*Daydream Believer*

03'メモリアル/似非SF風味パラレル

モニタのスイッチを落とす。歪んだ画像が消える直前にスピーカーからくぐもった声が「See You…」と
言いかけたまま小さくなっていった。
朝の予定は全部終わり。僕は椅子から勢いよく立ち上がってシェードを上げると、窓を大きく外側に開い
た。風がスゴイ勢いで部屋の中に吹き込んで来る。朝の風は特別なんだ。
今は食糧用穀類刈り入れのちょっと前だから、壁を四角く切り取ったみたいな窓の外にはずっと先の丘の
上まで続く黄金色と鮮やかな緑の海が見渡せる。右から風が吹けば金色の波は左に、反対から吹けばもち
ろんその反対に波は大きくうねった。
鼻の奥にむせるくらいの新しい命の匂いがする。緑と風と生命の匂い。
だから僕はいつもの数倍大きく息を吸い込むんだ。体の中にある筈の原始の記憶が呼び起こされる気がす
るくらい肺の深いトコロまでいっぱいに空気を取り込んだ。
空は馬鹿みたいに青くて突き抜けるほど高く見えた。しばらく僕はそうしていたけど、やっぱり我慢でき
なくなって部屋を飛び出した。
階段を駆け下りてキチンの前を通るとき母さんが呼ぶ声がした。
「朝のカリキュラムは終わったの?
 ご飯は?
 何処に行くの?」
耳に飛び込んでくるそれを振り切りながら僕はいい加減な答えを返す。
「スグ帰るから!」
言い終わる頃、僕の片手は外に繋がるドアのセキュリティを外している。全然速度を落とさずに機械音を
引きずって開いたドアを駆け抜けた。
光が一斉に僕めがけて降ってくるからメチャクチャ眩しくて一瞬だけ目を瞑った。
家の前から穀類ファームの真ん中を通る細い道を一直線に走る。それは途中から上り坂になって今はずい
ぶん先に見える丘の上まで繋がっている。両側に並ぶ穀類の葉先が風に揺れて何とも言えない優しい音を
奏でている。道は少しも曲がる事なく僕を丘の頂まで連れていってくれるんだ。
上り坂になっても僕の足は少しも緩まないで地面を蹴り飛ばす。逆に身体が軽くなった気がする。でも、
それは気のせいじゃない。だって、背中にある翼になる骨がモゾモゾ動いて今にも皮膚を突き破ってしま
いそうだから。



僕と僕の両親とこの惑星に住んでる大勢の人達はみんな『有翼種』だ。自分が生まれるずっと前までは種
族による職業と住空間の規制があったから、ココには同一種しか住んではいなかった。けれど、これも僕
が生まれる少し前になって各種族間の代表が集まって色んな決めごとをする『星間評議会』が出来て、そ
こで誰でも好きな職業に就けるし、どんな場所にでも住める新しい決まりが作られた。
父さんが小さかった頃、有翼種は穀類の生産と貯蔵に従事することしか許されていなかった。だけど僕は
僕の成りたい人に成れる。時々夕飯の席で父さんは笑いながら『お前は良い時代に生まれた』って言う。
成りたい人になれるのは夢みたいにスゴイ事だとも言う。
そう言った後、父さんは必ず気が付かないくらいに寂しそうに笑うんだ。もしかしたら父さんも今とは違
う人になりたかったんじゃないかと思う。でも、いくら色んなシステムが開発されても時間を自由にはで
きない。だから僕は父さんに『ホントはどんな人になりたかったの?』って聞くのを止めてしまう。
父さんの時間が戻せないのが分かってるのに、成れなかったそれを聞いては駄目な気がするから。
僕は今のところ『外交従事者』か『人型種研究者』のどちらかに成りたいと思ってる。どっちも同じくら
に興味があるし、外交従事者になるなら宇宙に住んでる人型種族の色んな人達と交流しなくてはいけない
わけで、多種族に関する研究をしたほうが正しいだろうと考えてるし。逆に研究者になるなら今まで行っ
たこともない惑星に一時移動する必要があるから、やっぱり多種族との折衝は避けられない筈だ。
どっちになるにしても二つのワークをこなさないと駄目なんだ。両方でALLを終了した時点で考えても遅
くないんじゃないかと、指導担当も言うから僕は未だどっちかに決めないでいる。
そう、大人の証が僕の背中で大きく広がるまでに決めれば良い事なんだ。



ファームの中から大きな音が聞こえる。目は真っ直ぐに向けたまま、視線だけでチラっと見ると人工人型
亜種がマシンを使って作業しているのが分かった。彼らはちょっと見は僕等と同じだけど、あくまで僕達
そっくりに作られた亜種だから疲れたり夢を見たりしないんだ。プログラムされた作業が終わるまで同じ
動きを続ける事が出来る。ウチにも一個体居て今頃は父さんと一緒に品質検査をしてる。
昔、有翼種の子供は親と同じ職業に従事しなくちゃいけなかった頃は亜種なんか必要ではなかった。
親のやる通りを一緒に行い、学んで大きくなるのが決まりだったからだ。
十歳になった日、父さんが僕に何の職業に就きたいか?って聞いた。僕は思ったとおりを話した。
父さんは大きく頷いて、頑張れよ!って言ってくれて、その翌日亜種を一個体買って来た。
ウチに居る亜種は僕の代わりに父さんを手伝う。僕は亜種がとても大切だと思うし、凄く好きなんだ。
これは誰にも言ってはいけない秘密だけど、亜種に特別なチップを乗せると夢を見るらしい。以前、労働
支援じゃないタイプが売られていた時、それには搭載されていた事がある。居なくなってしまった家族の
記憶の一部を移植可能なチップもあったんだって聞いた。詳しくは知らないけど、そのチップに欠陥があ
って事故が起こってから発売が中止された。今はもう何処にも売ってない。誰もその話しをしなくなった。
きっとそれはとても悲しい結果を生んで、だから誰も思い出したくないんじゃないだろうか。
僕たちは友達と会って遊ぶ機会はほとんどなくて、普段は衛星間パケット通信で話したり遊んだりする。
それがつまらないなんて感じた事はないけど、もし一緒に考えたり、悩んだり、笑ったり、夢を見たりで
きる亜種がウチに居たら…って考えたことは何度かあった。
有翼種は一つのcouple(つがい)に一人しか子供が持てない。何かでその一人を失くした場合だけ、次の
子供を身ごもる仕組みになっている。だから僕に兄弟は居ない。
それが亜種であっても良いのになぁ…。
父さんにも母さんにも言えないけど偶にそんな事を考えてしまう。
僕は益々速度を上げて丘のてっぺんを目指す。亜種が操るマシンの騒音はもうずっと後から聞こえる小さ
な音になっていた。



丘の上からゴーと空間を震わせるもの凄い風が吹き降りてきた。それを僕は真正面から受ける。
するとまだ形にもなっていない翼が肩の少し下あたりで大きくなりたいとグッと張り出そうとする。くす
ぐったい様な、何だか痛いような不思議な感覚になる。背中の筋肉に目一杯力を入れると、もしかしたら
翼が生えて羽ばたけるんじゃないかと期待で胸がドキドキする。そんな事はあり得ないと分かってるけど、
僕は走りながら翼の骨を片手でそっと撫でた。
坂が始まったところからはちっぽけな黒い出っ張りにしか見えなかった丘の上に在る樹木が、気が付けば
ハッキリとした形になっていた。僕はこれ以上出来ないくらい地面を蹴り上げ、腕のストライドを最大に
広げてどんどん大きくなる樹木に向かって走り続ける。僕だけが知っている、僕だけしか知らない、樹木
の記憶に辿り着こうと飛び出しそうな心臓を我慢して最後のダッシュを掛けた。



たった一度きりの事だった。でも、絶対に忘れられない。
僕が11になる年の、今日と同じ刈り入れの少し前。やっぱり空が怖いくらいに蒼い朝だった。
午前のカリキュラムをさっさと終わらせた僕は、ファームに居る父さんの手伝いをしようと家を出た。
穀類に関連する職業に従事するつもりはなかったけど、今頃の季節にファームで父さんと一緒に働くのは
とても好きだから。朝ご飯もそこそこに丘へ続く道を登って行った。
けど、思った先に父さんは居なくて、スグに帰るには惜しいほどの天気だったのでちょっと寄り道のつも
りで僕は丘へ行ったんだ。
この惑星は天然惑星じゃない。発展を極めたシステムが作り出した人工惑星だ。
大昔は宇宙に円筒形やら円錐形、ドーナツ型の建造物を打ち上げ、その内部に居住空間を作りだしてたみ
たいだけど、今は惑星そのものを幾つも作り出せる。そして惑星上に生存する植物とか鉱物とか人が生き
る為に必要とされる物は、元になる原型から培養して作り出した合成生命体だったり、人造物質だったり
する。
あの丘に立つ大きな樹木も当然どこかにオリジナルが存在するはずの合成体だ。でも、僕が知ってる限り
あんなに立派で瑞々しい樹木はあれ一本しかない。誰が、どういう思いで植えたのかも分からない。
突端が見えないほど高くて、噎せ返る緑の匂いを辺りに振りまくその根本は僕のお気に入りのスポットな
んだ。
いつもとちっとも変わらない、坂を一歩上るたびに天に向かってどんどん伸びていくみたいに見える大好
な樹木に近づいた時、僕はそこに誰かが立ってるのを見付ける。こんな時間に人がいるのはおかしいと咄
嗟に思った。だって今は労働従事に割り当てられた時間帯だから大人がこんなトコに居る筈はない。そし
て、この近辺に住む子供は僕一人だ。
誰なんだろう?それだけを考えながら僕はズンズン近づいて行った。幹に凭れる様に立っていたのは見た
こともない人だった。
有翼種でもない、有鱗種でもない、有毛種でもない。実際に見たことはなかったけど、両性種でもない。
身長がとても高くて、それは父さんより十センチ以上も大きいと思えた。着ている服も不思議な形だ。
けれど何より驚いたのは背中の真ん中くらいまである長い髪が真っ黒だったことだ。
僕等有翼種の髪はブロンドって決まってる。異種配合とか遺伝子操作しなければ赤や茶色や灰色にはなら
ない。有鱗種は肌と同じ濃い緑か銀色。有毛種は焦げ茶色か濃い黄色以外は知らない。両性種は元から頭
髪がないから問題外。髪の色が黒いなんて信じられなかった。
でも、髪色で驚いていたのはほんの数分の事だった。近づいて行く僕に気付いてそれまで遠くの空を眺め
ていたその人が急に振り返る。嘘みたいに白い肌に思わず足を止めた僕に向かってその人は何かを言った
んだ。
『ジュリアス…?』
最初、何のことだか分からなかった。知らない響きだったし、聞いたことがない言語だった。
僕が何も答えなかったからもう一度同じ事をその人は言った。その時僕は気付いたんだ。そしてあんまり
驚いて身体が動かなくなった。
その人は僕の頭の中に声を飛ばしていた。本当は違うのかもしれなかったけど、耳から聞こえた声じゃな
い。頭の中に少し低くて、だけど暖かそうな声が音になって響いたんだ。
『ジュリアス…。』
そう言いながらその人はうっすらと笑った。優しそうなのに寂しそうだと感じてしまった。理由は全然わ
からない。とにかくそう思えてしまったんだ。
もしかしたら僕のことを誰かと間違えているのかもしれない。あれは人の名前なんじゃないだろうか?
固まった手足からちょっとずつ余計な力が抜けるに従って、僕は冷静さを取り戻してそんな仮説を立てた。
誰かを捜しているなら、自分は違うと言うわなくちゃいけない!
ありったけの空元気を総動員してその人に言ってあげた。
「僕は…ジュリアスじゃない。」
でも、僕の言葉は伝わらないらしく、その人は相変わらず懐かしいような表情まで浮かべて僕を見つめて
いる。一度声を出したら弾みがついた。
「あなたは誰?」
「どうしてココに居るの?」
「ジュリアスって?」
息を吐き出すみたいに一気に幾つもの疑問を投げかけてみた。それでも彼は何も言わなかった。
お互いの事は何一つ分からないのに、唐突とその人は僕の前から姿を消してしまう。これは比喩でも何で
もなく、本当に目の前から消え失せてしまったんだ。
僕の発した質問が届いたのかは不明だけど、その人は一度首を横に振って残念そうに溜め息を吐いた。
残念って言うより泣きそうなくらい悲しそうな顔だった。僕が探していた人物じゃないって分かったのか
もしれないし、ちっとも言葉が通じないのが悲しかったのかもしれない。とにかく僕まで泣きたい気持ち
になるほどその人はガッカリしていた。
次にその人は空を仰ぎ見て、再び僕をジッと見つめて、その後だった。モニタが消えていく時とも違う、
空間映像の終わりとも違った。急に姿が薄くなったと思ったらその人は居なくなってしまったんだ。
チラっと僕の頭を掠めたのはGHOSTかもしれないと言う考えだった。だけどそうじゃないって知識が僕
に言う。GHOSTは光通信のパケットデータがアステロイドベルトとか急に接近した流星とかと接触して、
その一部が拡散したあと地表の在るはずのない場所に映像となって現れる現象だ。あくまでもデータの欠
片なんだから、いくらそれが人の形をしていてもコンタクトを取ってきたりしない。
GHOSTじゃないって分かった途端、僕は怖くなって家に向かって坂を駆け下りていた。絶対振り返るもん
かって両手をギュッと握って。
あれは何だったんだろう?一体どこから現れたんだろう?それより誰なんだろう?
同じ疑問が頭の中をグルグル暴れ回った。
どんなに考えてみてもあの人は見たこともなかったし、あの人が僕に寄越した「ジュリアス」って名前に
も心当たりなんかない。
何かの科学的現象だったら学習指導サイトに行けば分かるかも知れない。落ち着いたらアクセスしてみよ
うと決めたのに、結局その日は寝るまで頭がボーっとして何も出来なかった。
そしてその夜、僕は夢を見た。



夢の中に僕は居ない。空気に紛れたみたいに誰からも姿の見えない存在になっていた。
夢は自分の体験した記憶とか知識とか想像とかが睡眠中に映像となって描き出される事を言う。だから、
僕の知らない場所や見たこともない物は絶対に現れない筈だ。ところがその夢に出てきた場所は僕の全く
しらない所だ。データやライブラリーの閲覧でももちろん見たことはなかった。
そこは森だ。この惑星に森はないけど知識として知ってる。でも体験したことはない。資料サイトの映像
で閲覧したのよりずっと深くて、少し先に泉のある森だった。
人が二人いる。一人は昼間丘の上に居たあの人だ。もう一人は初めて見る人物だった。
それなのに…。
僕は金色の髪をした大人の男の人が誰なのか分かってしまった。彼がジュリアスなんだ。間違いないと確
信した瞬間、僕の中に不可思議な現象が起こる。
僕は僕なんだけど、僕の内側にジュリアスの気持ちが流れ込んでくる。夢の彼らは何一つ言葉を交わして
いない。清々しい空気に包まれたその場所でジッと見つめ合っているだけだった。
でも、ジュリアスがあの丘の上の人の事をどれくらい想っているのかが手に取るように分かる。胸の辺り
がギュッとなるくらいに、あの人の事が好きなんだ。ジュリアスはずっと一緒にいたいって思ってる。
だけど、あの人がいってしまうのを知ってる。もう絶対に逢えないんだって理解してる。止められないと
分かりすぎてた。
僕の心に入り込んだジュリアスが行かないでくれって叫びたがっていた。けど、彼は何も言わない。言っ
ちゃいけないんだ。それはあの人が困るからなんだろう。僕が父さんや母さんに言えない気持ちがあるの
と同じだ。あの人が大切だから言わない。いつの間にか僕とジュリアスの心は重なった様になっていた。
ならば、あの人はジュリアスがどんな気持ちなのかを知ってるのかって不安になった。もし、少しも気付
いていなかったら悲しい。それは、悲しすぎるよ…。
だから、僕はあの人をこれでもか!ってくらい見つめた。力を入れて見たら何かが分かるかもしれないと
本気で考えたからだ。睨む様にあの人を見ながら僕は祈った。どうかジュリアスの気持ちに気付いていて
下さいって。
あの丘の上に現れた不思議な人は、急にジュリアスに向かって近寄った。光沢のある繊維で作られた服に
付いた飾りがガラスみたいな接触音を発てて揺れる。靴が地面に生える草を踏むサクって音が大きく聞こ
えた。すぐ傍まで歩いて、あの人はジュリアスをギュッと抱きしめた。
ジュリアスの気持ちを全部知ってるんだと僕は確信して、安心して、そしたら涙が溢れてきた。
抱きしめながらあの人は僕の知らない言葉でジュリアスに何かを言う。意味の分からない言語で一言か二
言何かを伝えた。その声は確かに僕の頭の中に響いたのと同じだった。
きっとそれは凄く嬉しい言葉だったんだ。僕と重なったジュリアスの心が仄かに温かくなったから、幸せ
だって感じる約束だったのかもしれない。
僕は夢の中で馬鹿みたいにワンワン泣いていた。あんまり大きな声で泣いたから、自分の声に驚いて目が
醒めてしまった。起きたら現実の僕も涙をいっぱい流して泣いていた。
夢はそこで終わりになった。



生きている物にはどんな物にも記憶がある。この夢を見た後、僕は色々な学習サイトを巡って思いつく資
料を読み漁った。何故、あの丘に現れた人が僕をジュリアスと呼んだのか。夢の中でどうして僕はジュリ
アスと心をシンクロさせたのか。他にも疑問は沢山あったけどこの2点がどうしても知りたかった。
カリキュラムをこなす時の数十倍の熱心さで僕はネットの中を彷徨って、一つの仮説に行きつくんだ。
大昔、時間は曲がりくねった長い川だって考えられていた。ある一点に向かって流れていく川と同じだっ
て。緩やかな蛇行の場所もあるし、小さなRを繰り返す箇所もある。時々、何かの拍子に小さなカーブが
接触してしまい、その時に時間を飛び越してしまう事故が起こるって説まであった。それがタイムワープ
なんだって。
現在はその概念が間違っていたと小さな子供でも知っている。実は川じゃなくて螺旋状の立体になった果
てしなく長大な廊下だとされている。しかもそれは中心の辺りで捻れていて、始まりと終わりは繋がって
いるんだ。時間は終わりのない無限ループと同じだ。
コレを元にして僕が立てた仮説はこうだ。
丘で出会ったあの人と僕を結ぶ触媒は「樹木」だ。夢に出てきた森の中にあの樹木のオリジナルがある。
きっと彼らはあの森で何度も逢い、数え切れない思い出を作った。それを見守っていた樹木も彼らの記憶
を共有していた。どんな理由かは知らないけど、あの人はジュリアスにさよならを言わなくちゃいけない
日が来て、その時の気持ちや想いや交わされたかもしれない約束も樹木は記憶として細胞の中に残したに
違いない。
あの人とジュリアスが生きている世界が過ぎ去った過去なのか、それとも遠い未来なのかは確定できない。
時間は無限に繰り返すシステムの上に成り立っているから、どちらもあり得ることだと思う。
樹木の記憶があの日僕とあの人を出会わせた。僕の中にあった「伝えられないもどかしさ」がジュリアス
の心とシンクロさせた。多分、そんな事なんじゃないかと考える。
もちろん辻褄の合わない部分は残っているし、突っ込みドコロも満載の仮説だ。だけど、僕はそれ以上こ
の事を調べるのを止めた。
夢の中で別れてしまった二人は今も何処かで相手を想っていると思いたいし、何か決定的な事実を見付け
てしまったらそれを否定しなくちゃいけなくなるかもしれない。もう、詮索する必要はないんだ。
きっとあの人はああやってジュリアスを探してる。同じようにジュリアスも探してる筈だ。そしていつか
二人は新しい次元で出会うんだ。だって二人はお互いのことがもの凄く好きだったんだもん。



丘に上がると思った通りに強い風が吹いていた。樹木の枝が煽られて泣いてるみたいな音を発てる。
やっぱりあの人は居なかった。あれ以来二度と現れなかったからそれは仕方ないことだ。
僕は幹に寄りかかって遠くの空を眺める。雲が風にちぎれて細かく飛ばされていく。あの日と同じだなと
ぼんやり考えた。
僕とあの人は樹木の記憶を媒介にしなければ何の接点もない。だからもう絶対に逢えないと分かってる。
それでも僕は心の何処かでまた逢えると信じてる。逢える気がしてならないんだ。
優しそうな低い声で今度は僕の名前を呼んで欲しい。それから凄くクダラナイ話をしたい。
十分くらい僕は空を見上げていた。それから来たときと同じように走って坂を下りる。加速がつくから、
登りの半分くらいで家が見えて来る。きっと母さんは遅かったって怒るだろうなと頭の隅でその顔を想像
する。
玄関のドアから滑り込む僕に母さんはキチンから声を掛ける。予想に反してちっとも怒っていなかった。
「手を洗って朝食にしなさい。」
「うん!」
僕は元気よく答えながら浴室に向かう。後からまた母さんの声がした。
「指の間もちゃんと洗うのよ、J(ジェイ)」
そんな事は分かってる、もう小さな子供じゃない。だからそれには返事を返さないで浴室のドアを開けた。



今年の夏、僕の背中には翼の先っぽが顔を出す筈だ。髪の色が蜂蜜の金色だから真っ白な翼が生える。
八月になれば誕生日が来て、僕は十四になる。





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