越すよう手配しよう。」
「はぁ?」
「他にもリクエストはあるかな?夕食までは未だ少々時間があるのでね、果実か或いは軽食の類ならそれほど掛からず持ってこさせるが?」
「要らねぇ。」
これでいい…と言った途端、コーナーが又も双眸を仰天の形に瞠った。
「そのまま…食べると?」
「拙いか?」
「切り分けず、皮も剥かずに…?」
「こりゃ、合成の紛い物じゃねぇんだろ?」
当然だと言い切りが返る。曲がりなりにも名の通ったホテルの最上階で、そんな馬鹿げたものを出してくる筈がないし、よもや出されたとしても、コーナーが突き返しているだろう。
「だったら問題ねぇだろうが?」
真紅の果実を手にした男は、ヘラリとだらしない顔で笑った。



 艶やかな表皮。曇りのないそれへ男がかぶりつく。サクリと埋まる歯列。顎の強さが一片の果肉を抉る。瑞々しい果汁が男の口元を濡らした。それを舌先が舐める。しゃくしゃくと咀嚼する音。そして味わった後に嚥下する。一度目の噛み痕から少し外した辺りへ、再び歯列が当たる。潔く食らいつき、新たな果肉を頬ばった。三度目は少し深く、より大きな一片を口へ含む。ゆっくりとかみ砕き飲み込んでから、滴った果汁のついた指と掌を閃く舌先が舐めた。
「美味しいかな?」
「まぁな。」
半分ほどを腹に納めたサーシェスは、目線だけでチラを相手のツラを見る。けれど林檎を喰らう動きは止めない。また舌の朱がのぞき、器用に口元を拭った。
 コーナーは何が面白いのか、それら一連の流れを見つめる。目線でその様を伺った男が、他人がモノを喰うのを見て愉しいか?と訊く。
「愉しいと言うよりも、そうして君が食している様子を眺めていると、私も食べてみたくなる。」
すると片腕がつぃと伸び、盛り皿の上から一個を掬い取る。
「ホラよ。」
手首の動きだけで林檎は放物線を描き、見事に対座する相手の手の中へ落ちた。
「喰いてぇなら喰え。」
まるで自分の持ち物をくれてやるかの言い回しだ。思わず苦笑いを張り付けたコーナーは、しかしフルリと頭を振った。
「皮を剥き、切り分ける道具がないよ。」
するとサーシェスは鼻先を鳴らして笑い、そう言うだろうと思ったと、少々小馬鹿にした声音で呟いた。
 コーナーは放り投げられた林檎を手の中でもてあぞぶ。つやつやとした表面へ指の腹を滑らせ、鼻先をそっと近づけ匂いを嗅いでみた。まじまじとこの果実を見るなど、今までしたことはない。だいいち彼の前に現れる際、林檎は既に小さな欠けらへと切り分けられているのが常なのだ。丸のままを喰えと言われたのは、恐らく今生で初めてだろう等と、埒のないことを考えていると、正面から男の声音。
「寄越せ。」
「え?」
「それ、剥いてやるから、寄越せっつってんだよ。」
「道具も無しにかい?それとも君は何も使わずに果実を切り分ける才まで持ち合わせていると?」
「喰わねぇのか?」
余計な台詞を垂れようとする相手の先を制する。喰う気がないなら何時までも眺めていろと畳みかけた。すると無駄に長い腕が林檎を差し出してくる。受け取る際にそのツラを拝むと、妙に神妙な表情が貼り付いていた。
 渡された果実を一旦テーブルへ置く。手の中にある残りを自分の腹へすべて納めるためだ。サーシェスは別段急ぐ風でもなく、同じ動きで薄黄味色の果肉を食い終える。
「さて…と。」
羽織る上着は地の厚い地上作業用に軍などが支給するそれに似ている。が、どこにも所属を示す記章が見あたらない。自前の衣服かもしれなかった。胸と腰前のポケットを両手が探る。その意味をコーナーは見つめることで待っていた。答はあっと言う間に物質の形で示される。節の立った無骨な指が刃物を取り出したのだ。
「そんなものを常に携帯しているのかい?」
片手の果実、片手のナイフ。それへ向いていた目線がヒョイと上がる。文句があるか?とそれは訊いた。
「咎めているのではないよ。ただその使用目的に興味があるだけさ。」
「安心していいぜ。これでは誰も殺っちゃいねぇ。」
オブラートで包んだコーナーの問いに、核心だけで応えるサーシェス。折角のソフトな言い回しも全く功をなしていない。
「まぁ、場合によっちゃあ殺れるが、まだこれは綺麗なモンだ。」
言いながら手を動かす。手入れの行き届いた刃が表皮へ当たり、サクリと微かな音を鳴らしながら、果肉を縦に切り裂いた。
 大凡の見当でサーシェスはそれを四つに分けようと次ぎの刃をいれかける。
「それでは大きすぎる。」
正面から異議が飛ぶ。
「デカクねぇだろ?」
「いや、その半分ほどにして欲しいな。」
「この半分だ?」
「大概の場合、そのくらいの大きさで出されるからね。」
それが常識だと凛とした声音が告げる。一片の大きさで言い合うのも馬鹿らしい。サーシェスは注文を飲み、目分量で八つに分けられる当たりへナイフを降ろした。
 芯へ向け、二カ所から斜めに刃を入れる。切り取った一片は確かに八等分の一つ。
「ホラよ。」
細い櫛形の果肉を差し出すと、また注文が飛んできた。
「皮が付いたままだね?」
「見りゃ分かるだろ?」
「剥いてもらおうかな?」
「こんな薄っぺらい皮なら喰ったらいいだろうが。」
「最前も言ったはずだが、その大きさで更に皮を剥いたものが出されるものなのだよ。」
「…っせぇな。」
渋々と皮を剥く。表面の真紅が指先の動きと共に剥がれ、テーブルの上へと落ちた。模造黒大理石の滑らかな表面へ、数枚の紅が無造作に並ぶ。コーナーはそれを眺め、随分と美しい色合いだと胸中で思った。
「手ぇ出せ。」
薄黄味色の櫛形を差し出す。ほっそりとした指先が、軽く摘み上げる。眼前に翳し、一度眺めてからコーナーはその端へ軽く歯を立てた。儚げな音を発て咀嚼し、ゆっくりと嚥下した途端、むき終えた次ぎが突き出される。未だ最初の一片を食べ終えていないと言えば、皿がないからさっさと喰えと急かしてくる。
「忙しなく食するのは趣味ではないのでね。」
軽く受け流すコーナーは、相手の反応に期待する。待てないと言うか、皿を寄越せと宣うか。
「そうかい…。」
男はサラリと言った途端、それをあっさり自身の口へ放り込んだ。小気味良い音でかみ砕き、味わったのかと訝しむ間もなく飲み込む。そして直ぐさま次ぎを切り分け始める指の器用さに促されたのか、コーナーも手にした残りを口へ含んだ。
 八つ目を切り取ると、手の中には歪な芯だけが残る。これで終わりだと差し出せば、迷いもなく長い指がそれを攫った。
「間近で刃物を扱う様を堪能できたのは有意義だが、これには別途の報酬を支払うべきかな?」
「高いぜ?」
「どれ程の値段か想像もできないが…。」
「俺がその何とか言う連中と一戦交えるって事になるなら、それなりの機体を用立てるってのはどうだ?」
「今は何を使っているのだったかな?」
契約企業からの支給は旧式のヘリオン。しかも汎用と殆ど変わらない代物だ。
「あんたの話じゃ、腕や技量でどうにかなるってモンでもねぇみたいだしな。」
「そうだね、それなりの物が君の手元へ届くよう手配しよう。」
果実を一個剥いただけで新型機が手に入る展開。軽い冗談で終わると践んだ要求は形になった。
「もう一個剥いてやろうか?」
二個なら何を寄越すのか、応えを待つサーシェスは酷く愉快そうな顔になっていた。
「いや、もう結構だよ。」
最後の一つを少々持て余し気味に摘んだコーナーは、林檎が存外腹に溜まるとは知らなかったと宣う。サーシェスの含みを読んだのか、全く気づかずにそう言ったのか、相変わらずの涼しげな面相ゆえに、その真意は欠けらも判らなかった。
 刃物を衣服の裾で軽く拭い、鞘へ納めると無造作に仕舞い込む男が訊ねる。
「で、その莫迦みてぇに高くついた林檎は美味かったのかよ?」
すると未だ手にする一片を弄んだままのコーナーが、その端を囓り取り思いの外簡単に飲み込んでから応えた。
「思った程ではなかったね。モサモサとして今ひとつだった。」
君が食べていた方が美味に見えたが…。
期待にそぐわなかったと残念そうに言う相手のツラに、思わず舌打ちの一つもしてやりたい気分になる。
「そりゃ、悪かったな。こっちが喰ったのは相当美味かったけどよ。」
嫌味の如き台詞を吐く。更に、こんなことは頼まれても滅多にしないと付け加えた。
「本当に残念だ。君が手ずから切り分けたものが期待通りの味だったなら、もっと多くの報酬を提供できただろうに…。」
「不味かったのは俺の所為じゃねぇだろ?」
「そうでもないよ。それを撰んだのは君だからね…。」
さも当然と言って退けるコーナーの耳に、盛大な舌打ちが聞こえる。くだらない言葉遊びに飽きたのか、或いは扱いづらい依頼主に愛想を尽かしたのか、それきりサーシェスは何も発しなくなった。
「どうかしたのかな?」
にこやかに笑いかけ、穏やかに問えば、手練れの傭兵はそっぽを向き、聞こえぬフリを決め込んでいる。その様があまりにも子供じみていたので、依頼主は薄笑いと共に気を悪くしたなら謝ると殊勝な台詞を垂れた。
 応えはない。相変わらず明後日の方へ顔を逸らし、目線は何もない宙をフラフラと彷徨っている。
「君の所為だと言ったのはほんの軽口なのだけれどね。」
言い訳めいた台詞を口にしたコーナーは、ゆったりと男の返しを待った。二呼吸ほどの沈黙。漸く聞こえた酷くつまらなそうな短い綴り。
「あんたの冗談は笑えねぇ。」
クソ面白くもねぇ…。
馬鹿馬鹿しい…。
そして最後に気の抜けた声音がモソリと落ちる。
「腹減った。」
コーナーはそれを拾い、少し愕き、苦く笑った。







Please push when liking this SS.→CLAP!!