*街の灯り*
夜のテラス/R-16くらいのエロ
気が付いた時、その煌々たる灯りの降る大広間にクラヴィスの姿はなかった。祭礼の後に持たれる晩餐が開始してから有に二時間は経過している。彼らは女王とその補佐官の供としてこの星に下りた。主星系惑星の多くは女王を宇宙の象徴として、同時に信仰の対象として崇めている。此処もその一つ、旧宇宙の頃より年に一度最も穏やかな時節に彼女自身を尊ぶ祭事を催す星なのである。先代までの女王は遠く高見に生わす存在で、どれほど崇め奉ろうとも謁見など叶うはずもなく、まして祭礼にお越しあそばされるなど夢よりも馬鹿げた法螺にしか聞こえなかった。
ところが当代の御代になり全てが一変した。古よりめんめんと繰り返されていた祭事に女王が自らお出ましになるのである。聖地のみならず、当の惑星に在る神官達も仰天した。但し、数多あるどの星にも下りられるわけではなく、聖地との交流を持ち、堅牢なる治安を保ち、穏やかなる民の住まう地に限られていた。此の地に参られるのは此で三度目になる。迎える側にも幾分かの余裕が出来た。其れを見計らうように、彼女は今回筆頭の守護聖二人を供に選んだ。
女王よりの勅命として其れを拝受したジュリアスは、既にその時点で諦めていた。彼女の思いつきは手に取るように判る。祭礼と晩餐の行われる宮殿を模した白亜の神殿に両翼と称される二つのコントラストが最も栄えると考えたに違いない。満場の広間がどよめくのが聞こえてきそうだ。子供じみた彼女の発案を一笑に伏す気など更々無く、選ばれた事実を有り難く受ける心づもりを瞬時に整えた。しかし彼の片翼は如何なる反応をみせるかが解せず、ややもすれば臆面もなく拒絶を顕わにする可能性も捨てられなかった。届いた書簡を手に続く闇の執務室を訪れたのは、クラヴィスのそうした有り様を懸念しての事であった。
ところが思いの外、闇の守護聖は拝命を口にする。別段喜びもせず、だからといって殊更に不機嫌でもなく、彼は『仕方が無かろう…。』と苦い笑みを浮かべていた。
集まる人の群れに酔いつつ、差し出される手を笑顔で取り、掛けられる言葉に穏やかな応えを返している間に次席守護聖は姿をくらましていた。それでも一時間余りをこの喧噪の中で過ごしていたのだから平素の彼にしては随分と堪え性があったと言うべきだろう。女王の手前もあったろうし、周囲を人垣が回ってしまい逃げ出すのもままならなかったと思われる。何処か、眩い煌めきから隔絶された場所を求めて人の波から外れていった筈である。さり気ない所作で会話の糸口を探る相手をかわし、ジュリアスは黒絹を纏う長身を捜すべくその場を離れたのであった。
クラヴィスが何処にしけ込んだのかなど明確には判らない。特別な判断基準などあの男には通用しないと長きを共にあった日々が教えた。それなのにジュリアスは確かな足取りで玄関ホールの吹き抜けを廻る廊下を歩いて行く。丁度広間とは反対側になる辺り、今なら恐らく誰も足を運ばぬ外れに巨大な硝子扉で仕切られたテラスが張り出しているのを知っていた。其処に居ると思えてならない。故に迷うこと無くその場所を目指した。
磨き込まれた硝子を隔てた直ぐ先の薄暗がりに溶け込むかの背が見えた。掛け金は外れている。ゆっくりと引けば扉は軋むでもなく滑らかな動きでジュリアスを迎える。外気が神殿に沿って並ぶ樹木の香を運び、その甘すぎる微風に漆黒の髪先が揺れていた。
クラヴィスは白大理石の手摺りに軽く凭れ、ジュリアスには背を向けたまま眼下に広がる街の灯りを眺めている。
「遅かったな…。」
振り向きもせず発した言葉が夜の中に滲んでいく。
「いつもながら逃げ足の早い奴だ。」
綻んだ口元からそんな台詞が零れた。諫めてはいない。ジュリアスも楽しんでいる風である。
「捜したか…?」
「いや、直ぐに判った。」
ほぅ…?と吐息にも似た声音を洩らしクラヴィスが躯を返す。
「今宵は勘が働いたか?」
「勘てはない。そなたの言動など把握している。」
馬鹿にするなとジュリアスが嗤った。
庭園に散らばる水銀灯の明かりを背後に受けるクラヴィスは、薄い墨の色に沈みシルエットだけが浮かんだかに見えている。影の様な其れがゆらりと動き腕が上がった。此方に来いと手招きをしている。ジュリアスは軽く一歩を踏み出し流れるかに腕を取った。ついと引かれ胸に納まるのを待っていたかに、惹かれ合う口唇が重なった。皮膚の一部でしかない其処を触れあわせるだけの行為。体温を移し合う、生ぬるい感触を確かめるたったそれだけが皮下に隠れる密事を呼び起こすのを承知して、探るかに柔らかく互いの唇を吸った。
深くはならず、さりとて離れるでもなく徐々に強くなる性欲を頭の片隅で感じつつ彼らは接吻の甘さを享受した。腹の下辺りの凝りが抑圧を嫌がるかに震え、発露を求めて形を作り始める。この場所で次の階に足を掛けるのは不遜にも値すると理性が声を上げるのを聞き、ジュリアスは小さく身じろぎ唇を取り返す。自らへの戒めも含め静やかに口を開いた。
「此処では……これまでだ。」
「何故…?」
誰かが廊下に出れば、遠目にも認められようと言う。それに、未だ広間での宴は続いている。不敬ではないかと続ける言葉はしかし建前だとジュリアスも判っていた。
「ならば…其方だ。」
ぐいと強く促される。硝子扉の途切れる場所、テラスの片隅は白壁に隠れ内部からは見えようもなかった。
「見えなければ良いと言っているのではない。」
そう続けなければ流されてしまうと自覚しているから、ジュリアスは言葉の端に力を込めた。だが、思わぬ台詞がそれを遮る。
「ジュリアス…。わたしは強かに酔っているのだ。」
酒に呑まれ、我を忘れ、適切な判断などとうの昔に忘れてしまったとクラヴィスはしたり顔で嘯いた。
「お前も、そうであろう…?」
一瞬答えに詰まった。クラヴィスが酒に呑まれるなどあり得ないと熟知している。稚拙な方便だと払いのけるのは簡単な事だ。理由にするには馬鹿馬鹿しい言い逃れだと鼻先で笑ってしまう戯れ言である。否と返せばそれで終わるのだ。
「ああ……、そうかもしれぬ。」
ところがジュリアスは全てを察した上でこの狂言に付き合う事を決したようだ。逃げ足の早い男は、逃げ込む場所を作る才にも長けているらしく、そして其れを差し出す頃合いも心得ていたと言うわけだ。半瞬の迷いのあと、ジュリアスはもたらされた逃げ場に足を踏み入れるつもりになったのだ。身を隠すかに壁へ背を預け、眼前に立つ男の肩を引き寄せた。再び触れた唇を、今度は貪るほども強く求める。もう先への躊躇いは何処にもなかった。
酷く不安定な姿勢で躯を支えている。僅かでも気を抜けば膝が崩れ地べたに容易く墜ちてしまいそうである。滑らかな白壁に寄りかかっているからではなく、手淫による解放が下肢の力を奪ったしまったからに他ならない。些か強引とも思える導きはあっという間に射精を赦した。吐出した粘液を指に絡め、今クラヴィスはジュリアスの内部を解きほぐしている。塗り込むかの執拗な繰り返しで内壁をさする指の刺激は、実に緩慢な速度でしか悦を呼び起こさない。火照りを増す表皮に時折唇を押し当て、ジュリアスが求めればきつい接吻を寄越して滾りを煽るくせに、内側を捏ねる指先はさほどの貪欲さも見せぬのである。
常よりも焦燥が膨れあがる。誰かが訪れるかもしれない懸念、何処からか見取られているのではとする不安、宴のざわめきが遠く風にのり耳に入り不敬の二文字が忘れた筈の理性を覚醒させる。
「…クラ……ヴィス。」
飲み下す喘ぎの合間に、早く次ぎをと囁かずにはおられない。現状に全くの感心を置かぬ風に振る舞うクラヴィスにしてもその内は穏やかでなく、煌びやかな楽曲が途切れがちに流れ来るのを拾えば欠片くらいは罪悪を感じた。
しかし、其れすらが情動を昂ぶらせる要因にも成ると知り得ている。そして気づいていないであろうジュリアスも、禁忌と背中合わせの扇情を無意識に感じていると察していた。何故なら常よりも荒い息づかいを縫って、懇願にも似た先への欲望を此程に表すなど最も彼らしくないからである。互いに感じあっているのだ。切迫した状況が、何よりも己らを焚きつけているのだと。
漸く辿り着いた指先が最奥にきつい刺激を与えた。途端、ジュリアスが竦み上がるかに硬直し同時に激しく躯を震わせた。それまで何とか堪えていた快楽の声音が甘すぎる吐息を纏い薄く開いた隙間から流れでる。
「あぁ……。」
凡そ自分のものとは信じがたい淫靡に濡れそぼった声の嫌らしさに怯えたのか、彼は向き合うクラヴィスの肩先に強く顔を押しつける。滑るほどの光沢を放つ黒絹に戦慄く唇を密着させ、一旦溢れ出せば止めどなく迫り上がり既に飲み込むも難しくなった己の声を僅かでも抑えようと儚い抵抗を試みた。
熱を孕む吐息がクラヴィスの肩に滲む。くぐもった喘ぎが細かな振動となり彼の肌に届いた。再び指が蠢く。悦を呼ぶ秘所を掻くほども擦った。快楽が波のように寄せる。だが、其れは何もかもを押し流す本流ではない。不完全な快感と呼ぶには浅い悦楽を与えるにすぎない。肩に触れいる唇が何かを発した。が、あまりに微かな音にしかならない其れは伝えたい願いを届けるには到らない。
「どうした……?」
言わんとするのは恐らく一つだと了解しながらも敢えて問う。
「もう……それ…は……。」
止せと言い切れぬ。クラヴィスが意地悪く新たな刺激を施したからだ。埋めた指が殊更に強く奥を衝いた。全身を激しく震わせ、ジュリアスは意味を為さぬ声を発て、啜り泣きにも似た喘ぎを零した。
縋り付く細い指が黒衣をきつく握る。今一度、ジュリアスが張り付いた喉を絞り懇願を紡いだ。
「……早く…。」
耳に忍んだ一言がクラヴィスを急かした。淫らに濡れた声音の毒に犯されたのかもしれない。
ぬるりと去っていく指を引き留める内部の動きは、決してジュリアスの意志ではない。既に彼は先を求めている。たった一つの望みを嘲笑うかの収縮がクラヴィスの長い指を痛いほどに締め上げる。振り解き逃れる折り、爪の端が別の刺激を一カ所に残した。
「うっ……。」
ジュリアスが声を詰める。知らぬ間に勃ちあがった局部を白濁した汁が汚している。ジクジクと間断なく滲む粘液さえ、次を強請っているかに思えた。指を抜くが早いか、クラヴィスは片手で腰を支え、一方でジュリアスの片足を高く引き上げる。不自然な体位、乱れた衣装、剥き出しの肌に触れる温い夜気、深くなる夜の中で密やかに交わす行為。
身の内に出来た虚を埋めるべく、熱塊が鳥羽口に押し当てられる。思うよりずっと熱を孕んだ切っ先が躊躇いもせず一気に衝き入れられた。張りつめたクラヴィスの局部は悲鳴しそうなほども熱く、容赦なく奥を目指す動きが内壁を抉るかに摩擦した。声を上げなかったのは奇跡とも言えたが、ジュリアスは大きすぎる快感に飲まれ一瞬意識を飛ばしていたのである。ズブズブと埋没する性器は、瞬く間に全て収まった。立位での挿入は常より深く達する。引きつった声音を幾度か漏らすジュリアスは、震えだした躯を押さえる事ができぬらしい。指先の色が変わるのも気づかず、ひたすらクラヴィスに縋るしか術がない。全てを察したのだろう、クラヴィスは暫しのあいだ動きを止めた。
長く細い吐息が形の良い唇から洩れる。それが合図だった。赦しを得たかにクラヴィスは大きく腰を引き、渾身で其れを打ち付けた。掠れた悲鳴が上がる。構わず次ぎを打つ。途切れる声がクラヴィスと呼んだ。答の代わりに、衝き入れたまま腰を掴み幾度も揺さぶる。淫靡な音が繋がった箇所から洩れ聞こえる。粘膜の擦れる感触にジュリアスが激しい喘ぎを零す。泣いているような淫らな声音は、微かに吹く夜の風と混じり黒色の帳の先に消えた。
より深く、更に奥へと支える躯を抱き寄せて突き上げる。間もなく絶頂を予感させる次のうねりが起こった。引いた潮が巨大な波頭を作り崩れながら打ち寄せる如く、生き物の様な蠢きがクラヴィスの性根を包み、続く締め付けが局部に途方もない刺激を与えた。
「くっ………。」
押し殺した呻きは、扇情の凶器となりジュリアスの内耳を犯す。背を駆け上がる痺れた快感が滲んだ意識に新たな情欲を吹き込んだ。下腹に集束する血流を感じる。内壁の痙攣と下肢の震えはもう止めるなど不可能であった。
喉の奥から迫り上がる猥雑な声を堪えもせず、ジュリアスは断続した嬌声を発する。終焉はもう彼らの手の内にあった。
霞む思考の隅でクラヴィスの寄越した一言を想う。
『お前も…そうであろう?』
黒衣の背を求めて広間を後にした時、己はあの言葉を欲しがっていたに違いない。差し出された行為への切欠に手を伸ばしたのは、最前から望んでいたからであった。まるで忌み嫌うかに振る舞う陰で、実は自分こそが繋がりたいと切望していたのかと疑えば、決して否とは答えられぬ。クラヴィスはきっとそうした愚行すら見抜いていた筈である。
与えれば拒まず、抗う術など持ち得ていないのだと。躊躇うふりも恐らく見透かされていたのであろう。こんな風にジュリアスが意味のない思考を続けるのは、少しでも歓喜への誘いから意識を取り戻そうとするからだ。未だ終わらせるには早すぎる。湧き起こる欲望を逃せば、あと僅かをやり過ごせると思ったのかもしれない。現実にしがみつき、高見への手前で踏みとどまる事に執着する。猛る情動が微かに収まるのを予感し、強張った全身から俄に力を抜いた途端、狂おしいばかりにクラヴィスが奥を衝いた。脳裡で何かが弾けた感触、見開いた双眸から全てが消え失せる。一瞬の浮遊間の直後、ジュリアスは『…あぁ……。』と小さく啼いて夥しい滾りを解き放った。同時にクラヴィスも、最後のうねりに飲まれ低い呻きと共に全てを吐出し果てたのである。
事が終わり、半時間が過ぎた。着崩れた衣装のままその場にしゃがみ込んだ彼らは、抱き合い情事の名残に身を置いている。倦怠と充足を感じつつ、幾度か軽い口づけを交わし、互いの髪を飽きずに弄んでいた。
「クラヴィス…。」
ともすればこのまま眠ってしまいそうだと訝ったか、ジュリアスが委ねていた躯を離し語りかける。
「そろそろ戻らねばならぬ。一度部屋で着替えをせねば…。」
「戻るのか?」
「戻らぬのか?」
「仮に戻るとしても…、着替えるのは拙くないか?」
「何故だ?」
「筆頭二人して姿をくらまし、わざわざ着替えて戻るのは不自然ではないか?」
「それは……。」
「上手い言い繕いが思いつかぬ。」
例え適切な言い訳を思いついたとして、ジュリアスが其れを女王に告げられるかも甚だ怪しいところである。何食わぬ顔で女王に虚言を向けるなど、彼には到底出来ぬ振る舞いだ。只でさえ宴の最中に快楽を貪っていたのだから。クラヴィスの指摘は実に的を射ていたらしくジュリアスは俯き口を閉ざしてしまった。
「ジュリアス……。」
困惑する耳に囁きが吹き込まれる。
「わたしは未だ酔いが醒めぬが……、お前はどうだ?」
酒に酔い、人の輪に酔い、宴に酔って、醒める間もなく夜の気に酔い、互いの温もりに酔い、こうして時を過ごしているとクラヴィスは呟いた。
「お前も…、醒めぬのであろう?」
片頬を上げ、悪戯な笑みを刻んでそう訊ねる。
「そう……かもしれぬ。」
ならば、未だ暫くはこうしていようと抱き寄せられた。
「クラヴィス…、此はいつ醒めるのであろうか?」
「さぁ…な。」
一度知ってしまった悦の甘味を忘れるなど出来ぬから、火照りを伴う欲深い酔いから醒めることはないのかもしれない。
了