*石のようにそこに在る*
刹アリ(クルジス時代・微エロ)
少年は慌てていた。そしてひどく迷い、更に狼狽えていた。砲撃の止んだ、急に訪れた夜半の薄ら寂しさの中を、少年は息を上げて駆け抜けていた。耳の奥には自身の呼吸と、跳ね続ける忙しない鼓動が響く。頭の中には、どうしたら…とか、何故とか、もっと形にならない単語の断片が渦巻いてた。それらを何処へ持ち込もうとしているのか、彼はすっかり理解している。実のところ、少年の向かう先は一つしかなく、だから理解以前に、気を抜くとその場に貼り付き動かなくなってしまう両足を必死で前へと運び、夢中で目指すそこ以外、彼は知らなかったのだ。
既に家屋とは呼べない瓦礫の並ぶ通りを、無表情であるくせに、目一杯瞠った二つの眼(まなこ)には涙を滲ませ駆ける少年を、面白がるように夕刻の風が叩く。真正面から前触れもなく吹きつけ、巻き上げた砂塵を浴びせかける。瞬きを忘れた双眸に容赦なく細かな砂粒が飛び込んだ。彼が零れそうな涙を溜めているのは、意地の悪い風の所為だ。彼は急いていたし、非常に困惑もしていたけれど、決して泣きたくはなかったし、少なくとも哀しいなどとは感じていなかった。そうした諸々の感情を、この十にもならない子供は持ち合わせていない。嘗ては人並みにそれらを有していたのだが、今はない。こうして戦場へ連れてこられた時、粗方を取り上げられ、少年自身も知り得ない何処かへ、捨てられてしまったのだ。因って彼は愉しいとか、哀しいとか、大概の人間が感じる心の機微を、抱くことはなかった。但し、突き上げてくる不安はある。今、彼を駆り立てるのはそれだった。少年は走る。何某かの言葉を聞き、安堵を得ようと、闇雲に足を動かし、崩れ去った町並みを抜け、ただ一つの行き場へと、宵に包まれたいっときの静寂を掻き分け進んでいった。
木製の扉を押し開けると、屋内の埃っぽい空気が外へと漏れる。少年は一歩中へと踏み入ろうとして、けれども仄明かりに浮かぶ内部の有様がとても予想外だった為に、戸口で固まったまま動きを止めた。彼が予想していたのは、自らと同じ、小銃を抱えた未熟な同胞の姿だった。少年は、何某かの言葉が欲しかった。慰めではない。戒めでもない。もっと何気ない単語の一つづりを求めていた。同胞である彼らなら、互いの欲しがるものを知っている。だからここを目指した。扉の内には、見慣れた幾つかの顔が在ると、思いこんでいた為だった。
扉の軋みが聞こえたのか、或いは外気が流れ込んだ所為かは判らない。が、ガランとした空間の奥、壁の際に置かれた木製のベンチに腰を掛ける男が、戸口へ顔を向け、佇んだままの子供へ目線を投げた。
「どうした?」
薄暗さに在っても、少年の尋常とかかけ離れた様子は見てとれた。取り敢えず声をかける。けれど子供は何も答えず、そして男も別段気にする素振りもなく、突っ立ってないで入れと促す。しかし子供は動かない。逆らっているわけではなさそうだ。が、従う意思のない者に殊更関わるつもりのない男は、ならば出ていけと素っ気なく言い放った。
少年は数秒迷う。考える。そして怖ず怖ずと一歩を出した。
「独りか?」
子供はコクリと首を動かす。
「他のガキは?」
フルリと頭が横に揺れる。
「ヤラれたか?」
少年は息を飲む。指定エリアでの戦闘中、一度散開した仲間と落ち合う直前、不意に瓦礫の山から飛び出してきた人影へ咄嗟に銃弾を撃ち込んだ。それが仲間の一人だと気づいたのは、ドサリと重い音を残し、相手が土の上へ倒れてからだった。暮れ落ちる夕闇でのことにしても、無意識にトリガーを引いたのは彼の失態だ。だから男の問いに答えあぐねた。仲間はヤラれたのではない。少年が殺ったのだ。自分が撃ち殺しましたと、報告しなければならないと思うも、それは言葉どころか幽かな音にもならない。彼は黙ったまま俯いた。告げる切欠を男が寄越したら、総てをぶちまけたいと願いつつ、ダラリと降ろした両手を拳の形にきつく握りしめた。
しかし願いとは叶わない仕組みになっているようで、頭を垂れたまま再び固まった子供に焦れたのか、男は興味を逸した風に目線どころか顔まで逸らす。
「まぁ、どうでもイイか…。」
垂れたそれは何処へ向けたものでもない呟き。少年は切欠を失う。両足は地べたへ貼り付いたままとなった。
それからの数分が果てしもない時間に感じられ、子供は次をどうするかも判らずその場に立ちつくす。
「ちょっとコッチへ来てみろ。」
自分のつま先を見つめていた彼へ、意外な一つづりが飛んだ。出ていけと言ったはずが、今度は来いと言う。しかし抗うつもりなど、はなから持ち合わせない子供は、言われるまま奥まった壁際へと進んだ。薄くなった靴の裏へ細かな砂粒が触れる。ジャリと、足を踏みしめるたび、不景気な音が鳴った。
間近へ寄り、初めて相手が衣服を着ていないことに少年は気づく。水でも浴びてきたのか、上半身には布一枚も纏っていない。下肢にはズボンを履いている。眼を凝らすと、ランプの仄明かりを、髪先がキラと弾く。濡れているのかもしれない。少年は水浴だろうと判じた。男はお粗末なベンチにかけ、背を壁に預ける。数歩の距離まで寄った少年を眺め、うっそりと口元を緩めた。黄味色の灯りが、丸みを帯びた柔らかさで男を浮かび上がらせているからだろうか。少年は、相手のそうした表情を初めて見たと思う。これまで目にしたのは、小さな獲物へ向ける残忍な笑い。或いは、取るに足らない未熟者へ向ける勝ち誇ったかのそれ。けれども、今彼の双眸へ映るのは、どこか面白がっている風な、悪戯を思いついた子供にも似た笑み。口の端を軽く引き上げたまま、男は言う。
「取り敢えず、お前でいいか…。」
その意味を少年は図りかねる。でも、続けてもっと近くへ来いと言った男に、彼は素直に従った。
少年は一度、大きく開かれた男の股ぐらを見る。それから目線を上げ、男の顔を眺めた。表情に乏しい子供だ。浮かんだのが、困惑なのか驚嘆なのか、瞠った二つの眸からは判別できない。強いて言えば、不思議そうな、頼りない表情に見えた。
「舐めろ。」
男は命じるにしては穏やかな口調で言った。少年は男の面から、再度視軸を下方へ降ろす。そこには屹立がある。艶めかしい色だった。濡れたような、幾分充血した風な、肉体の一部が露出していた。
「舐めてみろ。」
同じ意味合いを男は重ねる。少年は相手の開いた両足の間へ跪く。薄く開いた唇の間から、朱色が閃いた。何処を舐めろと言われていない。だから、その丸みを帯びた先端を舌先でスルと舐めた。
続けろと真上から声が降る。少年は躊躇いもなく同じ行為を続けた。先端へ拡げた舌を、幾度も幾度も擦りつける。少しすると、割れ目からぬるりとした液体が滲み出す。生臭いような、不可思議な匂いが口腔から鼻腔へと流れた。でも彼は止めない。男が止めろと言わないからだ。そのぬめりも舌で拭う。丹念に、休まず、ゆっくりとした調子で舐めた。
「口開けて、銜えろ。」
どのくらい繰り返していたか知れない。新たな命が下り、少年はまた言われる通りにする。子供の口内に納まったのは、精々括れの辺りまでで、必死で頬ばると、そのまま舌を使えと更なる言が落ちてきた。
行為の意味は分からない。子供は従うことしか知らない。実は舌を使うと言う意味合いも確かには理解できなかった。が、含んだモノへ辿々しく舌を擦り付けると、男は違うとは言わず、それで良いと言い、だから彼は不自由そうに、出来うる限り、舌を動かした。夢中で行為へ没頭する子供の耳へ、そのうち男の命とは異なる声音が聞こえ始める。喉の奥を振るわせる音は、恐らく短い笑いなのだろうと察する。口蓋へ屹立の先が触れた時、鼻先から詰まった音が洩れ落ちた。幽かに濡れた『ん…。』という音。朧気に充足が滲むような音。もしも少年が『淫猥』の二文字を知っていたら、それはまさに厭らしい響きに違いなかった。
コツを覚え始めると、舌はわずかだが自由に動き、するとそれまで触れていなかった部分、張り出したカリや、その下の括れへも届くようになる。狭さをいっぱいに満たすモノが、徐々に変化をみせる。でも、子供はそこにまで気が回らない。ただひたすらに、舌を這わせ、ゆるりと舐め、時折拡げた舌面を擦りつけるだけだった。男の喉が鳴る。鼻先から零れる音はより濡れた響きをまとう。先端の割れ目から滲む体液が、わずかずつ量を増した。
「っ…。」
それまでとは違う、苛立った風な音が洩れた。
「歯、立てんじゃねぇ。」
叱責を匂わせる言葉。少年は慌てて顎から力を抜く。
「いい反応じゃねぇか…。」
瞬く間に苛立ちは消えている。子供はホッとして、殊更に歯を当てぬよう、意識を集めた。
男が少年に与えるのは、神の意志であり、教義であり、明日の指針だった。もっと奥までくわえ込めと促され、無理矢理に口をこじ開け、屹立を収める。えずきそうになるのを堪え、物理的に滲む涙を浮かべ、彼はきっとこの行為にも何某かの意味が含まれているのだろうと考える。もしかしたら、同胞を屠ってしまった自分への、神が与えた罰なのかもしれない。男は神の代わりに、彼へ咎をもたらしているのだろう。だから涙が出るのだ。そして満足そうに男が声音を揺らすと、赦された気がして、安堵が寄せてくるのだ。そうした少年の心中など知らない男は、唐突と終了を告げる。
「もう終わりだ…。」
離せ…と無機質な言いようで命じた。少年がそれでも罪を拭おうと、絡ませた舌で竿を擽る。
「終わりだって言ってんだろ。」
言葉と同時に、男の手が子供の頭を掴む。舌は呆気なく解け、惚けた形に開いた口吻が、硬さを増した屹立から引き離された。
跪いた少年は顎を上げ、見下ろす男を眺めた。ぼんやりと、何故行為を遮られたのか理解できず、彼は二つの眸で相手を凝視した。
「まぁ、ガキにしちゃあ上出来だったがな…。」
こんな程度では全く埒が明かない。苦く笑う男は、つまらなそうにそう言った。瞬きすら忘れ、仰ぎ見る少年の視線と、男の目線が宙で交わる。
「なに見てる?」
黙りこくり、揺るぎなく視軸を据えてくる子供の眼差しは、とても真摯でひどく熱い。男はもう一度苦笑を浮かべ、それから手をつぃと伸べた。
「お前がデカくなるまで生きてりゃ、一度くらいヤラせてやってもいいぜ。」
節の立つ大きな手が、梳いたことなど無いだろう、少年の縺れた髪をクシャリと撫でた。ベンチから立ち上がる直前、未だ地べたに膝を付く少年を見て、男はニッと笑った。その屈託のない笑いを目にして、彼は赦されたのだと悟った。自分の行為が、男を通じて神へと届いたのだと確信した。
簡単に衣服を直し、裏手の戸口から出ていく男は、既に少年の存在など忘れてしまったのか、振り返ることもなく、言葉も残していかなかった。ランプの頼りない光を受けた背が、扉の外へと消えていく時、少年はフラリと立ち上がり、囁くほども微かに一言を放った。
「ありがとう…ございます。」
けれど彼の感謝は、男に届かず、部屋の埃臭い空気に紛れ、あっと言う間に地べたへと落ちて失せた。
無人の屋内に少年は一人残る。男の戻ってくる気配はない。暫し、部屋の一画に突っ立っていた子供は、疲れたようにホッと一つ溜息を吐いた。それから、その場に踞り、硬い土床へゆっくりと横になった。膝を抱え、小さく背を丸める。頬に触れる土がひんやりと冷たかった。赦された安堵がジワリと胸中へ滲む。もう一度、彼は長く細い息を吐いた。安らかさが、睡魔となり身体の総てへ広がる。目蓋がとても重い。彼は逆らうことなく、訪れた微睡みへ意識を委ねた。
「生きていれば…。」
男の言った言葉の中で、彼が理解できたのはたったこれだけだった。しかし、少年はその断片だけで構わないと思う。意味為すものは、その一欠片で充分すぎるのだった。間もなく、小さな寝息が発つ。少年が寝入るのを待っていたかに、遠く街の何処かから、地を振るわせる砲撃が聞こえた。少年は価値のない石ころのように、深くなる夜の中、その場所に在り、明日を夢に見ることもなく、眠りの深淵へと落ちていった。
了