*白の邂逅*

アレハンドロ&アリー

 その部屋はゾッとするほどの白で溢れていた。ソファで待ったのは五分程度。しかしその間が、気の遠くなる時間に思え、サーシェスは不覚にも入ってきた扉から、直ぐにでも出ていきたい衝動に駆られた。もしもあと一分、ドアが開くのが遅かったなら、彼は何も残さず、誰にも告げず、その場所から立ち去っていただろう。まるで追い立てられるように、或いは尻尾を巻いて逃げ出すかに、振り返ることなく、玄関ホールを駆け抜けていたに違いなかった。



 混沌を絵に描いたような掃討作戦から二年が過ぎた。世界の秩序は表面上、素晴らしく維持されている。三つの巨大勢力は、たった4機のガンダムに翻弄された事実に怖れをなしたようで、したくもない握手を作り笑いで交わし、一つの強大な自警団を作る方向へ動いている。その様を見つめる男。彼は自身の今後を決めかねていた。そして未だ行動を起こすのは早いとばかりに、腰を据えモニタ越しに温まった世界の様子を、眺めて過ごしていた。嘗ての部下達との連絡手段であった携帯端末を捨てなかったのも、時期が来れば兵隊が必要になると信じていたからで、雑魚は幾らでも引っ掛かるが、互いの出方を目線だけで察し合える兵隊は、一朝一夕に見つからないのを知っていたからだった。アリー・アル・サーシェスは変わらず戦場を欲しがっている。そして彼の在るべき其処が、この世から決して無くならないのは、人が世界に満ちあふれている限り、覆すことの出来ない約束事であった。
 それは退屈な夜の事だった。相変わらず点けっぱなしのモニタから、面白くもない世界情勢がひっきりなしに流れている。サーシェスはそれをBGMに仕入れてきた値段のわりに口当たりの良い酒を、氷で薄めて喉へ流し込み、このところ毎日の習慣になりつつある、銃の手入れを行っていた。需要さえあればそれらの流通は途絶えない。まして彼は、そうした商いに精通している。今夜は数日前手に入れたセミオートの9mmをバラし、調整を加えながら組み上げることに没頭していた。一緒に調達した銃弾も、一応は総て中身を確かめようと考える。通常の鉛玉にスカがあっても気にならないが、一箱を奢ったフォローポイント弾の外れは見逃せない。手間のかかる作業だ。暫くの間は、それで暇が潰れると、ぼんやり考えていた。
 頼りないコールが鳴った。無意識にテーブルへ乗せた端末へ手の伸ばす。しかしそれは何も受けていない。
「なんだ?何が鳴ってる??」
周囲を見回し、耳を峙てた。モニタの音声を落とす。空調の音だけが微かに流れる室内。音源は部屋の隅に放置した、荷物の山の中だと知れる。それらは例の作戦終了後、所属部隊が保管していたものだ。脱出ポッドを回収され、漸く辿り着いた外人部隊の事務局で、手渡された荷物だった。ゲィリー・ヴィアッジという名の兵隊の持ち物。持ち帰ったが、そのまま当座の塒(ねぐら)の片隅へ投げたきり、忘れていた代物だ。ズカズカと近寄り、中身を引っかき回す。出てきたのは一個の端末。手の中に収まるそれは、以前契約していたスポンサーの専用通信に使っていた。あの頃と同じにデータが届いていた。中身を開く。テキストだけの簡素な内容。住所だけが記された一行にも満たない文字の並びが在った。
 伝えられたその場所は、人革の連合国が統治する、リゾートと観光と移民で成り立つ国である。確か別枠で契約していたリニアトレイン公社の親玉も、その地に別邸を構えていたと記憶する。送って寄越した本人の本宅だか別宅だかが在るのだろう。金持ちが好みそうな、サーシェスとは縁もゆかりもない別荘地。そこへ来いと、薄く揺らめく文字列が言っていた。液晶を見つめていた男の口元がうっそりとゆるんだ。
「生きていやがったのか…。」
こぼれ落ちた呟きには、特別の感慨は読みとれない。どちらかと言えば、気の利いた冗談を面白がっている風な響きを孕んでいた。



 指定場所へ赴いたのは、通信を受けてから五日後であった。既に前金を渡されている依頼を二つこなさねばならず、それらを片づけてから件の地への旅客機を手配し、裏から格安のチケットを探し出すのに、半日を要したからそれだけの間が空いてしまった。旅券は幾つか異なる名で取得している。どれも未だ手垢の付いていない真っ新なものだ。行く先が観光地であるから、どれを使っても問題はない。適当に撰び、それを携え指定便に乗った。直行便を押さえたので、所要時間は四時間と少し。シートに背を預け、雑誌を読みふける男は、一つだけ引っ掛かる可能性を頭の中で転がし続けた。果たして送り付けてきたのがあのスポンサーだった相手なのかという懸念だ。専用回線はあの男だけが使っていたが、例えば他の誰か、常に行動を共にしていた若造が、勝手に送ってきた可能性も捨てられない。
 けれど、もしあれが本人以外の人間の仕業だとして、サーシェスが浮かべた姿の良い小姓が彼を誘っていたと仮定するも、あの小僧が傭兵を呼び出す理由が思いつかない。もうこの世には居ないかもしれない金持ちの名をかたり、サーシェスを招く謂われが一つも思い当たらなかったのだ。ならば何故、空を越えてまで行くのだろう。答は簡単だ。日銭を稼ぐ為、チンケな運び屋の依頼を受けている男は、心底退屈している。ハメられたにせよ、死んだと思った男が生きていたにせよ、出向いてみれば、其処は蛻の殻で真っ昼間に幽霊が立っていたにせよ、欠伸をかみ殺すしかない毎日に在って、ちょっとした刺激を享受したいとする欲望を、欠片でも満たす結果になれば御の字と考えたのだ。
 降り立った空港で賃走の車をつかまえる。住所を告げれば二つ返事で走り出した。名の知れた別荘地と言うのは間違っていないらしい。サーシェスは南国特有の作り物めいた空をぼんやりと眺め、行った先に待ち受ける何某かを想像し、幾度も笑いを飲み込んでいた。煩わしい事態を避ける為、飛び道具は一切持ってきていない。唯一、忍ばせたのは使い込んだ小振りの刃物だ。災いが降りかかっても、所詮それで対処できる程度と践んでの事だ。そしてそんな荒事が起こったとしても、サーシェスは薄ら笑いを浮かべ、愉しげに事を片づけるに違いなかった。
 途中に二度ばかり渋滞に巻き込まれ、それでも50分ていどで車は停まる。往来へ立ち目の前の屋敷を見た。敷地の広さと屋敷の大きさから別邸に間違いないと判じる。コーナー家の本宅が、首を軽く左右へ動かしただけで、総て見て取れる筈がないと践んだ。ランクAの別荘と言った屋敷である。サーシェスは迷わず玄関へ進み、時代がかった真鍮の呼び鈴を押した。二枚扉の片側が開く。顔を出したのは老齢の執事を模したアンドロイド。プログラム通りに用向きを訊き、名を名乗ると教え込まれたまま、彼を邸内へと招き入れた。玄関ホールから最も近い部屋へ通される。来客用の応接室だった。背後で慇懃に頭を垂れる執事を無視し、サーシェスはポカンとしたツラで見たままを言葉にした。
「なんだ…こりゃぁ…。」
調度を除く部屋の総てが白かった。天井も壁も床も、大きく切り取られた窓にかかるカーテンも純白で統一されていた。
 設えられた調度品は応接用の長椅子と低いテーブル。其れ以外何もない。部屋の中に飾りや家具が少なすぎる所為で、室内の白さが目に付いたのだと、全体を満遍なく見渡してから漸く理解した。サーシェスの嘗てのスポンサーは大袈裟なくらい贅を尽くし室内を飾るのを好むタイプだった。成金趣味なのではなく、一見どこに金を使っているのかが判らないよう、総てを設えるの好んでいた。何もないガランとした空間を応接室とするこの屋敷の主は、少なくともサーシェスの知っている相手とは違うのではないか?と訝しさが湧いた。
「やはり、あの小僧か…。」
脳裡に少女めいた面立ちの細いシルエットが浮かぶ。しかし結論するほどの根拠がない。仕方なしに長椅子へ掛け、種明かしの如く現れるだろう、今回の仕掛け人を待つことにした。
 出入り口の扉が開くまで、サーシェスが待たされた時間は高々五分あまり。しかし白すぎる室内は居心地が悪く、彼はあと少し扉にノックの音が鳴るのが遅かったら、一言も残さず屋敷を後にしていただろう。チッと舌を鳴らし、何時まで待たせると一人悪態を吐いたところで、木製の扉に音が鳴った。先ずは先ほどの執事が顔を見せるのかと思っていると、両側に大きく開けられた扉の向こうからやって来たのは、見慣れない姿の良く知った男だった。
「久しぶりだね…。」
そう言って上品な笑みを浮かべる相手は、幾分髪が伸びたことと、顎の線が細くなっている以外、殆ど変わっている風には見えなかった。ただ、彼が身を預ける大仰な車椅子は初めて目にする。
「変わったモンに乗ってんだな?」
すかさずそこを指摘する。相手は気にする素振りもなく、少々不自由ではあるが仕方がないのだと、淡々とした言い様で返してきた。その時、男は気づいた。室内が簡素なまでに調度を廃した理由をだ。主が移動する際、不都合になるものを総て取り除いた結果が、この部屋の形を作ったのだ。但し、色味のわけは読めない。だが、それを問う気持ちはなかった。そんな事を訊く為に待っていたのではないからだ。それより訊ねるべきは数多あると、即座に判じて彼はその問いを仕舞い込んだ。
 サーシェスを招いたのは、やはりアレハンドロ・コーナーであった。数個の可能性。並べた選択肢の中で、最もあり得る結論に到達したのだ。そうと判れば訊きたい事は山ほどある。それらを端からぶつけてやろうと、サーシェスが徐に口火を切ろうとした矢先、コーナーが先を奪った。
「呼びつけておいて甚だ申し訳ないのだが、こうして腰掛けていられる時間は短いのでね、私の用件を先に述べさせてもらいたい。」
「まぁ、いいけどよ…。」
釈然としないが、どうしても訊きだした事柄ではない。サーシェスはさっさと話せとばかりに、ソファへ腰を落ち着けた。
 テーブルを挟む対面にコーナーは車椅子を寄せる。座位で向き合うと、相手の違和感は気にならなくなった。サーシェスは目線で続きを促す。軽く頷いたコーナーが厳かに話し始めた。
「君も聞いていると思うが、あの作戦で私は失態を演じてしまってね。ご覧の通りの有様なのだが、今後もしも私が君との契約を申し出たなら、それを受けて貰いたいと伝えておきたかったのだよ。」
「死んだと思ってたぜ。」
サーシェスはそれだけを返すと、口を噤んだ。
 疑似太陽路を積んだ巨大モビルアーマー。更に搭載されたモビルスーツ。それらが大破したのだ。よもや生きているとは爪の先も考えはしまい。実際を目にしたワケではなかったが、ずっと後になって見つけたその時の映像を見る限り、生死の天秤は果てしなく死へと傾いていた。
「金さえ貰えれば、あんたの依頼は受ける。けどよ…何がしたいんだ?あんたの目的はいったい何だ?」
「飼い犬に手を噛まれた…と言うと語弊があるが、信頼していた者に奪われたものを取り戻したい。」
「あの小僧か?」
常に傍らへ控えていた姿が見あたらない。子供にも判る流れだった。
「大儀は私が為してこそ…なのだよ。このままでは終われない。その為に君が必要だ。」
「復讐か?」
「そうではないよ。アレが幕を引くのは正しくないのさ。世界を在るべき姿へ導くのは、私でなければならないのでね…。」
「なるほど、了解だ。何度も言うが報酬さえ貰えば俺は誰とでも組む。ただそれだけの話だ。」
「その時が来るまで、心に留めておいてくれれば良い。」
初めて言葉を交わし、契約を結んだ時と同じに、彼らはたったそれだけのやり取りで、互いの思惑を理解した。



 暫しの沈黙。用件は済んだ。次ぎにサーシェスが吐き出すのは、この場を去る由の台詞だろうとコーナーは予測する。
「まだ時間はあんのか?」
だがこの男が予想通りに振る舞わないのは決まりのようのもので、腰を上げる素振りもなく、そんな台詞を投げて寄越す。
「あと少しなら…。」
意外とは感じても顔に出すような手合いではない。コーナーも何喰わぬ顔でそう答えた。
「実際、立って歩けるようになんのか?MSが大破するってのは、尋常なことじゃねぇぞ。」
「こうして腰を掛けられるようになるのに、二年かかった。幸い現在の医療技術は素晴らしい成果を上げているし、ここには脊髄外科の名医が居るのでね。Oではないと、私は考えているよ。」
確かに費用に糸目をつけなければ、最新の医療を受けられるだろう。そして技術の進歩は目を瞠るものがある。
 しかし金を投じ、時間を使い、最良を選び取ったとしても、肉体の限界は如何ともしがたい。この先、施した医療が理想に繋がる保証はないと言っても過言ではなかった。コーナーにしても、そうした事実は重々承知しているだろう。それでもOではないと宣うのだ。サーシェスが苦く笑うのも当然のことだった。
「あんたはSEXの時もしつこくて、嫌な野郎だった。諦めが悪いんだろうな。」
「それは誉めてくれているのだね?」
「好きに受け取れ。」
「ならば、賛辞と取らせてもらうよ。」
一頻り笑い声が起こる。笑気を収めたコーナーは、腕の時計をチラと覗いた。
「どれくらい座ってられんだよ?」
「30分と言ったところかな。」
「それを過ぎると?」
「厳密に時間で区切るわけではないけれど、肉体的な限界がくると言えば理解して貰えるだろうか?」
サーシェスは『ああ…。』と無感情に言ったあと、難儀なことだと独りごちる風に呟いた。
 リミットまで残り10分と少し、サーシェスはそろそろ頃合いだと席を立った。座ったまま見上げてくるコーナーと目線が絡む。不意に何かを思いついた表情が、見下ろす男の顔を掠めた。
「花でも持って来たら良かったか?見舞ってのは花やら食い物を持ってくるモンだろ?」
「そんな物は要らないよ。」
「違うモノなら欲しいのか?」
「そうだね。」
「なんだ?」
視線を外しもせず、コーナーは一呼吸おいてから、口元を綻ばせ短く言った。
「接吻を…。」
「はぁ?」
「君とは一度も口づけをしなかったのでね。」
「ベロやら口やらを吸ったり舐めたりすんのは性に合わねぇ。」
「好きではないと?」
「そう言うこった。」
「それなら、尚のこと接吻をして欲しいね。」
サーシェスの表情がうんざりとしたものへ変わる。呆れた溜息が洩れた。
「あんたの掛かる名医ってヤツは、そのねじ曲がった性格も治してくれねぇのかね…。」
「次ぎには、それも治療の一環に加えるよう言っておこう。」
ヤレヤレと肩を竦める男は、名医に期待すると冗談めいた言を垂れた。
 眼前に佇む長身が、ゆっくりと膝を付く。丁度二つの顔が同じ高さで向き合う位置で、サーシェスは相手をジッと見つめた。そして静かに近づく口元。息を潜めるコーナーの口唇へ、柔らかな感触がそっとふれた。啄むかに、数度唇を合わせる。一度離れたと思う間もなく、それは角度を変え、深く重なってきた。互いの口吻を確かめるような交わりが続く。感じる温度とその触感を、覚え込みたがっているような口づけは、鼻先から細く漏れる呼吸が微かに乱れるまで、終わりの気配を滲ませなかった。
「未だ、イケるか?」
紙一枚の距離を開け、頬や鼻先が触れるほど近くからサーシェスの囁きが聞こえた。
「あと僅かかな?」
言い終わるのを待たず、二つの腕が肩を掴む。再び重なる口唇。しかし今度は薄い隙間を割って、ヌルリとした感触がコーナーの口腔へ忍び込んだ。
 擦り寄ってくる舌をコーナーは迎える。強引に捉えたりせず、彼はサーシェスのそれへ自身の舌を絡ませる。拘束にはほど遠い、緩やかな触れあい。細く窄ませ、或いは拡げて、交互に温かなぬめりを擦り合わせる。激しさはない。在るのは密やかな舌の愛撫だけだった。コーナーが絡みつく相手の舌をゆるく吸った。それが終わりの切欠となり、交わる舌が解けて離れる。最後にサーシェスが濡れた口唇を軽く吸う。小さく音が鳴った。立ち上がる男は、掴んでいた肩から両腕を引く。その時、コーナーからひどく仄かな吐息がこぼれた。
「満足したかよ?」
「好きではないと言うくせに、君は随分と接吻が上手だったよ。」
 これまでベッドで抱き合った時がそうだったように、事が済むとサーシェスは振り向きもせず、部屋を出ていった。それは今も変わらないらしい。
「じゃぁな。」
コーナーの傍らをすり抜け、男はあの頃と同様、乾いた声音でそれだけを残す。
「君の足労に感謝している。」
床の人造大理石をサーシェスの無骨な靴音が遠ざかる。コーナーはテーブルへ向いたまま、言葉もなくそれを聞いていた。カチャリと硬質な音。扉のノブを廻したのだと知れる。軋みもなく開く扉の気配。それがゆっくりと閉じていく様をコーナーは脳裡へ描いた。
「また来る。」
出ていく間際、発した短い言葉。意外なそれへ、コーナーは咄嗟に返す単語を忘れた。
「待っているよ。」
既に男の気配はない。漸く口にした台詞は、届く先を逸して、純白に彩られた部屋の中に響いた。





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