*浴衣*
現代パラレル/昭和16年夏 クラヴィス・ジュリアス共に二十歳
クラヴィスの居宅を訪れるのは、考えてみれば随分と久しぶりの事だった。以前、彼がジュリアスと同じ屋根の下に住まっていた頃は、何かにつけてその部屋を訪ねたのだったが、分かっていた事だがこの離れに居を移してからは足が遠のき、一遍か二遍顔を出した程度である。母屋から出たと言っても、同じ敷地の中にあるわけで距離にしても時間にしてもさほど変わりなどない筈であったが、廊下を隔てた向かいの扉を叩くのと屋敷をぐるりと廻り使用人の使う勝手口より裏庭へ出て、更に其処を突っ切らねば行けないのとでは気持ちが違うのであった。ジュリアスの私室を出て数歩行けばクラヴィスの部屋があるなら、誰にも見とがめられずに相手の待つ室内に入り込むのも容易いが、勝手口まで行き着く間には、メイドにも会うだろうし執事からはどちらへ等と訊ねられるのは明確だ。
疚しく思う己こそが卑しいと幾ら自分に言い聞かせても、元来生真面目な質であるジュリアスは平然とクラヴィスの処へ行くとは言えず、又適当な言を並べて言い繕うのも非常に苦手ときている。使用人達が己らの重ねる行為やら、互いに抱く想いを知る筈がない事も重々承知している。それでも、仮に裏庭に出てその先にあるのは離れであると分かり切った場所で誰かしらに出会ったら自分は酷く狼狽えるのではないか?と頭が先に考えてしまい、結局足を向けるのを止したのは一度や二度ではない。
相手が同性で、しかも幼少から共に育った間柄であるのも、彼に二の足を踏ませる要因の一つに違いない。真っ当ではないが、決して間違ってはいないと繰り返し自らの胸に刻んでみたところで、親にも言えぬ関係なのだから、クラヴィスの元に通う回数は自ずと少なくならざるえなかった。
周囲を木立が囲む形で、その内にひっそりと建つ家屋が何のために建てられたのかをジュリアスは知らない。彼が生まれた頃には既に其処に在ったと思われる。幼い頃、乳母と裏庭で遊んでいる時、木々の間から覗く木造のシルエットを覚えている。が、一体誰が住んでいたのかは全く記憶にない。それより少しばかり大きくなって、その時はたしかクラヴィスがこの家にやってきていたから、彼と2人で遊んでいた時分には庭師夫婦の住まいに当てられていたと記憶する。
クラヴィスが母屋から其方に移りたいと言い出したとき、ジュリアスの父は二つ返事で其れを了承した。理由すら尋ねなかった。そして、翌日にはもう離れに移っていた。彼の気持ちは手に取るように理解できた。だから、ジュリアスは『何故、居を移すのか?』などとクダラナイ質問をむけなかった。一度求め合ってしまった性交が、数を重ねる毎に深い交わりになっていき、その頻度も毎夜とは言わないが相手が部屋に在ると知ってしまえば止めようもなく、気づけば寝台の又時には長椅子の上でさえ貪欲な行為を繰り返した。
いつかは誰かに知れるのではないかと、どちらも腹の底には怖れを抱いている。だが、逆にそうした畏怖に逆らいつつ互いの性器を擦りあう事がより一層の悦を生むのだと気づいていた。そうなったら止める術などなかったと言うことである。ジュリアスにしても、当然クラヴィスもこのままでは拙いと考えていた。物理的な距離が、しかも同敷地内で居室を離す事が、どれ程の効果を生むかは知れなかった。けれど膨れあがる性欲のすぐ裏側で同様に大きくなる禁忌の念に苛まれ、形ばかりではあるが何もせぬよりは遙かに好ましい行動として、彼が母屋を出たのだった。
今のところ、此は随分と効果があったようだ。実際、ジュリアスが其処を訪れるのは一月ぶりの事だからである。
玄関の引き戸を開けると、カラカラと小気味良い音が鳴る。磨りガラスの嵌る其れは、例え雨が降っていても軋んだりせず軽く滑る事から、元々の立て付けが良いのだろうと察せられた。玄関の土間には靴が一つ、ポツンと忘れられたかに脱ぎ置かれている。少し草臥れて見える黒革の靴は、それでもきちんと磨かれており、いくら彼が身の回りには気を配らない人間だとしても、父の共として外に出る事が増えたのだから、其れなりには気を遣っているのだと思えた。
上背のある彼が背を屈めて、框に腰掛け靴を磨く姿を想像するだに笑える。思い浮かべた時、ジュリアスは本当に声を発てて笑っていた。
「まったく、何をしているかと思えば…。気でもふれたか?」
のっそりと現れた男は、呆れた風に柳眉を引き上げそういった。玄関で音がしたのに、待てど暮らせど入ってくる気配がないので痺れを切らし出てきてみれば、相手は薄暗い土間に突っ立ったまま声を殺して笑っている。
「薄気味の悪い事だ…。」
脳裡に浮かべていた本人が現れ、意味が分からぬと顔を顰めるものだから、ジュリアスは益々可笑しくなり、とうとう肩を震わせ始めた。
「悪かった。クダラナイ事を考えていたのだ。」
言いながらもその声音は未だ震えており、堪えようと腹に力を入れるがさっぱり効き目はないらしい。
其処に置いた靴を磨く姿を想像したら何故か笑えたと述べる彼は、うんざりした顔で眺める相手を置き去りにして、そのまま暫く笑いを収められずにいた。いい加減に入ってこいと、再び奥に消えていったクラヴィスの後を追うように靴を脱ぎ、漸く座敷に顔を出したジュリアスは、一応笑ってはいなかったが何かの拍子で吹き出してしまいそうな、なんとも曖昧な面相で茶の間に一つだけ置かれた卓袱台に向いて座り込んだ。廊下に面した硝子戸が開いている。奥にもう一間ある、クラヴィスが寝床を延べている部屋とを仕切る唐紙も開け放たれ、裏に向く濡れ縁のある窓も全て開けられていた。
随分と暑い夜で、しかも空気は淀み動く気配もない。まとわりつく暑気と湿気が、屋内に吹き溜まっているような、夏の初めの宵であった。
「明日からは休みか?」
掛けられた声に其方を見遣ると、クラヴィスが湯飲みを片手に直ぐ傍らに腰を下ろそうとしている。ゆっくりと座す相手が、非常に珍しい事に浴衣を着ていることに今頃になって気づいた。
「ああ、暫くはのんびり出来る。」
「お前は行かないのか?」
隣に座るクラヴィスから、ツンとアルコールの匂いがする。卓袱台に置いた湯飲みの中に、透明な液体が揺れていた。
「今回は行かぬ。久しぶりに2人で出かけたのだから、息子としては遠慮すべきだと思わないか?」
「…確かに。」
事業の絡みではあっても、折角両親が揃って出たのだから、わざわざその後を追うなど無粋の極みだとジュリアスは重ねて言った。
「先ずは上海だったな?」
「そうだ、午一番の船に乗られるから、間に合うよう横浜にお送りした…。」
同じ歳でありながら、ジュリアスは未だ学業を修める学生である。そして、今彼の前で酒を喉に落とす相手は、もうずっと前から仕事をしていた。現在は彼の父を車で送迎するのが主たる勤めで、それ以外に時間が空けば屋敷の雑事をこなしている。何年も前に、尋常小学校を卒業したのち旧制中学に進みたいかと父はクラヴィスに訊ねた。彼の答は否であった。ならばせめて高等小学校に行けば良いと進言する父の言葉にも彼は頷きを返さず、仕事をさせて欲しいと願った。それ以来彼は屋敷の中で様々な役目を仰せつかり、ここ一年ばかりは所謂主人の運転手と鞄持ちのような役割に就いている。
いつか、ジュリアスが父の後を継いだ時、彼が同じように自分の傍らに居てくれるつもりなのかは分からない。其れに関して、殊更に訊ねたことはなかった。
「横浜はどうだった?」
「大陸に渡る者が溢れていた…。旅券も持たぬくせに潜り込もうとする輩も大勢あった。」
極東の小国が露西亜を討ち取り天狗となってから久しい。政治の中枢に軍部が介入し始めてから、つけあがった者どもが今度は大陸を占拠せんと動いている。大国との軋轢は年を追う毎に激しくなっており、再びの大戦を懸念する者は口にこそ出さぬが増えているのが現状である。
ジュリアスの家は本来その家名だけで充分すぎる暮らしを約束されている。それが父の代になった時、何を思ったか事業を興す。彼の父は幼少から親しんだ欧州との取引を生業としたのである。ずぶの素人が簡単に成功を収める筈もないと、親族は随分陰口を叩いたが、元よりそうした才に恵まれていたとみえ、高々二〜三十年の間に数多の財を成したのであった。国内から次は大陸だと昨今は口癖のように語っていた。
その視察を兼ねた旅行に婦人を伴い出かけたのが、この日の昼であった。
「飲むか…?」
昼間見た港での喧噪から、この国の行く末を取り留めもなく語っていたが、一息を吐いたところでクラヴィスがそう訊いてきた。
「いや、今はよい。」
そうか…と頷き、自分の湯飲みにだけ酒を注ぐ。ジュリアスは見るともなしにその様を眺めていた。
初めて出会った頃、彼らはほんの子供で父に連れてこられたクラヴィスは伏し目がちに小さな声で話す、酷く大人しい少年だった。どうした経緯で彼が屋敷に来たのかは知れず、ジュリアスは単に同じ家に住む同い年の遊び友達が現れたのを手放しで喜んだ。色の白い、漆黒の髪を持つ小さな子供が、いつの間にか自身の上背を超したのは確かに驚嘆ではあった。しかし、その直後に更なる驚愕をもたらせるのが、この幼少からずっと共に育った青年だとは微塵も考えはしなかった。
彼が秘めた想いを口に出した事は、ジュリアスにとって単なる告白では済まなかったのだ。つまり、同性である相手から恋慕を明かされたその時、ずっと自らの内に燻り続けていた判然としない心持ちが実はクラヴィスが自分に寄越したのと全く同質の感情であったと気づかされたからだ。薄々は疑っていた。が、告げられた瞬間体内に沸々と湧き出したのは嫌悪どころか歓喜だったのだから否定のしようもない。
『お前が好きだ…。』に対して『私もだ…。』と応えた時から、彼と己は同じ禁忌に括られたのだと知らされたわけだ。当時は動揺からか、大変迷ったし一度は彼を拒絶せんとしたが、直ぐに無駄な足掻きだと理解した。今は、彼に告げられた事を何よりもの喜びだと感じている。
そんな相手が和装を纏っているのは本当に珍しい。和装と言っても浴衣であるからきっちりと着付けをされたわけではなく、クラヴィスが自分で適当に着たのは目に見えていた。帯もいい加減に結んであるし、第一いつから着ているのか知れないが、既に大幅に着崩れていて胸から鳩尾の直ぐ上あたりまでが大きく開いている。暑いと言いながら酒を飲んでいるからだろう、引き締まった胸もうっすらと汗ばんでいるらしい。畳に投げてあった団扇を拾い、はたはたと扇げば、伸ばした黒髪がサラと広がる。汗と酒精と彼の匂いが、隣に座るジュリアスの鼻孔を激しくくすぐった。
欲の欠片が躯の奥深くでチリと焦げるのを感じる。
「浴衣とは珍しいな。」
「とうとう着るモノが無くなった。」
あっさりと破顔するクラヴィスがそう言って寄越すから、ジュリアスもつられ鮮やかに笑んでみせた。
「洗濯なら誰かに頼めば良かろう。」
「わたしは使用人だから、そう言うわけにもいかんだろう?」
「その位は問題ないと思うが…?」
「いや、明日からは外の用事が無くなる。まとめて洗う事にする。」
ついと視線を外に向け、明日も晴れるだろう…と彼は呟いた。
カタリと鳴った音が切欠だった。中身を一気に飲み干したクラヴィスが湯飲みを卓袱台に置いたのである。
「ジュリアス……。」
それは請うる様な、促す様な、欲する様な、確かめる様な含みでジュリアスの鼓膜に張り付く。そして続ける。
「朝まで居られるか…?」
ゆっくりと頷く。両親の渡航と共に使用人達に休暇が出されている。僅かに残るのは、メイドが2人ばかりと料理人だけである。ジュリアスは大学からの帰路、誘われて学友や教授らと会食をした。屋敷に戻ったが自室には帰らず、そのまま此処に来たのだ。誰も彼の所在を知らない。
「そうか…。」
不意に立ち上がったクラヴィスは、大きく開け放った廊下側の窓を閉める。そのついでに玄関の戸締まりも済ませた。
座敷の障子を閉めてしまえば母屋から仮に誰かが歩いてきたとしても屋内は見えない。後ろ手に障子を閉める。それまで微々たるものではあったが、微かに流れていた空気が遮られてしまった。室内の気温が俄に上昇した気がする。奥の座敷は窓を閉めぬままである。ジュリアスは其れが少し気になった。
「彼方は閉めぬのか?」
「其方側からは誰も来ない…。」
そんな事は承知しているが、気分的な問題だった。ちらちらと目線を送るジュリアスの様子から、仕方ないとばかりにクラヴィスは窓を開けたままで、庇に巻き上げられていた葦簀を引き下ろした。振り返った濃紫が『これでどうだ?』と問いかける。こくりと首が動く。畳の上を滑るかに近寄り、クラヴィスは電灯の灯を落としたのち、ジュリアスの傍らに腰を下ろした。
抱き寄せられるのは分かっていた。墨を流した様な暗がりの中でも腕が上がる気配と其れが動くのに合わせて空気が揺れることでジュリアスは次を予感する。一月前よりずっと引き締まった強さを感じる腕が、既に待ちに入っている躯を引き寄せた。少しバランスを崩して、胸に顔を押しつける形で抱き込まれた。気温もあるが、酒を飲んでいた所為もあるだろう。大きくはだけた浴衣から覗いていた素肌は、知っている彼の体温よりかなり暖かい。そして、思った通りに汗でしっとりと濡れていた。
直ぐに口づけてくると思ったが外れた。触れてきたのは唇ではなく指であった。波打つ髪を分けて入り込んだ指先が耳を弄る。耳朶を撫でるように触り、二三度軽く揉んで離れる。ジュリアスは別段耳が感じやすいわけではない。ところが、普段なら前触れにもならない行為で鼓動が早まっている。それに酷く躯が熱い。閉じられた屋内の空気が互いの体温で俄に上がったからかもしれないと、敢えてそんな風に考えた。
耳から首筋を辿っていた指が顎を捉えた。支えられていると感じた途端、やっと唇が下りてきた。己の其れに触れてくる唇は、単なる躯の一部にしかすぎない。眼や鼻や頬と同じ場所に在る、クラヴィスの部位である筈である。が、何故か其処だけがもっと厭らしい部分に感じてしまう。濡れているからだろうか?と思う。それとも他とは異なる色をしているからか?自分も其処を押しつけながら、薄く開いた隙間から舌先を差し出し、彼の柔らかな唇を舐めた。
ちろちろと動かし、存分に舐める舌を軽く噛まれ次いで窄めた唇に吸われる。ぞくりとした。腰の裏側に悦の欠片が生まれる。ジュリアスは小さく身じろぎ、与えられた行為に応える風に相手の唇を深く吸った。湿った音が鳴る。既に性交が始まっているのだと実感し、口唇を互いに貪るだけで高ぶるのは、其処も又性器の一部であるからだと確信した。
口づけている間も、互いの躯に当てた掌は忙しなく動く。ジュリアスは着崩れた袷から苦もなくその内に入り込み、胸をまさぐり腹をさする。指先で脇腹の近くを擦ると、クラヴィスが淫猥な声を漏らした。内耳を震わせる其れに煽られ、ジュリアスは更に強く唇を吸い上げる。あまりに夢中だったからか、シャツの前を開かれしかもズボンまでが緩められているのに暫く気づかなかった。
汗ばんだ胸の、知らぬ間に勃起した乳頭を摘まれビクリとしたと同時に大きな喘ぎが口を割る。剰りに卑猥な声であった。そんな物が自分から出た等信じたくないほどだ。でも、仕方がない。淫らな音を堪える為には歯を食いしばり、呼吸を詰め、其れを飲み込まねばならない。けれど、そうするには深く重なる口唇を離さねばならなかった。絡まった舌を解かねばならない。そんな事はしたくなかった。ジュリアスは諦め、堪える代わりに、熱い息と共に喉の奥から迫り上がるそれらを全てクラヴィスの口内に注ぎ入れた。
飲み込めず溢れ出るのは互いに混じり合った唾液だけで、薄く粘るそれがジュリアスの首筋から白いシャツの襟や肩を汚す。肌に張り付く湿った布の感触も、この時ばかりは不快ではなかった。
畳の上に対座して抱き合う。横になるよりも視界が広く確保できるから、様々な部分が目に入る。室内の電気が消えてからもう随分経っている。暗さに目が慣れればこそ見えてくるものもあった。鼻の奥に広がる匂いだけでも充分欲情を覚えるには足りるが、視覚からの刺激もあるに越したことはないのである。乱れた裾の奥に白い何かをみとめたジュリアスは、目を凝らし其処を確かめる。下着であるのは分かっていた。けれど少し違う気がする。迷わず手を差し入れた。肩先を舐めては吸っていたクラヴィスが声を詰まらせ、素直な反応をみせる。乱れた呼吸の合間から、ジュリアスの笑い声が聞こえた。
「何を……。」
言いかけたが、ジュリアスがペニスを掌で包んだ所為で続かなかった。本当は『何を笑っている?』と訊ねようとしたのだ。
「下着も…底をついたのか…?」
触れてみれば、下帯だったとジュリアスは意外そうに含んだ笑いを漏らす。細かい事など気にするなと、クラヴィスが唇を塞いだのは言うまでもない。もう何度目かの口づけを交わしながら、腰に腕を廻して器用に結び目を解く。少し緩むだけで構わなかった。一枚の布が隠しているだけだから、隙間ができれば簡単に性器に触れられる。其程硬く結んでいなかったのが幸いして、下帯は苦もなく解くことができた。
現れたペニスは、充分に首を擡げている。先ほどから、自分も股間が濡れているのを感じていたが、それはクラヴィスも同様で何処からともなく入ってくる、恐らく庭に点在する外灯の灯りだと思われる、青白い光に浮かぶ先端は滲み出た透明な液でぬらぬらと光って見えた。勃ちかけているから目に入る裏筋が生々しい。ジッと眺めていると、ビクビクと生き物のように動きながら、まだ汁を吐き出している。唐突と口に含みたくなった。しかし、ジュリアスが背を屈めるより早く、クラヴィスが動いた。
既に緩められていたズボンの前を乱暴に開き、強引にも思える所作でジュリアスのペニスを探ったのだ。下着の薄い布の上からでも充分に滾りが感じられる硬さを一旦手の平で包む。ジュリアスが喉を鳴らして息を飲むのが聞こえた。ひくつく白い喉元に口づけつつズボンと下着をギリギリまで下ろす。外気に晒された性器は、高ぶりに煽られて色が変わっていた。ほんの一〜二分彼らは互いの性器を見つめていた。同じくらい勃起して、同じ様に硬くなり、同じぐらい脈打っている、どちらも腹に付きそうなほどにそそり立ち、鈴口から滲み出る液で竿までもが滑っている。
又、ジュリアスの喉が鳴った。待ちきれないと言いたげに聞こえる猥雑な音が、クラヴィスの次ぎを誘う。応える彼は二つの性器を握り込み、忙しく擦り始めた。密着する竿が擦れ、表皮がズルリと持ち上がりそれが轢き攣れるかに下ろされるだけで、腰の奥に燻っていた種火が瞬く間に燃え上がり一点に集まる。痛みにも似た感覚が狂おしい射精感に変化するのに幾らも掛からなかった。掻き上げるたびジュリアスは善がり、切なげな喘ぎと濡れそぼる声を落とし、そんな彼に促されクラヴィスは律動を早める。
今にも達きそうで、しかし決定的な何かが欠けるのか、もどかしく腰を揺らすジュリアスは眼前の肩に額を押しつける。波打つ黄金の隙間から覗く項の白さがクラヴィスに新たな欲情を呼び起こし、彼は髪を振り払うと顕わになった肌に食らいついた。痛むくらいに吸い上げるが、それすら快感に変わるようで、ジュリアスは切れ切れの悲鳴を上げてはしがみつく背に深く爪を立てた。
募る吐精感はある一定を越えるともうどうしようもなくなるモノらしい。先走りが滴っていた先端から、知らぬ間に白濁した液がトロトロと溢れていた。堪えるのも馬鹿らしい。思考の全てが吐き出すこと、達くことで占められる。ジュリアスは腰を揺らすだけでは足りないようで、唇を強請り頬を擦り寄せ、それでも満たされぬと下腹部を相手に押しつける。クラヴィスとて同じことであり、口唇の触れる場所を貪っては鬱血の痕を残した。激しく乱れる呼吸を縫い、ジュリアスがとぎれがちにクラヴィスと呼んだ。
皮膚に触れる口元が震えているのが分かる。吐息は湿り気を含み、肌に絡みついては空気に溶けていく。大きく一度息を吸い込んだすぐ後に、ジュリアスが掠れた声音で達きたいと願った。灼けて混じり合ったかに密着するペニスを強く握り、これ以上はあり得ぬくらい絡めた指を上下させた。先端間近まで押し寄せていた滾りが、堰を切ったかに吹き上がる。声にならない短い呻きが互いの口を割るのと同時に、夥しい精液が2人の腹を淫らに汚した。抱き合ったまま幾度も寄せる射精の快楽に溺れ、どちらからともなく重ねた唇を吸いながら彼らは果てたのである。
室内の空気が重く感じられるのは気のせいではない。湿気を含み、まして吐き出された精液の青臭い匂いに充ちているのだ。肌にまとわりつく感じが酷く不快であるにも拘わらず、射精直後の充足が汐のように引いてしまうと、新たな欲望が体内に湧き起こるらしく、汗と濁液にまみれた躯を再び探り始めるのは止められるものではないのだろう。
一度達ってしまうと、一時的に倦怠が全身を支配する。抱き合って座しているのが大層億劫に感じられた。ジュリアスを抱いたままクラヴィスはゆっくりと畳に寝ころんだ。すぐ目の前に床が延べてある。大きく手を伸ばせば届く距離である。ところが其処に身を横たえるのが面倒で仕方がない。少し前まで帯の辺りに丸まっていた浴衣をはぎ取ってしまった今、彼は全裸で無防備に寝転がっている。畳に直接触れる背中が摺れるのが気になったのは、僅かの間だけであり、腕に緩く抱くジュリアスの背を幾度か撫でただけで聞こえた快楽を予感させる密やかな声が先を請うているとしか思えず、腹にあった片手をそっと股間に這わせた。
今し方の射精で汚れてしまった肌の上を滑る指先が、幾分萎えてしまったジュリアスのペニスに絡みつく。二三度掻いてやるとフルフルと細かく震える淫茎も、そのまま絡めた指を上下させ続けると見る間に硬さを取り戻していく。穏やかだった彼の呼吸も乱れ始める。耳元に唇を寄せて、次は中で…とクラヴィスが懇願するのを受け、同意するつもりに違いない吸い付く様な口づけをジュリアスは求めた。
同じ調子でペニスを掻く。時折、親指の腹で亀頭を擦る。そのたびジュリアスは艶のある声を上げ、背を反らせ酷く善がった。肩が畳に随分と摺れているらしく、ふと視線をずらした時其処が赤く変わっていた。クラヴィスも背に当たる硬い感触が気にならないでもないのだが、腕の中で身を捩って欲に溺れる様を目の当たりにすれば、そんなものは瞬時に消し飛んでしまうのだ。もっと欲しがる姿が見たいと思う。悦楽を求めて乱れる様は美しいと感じている。常に世の規範を体現する男が、必死で唇を吸い、舌を踊らせ、淫猥な声を発して、自分のペニスにしゃぶりつき、そこから吐き出される精子を音を発てて啜る姿は、恐ろしい程にクラヴィスを高ぶらせる。
今、もう少し気持ちに余裕があったら、彼にペニスを含んでもらいたい。しかし、それよりも彼の中に埋め込みたい衝動の方が強かった。ジュリアスの淫茎を弄りつつ、愛撫の真似事の様に乳首を甘噛みしていたが、いよいよ我慢が出来なくなったらしく、雄から滴る液で指を濡らし、それを菊口に塗り込むよう丹念に周囲を解しながら、徐々に内部へと沈めていった。
久しぶりだと言うのもあるだろう、元来挿入の為に作られた器官ではないから尚のこと、たかが一本の指が侵入しただけでジュリアスは大きく顔を歪める。賢さを称える額に苦痛の影を落とし、発する声さえも苦しげに途切れている。周囲をゆっくりとさすりながら緩めていく指が、少しずつ奥へと動くその度に内蔵が押し上げられる感覚と、異物を拒もうとして激しく収縮する内壁が、快感とはほど遠い、暫くは吐き気さえ覚える苦悶を強いる。この一時を堪えれば、程なくやって来る筈の悦楽を思い、ジュリアスは骨が軋むくらいにクラヴィスの肩を掴んだ。
先を遮る内部<の蠢きが、ジュリアスの感じる痛みなのだと思えば、早く楽にしてやりたいと気ばかりが焦る。けれど皮肉な事に、焦れて無理にでも奥へとねじ込めば、更なる違和感がジュリアスにもたらされるのである。家族を謀って結ぶ関係を何処かで見ているかもしれぬ審判が、楽々と悦を手に入れてはならぬと与える罰なのではと疑い、ならば其れに逆らうなど出来ようも無いとジュリアスは幾度も乏しい呼吸を繰り返しながら、クラヴィスが最奥へと届くのを待った。
「あっ………。」
漸く行き着いた其処は、彼の奥深くにひっそりと在る。
初めての時は全く分からず、闇雲に中を掻き回しジュリアスに無用の痛みを与えてしまった。だが、今は違う。指の付け根辺りまでを埋め込んで、届いた粘膜の間に踞る少し硬い筋とも痼りとも言えるその場所を指先で軽く擦った途端、ジュリアスの全身が泡だった。それまできつく寄せていた眉根が一度は解けるが、再び寄って深い皺を額に刻む。しかし、最前の苦痛とは異なる、それとは似てもにつかない悦楽が彼にそうさせるのだ。
数度衝かれるだけで、体温が上昇するのが分かる。下腹の奥が疼いて少し前よりもっと激しい熱が股間に集まる。一旦は勃ちかけたモノが、苦痛で萎れていたのだが、更にゆるゆると摺られれば、腰から下は痺れて感覚が曖昧になり、ただ性器だけが灼けるように熱くて堪らなくなる。
「あぁ……ぁっ…あぁ……ん…あぁぁ。」
閉じ忘れた口から、唾液と共に善がりの声が溢れ出る。指を二本に増やす頃には、内側も程良く和らいでくるし、僅かではあるが分泌される内液で、滑りも殊の外なめらかになる。差し入れた指を開いては奥を衝く。脇腹を震わせ、押さえる事も忘れた厭らしい声を上げるジュリアスの雄は、疾うにくっきりと勃ち上がって又粘液をたらたらと吐き出し始めた。
躯を捩り、腕を上げて何かを探しているかに見える。触れたものが腕であれ、髪であれ、それを強く握って離そうとしない。いよいよ指では足りなくなったに違いない。腰をくねらせ、喘ぎの合間に何度もクラヴィスの名を呼ばわる。指とは違う、別の異物を激しく求めて彼は呼ぶのだ。
入り口にあてがわれたものが余りに熱く滾っていたから、ジュリアスは思わず息を詰め躯に不要の力を入れた。両膝を掴んだ手がグイと足を開いたと思う間もなく、其れがズブリと衝き入れられた。
「ぐっ………。」
待ち望んでいた。直ぐにでも欲しいとクラヴィスを促したのは嘘ではなかった。それでも、限界まで質量を増した性器を捩り込まれた瞬間は本能がいつもそうさせるのである。視界が霞み、次いで滲んだ景観がぐにゃりと歪む。喉元まで出掛かった情欲の声も、この時ばかりは凍り付いて欠片も出てこない。引きつった白い喉だけがヒクヒクと痙攣し、全身が硬直するのと同様に内部でも激しい収縮が起こるのだ。
未だ半ばにも達していないペニスを、周囲の壁が千切れるほど締め付ける。無駄な事だと知りながら、クラヴィスは呻くかに力を抜けと声に出す。果たして其れが今のジュリアスに届いているかも怪しいところだ。いや、仮に届いていたところで躯の反応などどうにかなるものではなかった。最も有効な術は、別の刺激を与える事だと熟知している。足を支えている片腕を外し、股間で膨れあがるジュリアスの雄を何度か刺激してやれば良いのだと分かっていた。素早く片手を引き抜いた。竿を包み込むかに手の中に収める。そしてやおら弾けるほども張りつめた其れをギュッと握りしめた。
「んっ……。」
掌にどくどくと脈打つペニスを感じる。今にも全てを吐き出してしまいそうに、弾力のある淫茎が内包した欲で灼かれ滾る様が肌を通して伝わってくる。どんな小さな隙間も見逃さない、堰が少しでも緩めば一気に押し寄せようと狙っているのだ。
ジュリアスの意識が、ほんの僅かこちらに向かう為に、クラヴィスは固く握り込んだ拳を幾分乱暴に上下させた。横になる躯が跳ねる。内股の筋肉がわなわなと震えた。苦痛を快感が凌駕したのだと、微かに和らぐ収縮を知ってクラヴィスは安堵の吐息を落とした。激しい締め付けが収まった間合いを見計らい、すこし強引と思える勢いで挿入を再開する。腰を入れて、深くを衝く。最奥までは届かないものの、若干手前と思しき辺りで周囲の肉壁に雄を擦りつけた。ジュリアスから短い悲鳴が聞こえる。どこか、大層感じる部分を刺激したに違いない。クラヴィスは、もう一度同じ辺りを抉る様に摺る。腰を使い下から上に擦り上げる感じで、柔らかく傷つきやすい内側を犯し続ける。
狂ったかに頭を振るのは、とても感じている証であり、苦しげに喘ぎながらそれでも掠れた声がその名を繰り返すのは、達ってしまいそうな自分をたった一つの現実につなぎ止めようとする足掻きなのだろう。振り絞る声音でクラヴィスと発する唇に自らの其れを重ねたいと、仰向けになる躯を引き起こし抱き締める。起きあがった所為で、きっとより深くを衝かれたのだろう。ジュリアスは激しく震えていた。宥めるように背を撫でて、濡れた唇を貪った。汗と精液とジュリアスの匂いが口内を満たす。挿入に意識を取られており、薄らいでいたクラヴィスの吐精感が急激に強まった。
『出してしまいたい…。』
ジュリアスの中に、全てを吐き出したい欲求が彼の思考を完璧に支配する。
唇を離した。触れる程も近くにある蒼穹の瞳が濡れている。視線を交わしていたのは半瞬にも満たない間だった。抱き合ったまま腰を引く。ズルリと内部でペニスが動く。ジュリアスが譫言の様な言葉を吐いた。大きく息を吸い込み、一旦止める。次ぎの瞬間、クラヴィスは渾身で腰を打ち付けた。
差し込む無機質な灯りがゆらゆらと揺れる。夜が更けて風が出てきたのだろう。全裸で抱き合って、畳に横たわる彼らは、互いの精を放った後も離れがたいのか一カ所を繋げたまま何度も唇を重ねていた。どんなに想い合っていても、報われる可能性が恐ろしく低いから、折角繋いだ其処を抜いてしまうのだ辛いのかもしれない。
行為では満たされる。抱き締め、肌を合わせ、互いの名を呼べぶ時は、確かに結ばれていると感じられた。でも、ひとたび別々になると、胸の真ん中に巨大な虚が開き、満たしたばかりの心が見る間に渇いて萎れてしまう。浅ましいと自らを蔑みながらも、躯を求めるのは刹那の充足で心を潤したいと願うからに違いない。
世界は禍々しい渦の中心に向かって加速している。己らの状況すら持て余している彼らに、その流れに抗う力など微塵もない。ひたひたと迫る暗い時代が、2人を如何なる立場に押しやろうとするのかは全く知れない。今はただ、人目を避け、こうして性交に溺れるしかないのだと、自身の弱さを呪うだけだ。それでも月が変わればジュリアスが、秋風に肩をすくめる頃にはクラヴィスが、二十歳の節目を迎えるのである。そして師走の声を聞いたその日、この国は忌まわしい戦乱の幕を開けるのだった。
了