*風に吹かれて* -1-

現代パラレル/70年安保

 後方でガラスの弾ける音がした。したと思う間もなく黒煙とオレンジの炎が上がる。向けた顔が火照るように熱く、クラヴィスは咄嗟に目を伏せた。彼と炸裂した火炎瓶の間には幾重にも重なる人垣があるのだから、火の粉やビンの破片が飛んでくる筈もなかったのだが生まれて初めて目にした攻撃の炎は想像していたより遙かに荒々しいものであった。
 今日はきっと荒れるぞと、本部になる学舎を出る時誰かが言っていたのが頭を過ぎる。これまでで最大の集会からそのまま繁華街へのデモになるのだから、そんな事は分かっていた。まして今までの同じセクトだけの集会ではなく、様々な主義主張を持つ多党派集会なのだから何が起こっても不思議ではなかった。



 通りいっぱいに広がった人の波は大きくうねりながら移動してゆく。遙か先に見える鉄道のガードに向かいそれは幾つもの怒声を上げながら僅かずつ動いていた。両側に並ぶ商店やオフィスの入るビルの窓から、この国の行く末など何処吹く風の野次馬が見下ろしている。無責任に「頑張れよー」などと叫ぶほろ酔い加減の会社員が路肩に並ぶ警官隊に押さえ込まれるのが視界の端に映った。
 クラヴィスの属する一派は完全な無抵抗主義を唱えてはいない。やられたらやりかえす手段は持ち合わせている。しかしその手段は上着のポケットに忍ばせた投石程度で、まさかこんな早くから火の手が上がるとは考えてもみなかった。数日前に幹部の一人がお前は甘いと酒の勢いで糾弾してきたのを思い出す。無抵抗を掲げていないのだから、それなりの武装は必要だと言った男の意見を聞き流したクラヴィスをそいつは大袈裟に顔を歪めて、お前は理想だけで革命が起こると思っている大馬鹿だと罵った。
 その時はそんな相手の青臭い罵倒も飄々とかわすクラヴィスに軍配があがり、周囲が男を宥めて事なきを得たが、実際今にも暴動が起こるきな臭い現場に在ると自分は甘いのかと考えずにはいられなかった。



 いつも自分は中途半端だと思う。フラフラと風に流される草の葉先のようだ。この国の未来を変えようなどと拳を振り上げてはいるが、このセクトに身を置いているきっかけはただゼミの知り合いに誘われただけだった。何となく参加し、何となく議論を交わし、何となく其処に留まっているのだ。崇高な理想など端から持っていない。他にすることがなかったからズルズルと居座っているに他ならない。
 それが幹部のNO.2だとはあまりに馬鹿らしく、声高に改革を叫ぶ同輩には申し訳なく、時々逃げ出したくなる。もし、彼が居なかったら。学舎もセクトも異にする、しかし同じ主張を掲げる党首があの壇上に居なければとっくの昔に足を洗っていた筈だ。
 完全無抵抗主義を唱える彼の雄姿を見ていたいと願った。それだけがクラヴィスをこの場所に留めている理由かもしれない。



 また大きなどよめきと歓声と炸裂音が聞こえる。何千人いるか知れない群衆の中に彼の姿を見付けるなど不可能だと知っていながら、それでもクラヴィスはあの美しい黄金の波を探して居並ぶ人垣の上に視線を彷徨わせた。
 革命を信じる長い夜は今始まったばかりである。





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