*Blue Sky,True Mind*
=5=
早朝のフロントに一応の労いを表しつつジュリアスは最も近い聖地の施設が設けられた都市を調べ
るよう依頼した。端末を操作する無機質な音が響くロビーには前日と変わらぬ眩い朝日が射し入っ
ている。壁に掛かる恐らく著名であろう絵画が夢の如き美しさで陽光の中に浮き上がっていた。
ものの数分で求めた結果が知らされる。その場所まで行く術は送迎車だと告げられ、彼は直ぐさま
手配を頼んだ。都市の名は初めて耳にするものであり、此処からは凡そ三時間の距離であった。
「またのお越しをお待ちしております。」
背後から聞こえる声に送られ、ジュリアスは一人車中の人となった。そして実際に三時間と少しで
到着した都市は、想像より遙かに近代化が果たされた彼にしてみれば人の住むべき場所かと訝るほ
どの巨大な街であった。取り敢えずの宿を決める。何もかもが不都合なく取りそろえられた、至極
近代的なホテルをこの街での住まいとした。チェックインの際にフロントの男は何日の滞在か?と
当たり前の事を訊ねてきた。が、ジュリアスは曖昧に十日ほどと答えるしか出来なかった。直ぐに
でもクラヴィスの所在が知れれば、明日はもう此処にはいない。けれどそうでない場合もある。
彼は凡そらしくない薄い笑いを浮かべながら十日ほどだと返した。
歩道を歩く彼の足取りはその心中と同じに重く鈍っている。一日に二回、午前と午後に聖地と繋が
る施設に足を運ぶ。今回が十二回目だからこの街にやって来てから既に六日が経過したと言うこと
になる。
顔を覚えられてしまい、受付の青年はジュリアスがドアを開けて入っていっただけで小さく首を振
り何もないと身振りで知らせた。研究院の分室となるこの施設に従事する職員は、この毎日二度や
って来る来客の素性など知らない。勿論、最初に訪れた時に身分の確認は行っている。提示された
IDには名前と年齢と聖地が発行するこの身分証に必ず記されている個人に割り当てられた12桁の数
字があり、決して不審な人物ではないと認められているのだ。しかし、その律儀に自分に宛てた文
書の到着の為に足を運んでくる人物がまさか先代の守護聖だとは誰も知らなかった。
聖地に在り女王を支える九人の守護聖など、受付の若者にしたら神話かお伽噺の世界の住人に等し
いに違いなく、まして彼らの顔など見たこともないのだから当然と言えば当然である。歴代の守護
聖の肖像も聖地に飾られるのみであり、彼らを写した写真なぞは端から存在すらしない。又、守護
聖に果たして名前など在るとは想像もしない事だろう。
いかにも残念そうに帰る後ろ姿を眺めながら、受付に居る数人があの人は余程その連絡とやらを待
ち詫びているのだ等と話す以上の詮索すらありはしないのだ。
最初の数回、クラヴィスから何の便りもない事を体言しない様心がけたジュリアスであったが、そ
れが回を重ね今日に至ればそんな風に取り繕うのすら馬鹿らしく思えてきた。自分がガッカリしよ
うが、平静を装おうが職員達には全く関係のないことだと気付いたからだ。己は守護聖ではないの
だと、この時になり漸く実感したのである。守護聖のそれも首座であるなら、彼の仕草や表情でさ
え深く重い意味を持った。憂いを顕わにすれば下に続く者が不安に感じる、訝しさや動揺などもっ
ての他だった。常に彼は自信と誇りを面に張り付けていなければならなかった。ところが今はそれ
こそが不要である。思ったまま、感じたままを顕わしたところで誰にも影響など与えないのだ。
だからジュリアスは受付の青年が寄越した『NOTHING』のサインにあからさまな反応を示した。
それが只人であると、彼は学んだのである。
そしてもう一つ彼が知った事実があった。この街で、いやこの場所以外でも、只の一人も彼の事を
しらないと言う現実である。
それはある日通りを歩いている際に不意に気付いたことであった。初めて一人で街路を分室に向か
い歩いていた時、何故か己はやたらと他者にぶつかってしまう。肩先が触れる程度もあれば、相手
の身体や腕に当たってしまうこともあった。これだけの雑踏を歩いているのだからと別段気にもと
めずにいたのは2日ほどの事、たかだか徒歩で数十分の距離を行く間に何度『失礼…。』と頭を下
げたのか?と思い起こしたのがきっかけとなった。充分に注意を払って歩いたにも関わらず、やは
り同様の事態が繰り返される。分かってしまえば簡単な事である。それまで彼は一人で不特定多数
の人間の中を歩いたことなど皆無であったからだ。聖地内なら当たり前に人は彼に道を譲る。視察
や祭礼で外界に赴いた時もしかり。従者を伴っているからだけでなく、相対する者達が彼を光の守
護聖だと認識したからまるで一斉に潮が引いてゆくが如くジュリアスの前には道が開けていたので
ある。誰も彼を知らない。其処に於いて彼は単なる一人の男でしかない。互いに譲り合う動作が身
に着いていないのだから、行きすぎる際に身体の一部が触れてしまう。そんな事実がジュリアスに
自身の置かれた立場を知らしめた。
ホテルに戻り、簡単にシャワーを浴びた後ジュリアスはそうした現実を確信した。そして、己がそ
うである様にクラヴィスも又彼の置かれた立場を受け入れねばならなかったのだろうと推測する。
何が彼に其を教えたのかは全く図れない。実はこんな事に気付かなかったのは自分だけで、クラヴ
ィスは何の違和感もなく他者と外界に馴染んだのかもしれないと考えてもみた。その仮定の方があ
り得る気がしてならない。守護聖であった頃、クラヴィスは視察などで外界に降りるたびにフラリ
と街や村に出かけていたし、どちらかと言うと人の暮らす場所に在る方が彼らしく見えると思える
こともあった。きっと遙かに短い期間で外界での姿を会得した筈だと自分に言い聞かせた。
そんな風に考えなければ、未だ何の連絡も寄越さない事実から不要な心配をしてしまう。恐らく落
ちつく先が決まらぬのだろう。それ以外の理由などない。
しかし、そうして一つの理由に固執しようとした途端、ジュリアスの思考には別の幾つもの可能性
がチラチラと見え隠れする。それらは決して喜ぶべき可能性ではない。それ故考えない努力の元、
胸の奥深くに沈めていたのだ。
『あれにも…都合と言う物があるのだろう。』
言葉にして鎮めようとしたジュリアスの足掻きは無駄に終わる。一度思考を掠めてしまった負の可
能性は瞬く間に形を得てしまう。連絡を寄越せぬのは、例えば事故、或いは事件、又は何某かの在
ってはならぬ事象。沸き上がる数々の『IF』が明晰な思考を占有した。けれど現在彼に出来るのは
ただ『待つ』ことのみである。他に術など持ち得ない。
が、その時ジュリアスの脳裡に忘れていた言葉が響いた。
『この地を離れたその後でも、何かあれば知らせて欲しいの。
私たちは貴方にどれほどをも感謝を贈りたいと思っているから。』
聖地を離れる前日、女王との謁見の最後に彼女が言った言葉であった。クラヴィスの所在を調べて
欲しい…、果たしてこんな願いで聖地を煩わせるなど言語道断だとジュリアスの理性は強く否定し
た。だが、その一方でこれ以外の術などないと声高に叫ぶ自分も確かに在る。
静かに暮れてゆく部屋でジュリアスは理性と願望の間を幾度も揺れながら逡巡した。帳を降ろすの
を忘れた窓から明けの暁光が室内に射るまで、永遠とも思える葛藤は続いたのである。
翌朝、彼は常と同じ時刻に部屋を後にする。前日と変わらぬ様子で分室を訪れ、対応に当たった職
員はやはり昨日と同様の返事を寄越した。またこの来訪者は落胆に肩を落としながら帰ってゆくに
違いないと職員は予想し、そんな彼に何か声を掛けなければと言葉を探した。すると、来訪者はそ
れまでとは異なる行動を起こす。落胆は見せながらも上着の内から一通の封筒を取り出し、聖地の
研究院にそれを送付して欲しいと言ったのだ。職員は快く応じ、渡された封筒を聖地に送る資料と
報告書の束に重ねた。
「確かにお届けします。」
ニコリと笑顔でそう言えば、ジュリアスも口元を穏やかに緩め『宜しく頼む。』と返した。預けた
依頼書がどれ程の日数で聖地に届くのかは分からない。けれど、研究院の設備を駆使すればクラヴ
ィスの所在など瞬時に探し宛てられると彼は知っている。任を解かれた守護聖を探すからではなく、
王立研究院の誇る最新鋭のサーチシステムをもってすれば任意の誰かの所在を探知するのなど、あ
まりに容易い作業なのだ。それら、この宇宙の平安を維持する為に設けられた機器を彼はこの時は
じめて己の私事に使った。後悔はなかった。幾ばくかの羞恥があるだけだ。
分室に書状を委ねた三日後、聖地からの回答が届いた。クラヴィスの所在は同じ惑星の同じ大陸、
いや、ジュリアスが滞在する都市からループラインを利用すればたった1時間弱の場所であった。
残念ながらクラヴィスに関するそれ以外の記述はない。当然、如何なる理由で連絡を寄越さないの
かは不明のままである。しかし、そんな事はもうどうでも構わない。彼はその足で最寄りのステー
ションに駆け込み、目的地に向かう車両に乗り込んだのである。
着いた先はジュリアスの居た場所よりかなり雑然とした街であった。住民の所得レベルも幾分低い
と察せられた。クラヴィスが一時の宿としていたのは、それでも一応のセキュリティーとサービス
を確約するホテルである。フロントに彼の名を訊ねれば、確かに部屋を取っていると言う。
気が急いていた。だから彼にしては珍しくおざなりな礼しか述べなかった。エレベーターが下りて
くるまでの時間が何とももどかしく、乗り込めば今度は最上階までが気の遠くなるほどだと感じら
れた。長く真っ直ぐに伸びた廊下の両側に同じ扉が並ぶ。ドアに記された番号を辿る。歩速が知ら
ぬ間にどんどん速くなる。求める部屋は最も奥にあった。ノックもそこそこにノブを廻せば、ドア
はスルリと開き彼を迎える。
だが、室内でジュリアスを待っていたのはクラヴィスであってクラヴィスではなかった。
続