*嗤う男*

ドロアリ(『微笑う男』翌朝・ひげ剃り)

 何とも言えない目覚めを迎え、薄く開いた目蓋の隙間から、それをもたらした相手を盗み見た。案の定の笑顔。しかも満面を更に2割ほど上回る上機嫌なツラがサーシェスを覗き込んでいる。見なかった事にする。サーシェスは持ち上げかけた目蓋を下ろす。
「狡いな…。寝たふりは良くない。」
咎める口調と共に、口の周りから顎までを指の腹が辿る。サーシェスを目覚めさせたのは、その感触だった。ゆっくりと滑らせる指。丹念に一つの触感を確かめている。そんな薄気味の悪い起こし方を思いつく依頼主に、怒声の一つもぶちかましてやろうかと思うも、放ったそれへ十倍以上の単語が返ると気づき、億劫になり喉元まで迫り上がった台詞をサーシェスは仕舞い込んだ。
 不快ではなく不愉快な覚醒だ。何もなかった事にしたい。早く起きろと促す声を無視して、二度寝を決め込もうと顔を背けようとした途端、浅く生えてきた髭を触っていた指が、グィと口唇を割った。咄嗟に噛みしめる歯列を爪が横になぞる。これ以上無反応でいると、指は強引にかみ合わせをこじ開けて、口腔へ入り込んでくる。それは単なる予想ではない。面白そうに語尾を揺らし続けるコーナーは、必ずそうする。確信がサーシェスの双眸を開かせた。
「…っせぇな。」
「朝の挨拶にしては無礼だね?」
「薄気味悪ぃ起こし方するからだ…。」
「それは失礼した。」
言葉では済まないと言う。けれど欠片も済まなく思っていない。コーナーはそれを裏付けるように、目覚めたならバスルームへ行けと命じる。
「朝から風呂か?」
「君の髭を当たると言ってあった筈なのだが?」
そんな事を言ったか?と惚ける。憶えがないと嘯いてみる。しかし相手は引き下がらない。
「冗談かと思ったぜ…。」
根負けしてモソリと呟く。
「覚えていて、忘れた等と言うのは良くないな…。無礼は君の方ではないかね?」
「アレはなかった事にしねぇか?怠ぃんだよ…。」
「髭を当たるだけで良いのだ。そのあと、また君が惰眠を貪るなら、私はそれに口出しをしないよ。」
もう何を言っても無駄だと腹を括り、男はノロノロと起きあがる。だらしのない仕草で、寝乱れた髪を無造作に掻き回す。
「髭…剃るだけだな?」
「そのつもりだ。」
柔らかく綻ぶコーナーの面相を眺め、サーシェスは腹の底で呟いた。
『そりゃ、嘘だな…。』



 ホテルの浴室はどこも大して違わない。味気ない内装だとコーナーは入るなり眉をひそめた。サーシェスはその辺りにも興味はないから、さっさと低い浴槽の縁へ腰を下ろし、髭を剃るならとっとと始めろと、不遜な台詞を吐いた。
「先ずは顔を洗ってくれたまえよ。それとも濡らしもせずに刃を当てて欲しいのかな?」
「そんな趣味はねぇよ。」
「本来なら蒸しタオルを用意すべきなのだが、生憎それ用のタオルがないのでね。」
好い加減憎まれ口をきくのも飽きたのか、サーシェスはバスタブへ湯を落とす蛇口を捻り、威勢良く流れ出す湯で何度も顔を濡らす。良い具合に髭が湿る。これまでたくわえていたお陰で、たった一晩のうちに無精髭と呼ぶくらに伸びたそれが、水分を含んで柔らかくなったのを確かめると、コーナーは徐に折り畳み式のレザーを取りだした。
 サーシェスが顔を濡らしている間に、手際よく泡立てたのだろうシャボンがカップの中で軽やかな白い塊になっている。男にしては細い指がカップを掴み、慣れた手つきで抗いを諦めた男の顔へシャボンを塗りつける。
「こんなモンまで用意してたのか?」
シェービングセットのことを言っているのだと気づき、コーナーは軽く笑みを浮かべた。
「いや、これは私のものだよ。実は毎朝こうして髭を当たるのが慣わしなのでね…。」
続けて鼻歌が洩れ聞こえるのではと思えるくらい、コーナーの声音は弾んでいた。
「さっさとやっちまってくれ…。」
サーシェスの声はうんざりと萎れている。時間など掛けず、瞬く間に終わらせて欲しい気持ちがありありと滲んでいた。
 センターに厚みを持たせた両刃のレザーが頬から顎へとすべり降りる。軽く当てた指先が、皮膚をそっと引く。刃の流れが滞らない為の所作だ。毎日の慣わしと言ったが、それは本当らしい。無用に力を入れず、レザーの重みだけで薄く生える髭をそり落としていった。口の周囲を当たる時、無言のまま左手がつぃと顎を持ち上げる。しっかりと手入れされた刃が、なめらかに髭の根本を削ぐ。微かなショリショリという音が、会話を持たない空間にゆったりと響いた。無意識にサーシェスは双眸を閉じている。最初は御代人の酔狂かと訝ったいたが、時間を悠長に使う輩であるからこそ、急きもせず慌てもしないで事を進めていくのだろう。他人に身繕いされるなど滅多にない。これを生業とする者が在る意味が、こうしていると理解出来る気がした。存外に心地よいのだ。だから知らぬ間にサーシェスは目を閉じていた。そしてダラリと躯の力を抜き、少々腐抜けたツラで大人しくされるままとなった。
 冷ややかな滑らかさが喉元へ当たる。頬と顎を済ませたレザーがその柔らかな皮膚へと降りてきたのだ。顎の先端からゆるりと伝い降りる刃の鋭さ。それが丁度のど仏を掠める辺りで止まった。忍び笑いが聞こえ、サーシェスは薄く目蓋と持ち上げる。
「このまま私が僅か横へ腕を引いたら…どうなると思うかね?」
「さあ…な。」
気のない返事がコーナーの理性を微かに逆撫でた。
「引きながら少しだけ刃を立てるという手もあるのだよ。」
意地の悪い響きを織り交ぜ、見下ろす男の表情を伺うコーナーが、次の瞬間仰天を張り付ける。レザーを握る側の手首をサーシェスが握ったのだ。
「この手はなにかな?」
「アンタが手を動かさなくても、オレがこのまま首をちっとばかし動かせばイイんじゃねぇか?」
その場に固定された腕。サーシェスの指は手首へ食い込むほども強く握る。力で相手をねじ伏せるのが、この男の本業だ。コーナーが生半可に抗っても鋼の如き強さは、決して崩せない。
「オレが首を動かす。あっと言う間にここは血の海だ。アンタは指一つ動かさずに立派な人殺しになるぜ?」
面白ぇだろ?
そう吐き出す口元がニヤリと歪む。むせ返る血臭が匂った気がして、コーナーは嫌悪を顕わにした。数秒の膠着。レザーを掴むコーナーの掌がジワリと浮き出る汗で湿った。
「冗談だ。」
手首の戒めがスルリと解ける。ホッと細く息を吐く男。その微かな溜息をかき消す下劣な馬鹿笑い。サーシェスはゲラゲラと笑い転げる。
「なぁ、アンタのつまんねぇ冗談よりよっぽど笑えるだろ?」
肩を大きく震わせる男は、相手の憮然とした様などお構いなしに、可笑しかったら笑えと言い放った。
 一頻りの嗤いが治まるまで待つ。コーナーはこの程度の不躾さに本気で腹を立てたりしない。呆れた風に嘆息を落とすが、声を荒げたり、相手の愚行へ更なる報復をしかけたり、詰ったりしなかった。やっと大人しくなった男へ、気が済んだか?と問い、特別返答が欲しかったわけではないので、厳かに剃髭を再開する。幾分潜められていた眉が間もなく緩み、コーナーは今し方を忘れてしまった風に穏やかな表情を取り戻した。
「君の冗談は少々攻撃的すぎる…。」
諌めるつもりではない。彼の発したそれは淡々とした言い様で、サーシェスの行為へ向けた感想としか聞こえない。
「ほんじゃぁ、次はもう少しマイルドなのを披露するか…。」
悪びれる様子もなくそう言った男は、まだ終わらないのか?と、退屈そうに付け加えた。
 やっとお勤めが終わる。サーシェスが痺れを切らし、未だか?と繰り返し始めてから、十五分くらい経過したのちだった。やれやれと大きく伸びをする男。満足げに自身の出来栄えを眺めていたコーナーが不意に手を伸べ、相手の頬を撫で、顎を触る。手触りを確かめているのだとサーシェスは瞬時に察した。
「どうだ?イイ出来か?」
「そうだね、素晴らしい仕上がりだよ。」
自画自賛も甚だしい。コーナーは触れている指を顎から喉へとすべらせつつ、幾度も得心した風に吐息を落とした。
 これで無罪放免だ。サーシェスがお世辞にも座り心地が良いとはいえない、浴槽の縁から腰を上げようとした時だった。皮膚を飽きもせず辿っていた指が、当然のような動きで、胸部へと移動した。下着一枚の形で髭を任せていたのだから、指先は何にも遮られず胸に二つ在る小さな突起へと行き着く。粒状の突起を指の腹が軽く擦る。その意味など、訊くまでもなかった。
「髭だけだっただろ?」
「そうだね…。」
コーナーは問いを軽く受け流す。聞く耳を持たないと、突起の周りで円を描く指の動きが主張していた。
「朝っぱらからヤルってのか?」
「それも良い気がしたのだが、君は疲れているのだったかな?」
「疲れちゃいねぇが、夕べくらいサービスしてくれるんだろうな?」
「出来るだけ要望には応えるよ。」
言いながらコーナーは凝り始めた突起を、きつく摘んで捻り上げる。反射的に息を詰めるサーシェスの反応へ、彼は嬉しげに口の端を引き上げてみせた。



 浴槽は大理石を模した偽物だ。恐らく硬質樹脂かなにかだろう。それが本物でも紛い物でも、背中に当たるツルリとした硬さに変わりはなく、ずっと背を預けている所為で数カ所が痛むのも材質とは全く関係ない。サーシェスは自分の吐き出したモノで汚れた腹部を見下ろし、射精しても尚、腹の中を二本の指で掻き回している男を見遣り、諦めを含む溜息を吐こうとした。
「んっ…ぅ…っ…。」
けれどポツリと落ちる筈の溜息の代わりに、濡れそぼった喘ぎがこぼれ落ちる。しつこい程に同じ場所を攻め立てられた故だ。コーナーはすっかりゆるんだ狭さから、指を抜こうとしない。片手で股間の竿を弄び、神経の集まる一カ所を飽きずに突いている。その所為で、一度射精した。そして今も、新に募ってきた切迫感で、反り返るサーシェスのペニスは退っ引きならない状況に陥っていた。
 男とのSEXを知らなければ精液を吐き出した時点でそこそこの充足を得る。竿を他人に扱かれれば、心地よさの中で射精できる。しかし彼は指など比べられない大きさと硬さを知っている。それが腹の内側を摺り上げる快感も、切っ先が深みにある性感を抉る悦楽も熟知しているのだ。手淫で吐精しても物足りなさが付きまとう。焦れったさばかりが募ってくる。爪の柔軟な硬質感が、前立腺の裏をコリコリと刺激し、サーシェスは腰を半端に揺らしつつ、少々苛立った調子で好い加減にしろと相手を詰った。
「夕べは強引すぎたからね…。」
短く言った直後、コーナーは指の腹を押し付け、最も敏感な一点を強く擦る。
「おっ…そこっ…く…あっ…ぁ…。」
立てた両膝が痙攣するかに震える。不自然な姿勢で背を仰け反らせたから、背骨がギシと嫌な軋みを上げた。次いで腰の裏から怠さを伴う震えが広がる。ヤバイと思う間もなく、サーシェスは2度目を放った。
「あっ…はっ…ぅ…う…ん…。」
荒い呼吸と細切れの声。吐き出しているのに、居座る指が同じ箇所を更に衝く。達成感は薄く、逆に焦燥が大きくなった。萎えて良いのか、昂ぶったものか、屹立も中途半端な状態でもどかし気に揺れている。
 呼吸の整わない男はわずかの間頭を垂れ熱い息を切れ切れに吐いていた。が、やおら顔が上がる。双眸がコーナーを射た。眼差しだけで相手を竦ませるような二つの瞳。それが威圧感を伴ってコーナーを睨んでいる。
「テメェ……。」
低く抑えた声だ。
「恐ろしい顔になっているよ?」
気圧されず温柔な声音がそう返した。
「好い加減にしねぇと…。」
「…しないと、何だね?」
「犯すぞ…。」
二回射精した男が発した一言は、決して脅しではない攻撃的な匂いを孕む。コーナーは自嘲気味に口吻を引き上げ、悪かったと宣ってから、一気に埋めていた二本を抜き取った。呻きが洩れる。コーナーからそれへの謝罪はない。彼は涼しい顔でサーシェスの両膝を掴みM字に開き、すっかり硬くなった自身の雄を後口へグィと押し当てた。
 緩急をつけた律動が続く。最前のあれは何だったのかと首を傾げるくらい、性器を挿し入れてからのコーナーは淀みなく抽送を行った。タイミングを計り奥を貫く。快感に全身を戦慄かせる男を見遣り、ゆっくりと雄を引き寄せる。射れるより、手繰る方が感じると察したからだ。コーナーのイチモツは大きすぎるほどではない。ただ育ちきるとしなやかに反り返る。その曲線が生み出す不規則な摩擦と、張り出したカリが引き戻す際にひどく刺激するようだ。今もズリズリと周囲を擦って戻る動きに、サーシェスから幾つもの喘ぎや善がりが洩れ出した。
「あ…ぁ…それ…っ…イイ…ぜ。」
感じ入ったままが言葉になる。
「これ…は、どうかな?」
半ばで止め、腰を掴んで勢いよく切っ先を押し込む。
「うぁ…っ…くっ…それも…っ…。」
深くへ入れ込んだまま、肉茎を大きくグラインドさせる。
「あっ…ヤベェ…っ…。」
二度も吐き出しているからだろう。細かな刺激も具に拾い上げ、サーシェスは出そうだと吠える。
「出してしまえば…良いだろう?」
また竿を手繰りながらコーナーは愉しそうに言った。



 依頼主が熱を相手の中へ放つまでに、雇われた男は二度精液を吹き上げた。事が始まってから総てが終わるまでに、都合五回は吐精したことになる。コーナーが悦に入った吐息をこぼし、自身の性器を抜き取る時、流石の兵隊もだらしなく浴槽へ寄りかかったまま、動くのもままならない有様だった。
「存分にサービスをしたつもりなのだが?」
問いを投げると項垂れていた頭が幾分上がった。
「ああ……存分だったな。」
散々声を上げた結果、嗄れてしまった声音がそれだけを返した。
「それは何よりだよ。」
コーナーはシャワーのコックを捻り、満遍なく躯を流すと顔だけを返し、使うならこのまま止めないが?と訊いた。
「浴びる…そのままにしとけ。」
浴槽に貼り付いた背を引き剥がすようにサーシェスは立ち上がる。初めて目にする緩慢な動作で、壁際のシャワーまで躯を運んだ。
 頭から湯を浴びる背後から、感歎の声がかかった。
「驚いたよ。私ならあれだけの痴態を演じた後、立ち上がるのも難しいだろうに、君は汚れを落とせるだけの余力を残しているのか…。」
素晴らしいと手放しで誉める相手を余所に、サーシェスは飛び散った白濁を洗い落とした。シャワーの音が止まると同時に、クルリと背が返る。
「驚くのは勝手だがな、この後寝ちまったオレをくだらねぇ思いつきで起こすんじゃねぇぞ…。」
すると目線の先で佇む依頼主はくっきりとした輪郭の声音で、出来る限り善処すると宣った。
「精々、善処してくれよ…。」
これ以上のやり取りは望んでいない。サーシェスは気のない台詞で会話を終わらせた。その様が可笑しかったのか、或いは力で総てをねじ伏せる男の萎れた様が愉快だったのか、コーナーは鮮やかに破顔するや否や、バスルームの空気を震わせるほども、高く大らかに声を上げて嗤った。





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