*Blue Sky,True Mind*
=1=
ジュリアスの目覚めは本当に突然やってくる。微睡む空間を一気に飛び越して気付けばほんのりと
明るくなった室内が双眸に飛び込んでくると言った感じである。
今朝もそれは今までと同じに訪れた。シーツの中で一度だけ身体に力を入れ、それから深く息を吸
いこむ。思考はハッキリとしているが、体内の細胞は未だ目覚めていない。取り込んだ酸素がそれ
らを俄に覚醒させるのだ。もう随分以前から彼はそうして朝を迎えてきた。守護聖として過ごして
来た数十年に身につけたものは、こうして只人となっても変えるなどできようもなかった。
頭を僅かにずらして同じベッドに在る者を確かめる。こちらに背を向けて横になる者はまったく起
きる気配がなく、そんな様を確認した彼は頬を緩めて小さな笑みを作った。
身体を滑らせ、振動を伝えないよう殊更に注意を払いながらジュリアスはベッドから抜け出す。素
足のままで床に下り立つと、そのしなやかな両足を毛足の長い絨毯がやんわりと迎えた。余程乱暴
に足を運ばなければ足音など発たぬものを、彼は忍ぶほどもそっと歩んでシェードの降りる窓に近
寄った。それを半分くらい引き上げると青く高い空が窓いっぱいに現れる。ここは地上から数十メ
ートルも離れた一室なのだから、この街で最も空に近い場所なのかもしれない。
壁一面を切り取った窓に凭れ、ジュリアスはその青空を眺めた。ずっと聖地の空しか知らなかった
彼にすれば、抜けるほども青く目眩がするくらい高い空に未だ馴染めずにいる。彼の地のそれは、
もっと透明感のある蒼で恐ろしいほど何処までも続く広さを持っていた。だから、窓の外に見える
空がどこかしら作り物のように思えて仕方がなかった。
この場所に永住するつもりなど更々ない。もう少し落ち着いて、現時点でクラヴィスとは切り離せ
ない施設がそれほど必要ではなくなったら、こんな大都市ではないもっと穏やかに時が流れる場所
に家宅を持とうと決めている。それが何時になるのかは全く予測も立たないのだが、既に守護聖で
はなくなった自分たちには期限付きとは言え考えたり迷ったりする時間は充分ある。急くも焦れる
も不要なのだ。そうした調べ事を億劫だと思わないジュリアスは惑星間に完備した通信システムを
フルに活用し膨大な情報の中から選んでゆけば良いと考える。けれど、そんな事を口にしたらばク
ラヴィスは大袈裟に厭そうな顔をして、思う場所に足を運びながらのんびりと探す方が良いなどと
言い出すに違いない。
本当にそんな時がやってくるなら…。
思わず唇を割ってしまいそうになり、喉元まで上った言をそっと胸にしまった。きっとその日は来
るのだと思いこまなければ、やってなどいけないと自らを戒めた。
外と内を隔てる一枚の硝子は眩い陽光は存分に取り込むけれど、それ以外の音や香などは一切こち
らに寄越さぬ作りになっているらしい。すこし身を乗り出して遙か地上を覗き見れば、色とりどり
の世界が動いている。人の住む街の持つ色に溢れ数多の音が行き交っているのだろうが、この部屋
から見下ろす限り其処は無音の街であった。室内に在るのは微かな空調の音だけである。玩具にし
か思えぬ地上に繰り広げられる朝の景色をジュリアスは少しの間眺めていた。
「う……ん。」
小さな声が上がり何かが動く気配に彼は驚いて顔を向ける。シーツに広がる漆黒の流れに僅かな変
化があったと思うと、それまでピクリともしなかった身体を包む薄いブランケットがモソリと動く。
寝返りかと見つめている傍からそれが覚醒だと言わんばかりに腕が上がった。瞬時に時計の針を確
認しつつジュリアスは更に驚きを顕わにする。こんな時刻にクラヴィスが目覚めるなど今まで一度
としてなかった。声を掛け無理矢理に起こさなければ夕刻までも気持ちよさそうな寝息が聞こえる
と決まっている。時にはかけた声も虚しく午後も遅い頃まで起きないのも稀ではない。それが今朝
はどうした風の吹き回しかと彼は半ば困った風に眉根を寄せるのだった。
クラヴィスが目覚めるまでに整えておきたい事が幾つかある。常ならそれが全て終わった時点で起
こせば良かった。ジュリアスは何事も手順を踏まえて運びたい性分だから、こんな風に唐突と流れ
が変わるのは得意ではないのだ。それでも目覚めてしまった者をもう一度寝かせるなど出来ようも
ない。やれやれとばかりに溜め息を落とすと、緩やかな身のこなしでベッドへと足を運んだ。
シーツの上に膝をついて横になるクラヴィスの傍らに寄る。上から覗き込むかに顔を近づけ確かに
彼が目を覚ましたのだと確認した。
「クラヴィス。」
柔らかな声音で囁くほども声を落として呼びかける。それが聞こえないのかクラヴィスは何もない
宙に視線を彷徨わせ返事はない。もう一度同じトーンで名を呼んでみる。
どこかぼんやりと虚空を漂っていた視線が、緩慢な動きでジュリアスに向けられる。ほんの数秒ク
ラヴィスは自分を見下ろす美しい顔を見る。薄紅の唇が三度目を囁いた。
朝の光の中で薄菫色にけぶる瞳に意思の輝きが宿った。目の前に在る者が誰なのかを理解した途端、
薄唇の端が緩やかに上がり白皙に笑みがのぼる。
「ジュリアス…。」
寝起きで掠れた声が、愛おし気にそう呼ばわった。
続