*Blue Sky,True Mind*
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扉の前で一つ深呼吸をする。殊更大仰な動作で扉を叩く。中からの答えはなく内側に引かれた扉の
先に緋色の道がありその遙か向こうに女王の姿があった。謁見の間には数え切れぬほど参内した。
先代、先々代の女王の頃からだから、幾ら記憶力がずば抜けるジュリアスでも正確な回数など覚え
てなどいない。常に道の先を見つめる蒼い瞳がこの部屋でだけは僅かばかり下を見る。自分の靴先
より数十センチ前の辺りに視線を落として歩を進めた。
守護聖が跪くの位置もまた決まっており、ジュリアスは少しの狂いもなくその場所で立ち止まると
ゆっくりと膝をついた。彼の頭上から声が降りる。
「引き継ぎで忙しいところ、ごめんなさい。
きっと貴方ならご存じだと思うけれど、退任なさる守護聖の望みをお聞きして出来る限りお応え
するのが習わしとなっています。」
女王は一度言葉を切り、何か望むところはあるか?と訊ねた。それに対しジュリアスからは別の問
いが上がる。
「特に…具体的に考えておりませんでした。
もし、差し支えがなければこれまで如何なる望みがあったのかをお教え頂けますか?」
さもありなん…と女王と補佐官は顔を見合わせる。この長きに渡り守護聖の長を勤め上げたジュリ
アスからは即答などないだろうし、かなりの確率で辞退もあろうと考えていた。望むべくしてこの
任に就いたわけではなくとも、彼は守護聖の職を全うしたからと言って何か見返りを求めるなどす
べきではないと自認しているに違いない。余程のことがなければ丁寧な断りが返ると女王も思って
いた。
「私が女王を拝命してからは貴方が二人目の退任だから、それ以前の事は書物で読んだだけです。
ただ、一人として同じ望みはなかったの。だから例えとしてお話するのは難しいわね。」
女王は何故か次を語る前に小さな笑いを零す。
「貴方にお話するならクラヴィスの望みについてが一番良いと思います。」
跪き、頭(こうべ)を垂れていたジュリアスが上目遣いに彼女の顔を伺った。何故その者の名がこ
こであげるのかを訝しく思ったからに違いない。
「あの方は、こう仰いました。」
もし、自身が聖地を降りるその日までにジュリアスにも同じサクリアの翳りが降りたなら、共にこ
の地を離れる様取りはからっては貰えぬか。これが彼の望みだったと言う。
実際、この要望を実現するには幾つかのリスクが存在した。サクリアの衰えを感じてから次代を召
還し、その者への教育と引き継ぎを行うのに少なくとも一月から二月の期間が必要となる。仮に翳
りの兆候がほぼ同時に起こったなら問題ないが、ある程度の時間差があれば先に降りる者は既に任
を解かれたにも関わらず聖地に残ることになり、逆の場合は引き継ぎなどを他者に任せ残るサクリ
アを女王が引き上げる形で此処を後にすることになる。不可能ではないが、甚だ尋常ではない。
クラヴィスはそれら難点を踏まえた上で望んだのだ。但し、彼の望みには条件があった。あくまで
もこの申し出にジュリアスが了承を寄越した場合に限り無理を通して欲しいと言ったのだ。
「結局、あの方の望みを叶えて差し上げられなかったのね。」
ジュリアスのサクリアに予兆が確認されたのは皮肉な事にクラヴィスが聖地を去ってから一月ほど
した後であった。女王がどんな気持ちでこれを伝えたのか敢えて訊ねはしなかった。それより、そ
んな事をクラヴィスが依頼していた事実に心底驚いた。恐らく何らかの兆しがあれば伝えられたの
かもしれなかったが、最後の日まで何も起こらなかったのだから告げようもなかったのだろう。
「聖地を出ていかれる前の日にあの依頼は撤回して欲しいと仰って…。
それ以外に何かあるならと申し上げたけど、特には何もないと言われたの。」
女王はその後でジュリアスの望みを再度訊ねてきた。
「いえ…。私は特に何もございません。」
彼女は小さくため息を落とし、それでも何か思いついたら言って欲しいと願った。この地を離れた
その後でも自分とこの場所に在る全ての者は貴方に惜しみない感謝を贈るつもりだと。
背後で扉の閉じる音が重く響いた。廊下に出ればそこは既に日没を迎え、壁に設えられた灯火に灯
が入っていた。ジュリアスは退出するため回廊を車寄せに向けて一人歩く。明日の朝、彼はこの地
を離れ外界へと旅立ってゆくのだ。同僚から惜別の宴をと申し出があったが断った。気持ちだけを
受け取ると謝罪を込めてそう返した。
歩きながら彼は懐に収められた一枚の封筒を取り出す。2日前に届いたそれはクラヴィスからのも
のであった。中には紙面で見た覚えのある惑星の名と其処にある著名なホテルの所在が書かれてい
た。当面はここに滞在しこの先を考えてみるつもりだと在り、仮に自分が場所を移す前に退任が訪
れたならたずねて欲しいと見慣れた文字は伝えていた。もし、別所に動くことがあれば各惑星にあ
る研究院から聖地宛てに書状を送る由も述べられていた。
ジュリアスが受け取った時点でクラヴィスがそれを認めた時より既に三月以上が経過している。ま
だ彼が居を移していない事を祈りつつ、明日聖地の門をくぐったその足でまっすぐ其処に向かおう
と強く思った。早かったと言われるのか、それとも待ちくたびれたと文句を言われるか。どちらに
しても只人となり自分を待つ彼の者の元に飛んでゆきたいとはやる心を抑えるのは、今夜が最後な
のだとジュリアスは微かに口元を緩めた。
『約束の日』。聖地の西の端にひっそりと立つ門は音もなく開き、ただ一人其処をくぐる者を静か
に見送った。
ふと見上げたジュリアスの頭上には、変わらぬ真っ青な空が広がっていた。どこまでも続く目眩を
覚えるほども広大な空には薄い雲ひとつ浮かんではいなかった。
続