*breath*

アレハンドロ&アリー(ドロ様生きてたよネタ注意!『白の…』の後日談)

 短いいらえ。男は了解を伝えると端末を即座に落とす。テーブルへ半ば投げるように置き、それから深く静かに息を吐き出した。
「くそっ…。」
忌々しげにそう呟く。押し黙り、突っ立ったままでいたのは一分にも満たないあいだ。
「面倒くせぇ。」
殆ど手入れなどしていない髪をワシワシと掻き回す。苛ついた仕草。大股で歩き出す。ドア一枚で仕切られた浴室へ向かう。シャワーを浴びる為だ。薄いドアを後ろ手に閉める際、男は舌打ちをした。焦れったい時、腹が立った時、男はチッと舌を鳴らす。癖なのかもしれない。ドアが閉じて数秒、盛大な水音が響く。コックを思い切り捻ったのだろう。痛いほどの勢いで落ちてくる水滴。男は壁に固定したシャワーヘッドへ向け顔を上げる。目を閉じていた。暫くの間、そうして生ぬるい湯に打たれていた。それから髪と躯を大雑把に洗う。最後にまた体温より少し高い湯を浴びた。コックを閉じる。周囲に満ちていた水の音が止んだ。男はタイル張りの壁に向いたまま、少しの間動きを止める。大きく息を吸い込み、それをゆっくりと吐き出す。それが合図であるように、男は浴室から出ていった。腹を括ったのか、それとも仕方ないと諦めたのか、大ぶりのタオルで躯を拭う仕草に、今し方の苛立ちは見受けられない。まるであの水滴が全部を洗い流したかに、男は至極さっぱりとした顔で、髪の湿り気を拭き取っていた。
 今し方終わらせたばかりの端末でのやり取りを改めて辿る。確認の為だ。その一瞬だけ髪へ触れるタオルが止まった。
『報酬は保証する。』
『高ぇって事は面倒だってこったろうが?』
『もう一つあるぜ。』
『…んだよ?』
『もう、お前さんくらにしか持ち込めないって話なんでな。』
『値段は?』
『4の6。』
『で、なにすんだ?』
『ケチな野郎の始末。』
『じゃぁ、5の6だ。』
『吹っかけるなよ?』
『莫迦か?相場だろ?』
『受けるか?』
『こっちの言い値ならな。』
相手はいっとき黙り、値段の交渉をしてからもう一度連絡すると言った。
 それらを反芻しつつ男は点けっぱなしのモニタへ目線を遣り、端にチラチラと揺れる時刻を見た。端末を切ってから有に30分は経つ。相手の言ったもう一度のコールがない。恐らく値段で決裂し、ヤツは今頃別の誰かを必死で捜しているのだろうと践んだ。高い値を吹っかけない。けれども腕には些か不安の残る。もっと適当な仕事屋を大慌てで探し回っている筈だ。
「人、一人ぶっ殺すのにしみったれた事抜かすなってんだよ…。」
最後にまったく面倒臭ぇと呟き、すっかり水気を含んだタオルを椅子の背へ投げるように引っかけた。テーブルの上でコールが鳴る。男はやれやれと頭(かぶり)振りつつ端末を取った。
『お前さんの言い値だ。』
『いつも通りに手あかの付いてないカードで一括な。』
『先方にもそう言ってある。』
『誰も引き受けなかったってか?』
『今日の明日じゃ値が良くても二の足を踏む野郎ばっかしだった。』
『時間は?』
『細かい事は別にデータを送る。』
『枝付けられんじゃねぇぞ。』
『今更言うなよ。』
ハッと笑い電源を落とす。別の端末へデータが送信されるのを待ちながら、男は呑みさしのグラスから、すっかりぬるまって薄くなった酒を喉へと流し込んだ。
「結局、俺んトコへ持ち込むなら、最初っから出すモン出せってんだ…。」
モソリと落ちる言。但し、少し前と異なり男の口角は、ひどく愉快そうに引き上がっていた。



 風が湿っている。見上げると明けたばかりの空にそれらしい雲はない。すぐさま一雨くるとは思えない。が、海から取り込んできただけとは思えない、雨粒を予感させる風の匂いに、男は幾分歩調を早め、三ブロックほど離れた場所へ停めてきた車へ、急いだ方がよさそうだと思った。移民街や下層民の居住区は別として、表層を健全さと平穏で装ったここは、うたい文句ばかりでなく、実際治安はすこぶるよい。早朝と呼ぶにも早すぎる時刻に、亜熱帯名物スコールにやられ、濡れ鼠になった男がほっつき歩いていたら、警邏に呼び止められるのは必至に近い。簡単な職質くらいは覚悟せねばならない。当然口にするのは在りもしない住所やら名前だとしても、面が割れるのはあまり愉快な状況ではなかった。数分前、彼は一仕事を終えている。屠ったのが近隣ではそこそこ名の知れた売人の元締めであっても、取り敢えず治安維持の為に組織は動く。細心を払うのも、この手の仕事を引き受ける者としたら、当然のことだ。
 時刻が時刻だけに、彼が停めた車へ辿り着くまでにすれ違った人間など居なかった。ドアロックを解除し、イグニッションと連動する所有者専用のカードをスロットルへ滑り込ませる。瞬く間に火の入るモーター。低い唸りが路面に漂った。メーターの横に時刻を知らせる数字が並ぶ。未だ明けの五時半をわずかに過ぎた時分だった。手渡された凶器を依頼主に戻す為、先方の差し向ける三下と落ち合うのは正午。潰すための時間の長さに、知らず男から苦い溜息が落ちた。
「…にしても、モーゼルはねぇやな。」
羽織るジャケットの内側へ吊す得物を布地の上から触り、失笑混じりに垂れる。今回は空港で接触してきた相手側の遣いから得物も手渡される手筈だった。受け取った時も思わず笑いが洩れたが、今時この軍用で片づけろと言われたら大概の人間は同じ反応を示しただろう。恐らく標的となる人間を骸にするだけでなく、本来その得物を所持している人物もハメる目的なのだろうと、男は即座に読みとった。C96の9mm、通称RED9を懐に収めるヤツは、よっぽどの莫迦か、よっぽどのガンマニアに違いない。
「だったら其奴にヤラせりゃいいじゃねぇか…。」
男の呟きは正論だ。しかし、それを第三者に依頼するしかなかったのが、現状だという話なのだ。
 もう一度、その馬鹿らしい得物を服の上から確かめ、男はパネルの一部へ埋め込まれるナビゲータを操作した。住所の一部を入力するだけで、現在地から目的地までの最短距離と所要時間が示される。選択肢は幾つかあった。その中から最も適切な経路を撰んだ。法定速度に殉じ、マナー重視で走行し、一時間と少しで着ける道順に彼は決めたのだ。
「朝飯に間に合うってトコだな。」
到着時刻を眺め独りごちる。穏やかな朝餉の卓に並ぶ、少々多すぎる皿の数が脳裡に浮かんだ。事前のアポイントなしに早朝から訪れる客とも呼べない来訪者を迎え入れる相手は、たぶん唐突と現れる男に皮肉の一つや二つを投げてくるはずだ。それも軽く笑ってあしらうには辛辣すぎる台詞を…。
「まぁ、朝飯代なら安いモンか…。」
言いながら軽くアクセルを踏み込む。手応えの薄いモーター音が高まり、車体は呆気ないくらい速やかに、未だ行き交う車両の姿もない道路を目的地へ向け、走り出した。



 通された先は前回とは異なる部屋だった。あの時は玄関ホールから最も近い一室。そして今度は奥へと続く廊下の突端。やっと午前七時になるかならないかという時分、流石に主への取り次ぎに難色を示すかと思いきや、執事の形をしたアンドロイドは五分と待たせず主人への確認を済ませると、慇懃な口調で男を邸内へ招き入れた。アンドロイドのノックに応える短いいらえ、扉を開け、中へと促す台詞のまま、彼はそこへ足を踏み入れる。案の定、室内は白かった。そして接客用の部屋同様、殆どの調度を割愛した愛想のなさ。目を引いたのは巨大な寝台と、そこで横になる屋敷の主、そしてその相手へ絡みつくチューブやコードの数。
「あれは社交辞令だと思っていたよ。」
戸口の辺りで立ち止まった訪問者へ、最初に発せられたのがそれだった。言われた意味を理解するに至らず、サーシェスは何の話だ?と無粋な問いを返す。
「また来ると言ったけれど、君が用事もなく此処へ現れるとは到底思えなくてね。」
だからあれは挨拶の一端ていどの、期待になど値しない台詞だと考えていた。コーナーは皮肉めいた内容を全く邪気を感じさせない言い様で話した。
「けど、来たぜ?」
仕事のついでではあるが…と、臆面もなくサーシェスは最後に付け足す。
「だろうね…。」
コーナーは細く笑い、仕事はもう済んだのか?と訊いた。
 相手の問いに全く無関係な返しをする場合がる。コーナーの訊ねた内容と、次ぎにサーシェスが口にした台詞は一つも繋がりがない。
「なぁ、あんたのその形はどうした按配なんだ?」
入って来た途端から気になったのだろう。身動きもままならないだろうと思える、様々な管に繋がれる様へ、あけすけな質問が飛び出したのは、その現れだ。
「簡単に言ってしまえば、現状は甚だ憂慮すべき状態なのだよ。」
相変わらずの持って回った言い回し。サーシェスは腹の底で欠片も簡単ではないと舌打ちする。
「先日、新に埋めた補強用の人工物が…。腰椎をより確実に固定する為のものだ。それをどうした理由か、私自身が認めようとしなくてね。その所為でこんな状態を余儀なくされていると言うわけさ。」
「ああ、そりゃ難儀だ。」
「人工物と言っても私の細胞の一部を使用した有機物なのだから、これほど拒絶されるとは誰も予想していなかったらしい。」
「名医も形無しか…。」
「まさか自身の予定を、自らが崩すとは私も考えてはいなかったよ。」
「そうそう思い通りにならねぇだろうな。」
コーナーは確かにそうだと浅い笑いを作り、本当に難儀だと本音混じりの嘆息をこぼした。
 大枚を叩いた結果、それが微塵も効果を為さない可能性もある。コーナーは莫迦ではない。希望の叶わなかった場合を想定しないはずがなかった。
「あと何回切ったり繋いだりすんだ?」
「具体的な回数は判らないよ。」
「相当痛ぇぞ?」
子供じみた言い様が愉快だと、コーナーは軽い笑いを声にしつつ、目線で肯定を返す。
「しかも大失敗ってこともある。」
「一つの可能性として頭には入れてあるよ。」
淡々と言葉を並べる相手を眺め、サーシェスは呆れた風に肩を竦めた。
「あんたが自虐趣味だとは知らなかった。てっきり他人をいたぶって大喜びする人間だと思っていたんだがな。」
「交友を重ねれば、相手の未知の部分も見えてくると言うことかもしれない。」
「じゃぁ、一発できるようになったら、ヒィヒィ言わせてやるよ。」
すると仰臥したままの相手は大袈裟なくらい不愉快な表情を張り付け、それは自虐趣味ではないと、真っ向から否定してきた。
 薄いカーテンを透かして入り込む陽射しに、今し方よりも微かな煌めきの強さが混じる。他愛のなさを装った会話の合間に、サーシェスは部屋の中を見回し、今の時刻を確かめる。サイドテーブルに置かれた飾り気のない時計を見つけ、そこに浮き上がる数字を読んだ。
「まだ仕事を済ませていなかったのかな?」
その様からこの後の用事を察し、コーナーが話題をそちらへシフトした。
「いや、そっちは終わってんだ。昼に預かりモノを返して全部完了て流れだ。」
「今回は何を請け負ったんだね?」
「殺しだ。」
「最近はその手の依頼が多いのかい?」
「そうでもねぇな。まぁ、ツマンネェ頼み事ばっかだけどな。」
「確かに愉しそうには見えない。」
仕方なしに面白味のない依頼をただこなしている風だとコーナーは思った。
 この男が欲しがるのは巨大な戦場だ。どれだけ暴れても、破壊の限りを尽くし得ない戦争こそを求める輩にとって、数回引き金をひいただけで終わってしまう殺害など、暇つぶしにもならないのは容易に想像がつく。しかしサーシェスの欲しがる厄災は未だ世界の端にも現れていない。動きようがないのは明らかだ。
「君も私と同様、その時を待っているわけだ…。」
腹の内側で思ったままを口にすると、サーシェスは即座に否定してきた。
「そりゃ違ぇだろ?俺は明日動きがあれば直ぐにも飛び出せる。が、あんたは相変わらずそこに張り付けられたままだ。」
「待つ…という状況には雲泥の差があると?」
「お宝とクソくらいの差があるぜ。」
「けれど、明日には何も変わらないよ。」
「まぁ…そうだけどよ。」
現実は膠着している。明日が更にその翌日になったところで大きな変化は望めない。直ぐさま行動に移せても、行動の自由を奪われていても、然したる違いはないのかもしれない。
「それに私は諦めていない。だから君の立場と私の状況も五分と五分だと思うのだよ。」
ひどく真摯な顔つきでコーナーの発したそれは、自身へ向けた決意めいて聞こえた。
 必死なまでの頑なさを露呈する相手を見つめ、サーシェスは無性に可笑しさがこみ上げる。常に物事を高みから見下ろす男が、今は何かを下方から掴もうとしている。初めて目にしたその様が、滑稽で哀れで泣けるくらい阿呆らしく、それが笑気を煽ったのだろうと、音になりそうな笑いをかみ殺しつつ、男はたいそう納得していた。
「ところで…。」
不可思議な間で黙り込んだ相手を訝しく感じながら、コーナーが思いついた疑問を口にした。
「仕事のついでに寄っただけなのかい?」
それだけとは思いがたい。他に何かあったのではないか?と眼差しが問う。
「ああ、朝飯だ。」
「え?」
「朝飯喰わせてくれ。」
「朝食を食べにきたと?」
「駄目か?」
「いや、すぐに用意させよう。」
険しさと怪訝さが混じり合っていた面から、ふにゃりと力が抜ける。屋敷の主は、拍子抜けした風に息を吐くと、邸内の内線でその由を伝えた。
 間もなく運ばれた朝食を、無礼な客は瞬く間に平らげる。食後の珈琲まできっちりと腹へ収め、やたらと満足そうに大きく一息を吐いた。
「飯喰って直ぐってのも悪いが、そろそろ行かねぇと拙い。」
チラと時計を覗き、サーシェスは欠片も済まなそうではないツラで言う。腰を上げかけた時、ジャケットの内側で硬質な重みが動くのを感じる。
「飯の礼に一つ約束してやる。」
「約束とは?」
答える代わりに、前の合わせから滑り込んだ手が、見慣れない形状の得物を取りだした。グリップを握り、トリガーへ指をかけ、サーシェスはコーナーの間近へ寄った。銃口が相手の眉間へ向けられる。
「あんたが根負けしたら呼んでくれよ。一発で楽にしてやる。しかもロハだ。仕事じゃねぇ。契約とは違う。約束だ。」
互いの体温すら感じ取れる距離で、男は愉しげにそう提案した。
「随分と優しいことを言う…。君がそんなに恩情を掛けてくれるとは、感謝の言葉もないよ。」
「礼はきっちりとする。それに俺は情に厚い人間なんだよ。」
「それは初耳だ。」
「交友を重ねると、知らねぇことも見えてくんだよ。」
少し前コーナーの垂れた台詞をそのまま突き返し、サーシェスはうっそりと笑って見せた。
 それを合図に近すぎるその場から離れていこうとする男。仰ぎ見る相手がゆるめた口唇から冗談とも取れる一言をこぼす。
「今日は接吻は無しかい?」
「またかよ?」
「挨拶の代わりで構わないのだが…。」
「…ったく、気に入るとあんたはしつっけぇのを忘れてたぜ。」
得物を握ったままの手がシーツへ降りる。最前より更に近い距離。身を屈め、別段嫌がりもせず、濡れた柔らかさがコーナーに触れる。重なった口唇を幾度か吸い。自然な流れで舌が滑り込む。軽く絡ませ、穏やかに寄り添い、挨拶にしては些か深すぎる接吻に、彼らは少しの間夢中になった。解けて離れるサーシェスの舌を、コーナーが追い短く吸う。チッと微かな音が鳴った。鼻先から漏れる呼吸が肌を擽る。それが妙に熱を孕んでいると感じたのは、気のせいだろうかとコーナーはぼんやり思った。
 得物を仕舞い、ぞんざいに衣服を直すと、何事もなかったツラの男は聞き慣れた単語を垂れる。
「じゃぁな。」
「なかなかに愉しい時間だった。」
「次ぎは手土産を持ってきてやる。」
「それはどういう意味かな?」
戸口まで行き、振り返るサーシェスは心底辟易した顔で、聞き分けのない子供を諭す風に言葉を投げた。
「もう、あんたの舌やら口を吸わねぇってこったよ。何か持って来てやるから、アレはもう無しだ。」
異議は認めない。それを表すかに男はさっさと部屋を出ていった。閉じるドアの音。それに絡み、手放しで笑う声。午前の半ばを過ぎた陽光の射し入る室内に、暫くの間その揺れる声音は止まずに在った。







※ギャラの「4の6」「5の6」は4の横に0の6並び(4000000)の意味。通貨の単位が判らないのでそこはスルーw
※モーゼルはドイツの軍用拳銃。C96はバイハザ3や4に出てくるので有名。

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