*星くず*

『Holy Garden』after episode1 / 本編読後がお薦め

星屑とはよく言ったものだ。星になれない星の欠片、出来損ないの星たち。
それなのに空一面に鏤めればなによりも美しい。



ここに来て二日目の夜。クラヴィスは海に向かい張り出したテラスに座り込んで空を眺める。夜になると吹く風は海風となり昼間より甘く湿ってすこし重い。
テラスの一番端に腰を下ろし木組みの枠に背をもたせて、もう小一時間も頭上に広がる星空を飽くことなく眺めていた。
夜はそこそこには更けているがまだ深いと言うには間がある時刻である。月はまだ昇らぬ。
眼下にある筈の海も今は照らす光源を失い漆黒の闇夜に沈んでいる。ただ波音だけが絶え間なくクラヴィスの耳に届くばかりだった。
聖地で見る夜空にもあまたの星が煌めいていて、しかも手を伸ばせば届きそうに近い。きっとこの後昇り来る月もあの空に在るのとは比べものにならぬくらい遠いのだろうと細く白いそれを脳裏に描いてみた。見慣れた空より遙かに高く感じるからなのか、彼の視線の先で瞬く星々は小さく頼りなげに思えた。
手元に置いたグラスを取り、目の高さまで差し上げると一つ浮かべた氷がカランと涼やかな音を発てた。グラスを満たす透明な液体を透かして見ても、やはりそこには真っ暗な海とも空ともつかぬ空間が在るだけであった。時折吹いてくる風は大層緩やかで流した黒髪を少し揺らすにすぎない。クラヴィスは気持ちよさそうに切れ長の眸を細めながら、細かな細工の入ったグラスを口に運ぶ。冷えた水が喉元を過ぎる感触が心地よかった。
女王直々の命としてこの地に滞在せよと言い渡された時、彼は少なからず不満を覚えわざわざそんな所に出向かなくとも良いのではないかと、異議の一つも申し立てようかと考えた。ところが同じ勅命がジュリアスにも出ていると知った途端、煩わしくさえ思えたそれを二つ返事で受けたのである。
聖地直轄の地にあるこの建物が果たして何の目的で建てられたのかは知らぬが、ただ二人で過ごすには充分すぎる広さをもつ屋敷を彼はとても気に入った様子であった。昨日の昼前に到着し荷を解く間もなく屋敷の中を具に見て回るジュリアスの何処にあっても変わらぬ生真面目さを思い出し、クラヴィスは少し頬を緩めた。
「まったく、忙しないやつだ…。」
呟いた一言は誰に届くでもなく潮騒に紛れ消えていった。



墨色の空に散らばる星達は互いに競うかに瞬いている。チラチラと白や蒼や時に朱に色を変え、囁きあうように語り合うように。それはうるさいくらい煌めいて、どれほど眺めていても飽きる事などないかに思えた。
カタリ…と乾いた音がした。テラスに通じるガラス戸の一つが開きジュリアスが顔を覗かせた。
「こんな所に居たのか。」
独り言のように呟きながら彼は長い部屋着の裾を引いてクラヴィスの横に歩み寄って来た。
「どこにもそなたの姿が見えぬから外を探しに行こうかと思っていた。」
言いながらジュリアスはクラヴィスの傍らに立ち、闇に落ちた海の先に視線を投げた。
「いつから此処に居たのだ?」
クラヴィスは少し考えてから「湯を使った後からだ」と相変わらず宙を見つめたままで答えた。
それならもう一時間以上もこうして座っていた事になる。ジュリアスの顔色が見る間に変わる。慌てて伸ばされた手がクラヴィスの頬に触れる。
何だ、とばかりにクラヴィスがジュリアスの顔を振り仰ぐが、自身に向けられた空色の瞳に微かな不安の影がある事に気付き少し困った風なそれでいてすまなそうな表情を浮かべたのだった。
頬にあった掌が一度離れ、今度は額に当てられた。
「お前がそれほど心配性だとは知らなかった。」
覗き込むジュリアスの顔を見返し僅かに皮肉を込めて言ってみた。しかしそんな聞き慣れた皮肉にも耳を貸さずジュリアスは目の前の白い顔をじっと見つめている。少しでも異なる何かがありはしないかと、もしあるのなら決して見落とすまいと言うほどの真剣な面もちであった。たまらずにクラヴィスが苦笑を漏らす。
「別に変わったところはないのだが…。」
クラヴィスに向いた蒼穹の瞳にある強い意志はそんな一言では納得など出来ぬと言っており、もしこれが他の者であったなら身を竦ませてしまうくらいに見えた。とても相手を気遣っているとは思えない。どちらかと言えば射抜くほどの眼光であった。
「お前が気にかけてくれるのは嬉しいが、それならもう少し優しげに見つめて貰いたいものだ。」
それが自分をからかっているのだと分かり、もちろんクラヴィスに微塵も変わったところが見受けられぬと納得したのだ ろう。ジュリアスはほっとしたように力を抜き、クラヴィスの横に腰を下ろした。
彼の気持ちが分からないでもない。最もそばに居たいと思った時、そう出来なかったのだから。あの聖地を揺るがした事故のあと、その知らせがジュリアスの元に届いたのはすでに何日も経ってからであった。一枚の書面に記された報告を読みながらジュリアスは身体が震えるのを止められなかった。自身の不安が的中してしまった事実に彼は嗚咽にも聞こえる声を漏らし、未だ自由に動けぬおのれの手足を忌々しく思った。
白い紙の上に並ぶ文字が伝える闇の守護聖の様子は、あまりに簡潔に書かかれていたがジュリアスの心を大きく揺らすには充分であった。聖地に戻ったその日にクラヴィスが床に臥したのは知らされていた。ところがそれ以降彼に関する報告が全く届かなかった。ジュリアスは何度も訪れる使者に尋ねたのだが、何故か詳細は分からないままだった。やっともたらされた書類が伝えたその様子は思ったよりも遙かに重篤だと告げていた。
今すぐにでもクラヴィスのもとに行ってやりたいと喉もとまで出かかった言葉をジュリアスは飲み込む。それが無理な願いだと分かり切っていたし、もしどうしてもと自身の意志を通せば周囲に迷惑を掛けるに違いなかったからである。胸に渦巻く様々な想いを抱いたまま、彼の者が僅かでも辛くあらぬようにと祈るしかなかった。
それ故に、こうして供にあってもいつにも増してジュリアスはクラヴィスが気になって仕方がないのだ。自分からは何も言わないクラヴィスをおのれこそが気に掛けていなければならないと思っているのだろう。あの時そばに居てやれなかったから、伸ばした手を包んでやれなかったから。そして、彼の行為を止められなかったのだから。
遠い昔、ふと目覚めた曖昧な瞳が捉えたのが無人の空間であった時の言いしれようのない寂寥と、誰も居ないと思った室内に小さな姿を見つけた時の安堵と喜びをジュリアスが誰よりも知っているからだ。



ついと伸びた腕が肩に置かれ、そのまま抱き寄せられた。何の抵抗もなく身を寄せてきたジュリアスが意外だったのか、それまで宙にあった視線が間近にある横顔に注がれる。ジュリアスは何もない足下に目線を落としていた。
少し俯き加減のそれはかかる前髪に隠れて如何なる表情なのか伺いしる事は出来なかった。
「なぁ…ジュリアス。」
クラヴィスの押さえた声音がすぐ近にある。ジュリアスにのみ語る時の甘く低い声が耳に届く。
「お前が何故それほど気にするのかは…分からなくもないが、わたしとて子供ではないのだから…まぁ、心配もほどほどにしておいたらどうだ?」
ふっと小さな声が洩れた。どうしてクラヴィスはこうも己の気持ちを先々に察してしまうのかと、ジュリアスは不思議に思う。彼が言うようにそんなに顔に出てしまうのだろうか?そんな風に考えた途端、思わず密やかな笑いが零れたのだった。
「そなたは子供と少しも変わらぬから心配なのだ。」
何をやらかすか分かったものではない…。
独り言のようにそう呟きながら、いつも心の端にありこそすれ決して口にはしないそれを頭の中で形にしてみた。
もし自分たちが守護聖でなかったら、ただの一人の人であり幼い頃から共に育っただけの存在であったなら、もっと自由に互いを想い愛し合えたのかもしれない。両の手のひらに在るものが宇宙でも世界でもなければ、思いを寄せる相手を何者かに奪われる可能性は遙かに低いのではなかろうか。
ジュリアスが自身の立場を疎ましく思う故の気持ちではないのだが、何かの折りに心の端に上ってしまうしかし消し去れない仮定なのだった。
そんな事を考えていたからかもしれない。次にジュリアスが口にした一言にクラヴィスは驚き、思わずその顔を覗きこんでしまった。
「もし、我らが聖地を降りた時に、こうして供にあれたなら…。私は、何も望まない…。」
クラヴィスが驚嘆するのも無理はなかった。今まで一度としてジュリアスはその日について語った事などなかったのだ。
常に頭の隅にはあっただろう。しかし彼は何があろうとも言わなかった。かなわぬ願いを口にしても虚しいだけだと思っていたのか、或いは明日にも現実になるそれを恐れていたからか。
ところが今ジュリアスは儚くも強い希望を言葉にした。しかしクラヴィスはそれに答える何かを返せなかった。ただ白皙に切なげな笑みを浮かべ、細い肩を抱き寄せるしか術がなかった。だから彼はジュリアスを胸に引き寄せ、唇を重ねた。
いつか必ず答えを探し、確かな誓いを返せる日までそれを閉じこめてしまおうとでも言うかのようであった。
どちらからともなく、誘うでもなく、また奪うでもない。緩やかに絡み合う舌は快楽を思わせるというより、もっとずっと暖かな感触を伝えあう。舌先が震え、離れては相手のそれを探し。言葉にできぬもの、しかし分かって欲しい心の内を与えようとするかに熱く湿った口内を彷徨い求めるに違いない。
唇の温もりが何故これほども心地よく、それでいて涙を誘うほども愛しさを運ぶのか。唇をあわせるだけしか知らない今の彼らは幸福であると同時に気の遠くなるくらいの哀しさを胸に抱くのだ。
ジュリアスの指が小さく震える。クラヴィスの口の端から押さえた吐息が漏れた。



きっとそれは小さな欠片かもしれない。誓いと呼ぶには頼りない。明日を夢見るにはほど遠い何かに違いない。
それでも、そんな欠片を拾い集めていけば何時かは確かな標し(しるし)となるのではなかろうか?
この満天に散らばる微かな煌めき達であっても、こうして美しく宙を飾っているのだから。
数多ある星くずが集まれば、誰をも魅了する星の大河となるように。





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