*Holy Night*

03' Christmas/途中に楽曲からの引用部があります

宮殿から退出する折り、馬車の窓からチラと見えた庭園の木立に無数の光が瞬いているのに気づきジュリ
アスは今日がそうなのかと得心した。今月の頭頃女王から廻ってきた回状に二十日を過ぎたあたり、何と
か言う晩餐を行う由が書かれていた。当代の女王は誠にそうした時節の催しが好きであり、常春の聖地に
四季を持ち込んだのも彼女であった。参加は自由である故、各自の都合を優先すると断ってあった為、頃
合いに顔を出して早々に辞するつもりだったが、年の瀬ともなると聖地の内外を問わず様々な例祭が行わ
れ守護聖達も落ち着かぬ日々となる。ジュリアスは首座であるから実際に此処を離れるは稀なのだが、他
の者達の動向を把握し補佐をせねばならない事も多々あり、そんな気忙しさの中で詳しい日付を失念して
いたのだ。
道の両側に並ぶ丈の高い木々の合間から覗く星を思わせる光の粒を視界の端に捉えながら、一旦もどり顔
を出すべきかと考えるも直ぐさま其れを却下した。年少の者達は多分全員が出ているだろうし、年中はリ
ュミエールとオリヴィエあたりが座を賑わしているはずだ。オスカーは外地から未だ戻っておらず、オリ
ヴィエが居るなら年長からはルヴァが参加しているに違いない。自分が出席するのは女王への敬意に外な
らず、しかし其れのために年少の特にゼフェルなどはあからさまに嫌な顔をするのが目に見えている。顔
を出さぬ方が礼に値する場合もあると彼も理解していた。
東の門に向かい大きく宮殿を回り込むかに進む馬車の中、ジュリアスは微妙にホッとした顔をしながら腕
を組むと瞳を閉じる。緩い溜息が僅かの疲労を伴い口元から零れた。



屋敷に戻る。待っていた執事が恭しく帰宅時の労いを述べる。常と同じ穏やかな物言いでお帰りなさいま
せと言った後、彼は先ほどからクラヴィス様がお待ちでございますと続けた。
「クラヴィスが?」
怪訝さが必要以上に声を上げさせる。執事は少し気圧され自分の所為でもないのにやたらと恐縮してこう
言った。
「はぁ…。まだ明るい時分におみえになりまして、戻られるまでお待ちになると…。」
主人の顔色をうかがう様に、ご遠慮願えば宜しかったでしょうか?と訊ねた。
「いや……。」
秀麗な面に戸惑いとも不審ともつかぬ色が射す。この日は週の半ばで何か特別なことでも無ければ彼が来
訪するなどあり得ぬ事だ。勿論約束もしていない。
「クラヴィスは私の部屋に?」
「はい。」
いったい何の用事なのだと苦言を零す主人の後を、相変わらず畏まった執事が従う。私室の前でジュリア
スは彼に下がるよう命じ、食事は後でどうするかを伝えると言い渡した。



クラヴィスは入り口に背を向け薄く暮れた外を見ていた。扉の音に振り返るでもなく、遅かったなと言っ
た。そなたが早すぎるのだと言いかけたジュリアスが言葉を切る。後ろ姿で気づかなかったが、彼は執務
服を身につけたままである。宮殿から直接来たに違いない。
「何だ…?」
言いかけて黙った相手を訝しんだかクラヴィスは漸く背を返した。
「そなた、屋敷に戻らず来たのか?」
「そうだが…、この形は拙かったか?」
片眉を上げ問い返す。
「拙くはない。……が、何かあったのか?」
「ああ…、逃げてきた。」
いつもながらに刹那的な言しかいわぬ男である。それだけではサッパリ話が見えぬとジュリアスは苦笑し
た。
「昼過ぎからマルセルやらルヴァやらが何度も誘いに来た。行かぬと言うのに五月蠅くて敵わぬ。
 そのうちにリュミエールまでやって来て定時に迎えに来るなどと抜かすので、その前に逃げて
 来たのだ。」
成る程とジュリアスは合点する。女王の催す晩餐に誘われていたようだ。
「行けば良かったではないか?」
「ああした場所は好かぬ。それに……。」
「それに…、何だ?」
「今日は気分が優れぬ。」
「具合でも悪いのか?」
「いや……、眠い。」
大いに呆れて、それはいつもの事だろうと茶化せば憮然とした言い様で自分は今朝早くに戻ったのだと反
論された。
「そうか、そなたは今朝戻ったのであったな。」
他の守護聖ほどではないが、クラヴィスも外界の祭礼に招かれることはある。ここ三日ばかりは其れで聖
地を離れていた。
「それ故、いつもの倍は眠いのだ。」
自慢にもならぬ事を妙に偉そうに言うので、思わずジュリアスは吹き出した。常に凡庸とした男だが、そ
う言われると確かに今日は殊更にぼんやりとしている。
「自分の屋敷ではなく私の所に来たのは何故だ?」
「まさか、お前の処にわたしが居るとは誰も思うまい。」
何とか笑いを収め、ジュリアスは其れは卓見だと述べた。
「私は着替えるが、そなたはどうする?」
ほんの数秒考え、何か貸してくれと所望するので良しと言う。続けて食事は?と訊ねると、まだだと返さ
れた。湯は使うのか?と問えば、使うとばかりに頷く。けれどジュリアスはその次ぎを訊いてやらなかっ
た。泊まるかと水を向ければ是と言うに決まっているからだ。着替えるなら来いと促し、隣室へと向かえ
ば、クラヴィスは黙ったままのろのろと後に従った。



食事も風呂も済んだにも関わらずクラヴィスは帰る素振りを見せない。それどころか私室に下がるジュリ
アスと共に部屋に入ると彼が腰を下ろした長椅子の、事も在ろうに其の膝を枕にゴロリと横になった。た
だジュリアスも帰れとは言わぬ。確かに女王の晩餐に誘われたのが鬱陶しかったのだろうが、逃げてきた
と宣うのは体の良い言い訳だと考える。そうでなければ唐突と訪ねてくるのはおかしいし、逆にこんな風
に現れるときはきっと何か理由があるのだと知っている。けれど、この口の重い男は何某かの訳があった
としても特に言葉にはしない。ジュリアスを相手に適当な話をして、気が済めば帰って行くのである。
感情を面に出さぬし、物腰が飄々としているから誰もそんな事は思いも寄らないだろうがクラヴィスはこ
う見えて意外にも線の細いところがある。ある種神経質なのかもしれない。庭園の木陰で熟睡するなら良
い方で、回廊から張り出すテラスで気持ちよさそうにうたた寝する姿を見たのは一度や二度ではない。
まさかそんな人間の口から寝台が固くて眠れなかったの、部屋の入り口に護衛が付いたのが気になってぐ
っすり寝られなかったと愚痴が飛び出すとは誰も思うまい。それでいて万人が竦み上がる状況で変に肝が
据わっているのだ。だからきっと何かがあったのだと思うが、訊ねたところで言う筈もないのでジュリア
スは帰れとも言わぬがどうしたとも訊かぬのである。
クラヴィスはと言えば、横になったまま胸前に垂れるジュリアスの髪の一房に指を絡めて弄んでいる。室
内の淡い光を受けて常より押さえた輝きに見える其れを指先で弄ったり梳いたりしている。結局このまま
何も言わずに屋敷に戻るのだろうかとジュリアスが考えているとボソリと名を呼ばれた。
「なぁ……、ジュリアス。」
「ん?」
「今宵を外地の一部では『Holy Night』と呼ぶらしい。」
「ああ、聖夜と表す処もあるそうだ。」
それがどうしたと訊こうとすると、珍しく続きがあった。
「黒い猫の話を知っているか?」
「なんだ、それは?」
クラヴィスはジュリアスの髪に触れながらボソボソと語り出した。



その星では黒い毛色の猫は忌み嫌われており、悪魔の使いだと言われ飼い猫にその毛色の子が生まれれば
目も開かぬうちに始末する慣わしまであると言う。だから町中でも郊外に出ても黒い猫を目にするのは稀
な事なのである。
とある小さな街に黒猫が居た。猫は野良で、飼い主は持たない。普段は路地裏に潜みゴミを漁りひっそり
と暮らしているが、週末になると表の通りに姿を現す。人の出が多くなれば大通りの飲食店などから沢山
の残飯がでるのを知っているからだ。雑踏の中をゆく姿は実に堂々としており、長い鍵尻尾をユラユラと
振りながらまるで英雄の様に歩いている。人々は気味悪がって猫の行く末を遮らず、顰めっ面で道を開け
る。猫は其処をゆっくりと歩くのだ。勿論誰しもが道を譲るわけもなく、石を投げ棒を振り回す者もいる。
が、猫はそんな輩にも動じることなく俊敏な動作で避けながら、変わらぬ不敵さで街を彷徨うのである。
ある時、一人の若者が黒猫に手を差し出す。追われた記憶はあっても手を出された覚えはない。怪訝そう
に見上げる猫に若者は言った。
「やぁ、素敵なおチビさん。僕と君は良く似ている。」
そっと伸べた手で優しく猫を抱き上げた。ところが猫は狂ったかに暴れ、青年の手を強かに引っ掻いて腕
から逃れる。後からの呼び声を振り切る様に一目散に走った。人の手は猫に石を投げるものでしかなく、
人の口は罵り唾を吐きかけるものだと信じていた。まさかそれが優しげな言葉をかけ、生まれてから与え
られたことのない温もりを寄越すなどある筈がない。猫は孤独しか知らなかったし、其れが真実だと思っ
ていた。あの人間はきっと嘘で自分を翻弄しようとしているのだろうと考えた。路地裏に逃げ帰り、猫は
身体に残る青年の温もりを必死で舐めた。騙されるものかと幾度も舐め取った。
だが次ぎの週末もその次ぎも、どうして探すのか青年は猫の前に姿を現す。同じ様に声をかけ、何度傷を
負わせられようとも手を伸べてくる。根負けしたのは猫だった。結局その腕に抱かれ青年の家へと連れて
行かれた。
青年は絵描きだった。此処から遠く離れた山間の小さな町からやって来て、街の外れの壊れかけた家に一
人で住んでいる。毎日街に出ては路上で絵を描いて売っていた。柔らかな色遣いの優しい絵を描いている。
猫は抱かれる心地よさと、撫でられる暖かさを知る。二度目の冬を迎えた時青年は猫に名前をやった。
--Holy Night-- 黒き幸とそう呼んだ。
そして絵描きはこの黒い猫の絵を幾枚も幾枚も描き続ける。彼のスケッチブックは黒で埋まった。猫は温
もりを知り、甘える事を覚えた。絵描きは猫を友達と言った。
程なくして青年は床に臥せる。貧しく日々の糧に窮する生活は、何でもない風邪を重篤な病にした。日ご
と弱ってゆく青年に猫は為す術もない。彼が逝ったのは、床についてから何日も経たぬ日であった。
青年は猫に手紙を差し出しこう言った。
「夢を見て飛び出した故郷に住む恋人にこれを届けてくれ。」
そのまま動かなくなった絵描きを猫はじっと見つめていた。そして意を決したかにドアを飛び出し寒風の
吹きすさぶ街路を駆け抜けた。口には一通の手紙をくわえている。
街を過ぎ、平野を突っ切り、林を越え、丘を降りる。いつしか空からは雪片がチラチラと落ちる。それで
もスピードは緩まない。道の先に黒々とうごめく森が見えた。その手前、小さな村落の外れに子供が遊ぶ
姿がある。子供らは普段目にしない異端の生き物を目ざとく見つけ、口々に悪魔の使いだと言いながら石
を投げる。ずっと駆け続けた猫に俊敏な動作はない。石が当たる。背骨に、腹に、腰に。だが、足を止め
るなど無駄だとばかり、猫は苦痛を抱えたまま走り去る。冷風に乗り罵声が聞こえた。
猫は走る。深々と降る雪の道を止まることなく一点を目指す。しかし、足先に触れる雪が身を切り体温を
奪った。出口は無いと思えた深い森の曲がりくねった小道に漸く終わりが訪れる。抜けた先、なだらかな
丘を下りた其処が目指す町だった。猫は駆ける。転がる様に坂を下り、幾度も躓き起きあがり又駆けた。
漸く町の中に入る。通りを歩く人々に蹴られたボロボロの猫は何度目かの辻を曲がった。此処だと直感が
告げる。ヨタヨタと戸口に寄り、閉ざされた扉を前足で掻くが応えはなかった。そのまま身を横たえる猫
は酷く満足だった。約束を果たせた事が、Holy Night-聖なる夜-と呼んでくれた人の願いを届けたことが、
その名前に恥じることない自分がとても誇らしかった。
翌朝、玄関を開けた彼女は一匹の黒猫の死骸を見る。銜えた手紙を読み、その後彼女は猫を庭に埋めてや
った。小さな墓標を立て、アルファベット一つを加えて『聖なる騎士』とそこに刻んだ。
--Holy Knight--



語り終えるとクラヴィスは暫し黙す。部屋に下りた静謐が何故かジュリアスの気持ちをざわつかせる。そ
の居心地の悪い穏やかな空気を破ろうと彼が何かを発する前にクラヴィスが口を開いた。
「祭礼の晩餐で隣席になった者から聞いた。」
「それで?」
ジュリアスはクラヴィスの真意が汲めぬから、殊更にそっけなく訊ねた。
「わたしは…、この話が嫌いだ。」
不意を付かれた思いがした。わざわざ語っておいて嫌いだと言う心持ちが理解できぬ。ジュリアスは顔を
下に向け、理不尽な言を吐いた相手を見た。クラヴィスは天井の辺りに視線を投げて又続けた。
「その男が要らぬ手を出さなければ猫は死ななかった。下手な思いこみやら身勝手な想いやらは、相手に
 無用の苦汁を与えるだけだ……。」
一旦言葉を切り、手を出さねば良かったのだと独り言のように呟くクラヴィスは偶に見せるやるせない表
情を浮かべていた。ジュリアスは何を言わんとしているかぼんやりと解った。今と同じ顔をしてクラヴィ
スが洩らした言を思い出したのだ。随分と以前だった気がする。床の中でだったかもしれぬ。一時の高ぶ
りで己の想いを告げたのを悔いているとした意味の言葉であった。告げなければ心も躯も重ねなかったろ
うし、そうであれば別離への不要な畏怖も抱かなかったろう。言わねば良かった…と自戒を吐いた。恐ら
く常日頃から胸にでも凝っていたのではなかろう。何かの折りに突如わき起こるに違いない。外界で耳に
した他愛もない御伽噺に知らず重ねてしまい、仕舞い込んだ凝りが疼いたのである。
「私はそうは思わぬ。」
天井にあった視線がついとジュリアスに移る。
「私は猫ではないから確かな事は言えぬが、もしお前ならどうか?と訊かれたなら知らぬよりは知った方
 が良かったと思うだろう。」
「………。」
「知らぬ幸福と知った幸福があるなら、後者を選ぶ。」
ふんと鼻先で答えたのが是なのか否なのかは知れなかった。けれど…。
「お前は欲が深いからそう思うのだろうな。」
言った口元は僅かに緩んでいた。
「欲が深いのではない。私は気持ちが前向きなのだ。」
ジュリアスは毅然と言い放った。実に彼らしい言い回しである。
「時にクラヴィス。」
「何だ?」
「もう、そなたは屋敷に戻るのも億劫になってはいないか?」
言われて壁に在る時計に目を遣れば夜はかなり更けている。
「いや…、もう戻ろう。」
「泊まっていっても構わぬが?」
「いや、屋敷に戻る。」
頑なに帰ると言い張る。ジュリアスは訝しげに顔をのぞき込んだ。
「明日も執務があるからお前はさせてはくれまい。」
頑として帰宅を通すのは結局それであるかと、ジュリアスは呆れた風に溜息をついた。徐に身を起こして
立ち上がろうとする背にジュリアスが言った。
「一度なら許す。」
背に落ちる黒髪がサラリと流れた。振り返るクラヴィスが疑い深く眉根を寄せる。
「どうした風の吹き回しだ?」
「今宵は聖夜だそうだから…、特別だ。」
言い終わらぬうちに唇を塞がれる。重ねたクラヴィスのそれが確かめるかに幾度も触れてきた。彼の口づ
けはいつもそうだ。触れて、啄み、角度を変えて幾度も繰り返す。知らぬ間に互いの体温が移り、気付ば
呼吸が徐々に忙しくなる。ジュリアスの唇が薄く開くのを待って忍ばせるかに舌を入れる。ゆっくりと歯
列を辿り、一度引いて唇の外郭を舐め、熱を孕んだ吐息と共にジュリアスの舌を絡め取るのだ。緩く吸い
上げ、離してから今度は貪る様に根本から吸う。下腹や腰の奥に熱い滾りの先触れが疼き始めるまで、そ
れはいつまでも続いた。



腕を引かれ立ち上がり肩を寄せながら寝室へと向かう。続きの間に通ずる扉をクラヴィスに続きくぐろう
とした時、ジュリアスは何かの気配に顔を巡らし窓の外に視線をやった。漆黒に落ちた聖地の夜にハラハ
ラと白い欠片が舞った気がした。






※ 黒猫の話はThe Bump of Chiken『K』の引用です



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