*COMET*

=3=

ジュリアスを扉の前に残し執事は軽く頭を下げると無言のまま去って行った。軽く握った拳を木製のドアに当てようとし、だが躊躇うかに直前で止める。普段通りで良いのだと今一度自身の有り様を確かめる。何時もと変わりなくクラヴィスに声を掛け、来訪の旨を述べ、先日の諍いなど気にもしていないと告げるつもりだと自身に言い聞かせる。無理強いはしない。いくら気になろうとも話したくないとするクラヴィスから無理矢理に事の次第を聞き出すなどしたくなかった。
例えあの薄い唇から放たれるのが自分の勘に障る皮肉であったとしても、今回ばかりは腹を立てることなく場を収める努力をすると決めていた。他愛もない会話にもしかしたらクラヴィスが語る気になるかもしれない。それを待つのだとジュリアスはもう一度胸の奥で固く誓った。
深く息を吸い長く吐き出す。すっと上げた手の甲で扉を二度叩いた。
「入れ…。」
ジュリアスを招き入れる声は常と変わらぬ抑えたクラヴィスのそれであった。
開いた先にある部屋はやはり薄暗かったが既に廊下の暗がりに目の慣れたジュリアスにはさしたる不自由もないようだ。中央に置かれたテーブルに着くクラヴィスが顔だけを向けてジュリアスを見ていた。後ろ手に扉を閉じながら「変わりはないか?」と問いかける。答えはない。近寄りながらクラヴィスの顔を具に探る。室内の暗さで判然とはしないが疲れた顔をしていると思えた。
向き合った位置にある椅子に掛けながらもう一度言葉を掛けた。
「どうしているか様子を見に来た。」
「そうか…。」
「私に腹を立てているのか?そなたの・・都合も考えずに怒鳴ったりしたから…。」
「いや、お前に腹など立てていない。」
ジュリアスが黒曜石の瞳を覗き込み次ぎの言葉を探す。
---そんな顔をするな…---
クラヴィスは自身を真っ直ぐに見つめるジュリアスの瞳から堪らず視線を外した。
迷っているのだと分かった。こんな不安そうな迷いを露わにした表情などするなと言いたかった。対する相手を居竦ませる強靱さを放ち答えを強要しようとでもしてくれれば良いものを、まるでジュリアスに落ち度があり許しを請うかの不安定な瞳で自分を見るのは止めてくれと声を上げそうになる衝動を何とか押さえる。
お前に否などない。全ては自分の責であり、何が有ろうともそれを収めるのは己に架せられた罰なのだと思えば胸の奥で膨れ上がる苦い塊がまた大きくなる。
「言いたくないのなら…無理には聞かぬが、無断で執務を執らぬのをこれ以上見過ごすのは私の本意ではない。」
「…。」
テーブルの一点に視線を落としたままクラヴィスは分かっていると言うように小さく頷いた。
「こうして屋敷に籠もって何をしているのかも教えて貰えぬのか?」
「…。」
眉根を寄せ滑らかな額に深い皺を刻むクラヴィスが心底困った顔をする。
まだ何の手がかりも得ていない状態で語るべきでないが、先に延ばしたところで何時が最良なのかも全く分からない。今は話せない、あと少し時間をと欲すれば恐らくジュリアスはこの場を引くだろう。しかし引きながらも今以上の不安を抱くのは目に見えている。きっと分かったと笑顔の一つも浮かべるに違いない。落ち着いたら話してくれればそれで良いと言いながら不安定に揺れる心を隠す笑みを作るに決まっているのだ。
巡る思考に堕ちていくクラヴィスの耳にジュリアスの諦めを含む嘆息が聞こえた。
「突然訪ねて…済まなかった。」
ガタリと椅子が鳴りジュリアスは立ち上がった。顔を上げたクラヴィスの目線の先で確かにジュリアスは微笑んでいる。穏やかなそれがいったいどれほどの葛藤を隠しているのかと睨むほども見つめるクラヴィスに邪魔をしたなと言い置き、ジュリアスは軽やかに裾を返して扉へと一歩を踏み出した。
「…待て。」
押し殺した声が行く足を止めた。
「全てとはいかぬが…。」
今伝えられるだけを話すとクラヴィスは告げた。聞いたところで面白くもない話だと冗談めかしく言いながら彼は苦く笑った。



「二週間ほど前に…わたしが視察に降りたのは覚えているな?」
机上に組んだ両手に額を寄せクラヴィスは途切れ途切れに続けるのだった。
「ああ。」
それは確かにジュリアスから伝えたものであった。
書簡にざっと目を通しながら相変わらずの表情を浮かべ面倒な事だとクラヴィスは苦言を零した。職務だから文句を言うなとジュリアスが返せば、職務だから難儀なのだと更に顔を顰めるクラヴィスの肩を軽くこづいたのは午後も遅い執務室のことであった。
その翌日彼は従者を伴い主星からほど近い惑星に赴いた。そこで何があったのかとジュリアスは先を待つ。待ちながら唐突と一つの謎が明らかになるのに気づく。あの視察から戻ってからなのだ。クラヴィスの様子がおかしいと感じたのは。
「富める者とそうでない者が混然と暮らす場所だった…。」
彼が見せられたのは恐ろしく立派な神殿であり、周囲に立ち並ぶ神官の居住施設であった。
高台に建つその建造物から見下ろす町並みは清潔で美しく整備されており、惑星の中心となる街には凡そ貧富の差など存在しないかに見えた。
『女王陛下のご加護によりこれほどまでに豊かな地となりました。』
誇らしげに語る神官の長は迎えた闇の守護聖が自分の言葉に頷くの知り、大げさな身振りで感激を著すのだった。
どう聞いても自画自賛にしか思えぬ羅列に辟易としながら、クラヴィスは本当にこの地が何人にも恙ない平穏を与えているのかと不審に思う。何も彼が疑り深いわけではないのだが、得てして人は知られたくない部分を隠す為大仰に光の当たる一面を誇示する傾向がある。恐らく自分には見て欲しくない場所があるのだろうと彼は推測したのだった。
真っ正直に見せてみろと言っても無駄に決まっている。それ故クラヴィスは一連の行事が済んだ後に催される歓迎の宴を辞退し、宛われた居室には戻らず夕闇の降りる通りへと出かけていったのだ。
美しく飾り立ていくら化粧をほどこしたとしても、その裏には必ず本当の顔が隠されている。元来裏など存在しないならどれほど飾ろうが何の問題もない。しかし悲しいかな華美な装飾をすればするほど、隠す真実の在処を語ってしまうものなのだ。
大通りからひとすじ奥に踏み入る。更に奥へ。石畳の敷かれた道が何時しか何の手も加えられていない剥き出しの地面へと変わる。両側に立ち並んでいた住宅の家並みが途切れた先には果たして人など住んでいるのかと首を捻る崩れた土壁が現れた。廃材を組み合わせただけの家とも呼べない建物が不整地の所々に建っている。だが確かに人が暮らしている証拠に風にのり遅い夕餉の匂いが運ばれ、耳を澄ませば遠く子供の甲高い声が聞こえた。
クラヴィスはそこから先へ行くのを断念する。これで充分だと思った。巨額を投じ建設された白亜の神殿と周辺の施設。整然とならぶ住宅の数々。この星を支える経済はそこにのみ豊かな恩恵を与え、それ意外は別の時空にあるが如く何も享受しない仕組みが出来上がっているのは充分過ぎるくらい分かったからである。
そしてこんな事は少しも珍しくないのだ。何処にでも当然のように存在する図式である。万人が分け隔てなく平穏を与えられるなど下らない理想でしかない。仮に何らかの手を打ちこの地に平等をもたらしたとしても、それは数限りなく宇宙に生きるたった一つの歪みを正したにすぎないのだ。
分かり切っていたことである。それを今更のぞき見て自分は一体何をしようとしたのかと口元に乾いた笑いを張り付けクラヴィスは元来た道を戻り始めた。



黙したまま聞き入るジュリアスにクラヴィスが訊ねる。
「何か、飲むか?」
「いや…私は要らぬが。」
組んでいた両手が解け、わきに置かれるベルを鳴らす。
間をおかずやって来た側仕えにクラヴィスは軽めの酒精を持ってくるよう言い渡す。
「昼間から酒か?」
案の定ジュリアスが眉を寄せる。
「間もなく日も暮れる。」
言われて壁にある時計を見れば成る程確かにそんな時刻になろうとしていた。
気づかぬうちに時は流れていた。それでもまだクラヴィスの語る話は核心には触れてもいない。気は急いているのだが、ジュリアスは先を促すのを躊躇った。あれほど知りたいと望んでいながら今は聞かなければ良かったかもしれないと後悔しはじめている。クラヴィスが明かそうとしなかったそれを自分もまた知らない方が自身の為ではないかと迷いが生じているのだ。
今ならまだ間に合うかもしれない。済まなかったと謝罪しこの場を辞するなら今なのだと考えながら、それでもジュリアスは席を立とうとはしなかった。既に幕は切って落とされたのだ。無理強いこそしなかったがこうなる事を全く予想しなかったかと問われれば否定できない。恐らくクラヴィスは運ばれてくる酒精でのどを潤したのち又語り始めるだろう。
彼曰く、すこしも面白くもない話に違いないとジュリアスも理解している。それならどのくらい面白くないのか、クラヴィスが言いたがらなかった理由(わけ)と彼を鬱々とさせる何かが如何なるものなのかを知らなければならないとジュリアスはもう一度自身の決意を確かめたのである。



薄い透かしの入るグラスが乾いた音を発てテーブルに置かれた。
要らぬと言ったにも関わらずクラヴィスはジュリアスの前にも同じものを寄越した。仄かな紅色の液体がグラスの中で揺れる。一息にそれを煽るクラヴィスに続きジュリアスも一口を喉に流し込んだ。甘い果実の香が口内に広がるのだが、何故か美味いのか不味いのかが分からなかった。
「口にあわぬか?」
よほどおかしな顔をしたに違いない。そう訊ねられジュリアスは思わず苦笑する。
「そうではないが…。」
彼はこの時初めて自身が必要以上に身を固くしていたのに気づいた。口に入れた酒の味も分からぬほど。
「外灯もない暗がりを、通りに戻ろうと歩き始めた時だ。」
空いたグラスにつぎを注ぎながら、まるで世間話でもするかに淡々と話始めるクラヴィスをジュリアスはぼんやりと眺めていた。



足下には石や崩れた壁の欠片があり、それに気を取られていたからかもしれない。不意に袖を引かれギョッとしてクラヴィスは振り返った。彼の衣装の端を握っていたのは痩せた小さな手である。少女はクラヴィスに向けて空いている手を開いて差し出した。物乞いである。身に纏う衣服は薄汚れて元がどんな色かも判別出来ない。肩の下辺りまである髪は一度も櫛の歯など通したことはないらしく縺れ絡み合っている。
それよりも風呂に入ったのは何時のことか、いや…果たして入浴などしたことがあるのかと疑いたくなる有様であった。大きく開いた襟元から見える鎖骨は浮き上がり、痩せこけた身体から最初は少年かと見間違えたのも仕方がなかった。年の頃は十か十一。しかしよく見れば薄い布の下には胸の膨らみがある。もしかしたらもう少し歳はいっているのかもしれない。
何も言わず自分を見下ろすクラヴィスに焦れたのか、少女は更に掌を突きだして見せる。こんな奥まった辺りまで入って来た酔狂な旅行者ならそこそこの施しを得られると踏んだに違いない。何か寄越すまで絶対に離すものかと少女は握った拳に力を入れる。勿論クラヴィスも無碍に振り払う気などなかった。
懐を探れば幾らかの金銭がある。数枚の小銭と恐らく彼女が目にしたこともない筈の紙幣を汚れた掌に乗せてやった。それまで一言を発するでもなく、ギロギロと大きな眼(まなこ)を向けていた少女が吐き捨てるように言った。
「金じゃない!食べ物をくれ。」
金などあっても誰も自分に売る者など居ないと彼女は憎々しげに言い捨てる。しかしクラヴィスも食べ物など持っていない。
「悪いが…今はそれしか持ち合わせがない。」
「嘘だ!あんたみたいな格好の奴は絶対なにか持ってるに決まってる。」
旅行者は間違ってこんな場所まで入り込んで来る前に必ず大通りで買い物をしている。家族や友人や知り合いに渡す土産の中には菓子であったり食品であったりする何かがあるのだと彼女は強く主張する。
「生憎わたしは旅行者ではない。仕事で来ているのだから土産も買ってはいないのだ。」
困り果てて半ば頼み込むかに済まないと告げるクラヴィスを少女は未だ疑いの眼差しで見つめていた。
「腹が減っているのか?」
あまりに当たり前の問いを向けたクラヴィスに彼女は呆れ返ったと言いたげにそうだと答える。
「親はいないのか?」
「いるけど…。今日は帰って来ない。」
「そうか…。」
どうしたものかと逡巡した後、クラヴィスが一つの提案を上げた。
ここで待っているなら自分が食物を買ってきてやっても構わないと言ったのだ。それに対する彼女の反応は相手を小馬鹿にした薄ら笑いであった。
「そう言って戻って来た奴なんか居ない。」
置き去りにして逃げるつもりなどなかったが、返された言葉こそ真実なのだとクラヴィスは次を続けられず押し黙る。
ふと新たな閃きが頭を過ぎる。自身の衣装を掴んでいた手を反対に彼が取った。振りほどこうとする少女にそれなら一緒に来いと言うが早いか、眩い明かりを目指しクラヴィスは歩き始めた。
店まで供に来るのが憚られるなら、通りの手前で自分が戻るのを見張れば良いと続ける。反論はなかった。と言うより予想しない事の成り行きに少女は気圧されていたのである。
急ぎ歩を進める靴音にパタパタと素足の足音が続く。徐々に近くなる通りの明かりがクラヴィスと少女の姿をあきらかにしていた。あと数メートルで街路に出る辺りに来た時、唐突と少女が立ち止まった。何事かとクラヴィスが顔を向ける。
「どうした?」
しかし彼女が発したのはそれへの返答ではなかった。目を見開いてクラヴィスを見上げる彼女は惚けたように小さく呟くだけであった。
「あんた…。」



再びグラスを手にしたクラヴィスがジュリアスに問う。
「何と言ったと思う?」
ジュリアスは首を横に振り、目線だけで分からぬと告げた。
「わたしを…父親だと言ったのだ。」





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