*夏の幻想-maboroshi-*

=3=

「そなたは一体なにが言いたいのだ。」
とうとう声を荒げてしまったジュリアスに否があるなどと誰も思わぬだろう。
そしてクラヴィスが単なる思いつきでそんな事を言いだしたのではないのも分かり切ったことであった。
ジュリアスはすこし結論を急ぎすぎるきらいがあるだけで、クラヴィスは言葉が短絡的すぎる傾向にある。
ただそれだけの事なのだ。
何の脈絡もなくお前の所為だと言われれば腹を立てても仕方がなかった。
またいつもと同じに自身の言葉の足り無さをクラヴィスは少なからず悪いと感じたのだろう。
「別に・・お前を責めたつもりはないのだが。」
うつむき加減でボソボソと言い訳とも取れる某かを呟く様には、とても守護聖の威厳などみとめられず、
どう見ても年上の者に叱られる子供のようである。
「私も・・別に怒ったわけではない。」
そんなクラヴィスの態度にジュリアスの中にあった小さな怒りは見る間に消えていった。
「ただ・・そなたが何を指してその様に言ったのかが知りたかっただけなのだ。」
今度はジュリアスが取り繕うように話す。ことを急いで声を上げたのが決まり悪くなったのかもしれない。
「お前は忘れてしまったかもしれぬが・・・。」
入れ物に収まる氷菓を指先で弾きながらクラヴィスは続けた。



あの頃、聖地に四季は存在しなかった。
日々の気候は温暖で時に潤いをもたらす雨が降り霧の立ちこめる朝もあったが、身を切る寒さや汗を拭う暑
さとは無縁であった。強いて言えば過ごしやすい初夏が保たれているというのが近いかもしれない。
ジュリアスとクラヴィスがまだ幼い守護聖であった頃、他の年長の守護聖達は機会があるごとに彼らに珍し
い菓子を与えたり、暇を見つけては聖地のあちこちに連れて行ってくれたものだ。
確かあの時は地の守護聖が休日の庭園に二人を連れだした。面白い見せ物が来ているからと彼らを誘いに来
たのだった。
広場に繰り広げられる大道芸や初めて触れる異国の動物は聖殿で大人に混じり執務を執るジュリアスとクラ
ヴィスにあどけない笑顔を運んだ。
特にジュリアスは普段から子供らしからぬと陰口をたたかれるほど守護聖たらんと振る舞う様があるから尚
のこと、キラキラと瞳を輝かせ他愛もない出し物に見入る姿には同伴した地の守護聖の胸を打つものがあっ
たに違いない。
嬉々としてクラヴィスの手を取り、所狭しと並ぶ露天の店先を忙しなく見て歩くジュリアスは少し得意げで
あった。そして手を引かれるクラヴィスにしても、普段の伏し目がちな様子など微塵もない嬉しそうな笑顔
を見せていた。
「クラヴィス!あちらへ行ってみよう!」
「クラヴィス!見てみよ!」
「クラヴィス!あれは何だろうか?」
クラヴィス・・クラヴィス・・クラヴィス・・・・・・・。
子供特有の甲高い声を上げ、ジュリアスは振り返りクラヴィスを見る。その度にこくりと小さな頭が動き、
遅れまいと繋いだ手に力が入った。
ひとしきり二人は庭園を走り回り、最後に訪れたのがその「氷菓」を売る屋台であった。
夏の日射しの下で透明の容器に収まる色とりどりの果実はクラヴィスの心を奪ったようである。
冷気を満たしたガラスケースに並ぶそれらに薄紫の瞳が吸い寄せられ、それまでジュリアスの後ろを追って
いた足がピタリと止まった。
「クラヴィス、そろそろ・・」
屋敷に戻ろうと言いかけたジュリアスもそんなクラヴィスの様子に気づいた。
「美しいな。」
「・・・うん。」
「欲しいのか?」
こくりとまた頭が動いた。
クラヴィスの頷く様を見るが早いかジュリアスはそれを一つ買い求める。店主が恭しく差し出す入れ物をま
っすぐクラヴィスに渡した。
大事そうに受け取った容器をクラヴィスがそっと開き、ひんやりとした一つを取り出そうとした瞬間それま
で少し得意げでしかし何時になく嬉しそうであったジュリアスの口からひときわ高い声が上がった。
「駄目だ!クラヴィス!!」
小さな指さきがビクリと震え、驚いたクラヴィスは手にした容器をもう少しで取り落とすところであった。
「こんな処で食してはならぬ!」
手も洗っていないし、行儀が悪いとジュリアスは矢継ぎ早に言葉を続けた。
それも一理あるのは分かる。しかしクラヴィスにも言い分があった。
「でも・・・館まで持って帰ったら溶けて・・食べられなくなる。」
先ほどまでの笑顔が消えた。足下に視線を落とし消え入りそうな反論が返る。
しかし、これは譲れないとばかりにジュリアスは少しも引く気配をみせない。
再び理路整然とした正論が放たれた。
「・・・・でも。」
それに返す言葉をクラヴィスは知らなかった。
とても綺麗だったから。夜空にきらめく星の欠片のようで・・・。
きっと甘くて美味しいと思った。
ジュリアスと二人で食べてみたかった・・・。
言いたい言葉は溢れるくらいあるのだが、何故か一つも形にはならなかった。
うつむいたまま黙り込むクラヴィスの姿にジュリアスは自分の言いようの厳しさを知る。
「クラヴィス・・・。」
名を囁くとジュリアスは未だ何も言わぬクラヴィスの手を強引に取る。強く引きながら突如早足で歩き始め
た。
ズンズンと歩くジュリアスに引かれるまま、幼い闇の守護聖はそのあとに続く。前を行く者が何を思うのか
など分からなかった。しかし逆らう気持ちもありはしない。
「早く戻って・・。それが溶けないうちに屋敷に戻って食べれば良いのだ!」
振り向きもせずジュリアスは言った。
肩先に揺れる巻き毛が風になびき、前方を見つめたまま歩むジュリアスの頬がちらとのぞく。
上気したように朱に染まったそれが彼の心中を伝えているかに思えた。
相手の言い分も聞かず責めてしまったこと。その言葉の厳しさを考えなかった後悔。
そんな諸々を恥じているのだと頬の赤味が語っていた。
必死に私邸を目指し彼らは黙々と歩いた。
だが、所詮子供の歩調である。結局屋敷にたどり着いた時にはあんなに美しかった果実は無惨にも融けてお
り、とても食べられた代物ではなかった。



そんな事はすっかり忘れていたとジュリアスは呆れた顔をする。続けて、そなたがそれほど執念深いとは思
っていなかったと苦笑を洩らした。
そんな何十年も昔の話を覚えているなど思ってもみなかった。心底おどろいた風にジュリアスは言った。
たいがいの事は忘れるが、あれは余りに残念だったゆえ覚えていたのだとクラヴィスが返す。
「食べ物の恨みとは・・恐ろしいものなのだ。」
言いながら口の端を微かに上げてクラヴィスは意味ありげな笑みを作る。
「美味くもないと言ったくせに・・。」
どこか悔しげな含みの欠片を向けつつ、ジュリアスは視線を遙か先の木立に運んだ。
もう理由など分からぬが今日のクラヴィスは違っている。
こんな風に昔語りをするのも珍しいし、ほんの子細な出来事を覚えているのも意外な事だ。
ジュリアスがあれやこれやと思いでを引き出しても、そうだったか?忘れてしまった・・果てはお前はつま
らぬ事ほど良く覚えているとからかわれるのが常であるのに。
日のもたらす暑い熱が何かを違えているとしか考えられなかった。
まだ夕暮れには遠い時刻の吸い込まれるほどにも蒼く高い空の先には大きな雲の峰が連なっていた。
木立からその方に視線を移したジュリアスは眩しげに目を細め、刻々と姿を変える夏色の空をただ見つめて
いた。
クラヴィスの記憶にあった遠い過去の日々。それを知る者はこの世に己だけしかいない事実。
あの日二人を誘った地の守護聖も、庭園に集う人々も、異国の詩を奏でた楽士達も、既に遙かな旅路へと出
かけてしまった。もう誰もいないのだ。自分とクラヴィス意外には、誰も。
胸の奥が微かに疼く。
何時の日かそのクラヴィスさえもが傍らから居なくなる時がやって来る。他愛もない想い出をただ一人でた
ぐり寄せ、抱きしめる日々が必ずいつか・・・。
「もう、戻るか。」
肩に置かれた手のひらに心が引き戻された。
数歩さきに行きかけたクラヴィスが振り返る。振り返りついと手を差し伸べた。
無意識にそれを取ろうと華奢な腕が動き、思い直したように戻りかけたその時。
「ほら・・。」
戻ろうとした手をクラヴィスが掴んだ。長い指がジュリアスの細い腕をとらえる。
「クラヴィス、手を離して・・・」
人が見ている・・・。言わんとした言葉が遮られる。
「もう、誰もいない。皆、彼方に行ってしまった。」
見回せば周囲に居たはずの姿はなく、庭園の奥から軽やかな音楽と大きな拍手が聞こえた。
流れるメロディーに手拍子が絡むのは、噴水の向こうで新しい見せ物が始まったからであろう。
「さぁ・・・。」
軽く引かれるまま、ジュリアスも歩き出した。
既に手を離す気など失せてしまったのか、ジュリアスは自らクラヴィスの手に細い指を絡める。
手を繋ぎ、私邸に向かい歩く影は先ほどより幾分長くなっていた。



夏の一日は緩やかに過ぎようとしている。

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木々の合間に館の白壁が見えてくるまで、二人は何も語らずゆっくりと歩を進めるだけであった。
時折クラヴィスが顔を巡らせジュリアスを見る。別に笑いかけるでもなく、ただ振り返り顔を見るだけで何
も言わない。
降るような蝉時雨の中を彼らはそうして抜けていった。
通りから光りの館に入る小径の手前で、不意にクラヴィスが立ち止まった。
繋いでいた手をほどき、ジュリアスに向き合う。
片手には既に空になった透明の容器を持ち、空いた手で衣装の懐を探っている。
懐から出したそこには何かが握られていた。
ジュリアスの目の前で手のひらを開ける。そこには生成の布でできた袋が乗っていた。
「陛下の散策につき合わされた時に見つけた。お前の・・生誕の祝いと・・。」
可笑しそうな声音が続く。
「長年思っていた菓子が食べられた記念だ。」
言いながら袋から何かをつまみ出す。それは一対のピアスであった。
珊瑚にも似た色の仄かに光沢のあるピンクパールのピアスをクラヴィスは手渡すのではなく、ジュリアスの
耳に手を伸ばし着けてやろうとするのだった。
触れられた耳が急に熱をもったかに火照るのが分かった。クラヴィスの指先がやたらと冷たく感じる。
間近に感じるその息づかいに胸がドキリと鳴った。
耳にあった指が今は顎にかかり、引き寄せようとしている。
クラヴィスが口づけようとしているのだと思い、そう思いながらジュリアスは静かに瞳を閉じた。
今朝から起きた不思議な出来事はきっと夏の幻想なのだと自身に言い聞かせ、寄せてきた唇を迎える。
静かにふれ合ったそれが胸にしまう想いを告げるように、深く重なっていった。



蝉の音はまだ止まない。
夏の光に溢れるめくるめく煌めいた一日はもう数時間で暮れていくのだろう。
これはジュリアスが思うように強い日射しの見せた幻だったのかもしれない。
だとしても・・・。
クラヴィスの寄越した祝いとともに、それは確かにジュリアスの記憶に刻まれたのだ。
いつか一人でこの日を思うのか、それとも今日のように二人で語り合うのかは誰にも分からない。
出来ることなら、あの日射しの色と風の薫りと空の蒼さと・・・・。
そして繋いだ手の温もりを同じ時の流れの中で思い出せればとジュリアスは願う。



夏色の風に吹かれた幻想とも思える記憶の欠片をクラヴィスとともに。





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