*COMET*

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休日の早朝に現れた光の守護聖に職員が何事かと固唾をのんだのは言うまでもないことであった。研究員には平素の三分の一の者しかおらず彼らは交代で休日の緊急に備えて当直にあたる為の要員である。異常を発見するか火急の事態の連絡を受けた際、研究主任と首座の守護聖そして女王に知らせる段取りが組まれている。
現在そうした懸念のある惑星及び衛星を確認していないにも関わらず、始業時刻より遙かに早い時間にジュリアスが訪れたのだから彼らが当惑するのも無理のないことだ。ジュリアスは時間外に院の施設を使用する非礼を述べ、気になる兆候を確認したいとだけ伝えた。あくまでも個人の懸念に他ならぬ故、通常業務に支障をきたさぬよう留意しているとも言った。
対応した職員は明らかに安堵を浮かべ早朝から子細にも配慮を行う光の守護聖に労いと了解を送った。
「詳細に関する資料は私が探す。そなた達には迷惑を掛けるつもりはない。ただ、設備の使用に措いて操作等で教えを請う場合は申し訳ないが宜しく頼む。」
彼はそう言いながら軽く頭を下ろした。職員はその態度に滅相もないと敬意を顕わにし、何事も申しつけ下さいと協力の意を表した。
操作パネルの前に席を取り持参したファイルからクラヴィスが赴いた惑星の資料を引き出す。示された座標を打ち込みまず現在の地表図を呼び出した。これは各惑星の軌道上にある監視衛星を通して送られてくる現時刻の映像である。まず惑星地表を最も広い視点で見下ろした映像が映し出された。そこから目的の場所を選び徐々に絞り込んでいくのである。
広大な地表図が指定された市街図に絞り込まれる。モニターの斜め右上にある建物が例の神殿であろう。その周囲に緑地帯と住宅エリアが広がる。細かな指定を繰り返し画面を切り替えていけば、繁華街と思しき一画が表れた。クラヴィスの話だけではこの地区のどちら側に件の場所があるのか判然としない。これは子細に探していく必要があるとジュリアスは姿勢を正したのであった。
繁華街の中心を画面中央に固定する。そこから時計回りに方角を数度ずつ決定し周囲にカメラの範囲を延ばす。確かクラヴィスは不整地だと言っていた。整備されたそれ以外を見落とすまいとジュリアスはモニタを凝視する。ところが開始から二時間を費やし具に探査しても不整地など全く見つからない。繁華街から人の足で数十分かかる辺りまで範囲を拡大しても同じであった。
腕を組み、画面に視線を据えたままでジュリアスはこの不可思議な現象を考察した。この地にはまさか神殿と呼ばれる建造物が複数存在するのかと、別のパネルから資料を呼出すがそれが現実とは隔たった予測であると直に知るところとなる。それでは同規模の繁華街が多数あるのか?これも次に打ち出された資料があっさりと否定した。
思いつく全ての可能性を試してみる。得られる情報に多角的な検証を行う。しかし結局目的は果たせぬまま更に数時間が経過したにすぎなかった。
---一体、これはどういう事なのだ?---
筋の通らぬ結論に困惑が湧き起こる。パネルに置いた指先を見つめジュリアスは途方に暮れたと小さく嘆息するのだった。
夢中で何かを探しているうちはうち消すことのできた想いが困惑の隙間を縫って立ち上る。自身がこれほど賢明に求める先に在るものが何なのかを突如思い出したのである。それは決別である。クラヴィスの語ったその者が確かに実存したなら、彼者が告げた言葉が真実であったなら、その事実の裏付けを己が手で暴き出したなら。クラヴィスが決意を翻すなどしないなら、ジュリアスの突き止めた現実を手に彼はこの地を去るのである。恐らく二度と会うことは叶うまい。
ジュリアスが必死で求める答えの一端はそう言うことである。だが彼はその対極が存在するを否定していない。所在が確定され、調査を行った末に是ではない可能性がある確率は否である場合と同率であるのだ。その為に彼はこの行為を続けている。無駄ではない。ジュリアスは自身に強く言い聞かせた。
横に逸れた思考を修正し彼は再び画面に向き直る。頭にあるのは『何故、見つからないのか?』という一点だけに絞る。
ふと新たな視点が閃いた。
「ああ…。」
ジュリアスは合点がいったとばかりに口元を緩めた。時間の経過を失念してたことに気づいたのである。クラヴィスが惑星に降りてから聖地の時間では10日ほどしか経っていないが、現地の流れはそれに準じてはいないのだ。少なく見積もってもその三倍か或いは途方もない時間が過ぎているかもしれない。
「私としたことが…。」
思わず零れた一言は無機質な機械音に紛れ消えていった。
別のモニタを開き、操作パネルの上を華奢な指先が流れるように滑る。大地を巡る彼の調査は時間を辿る旅へと移行するのだった。



同じ日の朝。ジュリアスが研究員に上がったより数時間後、闇の守護聖の屋敷では若干の騒動が起こっていた。この屋敷に長く仕える執事は前日と違わず主人の私室の扉を叩いた。十日ほど前から主が寝室で夜を過ごさないと承知しているから彼は恐らく今日も変わらないであろう主人の予定を確認するよう入室の許可が告げられるのを待った。だが幾ら待とうとも返事はない。デスクに向いたまま眠り込んでいることもしばしばであったため、これも常と同様に非礼を述べながら扉を押し開けた。ところが居室は無人であり人の気配すら窺えぬ。昨晩は寝室で休んだのかとその方を見遣れば其処に続く扉が開け放たれたままである。
今までこの様な状況を目にしたのは皆無である。おかしいとは思ったがそれほどの大事を懸念するわけではなかった。やはり寝台に上がったのではなく少し前まではこの部屋に在った主人が奥の間に居るのであろうと開いた扉の先に声を掛ける。これにも答えはなかった。この時点で執事は某かを予感し、滅多に足を運ばぬ続きの間に進んだのである。
見れば更に先の扉もその奥にあるそれも皆解放されており、その都度発した問いかけには何事も返っては来ない。足早に部屋を抜け行きついた場所で彼の視界に飛び込んだのは、床に踞る主の姿であった。
夢中で駆け寄り、声を上げて名を呼んだのは言うまでもない。しかし執事の仰天を余所に主人は間もなく双眸を開いた。いささか緩慢ではあるが誰の支えも求めずに立ち上がり、自身で寝室へと向かったのである。拍子抜けはしたものの大事ではなかった安堵に胸をなで下ろしながら、それでも室内の僅かな灯りに照らされた主の顔が蒼白であったのに気づき医師の手配を口にした途端それをあっさりと拒まれたのであった。
当然一度で引き下がった筈もないが、返されたのが迷惑そうな答えであった故に執事もそれ以上の進言を諦める。
「何かございましたら直ぐにお呼び下さい。」
扉にむかいつつも気遣わしげに振り返る背にクラヴィスが言葉を寄越す。
「大した事はない。少し…気分が優れぬだけだ。」
礼を取り執事が退室したのち、クラヴィスは再び訪れた微睡みに落ちていった。これがその朝の騒動の一部始終である。



モニタを前に瞳を閉じ瞑想でもするかの様相でジュリアスは何事かを考えている。絡まる思考に埋没していたからだろう、一度呼ばれた己の名はその耳に届いていなかったようである。
「ジュリアス様」
二度目は確かに聞こえた。慌て目蓋を開き肩越しに振り返る。今朝方対応にあたった職員と他数名が後方に立ち彼を見ていた。
「お邪魔を申しまして恐縮でございます。間もなく定時となりますので、私どもは次の当直と交代を済ませましたら退出いたしますが…。まだ調査はお済みではありませんか?」
丁寧に語る彼の語彙には『何か手伝う事はないか?』の意が含まれていた。
手助けを請うつもりなど全くなかったがジュリアスの行きついた先を塞ぐ難問を打破する手段はとうに尽きている。
「少しそなた達の意見を聞かせて欲しいのだが…?」
職員は揃って快い返事を返す。受けたジュリアスは深く頷きそれではと概略を語る。ただしそれはあくまでも話の大まかでありクラヴィスに関する詳細を伏せたのは当然であった。
「ジュリアス様のお話は理解いたしました。クラヴィス様がお出でになった惑星には所謂スラムと呼ばれる地域が存在し、そこには日々の食に窮する者が住んでいると仰るのですね?」
「そうだ。彼の惑星の新たに建立された神殿は大層豪奢な作りだと聞く。たとえ民の一部となる者であろうとそうした者が在るにも関わらず、予算を神殿や其処に従事する者に当てるのはいささか問題ではないかと思うのだ。」
「それは調査に値する事象だと考えます。」
代表して答える職員の返答に他の者達も頷き同意を表した。
「本来こうした問題に聖地が関わるのは筋違いだとは承知しているのだが、仮にそれが事実であったなら某かの指導を与えるのも有るべき事だと私は思うのだ。」
「畏まりました。それでジュリアス様がなされた調査でどのような結論となりましたのでしょう?」
そこでジュリアスは暫しこの不可思議な現象をどう説明したものかと考えを巡らす。
クラヴィスがあの少女と出会ったと思われる場所が如何なる観点から探査しても発見できないのだ。聖地との時の流れを考慮し、それに合わせ時間を遡って綿密に検証したにも関わらず其処と思しき地区は皆無であった。
そんな事があり得るのだろうか?
ジュリアスは自身の疑問も含め機器がはじき出した結果をありのまま全員に伝えた。全てを聞き終えた職員の間から何とも言えぬ声が漏れる。有るはずの物が無いと言う事実に誰しもが返す答えを探し考え込んでしまった。
「失礼いたします。」
年かさの職員が何かを思いついたとジュリアスを囲む輪から外れ、広い室内の片隅に並ぶデータディスクの保管棚に向かう。数分ののち、彼は一枚のディスクを持ち戻って来た。ジュリアスの横をすり抜けパネルにあるスロットにそれを滑り込ませる。データ抽出のシュルシュルという機械音と共に幾つかのグラフが画面に浮かび上がった。
「これは?」
「はい、問題の惑星に於ける過去50年の人口分布と増減の推移です。これを先ほどの地表図に重ねて表示しますと…。」
言いながら職員は手際よくキーを叩く。グラフと図表が重なった途端そこには細かく色分けされた新たな地図が表れた。
「更にこの上に各個人の実収入を示した数値を加えます。」
すると先ほどの色地図に細かな点描が浮かんできた。
繁華街には赤色の点が集まり、住宅地区にはそれより少し黄みがかった赤色が。職員が説明をするより早くジュリアスはその色の意味を読みとった。
「収入の低い、或いはほぼ収入のない者は何色になるのか?」
「白色で表示される筈なのですが…。」
視線を返したモニターには白色などどこにも有りはしない。
「現在この惑星には基本水準を下回る住民の存在は認められません。」
「では…少し時を遡ってくれぬか?クラヴィスが赴いたのはこちらの時間で十日ほどまえになる。」
「はい。」
手慣れた手つきで新たな操作が行われた。しかし結果は少しも変わらない。
「同じ…と言うわけか。」
「それなら…。」
職員は次なる数値を打ち込む。僅かの間、機器が演算を実行する為に画面が黒に塗り変えられる。数分で解析が終了しそれまでとは異なる色を鏤めた地表図が映し出された。
「これは…。」
繁華街の北側に褐色の区域が広がり、その上には数え切れぬ白い点が集まっているのだ。
ジュリアスが職員を振り仰ぎ、これだとばかりに大きく頷く。ところが年かさの職員の顔には戸惑いが降りる。
「どうしたのだ?」
彼は困惑のままに答える。
「はぁ…これがジュリアス様のお探しになっていた場所だとしますと…。」
「何か問題があるのか?」
「はい…。これは…今から現地の時間で20年ほど前の分布になるのです。」



彼の惑星と聖地の時間差は概算で二倍の隔たりがあった。クラヴィスが訪れたのはその星の時間なら二十日ほど前の事。だが今目の前に表れたそれは遙か20年も以前の姿だと言う。二つの事実をどのようにすれば一つの現実と結論づけられるのだろうかと、モニタに見入る全ての者が言葉を飲み込んだ。





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