*COMET*

=6=

肩に置かれた掌に力が込められ骨が軋むほどの痛みを感じジュリアスは顔を歪める。故意ではないのだろう。それでも痛みを現す表情など知らぬとばかりに込められた力を抜く気配などない。
ジュリアスの言葉の裏にあるささやかな願いを汲み取るのは難しいにしても、それが彼の真意でないと平素のクラヴィスならきっと理解した筈である。ところが見えない願望を理解するどころか真っ向からそれに敵意を向け、ジュリアスの動きを力でねじ伏せたばかりかややもすれば拳を上げかねないクラヴィスの剣幕は尋常と言い難いものであった。
白皙からは一切の感情が捨てられている。なまじ整った顔立ちであるため、こうして表情を消してしまうと冷たさが際だち流石のジュリアスとて宥める言葉を失ってしまうのだった。ましてその眼光はいつになく鋭く薄暗い室内では黒にも見える瞳の奥に怒りの仄白い炎を宿した錯覚さえ呼んだ。
「聖地と…守護聖を護るためならば、如何なる手段も正当となる。例え、その陰で何人(なんびと)が嘆こうとも…だ。知っていたからこそ…わたし一人で収めようとした。それを…。」
ジュリアスを拘束する指に更なる力が加わった。ギシリと骨が鳴ったかに思えた。彼の頬に降れ、黄金の髪を柔らかく撫でる同じ指だとは到底信じられぬ仕打ちである。
「おまえ…人に物を恵んでくれと言った事があるか?他人の足下に伏して…何か下さいと、頼んだ事が…。」
問われジュリアスは消え入りそうに無いと返す。
「いつ戻るか分からぬ親を待った事は?」
頭が力無く振られ、緩く波打つ髪がフワリと揺れた。
「所在も…生死すら判然としない、顔も知らぬ父親が…必ず迎えに来るのだと…信じる虚しさが、どれほどのものだか分かるか?」
小さな頭は深く項垂れ何の反応も返らなかった。
「お前には到底理解などできまい…。薄汚い物乞いだと、罵られ…蹴り飛ばされた痛みなど…。」
ジュリアスの顔が上がる。驚き見開かれた瞳の先には辛酸に歪む色をなくした顔があった。
それまで胸にあった全ての懸念が一掃された。何故クラヴィスがそこまで拘るのか。過去の過ちをそこまで償おうとする理由は?単なる同情かそれとも彼が元来もちえる慈しみだけでは説明できぬそれが、この一言で解明されたのである。クラヴィスが擁護せんとするのはあの娘であり、彼女は遠い昔の彼自身であったのだ。



幼かった頃、聖地に連れてこられたクラヴィスはジュリアスより全てに於いて劣っていた。誰の目から見ても歴然とした格差があった。文字はほとんど読めず当然筆記もできない。言語は主星で用いられる公用語は片言しか話せず他者の語る内容も恐らく半分も理解できていなかった。人に対する礼儀や作法に至ってはお話にもならない。挨拶のひとつも返せない。名を聞かれれば蚊の泣くような声で自身の名前を述べるだけでそれ以外の質問にはただただ首を横に振るばかり。
果たしてこの幼い子供に守護聖などが勤まるのか?それ以前に人並みの振る舞いを身につけさせるなど可能なのかと誰しもが危惧したのである。様々な教育を受けさせ導こうとしても素直に臨む姿勢はなく、隙を見ては脱走を計った。叱れば押し黙り、その後は一人泣くばかりである。反抗の素振りでもあれば諭し宥め指導のきっかけとなるが、他者の手を拒み無反応に黙り込むのでは手の引きようさえない。
もし今、当時を知る者がクラヴィスの長じた姿を見たならこれが同じ人間かと驚き呆れるに違いない。はたまた信じられぬと頭を抱えるかもしれない。しかし此処に彼の過去を知る者はたった一人しかいない。供に女王の両翼となり宇宙を支える守護聖の筆頭に就く光の守護聖である。彼だけがクラヴィスの歩んできた道を知る。時に手を差し伸べ時に叱咤し今この時も同じ時間に身を置いている。
彼らの生い立ちはまるで一枚の壁を挟んだ表と裏であるかのようで、ジュリアスは物心つくかつかぬかより高い教育を授けられ生家は高名な貴族であり不自由と言う言葉など知らぬかに育った。親族からは幾人もの守護聖を出している一族ゆえに、彼の受けたそれは単なる英才教育の域を超えていたと言える。成る可くしてなったとは彼の様な人間を指す言葉である。たかだか五歳かそこらの子供とは思えぬ態度は決して周囲に好意的な印象を与えなかったとしても、守護聖としては理想的であり微塵の不安要素も認められなかったのである。
誰もが彼を評してこういった。
「生まれながらの光の守護聖に他ならない。」
これはジュリアスにとっても誇らしい賛辞であった。歳も変わらず同じ根元のサクリアを司るクラヴィスがジュリアスと比較されたのは言うまでもない。公然と語りこそしないが陰で囁かれる言葉は言わずもがなである。ジュリアスは恵まれた英才であり、クラヴィスは哀れな陰者だと誰もが異口同音に唱えたのだ。
ならば当人たちも同様に互いを評していたのだろうか?
幸いな事に周囲の囁きは彼らの想いとは異なっていた。クラヴィスにとってのジュリアスは眩い憧れであった。より近くに在りたい、出来るなら友として傍らを歩きたいと願ったのが幼い彼の望みだった。伸べられた手を振りほどかなかったのが何よりの証拠である。そしてジュリアスはと言えば、いささか複雑な思いを抱いていた。守護聖として彼は弱者であるクラヴィスの導きであったが、個人として彼の目に映る彼者は羨望と妬みを抱かせる存在であったのだ。
叱られたと泣き、転んで痛いとべそをかき、母が恋しいと涙するその様は決してただの弱き者でなく心根のままに振る舞える強者であった。自身の願望を何の衒いもなく現す術を持たぬジュリアスにとってクラヴィスの行いを言葉では否定しつつも胸の奥底では羨ましいと感じずにはおれなかった。また偶にクラヴィスが口にする母親との思い出には嫉妬を覚えたのである。
母親とはある一定の距離を開けた辺りで自身を見守る存在であったジュリアスには、同じ床に身を寄せ合って眠った記憶もなければ必要以上にふれ合った覚えもない。愛されていなかったなどと考えた事もないがこの場に居ないと泣いて求める対象でもないのだ。そうされたかった、そうであったクラヴィスが羨ましいと密かに嫉んでも仕方がない。恐らくジュリアスの内部でクラヴィスと肉親の有り様は淡い幻想となりえていたのだろう。
ところが彼の発した現実はそんな憧れを無惨にうち砕いてしまったのだ。他人に物を恵んでくれと乞いた事などない。蔑まれたことも罵られたことも、勿論殴られも蹴られもしたことはない。だがクラヴィスはあるのだ。自身と同じ場所に在る少女にそれ以上の苦痛を与えんと懇願するクラヴィスを阻止するなど出来はしないとジュリアスは己の無力を悔いるしかなかった。
彼に掛ける言葉も知らない。



ひたと捉えた視線の先でクラヴィスの口元が俄に上がり不可思議な笑みが形作られる。今まで見せた苦く自身を嘲るそれではない。不敵なともすれば淫猥にもとれる真意を汲めぬ笑いである。
「ジュリアス…。」
名が紡がれたと思うが早いか、それまで肩を強く握っていた手が俊敏にジュリアスの襟元の留め金を外す。乱暴に衣服を緩めたそれはあっと言う間にその内に入り込んだ。直接皮膚に触れる指先が熱い。何度も口に運んだ酒精の所為かもしれぬ。
なにを…と反射的に身を引かんとするジュリアスを制するかに忍び込む指先が胸をまさぐった。首筋に唇が触れ、触れたと思う間もなく痛いほどの口付けが落とされる。胸を乱し、脇腹を撫で回す掌を払おうと膝にあった腕があがる。だが抵抗は功を成さずに空いた片手につかみ取られた。
首に噛みつくばかりの口付けをほどこしていた唇が耳元まで動き、ジュリアスに何事かを告げる。
「汚らわしいと思ったか?」
何に対しての問いか理解できずジュリアスは黙したまま身体を引こうと足掻く。
「何処の誰かも分からぬ…行きづりの女を抱くわたしを…。」
熱に濡れた息が耳に忍び込む。行為の強要を迫りながら問いかける一言一言はジュリアスに向けられたものではなく、既に償えぬ自身の過去を己に問うているのであった。
手に入れられぬ諦めを他者で清算しようとした事、その後に起こるかもしれぬ可能性を考えなかった浅はかさ、いざ欲する者を得ればそれを記憶の淵からも消し去ろうとした身勝手さ、今になって明らかになった愚行を隠そうとした醜態、己だけで背負おうとした慢心、それなのにジュリアスを失うのは嫌だと嘆く清廉さの欠片もない欲望。こんな人間が赦されるはずなどなかろう・・とクラヴィスは続けた。
唇を塞がれていなかったのが幸いだとジュリアスは思う。何かを言い繋ぎこの場を収めなければと与えられる愛撫から意識をはぎ取り口を開いた。
「私は…そんなことなど…思わ…っ。」
言いかけたまま彼は大きく背を仰け反らせあらぬ声を上げる。
「あっ…んぁぁ…。」
腹の辺りにあった掌が一瞬のうちに股間に降り、ジュリアスの性根を強くさすったのである。快楽の衝動が全身を震わせる。
「止め…あぁぁ…クラ…っ…。」
掌に収めたそれに容赦なく刺激を与えつつ、クラヴィスは先を繋ぐ。
「嫌悪すれば良い…。わたしをうち捨ててくれれば…。」
抗おうと込められた力が徐々にジュリアスから失われていく。椅子に掛けた腰がズルズルと落ちかかるのを腕でささえ、そのまま胸に抱き寄せる。
間断なく続く局部への施しにジュリアスが屈するのに幾らも掛からない。僅かに開いた唇から忙しない呼吸とともに切なげな喘ぎが漏れはじめる。不規則に痙攣する両足が床に力無く投げ出された。意識に支配されぬ両腕が何かを求め宙を掻き、間近にある黒衣を掴む。それは真に欲しての行為ではない。強引に引き出された物理的な行動でしかなかった。
その証拠に時折目覚める理性が彼に拒絶を吐かせる。
「ああぁぁ…駄目だ…ん…止めて…ぁぁ…。」
切れ切れの願いもクラヴィスには届かない。更に強くさすりながら懇願を告げる唇を慈悲もなく塞いだのである。ただ貪るだけの口付けであった。



口を閉ざされ呼吸さえままならない。両足だけでなく全身から奪われた力は既に自分の意思で取り戻すも不可能である。痺れ霞む思考の一部にそれでも微かに残る理性がジュリアスに様々な問いを投げかける。
クラヴィスは何を思い何を願ってこんな行為に望んだのであろうか?
自身を蔑み、赦されぬと嘆きながら更に重ねる愚かな振る舞いの真意は何か?
強引にこじ開けんとする躯を貪った先にいったい如何なる答えを求めているのか?
私は…何を差し出せば良いのか?
狂ったように絡まる舌が不意に緩む。解放された唇が酸素を求め大きく開く。忙しなく胸を喘がせ浅い呼吸を貪るジュリアスの耳に低い声音が流れ込んだ。
「わたしを…赦すな…。」
その刹那、最後の強い縛めがジュリアスを襲った。
「んぅっ…。」
ジュリアスが息を詰め大きく体を震わせる。高ぶった彼の徴から快楽の証が迸る。それは止め処なく溢れあてがわれたクラヴィスの掌を濡らした。
ゆっくりと躯が床に降ろされ、半身を覆う衣装が払われる気配にジュリアスは次に訪れる何かを理解した。既に抵抗などする気もなく、揺れる視線の先に在る彼者の姿をぼんやりと眺めていた。





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