*Blue Sky,True Mind*

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小高い丘の上にある建物を一目見た時、ジュリアスは思わず小さく声を上げてしまった。手紙に記
された所在を頼りに行きついた其処はこの土地では著名なリゾートホテルであり、なだらかなスロ
ープの先に建つ白亜の壁を持つそれはまるで聖地の宮殿を思わせる佇まいだった。既に傾きかけた
陽光に浮かび上がる外観がつい今朝ほど後にしてきた彼の地に酷似していた故に、彼は思わず驚嘆
を発してしまったのだ。他の者が此処を選んだのなら頷けるものを、まさかクラヴィスが当面の居
としたのはあまりに意外であった。シャトルの到着したスペースポートから乗り込んだ車で、その
名を告げただけで一切の説明も不用だった事からこの場所が如何に知られているのかが察せられ、
途中ドライバーが親切にも寄越した解説に高名な各氏が永年部屋を確保していると知り、市街地か
ら僅かに2時間ほどの距離でありながら日常から隔絶された平穏が約束された場所であるのだと理
解した。それまで彼の者に絡みついてその身を拘束し続けた柵を忘れるには、きっと何よりも相応
しいひとときの宿なのであろうと得心したのだが、それでもあれほど忌み嫌った聖地を写し取った
かの景観に身を置こうとしたクラヴィスの真意が分からないとジュリアスは曖昧な笑みを刻んだ。



硝子張りのドアは左右に大きく開きジュリアスを迎える。ロビーはホールとなっており吹き抜けの
天井には宗教画を連想させる大きな翼を持った子供が描かれていた。やはりこうした物を好む客層
なのである。建物内の壁が模造大理石を使っているのもその為に違いない。出来る限り上品に豪奢
にそして格調高く。恐らくそれがこのホテルのコンセプトだろう。
ジュリアスはともすれば足をとられそうな毛足の長い絨毯の上を優雅な身のこなしでフロントまで
進む。彼を迎える係が深く上体を折って仰々しい礼を寄越した。
いらっしゃいませ、ご予約は承っておりますでしょうか?本日はご予約なしでもお部屋のご用意を
させて頂けます。一連の約束事が淀みなく放たれる。ジュリアスは大きく頭を振って宿泊ではない
と告げた。続けてクラヴィスの滞在を確認する。すると係は少し首を傾げ、それから少々お待ちを
と言い残してジュリアスの前から消えた。再び彼の前に現れた係の男はクラヴィスの部屋を教える
変わりに、一通の書簡を寄越した。
「一月ほど前に此方をチェックアウトされました。当初は長きのご宿泊だと仰っていらしたのです
 が、予定が変わったと突然のご出立でした。
 貴方様がお見えになったらお渡しするよう申し使っておりました。」
渡されたそれは大振りの封筒で、聖地のジュリアスに宛てて出されたものより遙かに厚みがあった。
既に夜はこの地に降りている。ジュリアスは仕方なくこの日は此処に宿を取ることとした。用意さ
れた部屋はクラヴィスが逗留していたのとは異なる、短期宿泊の客にあてがわれるものであった。
「ご用の際は何なりとお申し付け下さい。」
ボーイが恭しいお辞儀を残しドアを閉じていく。ただ一人部屋に残されたと感じた途端、大きな波
の様な疲労が彼の全身を襲った。此処に来れば逢えると信じていただけに、疲労と共に感じた脱力
は大きく、リビングに置かれた椅子に掛けたまま彼は瞑目したまま何も行動を起こせずにいた。
何故、何の理由で突如出ていってしまったのか。痺れたかに停滞した思考で答えのない問いを繰り
かえすのだった。



確かに目を開けてはいたが、そこには何も映していなかったと思う。意識はどこか遙かに漂ってお
り、身体は椅子に預けたまま同じ姿勢でいたのは僅かの間であったようだ。うたた寝にも似た状態
から不意に現実に戻るのに殊更のきっかけなどなかった。唐突と瞳が捉えているのが薄いミルク色
の壁なのだと自覚したと同時に己が一切の動きを止めていたのだと理解した。
クラヴィスがこの場所にいない事実とその理由は間違いなく手に持った封筒に入る数枚の便せんに
認められているのだろう。細い指が封緘を開き、収められた幾枚かを丁寧に取り出した。元来クラ
ヴィスは言葉を多く持たない。彼の言動に関してその謂われを問うたところで、端的な返答が戻れ
ば良い方で事によると意味ありげな笑いだとか面倒だと言わんばかりの渋面を向けられるも珍しく
はない。人の話によれば得てして多くを語らぬ者に限って胸中を文字に替えるとやたらと雄弁であ
ると聞くが、クラヴィスに関してはそれも要点のみを数行に表すだけであった。ところが開いた紙
面に並ぶ文字列は今まで見たこともない数で、書かれた文字が見慣れたそれでなければ一体誰が己
に宛てたものかと首を捻ってしまったかもしれない。
『親愛なる』と書いてから消してあった。一応は付けてみたもののしっくりと来なかったに違いな
い。だからと言ってもう一度書き直しもせずそのままなのが彼らしくジュリアスは小さな笑いを零
した。思った通り書き出しは謝罪から始まっていた。





親愛なるジュリアス


これを読んでいると言うことは、わたしが出立した後に訪ねてくれたのであろう。
足労をかけた事、済まないと思う。
当初はこの地で暫く過ごすつもりであった。偶々知ったこの土地の景観に惹かれ、
それまで僅かの期間を過ごした雑踏から離れる目的で選んだ場所であった。
自然に溢れ、人里から隔絶される故の穏やかな日々に不満などない。此処でなら穏
やかに過ごせると感じられた。だが、一所(ひとところ)に留まると知らずとも良
い事象が見えてきてしまう。
聡明なお前のことだ。既に気付いているやもしれぬ。此処はあまりにも彼の地に似
ていたのだ。気晴らしに散策に出た折り、林の中を歩いていれば並ぶ樹の影からお
前が現れるのではないかと、馬鹿らしい期待を抱いてしまうほど。林の先に在る湖
沼の淵に佇めば、彼方からお前が声をかけて来る気がしてならなかった。
日を追う毎にくだらぬ想いばかりが増してゆく。


元々、一つ土地に腰を据えるなど得意ではない。まして何時逢えるとも知れぬお前
を同じ場所で待ち続けるなど端から出来ようもなかったと言うことか。
やはり流れてゆくが、わたしらしいと今更に思う。
幾日か留まる時はその旨を書面にして其方に送る。幸いこの星には多くの施設があ
り、お前への言づてを託すには不自由しない。手数を掛けるが確認をしてくれ。


サクリアを逸して気付いた事がある。
あれを宿していた時、夜は騒がしく様々な事象に溢れていた。星々の声は時に大き
く、時に微かに始終何かを伝えたがっていた。安息を欲する者達の声も同じく、夜
半を過ぎれば昼間の宮殿よりも騒々しくさえあった。
それが今は何も聞こえぬ。欠片さえない。夜がこれ程静寂に充ち、空恐ろしく長い
ものだと知らされた。全く勝手な言い分だとお前は笑うだろうが、何も聞こえぬ夜
はかえって眠れぬのだと只人になってから気付いたのだ。


今更こんな事を知らせてもお前を呆れされるだけだと分かってはいるが、自分のサ
クリアに翳りが降りた時わたしは女王に一つの願いを申し入れた。約束の日までに
お前にも兆しが在ったなら、時を同じくして彼の地を出ていけるよう取りはからっ
て欲しいと頼んだ。
我らが宿す力は互いに引き合う宿命(さだめ)と言われ、それ故にどちらかが翳れ
ば其方にも兆しが現れると伝えられていた。
遙か以前の守護聖が残した手記を年を追って調べてみた。確かに僅かのずれはある
が期を同じくして退任を迎える場合がほとんどだと記されていた。
手前勝手な推量だと分かってはいたが、我らにも同じ事象が起こると期待し願った
ことは嘘ではない。しかし其れが思い通りにいかぬのも、この世の理だったと言う
ことだろう。
共に手を携え彼の地を後に出来なかったが、それ程の時を分かたずお前と再び逢え
ると信じている。


身勝手だと怒りを覚えたに違いない。その小言は逢った時に幾らでも聞いてやる。
それが明日であればと心から願ってやまない。



クラヴィス




読み終え、便せんを元の通りに折り畳んだジュリアスは得も言われぬため息を落とした。
クラヴィスがこれほど率直に心根を伝えて来たことが意外でもあり、だがその心中は手に取るかに
察せられる。只人になる事はそれまで幾度も想像してきた全てを凌駕するほども、人の心を揺さぶ
る何かをもたらすのである。彼が普段では考えもしない言葉を書き記したのは、恐らくそうせずに
は居られなかったからであろう。
今、彼はどの空の下で夜を過ごしているのかと想うだけで胸の奥が疼き、一瞬でもこの場所に留ま
ってはいられぬ焦燥に駆られる。何処に在るやもしれぬあの姿を追って、車に飛び乗りたい衝動は
持てる理性の全てを注がねば押さえ切れない。
常に飄々と何事にも動じぬ顔を作りながら、ただ二人で在る時には誰よりも人の温もりを欲しがる
のだと知っている。だからこそ、今この時、傍らに在りたいと願いながらジュリアスは膝に置いた
拳を強く握った。
早く夜が明ければ良いと願う。朝日の一筋が空に上がると同時に最も近くにある研究院へ向かうの
だと意を決する。クラヴィスがこの地を立って少なくとも一月は経過している。きっと次の土地か
ら何某かの記しが届いているに違いない。
もどかしさを胸に抱き、ジュリアスは歩み寄った窓の帳を僅かに開き漆黒の空に視線を投げた。





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