*COMET*

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その日の朝、まだ東の空が白み始めるよりも更に早い頃クラヴィスは私室にあるテーブルに向かっていた。別にこの日彼がこんな時刻に目覚めたのではなく、もう幾日も寝台に身横たえて睡眠を摂るなどしていないだけなのだ。どうしても抗えない睡魔がおとずれれば、そのまま椅子の背に身をもたせて目を閉じるのみ。ほどなく浅い眠りがやってきてそこに意識を落とす。
元来ぐっすりと眠るのも珍しいわけで、こんな半端な姿勢で休んでも本人はたいして苦にもならない様子であった。彼が何をしているのかと言えばその長く細い指を机上に置いた遠見の水晶に翳しては写し出される映像を食い入るように見つめている。見知った聖地の景観がグニャリと歪みチラチラと意味のない模様が現れたと思うと、次には全く見覚えのない木立の並ぶ通りが浮かぶ。
新たな映像が映し出される度にクラヴィスは僅かに身を乗り出しそれを見るが、そこに求める某かが存在しないと分かると微かに息を洩らし再び掌を翳す。日に二度運ばれる食事を摂るか、思い立ったようにカードを並べる以外の時間を彼はそうして過ごしている。
この行為が無駄なのかそれとも次こそは探す何かが得られるのかは彼自身にも図れない。そうするしか無いのだろう。これまでも幾度もこうして失せ物を手にしてきた。勿論この方法が唯一無二などとは考えていないのだが、今回ばかりは誰の手にも委ねられないのだから仕方がなかった。
何が在ろうとも他者には知られたくない理由がある。それはこの宇宙を統べる女王にも、そして彼の愛するジュリアスにも。いや、ジュリアスにこそ知られたくないのである。彼の者に全容を知らせるのは自身とその者との関係を無に帰すのと同義であるからだ。
だがこうして求めるものを探し出せたとして、クラヴィスが胸に抱く懸念が真実となればやはり結果は同じとなるのも分かっていた。どちらにせよジュリアスをこの地に残し己がこれまで嫌悪し続けた守護聖から解き放たれのには変わりないのである。
どれほど逃れたいと思ったか。何度ここから抜け出そうと無駄な行為を繰り返したか。如何なる理由であろうとも今回ばかりは守護聖を続けるわけにはいかないだろうとクラヴィスも考える。自分の犯した愚行により退任が少し早まっただけだと何度も自分に言い聞かせた。望みが叶うのだから何も嘆くなどないだろうと。喜びこそすれ悲しむ謂われなどないのだと。
それでも胸の奥底から沸き上がる後悔の二文字には必ずジュリアスの面影が重なるのであった。例え心通わせられずとも同じ場所で同じ時を過ごせればと願い、奇跡と疑うジュリアスとの和解が訪れ今は互いに求めあい躯を重ねる仲である。それを自身の手で切り捨てる事になろうとは、思ってもみなかった。
図らずもジュリアスを想っていたからだろうか、水晶は数度瞬きを放ったのちに唐突と黄金色の髪と蒼天の瞳を描き出した。クラヴィスは驚き目を見開きつつもその姿に見入る。柔らかな細い髪を掻き上げる仕草、周囲に誰もいないのだろう面にはどこか無防備な表情が窺える。恐らく小さな球体が見せるジュリアスは今この時の姿なのだと思えた。チラと時計を見遣ると針は彼の目覚めるであろう時刻を指している。私邸の寝室で目を覚ましたばかりのジュリアスがそこに居たのである。
節の立たぬ長い指先が滑らかな表面をその者の輪郭に沿って辿る。揺れる髪をまるでそれに触れているかにゆっくりと撫でる。そうしていたのは僅かな間であった。主の望みなど知らぬと言うように水晶は瞬く間に異なる映像に変わってしまった。白い指が球体の表面からすっと離れた。また小さなため息が落ちる。



椅子が床を動く軋んだ音が鳴った。
クラヴィスはふらりと立ち上がり室内を音もなく横切る。厚い帳の降ろされた窓の一枚を少し払い外を眺めた。時計の針が動くのに合わせ間もなく姿を現す朝日の先触れが空を染めていた。夕暮れとは異なる深い碧色の空がこの日もまた穏やかな天候なのだと教えている。穏やかな一日が始まろうとしていた。重い帳を押さえていた指がそれを離すと、また室内は夜に戻り時の流れなどあって無いとでも言うかの薄闇が舞い降りた。
額に掛かる髪を鬱陶しげに掻き上げた長い指がこめかみを押さえる。それなりに肉体は疲労を覚えているらしく、それほど酷いわけでもないが昨夜からする頭痛は治まる気配がなかった。やはり一度横になるかと寝室へ続く扉に視線を運ぶが、それも億劫だとクラヴィスは壁際に置かれる長椅子にごろりと横になるのだった。
仰向けに身を投げ、天井の辺りをぼんやりと眺める。もう二週間ほど前になるであろう、あの視察で訪れた惑星の鄙びた街の景観を思い浮かべる。まさかあの場所で自身の愚かしい行いの結果を突きつけられるとは思いもよらない事であった。視察先で行われる歓迎の晩餐を断り、気まぐれに出かけた街の通りで出くわした物乞いの娘に言われた一言が片時も脳裏を離れないのだ。
悪い冗談だと笑い飛ばせればどれほど気が楽かと埒もない逃げを繰り返し、だが身に覚えが有りすぎて真っ向から否定するも出来ず、それでいてあの娘の顔を思い出せたのは最初の数日であり、ここ2〜3日は輪郭と頭髪は思い描けるが目鼻立ちは判然としないのも事実である。
たったそれだけを手がかりに水晶を繰ったところで果たして見つかるのだろうかと再び同じ懸念が湧き起こる。しかも娘の所在を手にして、素性を確かめた先にある二つの可能性の一つがジュリアスとの決別なのであるから両の手で己の首を絞めているに違いないのだ。でも探さずにはいられない。探さねばならないと決めたのは己自身であった。
考えれば考える程馬鹿らしく愚かしい堂々巡りである。それ故最後には必ず自身に向けた嘲笑が口の端から零れるのである。今もそこまで考えたクラヴィスは片頬を引き上げ喉の奥を震わせて低い笑いを洩らした。
横になっても少しも眠くはならなかった。しかし一旦横になってしまうと起きあがるのも面倒である。クラヴィスは仕方なしに目蓋を閉じて全身の力を抜くのだった。
窓の外から確かに陽が登り始めたのだと告げる小鳥のさえずりが聞こえる。室内には時を刻む硬質な音だけが流れていた。


そう言えば…。
ものの5分と経たぬのだが頭を過ぎった閃きにクラヴィスは目蓋を開いた。あのジュリアスとの言い争いが月の曜日の事であり、今日は土の曜日だと気が付いた。この処は不意の事故などない限りジュリアスも執務を執らぬようになっている。恐らく彼は今日明日にも自分を訪ねて来るに違いないとクラヴィスは確信する。それは単なる勘ではなく、長きを供に過ごし互いを熟知するが故に導き出される推察なのであった。
きっとどんな拒絶もジュリアスには通じないだろう。甚だ不本意だと思いながらも此処まで訪ねてくる筈である。顔を合わせない訳にはいかないとクラヴィスは心を決した。
起きあがり長椅子を離れた彼はテーブルにある銀のベルを鳴らす。間もなく現れた執事にもしジュリアスが訪ねて来たなら私室に通すようにと伝えるのだった。



「畏まりました」
静かに扉を閉めた執事の遠ざかる足音が響いていた。小さくなるその音が消えていくのを耳にしながらクラヴィスは今一度乾いた笑いを落とすのだった。





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