*夏の幻想-maboroshi-*
=2=
子供達の歓声があちこちから聞こえてくる。
手に氷菓を持った二人の子供がジュリアスの横を駆け抜けて行った。
振り返りその後ろ姿を眺めジュリアスはふと微笑を浮かべた。
少し後ろを歩くクラヴィスをチラと見ると彼も同じように、既に小さくなってゆく幼い背を見つめていた。
休日の庭園は思った通りに大勢の人々で溢れている。
家族が夫婦が恋人達が鮮やかな日射しを受け、笑顔を輝かせる様は今の宇宙に確かな平穏があるのだと告げ
ているかに思えた。ジュリアスは彼らの穏やかな日常を目にするのが好きだ。
日々彼の行う責務が少しでも実を結んでいると感じるひとときだからである。勿論、この世の不穏が皆無で
あるなどと慢心しているわけではないのだが、嘗て宇宙が崩壊に向かい進んでいた頃はこの聖地にさえ暗い
翳りが落ちていた。だから彼らの一欠片の笑顔にさえそう感じてしまうのかもしれない。
日の曜日の庭園にはいくつもの露天が店を開き、訪れた人々はその間をそぞろ歩いている。
中央にある噴水の周囲には弾ける水の眺めから涼を得ようと、やはり沢山の人が佇んでいた。
左手の木立の奥に進めばカフェテリアが見えて来る。ジュリアスは折り重なる枝の緑が作る影の中を少し急
ぎ足でそちらに向かい歩を進めた。
「やはり影に入ると涼しいな。」
かけた声に答えが返らない。思わず振り向くとすぐ後ろにいた筈のクラヴィスは木立の続く遙か後方に立ち
止まり、何かを眺めているようである。背で一つに束ねた髪が木漏れ日を受けて艶やかな黒に見えた。
「また何かを見つけたのだな・・。」
こぼれた一言は柔らかな笑いに揺れていた。
早く来いと言おうとしたが、それをジュリアスは胸に納めた。気が済めばクラヴィスは何食わぬ顔でやって
来る。もう本当に幼い頃からそれは変わらない。
いや・・小さい頃は気が付いた時にジュリアスの姿が見えないと今にも泣き出しそうな顔で後を追って来た。
こんな事は口が裂けても言えないがクラヴィスのそんな頼りなげな顔が見たくて、誰よりも自身を求める小
さな闇の守護聖の姿が愛おしくて、時にはわざとコッソリ身を隠したこともあった。
それは宮殿の中庭であったり、森の奥にある広場であったり、今日と同じ休日の庭園でのことでもあった。
彼の物思いを遮るように一陣の風が寄せた。木々の合間を抜けるそれは土と緑の香を運ぶ。
静かに身を返すとジュリアスは先ほどより歩調を緩めその先へと歩んでいった。
噴水の水に手を浸して何かを懸命に探す子供の姿を眺めていたクラヴィスは既にジュリアスがずっと先に行っ
てしまったのに気が付いた。
もっとゆっくりと歩けば良いものを、ジュリアスは先を急くような足取りで歩を進める。それが何故なのかク
ラヴィスには察しが付いているから、まぁ仕方がないかと思うだけである。
今日が休日で当然ここに居るジュリアスは執務の為この場に在るわけではないのだが、例え一人でも他者が存
在するなら彼は守護聖の顔を作る。まっすぐ顔を上げ、声を掛けられれば会釈を返し、キビキビとした歩調を
崩すことはない。
そうしたあり様を作るのはジュリアスにとってごく自然な振る舞いである。もう身についてしまったそれが彼
の無意識の所作であるが故、クラヴィスはそれを目にする度に心の奥底でやり切れぬ想いを抱いてしまうのだっ
た。可哀相に・・と思う。哀れだとも。
今まで幾度も言い方を変えて彼に伝えたこともあったが、決まってジュリアスはそんな事はないと言い、それ
はそなたの思い過ごしだと返された。
そしてクラヴィスはその気持ちを言葉にするのを止めたのだ。己がすべきことは別にあると気づき、埒のない
ことを言う代わりにほんの刹那でも構わない、ジュリアスが自身の責を忘れられる時を作ってやりたいと願っ
たからだ。
林を風が渡り木々がざわりと鳴った。
「また遅いと小言を言われる・・か。」
可笑しそうに小さく呟く。髪と同じ蜜色の細い眉を引き寄せ、自分を待つ姿を思い描きつつクラヴィスは林の
中にその姿を追った。
緩く左に曲がる小径の先にカフェテリアが見えて来た。周囲に低い生け垣があり、入り口にはささやかなアー
チが設えられている。
きっとジュリアスはもう席に着いて、大して待ってもいないくせに待ちくたびれたなどと文句を言うに決まっ
ている。
ところが席に着いているはずのジュリアスが入り口を背に此方に向いて立っているではないか。その顔には困
ったような心許ない表情を浮かべている。
早足に歩み寄り「どうした?」と問えば、彼は何も言わずにアーチに掛かる小さなボードを指さした。
『店内清掃のため本日は臨時休業とさせていただきます。』
まさか休みであるとは思ってもいなかった。でも良く考えてみればこの店は聖殿に勤める限られた者が利用す
る施設である。執務のない休日を休業としても不思議ではなかった。
「休み・・なのか?」
「そのようだ。」
二人して顔見合わせ苦笑を漏らした。
どうしても来たかったわけでもないのだが、やはりガッカリしたのだろう。ジュリアスは残念そうにもう一度
ボードの文字に目をやりながら「帰ろうか・・。」と小さく言った。
当然クラヴィスもそれに頷くと思っていたのだが、意に反して彼はくるりと背を返すと元来た道を戻りながら
露天でも冷やかして行くかなどと信じられぬことを言う。
「嫌なのか?」
呆気にとられ返事を忘れたジュリアスにクラヴィスが尋ねる。
「嫌ではない・・が・・。」
ならば行こう。
またしてもクラヴィスはさっさと歩き始める。
---一体今日はどうした風の吹き回しなのだろうか---
ジュリアスが呆れるのも無理のないことだ。
前を行く長身の背を見つめ、ジュリアスはそんな事を思った。
枝を割って差し込む光の帯が幾筋も道に落ちていた。
再び風が抜ける。
夏の一日はまだ始まったばかりであった。
庭園に並ぶ露天には様々なものが溢れていた。
異国の織物は狭い店先に所狭しと掛けられ、涼やかな音を奏でる金属の飾りがうるさいくらいにシャラシャラと
鳴っている。
何に使うのか想像もつかぬ煌びやかな金具が実は装身具なのだと分かり、ジュリアスは暫しその前で足を止めた。
「欲しいのか?」
肩越しに聞こえた声に顔を巡らすとクラヴィスがすぐ後ろから覗き込んでいる。
「そうではないが、何に使うものかと思ったのだ。」
「なるほど・・・。」
露天を見に行こうと言ったわりにクラヴィスは大して興味もない風であり、逆にジュリアスの方が此方の店先に
立ち止まったかと思うとすぐ別の店に並ぶ色鮮やかな置物に見入っていたりしている。
特に何が欲しいとか何かを探しているのではなく、ただこうして歩くことが楽しくて仕方がないと言ったように
見えた。
「ジュリアス」
急に呼ばれ、何事かと顔を上げるとクラヴィスが噴水の先を指さす。
「あの店に行きたいのだが・・。」
彼の指す露店の前には幾人かの人が集まっていた。よく見ればジュリアスにも覚えがある店である。
「あれが欲しいのか?」
「・・ああ。」
たまらずジュリアスが吹き出した。
クラヴィスが欲しいと言ったのは小さく切った果実を凍らせた氷菓である。透明の容器に何種類もの果実の欠片
を入れて売っているのだ。
まだ彼らが小さな子供だった頃から見かけた駄菓子の一種なのだ。
彼が欲しいと言うなら反対する謂われもないが、相対する者を竦ませる闇の守護聖があのような子供だましを欲
しがるのが妙に可笑しく、前をいくクラヴィスが足を止めて「何を笑っている。」と眉を寄せても暫く笑いを納
められぬほどであった。
人々に混じり氷菓を求める後ろ姿を眺めながら、ジュリアスがどうしてあんなものを欲しがるのだろうと考えて
いると、間もなく小さな容器を手にしたクラヴィスが戻って来た。
おもむろに蓋を開け、一つを摘み上げながら「食べるか?」とジュリアスの顔を覗き込む。
「いや・・。」
「そうか。」
口に含むと舌の上でそれはあっと言う間に溶けてしまう。歯を当てればシャリシャリとした触感が心地よい。
「美味しいか?」
クラヴィスはそれが美味しいのか不味いのか少しも顔に出さぬから分からない。気になったジュリアスはたまら
ず聞いてしまった。
「やはり欲しいのだろう?
欲しいならそう言えばいいのだ。」
案の定の言葉が返り、ジュリアスは呆れた風にため息をついた。
「欲しいのではない。
そなたがそれほど食べたいならさぞかし美味いものなのかと思っただけだ。」
「別に不味くもないが美味くもない。」
サラリと言ってのけるクラヴィスにジュリアスの声が幾分高くなる。
「ならば、どうしてそんな物が欲しいのだ。」
やれやれとばかりに細い肩を竦め、クラヴィスは目の前の青空を宿す瞳に語る。
「お前のおかげでこれを食べられなかったからだ。」
本当に今日は何かが違っている。
唐突とお前の所為などと返され、ジュリアスは訳が分からず言葉を詰まらせた。
---クラヴィスは何時のことを言っているのだろうか?---
容器の中の果実は強い陽を受けまるで宝石のように輝いている。
蝉の音がひときわ高く聞こえた気がした。
足下に落ちる影が先ほどより短くなっている。
ほどなく昼になるのだとそれは告げていた。
続