*For Seasons*
03'VT
生まれて初めて目にした聖地は眩しくて怖かった。
木の葉も、草の先も、土の表面も、空気までキラキラと光って見えた。
目が痛いくらい煌めいていたから、目蓋をギュっと閉じた。
でも目蓋の裏も白く光って、いくら力を入れてもやっぱりそこは眩しかった。
守護聖が何だかも分からず幾つ寝たら迎えが来るのかと、そればかり考えていた。
最初に会った守護聖はとても大人の優しそうなヒトで、大きな掌で頭を撫でられた。
難しい言葉でゆっくり話ながらニコニコ笑っていた。
そのヒトに連れられて大きな部屋に行くと子供が一人待っていた。
その子は部屋の中に居るのに外みたいに光って見えて、どうしてだろうと思って少しだけ見つめていると
、大きな声で『ジュリアス』と言った。
それが名前だとはすぐには分からなかった。
早口でやっぱり難しい言葉を幾つも言ってきた。その中に知っている単語が少しだけあった。
『名前』『何処』『守護聖』……『嫌い』
大声で『嫌い』と言った時、柔らかそうな頬が真っ赤だった。
ビックリしたけど、怖くなかった。でも…。
その子が凄く泣きそうに見えたから悲しくなって泣いてしまった。
何であの子はあんなにキラキラしてるのに泣きそうだったのか分からなかった。
お日様の髪の毛がフワフワしていて、良い匂いがしそうだとちょっと思った。
だけど…今にも泣きだしそうに見えた。
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ある日クラヴィスの顔が自身と同じ位置にあった。毎日顔を合わせていたからだろうが、他者に指摘され
るまで気づかなかったのは甚だ不本意だとジュリアスは思った。これは由々しき事実である。クラヴィス
は小さくて目が離せなくてか弱き存在でなければならない。己の僅か後からヒョコヒョコとついて来るべ
き者なのだ。しかも途中で転んだり、疲れたと言ってしゃがみ込んだり、やれ鳥が居たの兎が跳ねたのと
余所に気を取られていて着いて来れなくなり泣きべそをかくから常に後を注意してやらなければならない
相手である。手を差し伸べてやるとほんのりと笑うと決まっているのだ。
それより『毎日顔を合わせている』と述べたが、それが間違いであるのもジュリアスの不本意さに拍車を
掛けた。実はこの一月くらい言葉を交わすどころか顔を見ていなかった。
ジュリアスは齢十五ではあるが歴とした守護聖の首座である。これは年齢に関係なく彼が光の守護聖であ
るから当然の肩書きである。例え五歳だろうが八十五歳だろうがこのサクリアを宿した時にそれは決定さ
れる事実なのであった。しかも彼は首座を見事なまでに全うしている。
だから彼は自身を含む九人の守護聖の動向を全て把握していた。つまり、この一月何故クラヴィスと顔を
会わすことが無かったのかも熟知していたのである。
それまで任期はともかくどう贔屓目に見ても『子供』でしかなかった彼らには他の守護聖が後見としてサ
ポートに就いていた。聖地での細々とした例祭に措いても、外地で行われる式典や祭事へも必ずこの後見
者が同行していた。だが、彼らも一応の成人と見なされる十五を迎えたのだ。今年からは何事もたった一
人で行わねばならなかった。
宇宙に数多ある惑星には九人の守護聖の司るサクリアの力を崇める星が幾つもある。独り立ちした守護聖
はそれら外地に赴き祭事を執り行うのが決まりとされている。ジュリアスもまたクラヴィスも自身の執務
室の椅子を暖める暇もなく外地へと降りる日々が続いていた。
守護聖にサクリアが目覚めるのは個人差により、何歳になったらなどの確固たる指針はない。ある者は二
十歳も間近になってであるし、別の者は未だ子供でしかない時分に覚醒する。既に物事を見極める年齢で
守護聖に召されたなら、こんな儀礼は一度で充分なのだが未成年での就任なら聖地に上がった当初に一度
、そして独り立ちした時に再び例祭に参加せねばならなかった。つまり厳密に言えばクラヴィスもジュリ
アスも今回の任は2度目の経験なのである。けれど初めての時などうろ覚えにしか記憶に留めていない。
僅か五歳かそこらの子供であったのだから、当然と言えば当然であろう。
それまでもジュリアスは充分に守護聖たらんと振る舞う術を身につけていた。誰かが共に在ろうとたった
一人であろうとさしたる不安を周囲に与えたりはしなかった。問題はクラヴィスである。
幾度目かの祭事から聖地に戻ったジュリアスに困り果てた顔を張り付けて愚痴をこぼしたのはずっと彼の
後見を担っていた水の守護聖であった。もう二度と外地へは行かないと駄々をこね、屋敷の自室に鍵をか
け籠城を決め込んだクラヴィスをつい今し方--しかも差し迫った期日ギリギリに--なんとか説き伏せて見
送ったところだと言う。まだこの後も祭事は控えており、次の時はどうして説得するかを思うと甚だ難儀
だと彼は渋面から嘆息を幾つも落とした。そうした後、いつも彼が見せる澄んだ清流を思わせる笑みを浮
かべながら、機会があればお前からも何かを言ってやって欲しいと頼まれた。
望むところだとジュリアスは思った。
それは首座である自身の責以上に彼に任された役割なのだ。最近は僅かに扱い難くなってはいるが、クラ
ヴィスを宥め賺して職に赴かせるのは得意中の得意である。なにしろ彼がまだ「首座」を「しゅじゃ」と
しか言えなかった頃からその役を全うしてきている。任せて欲しいと頬を紅潮させて答えたのは言うまで
もない。しかしそんな彼に『頼もしいな…』と言いながら見せた水の守護聖の笑顔がどこか曖昧さを含ん
でいた事には気づかなかった。
クラヴィスが嫌がる理由など聞いてやるまでもない。祭事は通例惑星に在る神殿などで執り行われる。
神官と選ばれた代表者の見守る中で決められた手順を行えば良い。掛かる時間にしても長くて数時間、最
短なら数十分の場合すらある。問題はその後だ。祭事には必ず祝宴が付いて回る。これがとんだ曲者で、
土地により夜を徹しての盛大な宴だったりする。
クラヴィスは尽くこうした宴会が嫌いだ。末席に在って適当に座を辞しても構わない位置での参加でも渋
々の体を隠さぬのに、それが主賓であれば終宴まで満場の視線を受けるのは必至である。一度や二度なら
我慢も出来ようが、間をおかず開かれるそれらへの出席に我慢の限界などあっと言う間に訪れたのだ。
それでも守護聖である限り辞退など以ての外である。
去年までは後見役が肩代わりをしてくれたが、今年はそれもない。嫌だと屋敷に引きこもるのは当たり前
の反応なのだ。代わってやりたいとジュリアスが思っても、それは不可能である。
仕方のない事なのだ。何とか説得して出席させねばならない。
怒り出すかもしれない…とジュリアスは思う。そうでなければ黙り込むか。まさか小さな頃の様に泣き出
すことはないだろうが、やはり簡単ではないのは理解していた。
『仕方がないではないか、クラヴィス』
何度同じ事を言っただろうかとジュリアスは思い返す。少し前までは『泣くな!』と言った後『私が一緒
なのだから…』と続けた筈が、最近はそれも言えなくなっていた。
---仕方がないのだ。それが大人になったと言うことなのだから…。---
訳知り顔に同じセリフを繰り返す自分が何だかやり切れないと、ジュリアスはまるで疲れた老人の様な溜
息を一つ落とした。
クラヴィスと顔を合わせる機会は思った通り彼がまた屋敷から出てこないと聞かされた日の夕刻に訪れた。
次の祭事は明後日の朝からだと水の守護聖はほとほと困り果てた風に肩を落として話した。ジュリアスは
執務が終わったらと約束をする。言いながらそういえばクラヴィスの屋敷に行くのは久しぶりだと考えた。
毎週末、彼の屋敷と自分の私邸を行き来したのはそんな何十年も以前の事ではない。たかだか半年前の話
である。その後も暇があればそれは続いていた。別にどちらかが拒んだ訳でも行き渋った訳でもない。
その暇がジュリアスにもクラヴィスにも無くなったからだと思われた。特にジュリアスは自身でこなせる
力量が増えるに連れ、手がける職務を増やしていったのだからそれは当然の事だった。終わらなければ私
事を削るから自ずと余暇が減少していった。
ジュリアスは早く大人になりたかった。周囲に認められたかった。責務をこなしただけで小さいのに偉い
と言われるのに辟易していた。任せてもらえれば仕上げられる職務を子供だからと他者が片づけてしまう
のは屈辱だった。当たり前に守護聖でありたかった。だから少しクラヴィスと遊ぶ時間が減るのは仕様が
ないと自分に言い聞かせた。きっとクラヴィスも同じに違いないと思った。
それはいつだって同じ空の下で過ごして、同じ空気の甘さを分け合った自分達だから意を違えるなどと考
えもしなかったからだ。
部屋を訪ねるとクラヴィスは窓際に置いた一人掛けの大きな椅子に座っていた。ぼんやりと窓の外を眺め
ている。すこし会わないうちに髪も驚くほど長くなっていた。裏庭から吹き込む風にそれはサラサラと捲
き上がり、いつもより彼の纏う香が強く漂う錯覚を覚えた。見つめていたのは数秒に過ぎず、ジュリアス
は良く通る声でクラヴィスと呼んだ。
弾かれたかに振り返った顔には驚きと怖れが同居したいた。でも、ジュリアスには単に自分が入室した事
に気づかなかったクラヴィスが吃驚したのだとしか感じなかった。当たり前である。彼を呼んだのは誰で
もないジュリアスなのだから。
「祭事への出席が嫌なのか?」
あまりにもつまらない質問だとしながらも話の鳥羽口が欲しくてジュリアスはそんな分かり切った問いを
口にした。部屋を横切り彼の元に近寄るジュリアスを凝視しながらクラヴィスは僅かに身構えた。
しかし、それもジュリアスには分からなかった。何故なら彼が身構える必要性など微塵もありはしなかっ
たから。
次に何を言おうかと頭の中で幾つかの言葉を選んでいたジュリアスに唐突と答えが返った。
「祭事には…出席する。」
「え…?」
「嫌だけど…仕方がないから。」
今度はジュリアスが驚嘆を張り付けた。勿論、予想を覆す答えだったのもあるがこの一月の間にクラヴィ
スの声がすっかり変わってしまっていたからである。それまでも思春期特有の少し掠れたそれにはなって
いたし、ジュリアス自身も変声の兆候はあった。だが、いま室内に流れたのは僅かに名残こそあるが、大
人の声だ。
「話はそれだけか?」
本題はそれだけだった。でも他にも話したい事はあった。一人で望む儀礼や祝宴の事、知らぬ間に伸びた
背丈の事、たった今聞いた大人の声への変化。しかしクラヴィスはそれらを許していない気がした。
それより早くこの部屋から退室して欲しい素振りをする。話したい事は確かに沢山あった筈なのに、ジュ
リアスはもう何も言うことが出来ず部屋を出ていった。
その日の最後の日の煌めきがジュリアスの髪に弾けて薄闇の迫る室内に眩い幻影を残した。
初めて聖地に来たあの日に見た眩しくて目蓋を堅く閉じた、嘘の様な明るさと同じ輝きだとクラヴィスは
自身の瞳と同じ色に染まる空の下で一人思った。
本当はクラヴィスにも伝えたい言葉はあった。他の誰にも言えない事。ジュリアスにしか言うつもりがな
い事。だけど、言ってはイケナイと分かっている事。
半月ほど前の深夜、彼は今まで知らなかった思いも寄らぬ感覚で覚醒する。シーツの上に座り込んで暫し
呆然とするくらいの事件だった。纏った薄い夜着の前と、身体が触れていたシーツの一部が濡れていたの
だ。夢精である。溢れた精液からは饐えた厭らしい臭いがした。
知識としては当然知っていた。年かさの守護聖の一人から幾度となくからかわれたこともある。
『何だ!まだなのか?』
呆れた様に言った後、それなら自慰もまだだな!と笑われた。
『まだだとイケナイの?』
『いけなくはナイが、まぁ経験したらいつでもオレんトコに来いよ。
良いモンやるから。』
『良いモン』が分からずに何かと尋ねたら女の裸が沢山載っている書物だと言われた。
経験する糸口は『女の裸』なのだと理解した。モヤモヤとした夢の後にそれは起こるのだとも聞かされ、
誰しもがそうして体験するのだと信じた。
ところが夢から引き戻される浮遊間の中で確かに見ていたのは女の裸ではなくジュリアスの裸体であった。
水辺に佇む彼からは幾筋もの水滴が流れ落ち、しっとりと濡れた黄金色が白い胸に張り付いていた。昇っ
たばかりの太陽を受けて、幻の様な神々しさで自分を見ていた。伸べられた細い腕を掴み抱きしめ、組み
敷いたと思った途端目が覚めたのだ。
すぐに件の守護聖に経験の話をした。当然その対象がジュリアスだとは言えなかった。
彼はひどく満足そうに数冊の『良いモン』を渡してくれた。けれど彼が言うようにそれらが自慰のきっか
けにはならなかった。股間に押し寄せる熱の塊を生むのはやはり脳裏に描くジュリアスだった。
ページに押し込められた裸体の女は恐ろしいほども紅に染めた唇を引き上げて笑っていた。次を、更に次
をと先を眺めても思うように滾りはやってこない。生きていない、人形の様な女達の作り笑顔やわざとら
しい官能の表情を繰り返し見つめながらクラヴィスは自身の股間をゆるりと撫でた。
少しも熱くなっていない。欲しがってもいない。
夢の中で見たジュリアスのしなやかな躯がふと脳裏を掠める。伸びやかな足は陽に晒されたこともなく、
痛いほどの白さであった。肩の線が思ったより柔らかい。大人の男と少年の狭間にある儚さと力強さが同
居した刹那の美しさにごくりと喉が鳴った。
首筋やうなじや喉元や、普段決して具に見ていたわけではない細部がどれも鮮明に浮き上がる。
胸の鼓動が俄に早まった。そして、それに呼応しながら下腹部に痛みにも似た感覚が集まる。
触れたらイケナイのだと自分を戒めるのだが、その意思をせせら笑うかに下腹部の熱さが更に下に向かい
移動してゆく。それでも駄目なのだとなけなしの理性を奮起させる。
触ったら、例え指先でも触れてしまったら止まらなくなる。本能の一つが激しい警鐘を鳴らした。
けれど今ひとつの狂おしく先を望むものもクラヴィスの本能であった。
夜着の裾を乱暴にたくし上げる。下着の弛みから掌が滑り込む。指の先で触れただけで熱をもったかに熱
くなったペニスが細かな鼓動を刻んでいた。
もう止めるも引くも不可能である。迷うことなく片手に収め一度強く握る。
「うっ…。」
背骨に沿って別の波が駆け上がった。電流のような痺れる感覚。新たな快感が覚醒する。
握ったペニスを気ぜわしく擦る。表皮がこすれる感触に肩先が細かく泡立つ。
目蓋を堅く閉じれば、そこには更に鮮やかなジュリアスが微笑んでいる。キラキラと瞳を輝かせ、こちら
を見つめながらその幻が『クラヴィス』と呼んだ。
呼吸が早まる。ペニスを掴む手の動きがその呼吸の速さに連れて激しく上下を繰り返す。先端からは徐々
に粘液が溢れてくる。信じられぬ堅さと質感が彼をより先へと促す。
---痛い---
欲望が唸りを上げて一カ所に集まるのは、凡そ心地よいとは言えずただ熱を孕んだ痛みに近かった。
やみくもに茎を擦り上げ、悪戯に滾りを助長しながらしかし行きつく先が見えない焦りにクラヴィスは苦
鳴にも似た喘ぎを落とす。
「あ……あぁ………」
---達きたい---
「・・・んっ・・はぁ・・」
---助けて…---
留まることなく溢れ出る精液にまみれ、ぬらぬらと滑る茎を握る指が不規則に震える。今にも達してしま
いそうで、ところが少しも快楽の果てがやってこない。思考は既に白濁した濃い霧の彼方にあり、彼を招
く筈の指針はその中に埋没してしまった様だった。
上体がぐらりと傾ぐ。止める術はない。広い寝台の中央にクラヴィスは仰向けに倒れる。
全身にある筈の神経は麻痺した様に何も伝えず、ただ股間に収束する苦痛を伴う悦楽の波だけが彼の感じ
る全てであった。
「あぁ……んぁぁ……」
あとどれほどの刺激を与えたなら満たされるのかと、顕わになった亀頭を指の腹で強くさすった。だが、
それも単なる物理的な誘発にしかならない。
「……ジュリアス……」
口を突いてでたのは一つの名のみ。ところがそれこそが最後の鍵だったのだ。
ぼんやりとけぶる脳裏に一筋の暁光の如くあの姿が浮き上がる。伸べられた腕こそが導きだったと知る。
『クラヴィス』
張りのあるその声が確かに内耳に響いた。まるですぐ傍らにあるかの如く。
「うっ…あ………あぁ……」
招き寄せられるまま何よりも強く芯を握り渾身にきつく留めを与えた。白く濁る飛沫が股間の柔らかな肌
を、掛かる夜着の裾をそして枯渇した体内の虚をしとどに濡らした。
薄く目蓋を開けば覆う天蓋の内に在る天上人の画が滲んでいた。知らず零した涙は訪れた最上の快楽への
歓喜と彼の者を貶めた罰への自戒だったに違いない。
決して誰にも言えない一人だけの禁忌である。してはならないと思う程に滾りは訪れ、それは明け方の夢
ほどにも鮮明に眼裏に焼き付いた。
きっと、いつかジュリアスを本当に組み敷いてしまう日がやって来る。その『いつか』は決して遠い日の
ことでは無いに違いない。明日かもしれない。
---もう、ジュリアスとは一緒に居られない---
それが大人になることだと、クラヴィスは暮れてゆく部屋で知った。
祭事へ赴く日。次元回廊に続く長い廊下でジュリアスはクラヴィスを待っていた。
何故、自分に早く帰れと促したのかが知りたかった。そして、その後一度すれ違った宮殿の回廊で眼を逸
らした理由を聞き出そうと決意したのだ。
廊下の遙か先からもクラヴィスがこちらに来るのが分かる。胸の鼓動が跳ね上がる。最初に掛ける言葉を
呪文の如く口の中で繰り返した。まずは笑顔だと口元を無理矢理に引き上げる。
今この場には己ら二人しか居ない。今回は短い出向だから随伴が付かぬのも既に調べてあった。
クラヴィスの靴音が徐々に大きくなる。ジュリアスに気づかぬ筈はあり得ない。
形の良い唇がその名を呼ぶ準備を作る。腹に力を入れクラヴィスと声を上げようとした刹那、彼は歩調を
俄に早め小走りにジュリアスの横を行き過ぎようとした。礼服に付けた白銀の飾りがシャラシャラと鳴る。
「クラヴィス!!!」
甲高い声が響き渡る。それでも彼は止まらない。後から追いすがり腕を強く掴んだ。
更に強い力で振り払われる。嘘かと思った。そうでなければ何かの間違いかと。
「話すことはない。
もう、一人で何でも出来る。
だから…構わないでくれ。」
返された言葉は少し掠れて、気のせいでなければ語尾が幾分震えていた。
やはりジュリアスには続ける事は出来なかった。
これが大人になることなのだと理解したのは、このもっとずっと後であった。
+++++++++++++++++++++++++++++++++
あの日も聖地はキラキラと眩しくて、顔を上げているのが辛かった。
だからずっと下ばかり見て歩いた。
木の葉も、草の先も、空気も、何もかもが輝いていた。
ジュリアスは大きな声で「お前なんか嫌いだ」と叫んでいた。
どんな顔だったかは分からない。その時も自分の靴の先しか見ていなかったから。
でもきっと初めて会った時と同じ今にも泣き出しそうな顔だった筈だ。
だって…。
彼の声が聞こえたら胸が痛くて泣いてしまったから。
聖地には季節はない。いつも眩い煌めきの中に在る。
それでも二人の上には幾つもの四季が通り過ぎていくのだ。
夢ほども甘い春や、肌を焼く夏や、誰かに寄り添いたい秋や。
一人我が身を抱く冬の日が。
了