*SMILE*
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月の光。青白く、冴え冴えとして。
閉ざされた夜を裂いて窓から射し入るそれは、厚い帳の僅かな隙間から室内に漂う熱気を奪うかに冷えた一筋を床に落とす。
引き寄せられた躯が大きく撓り、狂ったように身を震わせジュリアスが声を上げんと唇を開く。しかしそれが部屋の空気を揺るがすことはなく、唇を割って出る寸でに彼は声を飲み込んだ。この場所でいくら高く叫んだとしても誰の耳に届くわけでもあるまいに、それでも彼は自身の身の内から湧き出る嬌声を赦そうとはしなかった。ここは彼の屋敷で、ましてあるじの寝室である。何が起ころうと咎める者などいる筈もない。それでもジュリアスは次々と胸の奥から出口を求めてほとばしる快楽の果ての声を上げまいと足掻く。
赦してはいけないのだと思う。例えそれを与える者が赦したとしても、おのれは守護聖でありその身は女王と宇宙に捧げた器でしかない。欲しがってはならぬ。どんなにそれが心地よく何もかもを溶かすくらいの快楽を運んだとしても。本当は求めても、受け入れてもならぬ至福なのだ。どれほど彼自身が欲しがり、望んでいたとしても。天は必ずその行為を見ているに違いない。見て、知って、いつかその制裁を与えるのは火を見るより明らかである。
それでも欲しいと思うおのれは何と浅ましく汚れた存在なのかと心の奥底で恥じる。そう感じる同じ心の内では別の想いが声高に語る。抱きしめて、奪って、すべてを忘れるくらいに翻弄して欲しい。この長い時の中のほんの刹那でしかない間くらいは教授する喜びに身を任せていたかった。
腰に乗り上げその身に深く徴を飲み込んだジュリアスが声を殺し喘ぐさまを見たクラヴィスは突如その汗に濡れた腰を掴み僅かに自身を引き、次の瞬間信じられぬくらい強くそれを打ちつけた。最奥の間近までとどく衝撃に耐えかね、それまで頑なに押さえていた情欲にまみれた叫びがジュリアスの唇を割った。
「あぁぁぁぁぁ…。」
きつく閉じられた瞼の端から一筋の涙が頬を伝う。美しい顔には苦悶の表情が現れ、しかしそれは見る間に崩れ、新たに与えられた快楽の刺激に溶かされて悦楽におぼれる者の顔へと変わっていった。
ジュリアスの胸の内にある躊躇いにクラヴィスが気づいた故の行為かは分からない。もちろん、常にジュリアスが与えられる事への拘りをもっているのは知っていた。しかし、今まさにクラヴィスを突き動かしたのはジュリアスの最後の理性を奪ってしまいたい衝動以外の何物でもなかった。彼がいかなる状況にあっても手放さない理性やモラル、そして忌々しい忠誠心といった拘束からその心を解放し、クラヴィスの与える何もかもを感じて欲しった。ただそれだけだったに違いない。
自分のもたらす快感の波にジュリアスが歓喜の声を上げるのを見つめ、クラヴィスは微かな笑みを口元に刻んだ。その後はもう彼らの先を阻むものなどなかった。腰を揺らし淫らに誘う姿は美しく、彼の欲望を昇華させおのれも快楽の高見に昇りゆこうとクラヴィスは狂ったように熱い徴を打ち込むのだった。
繰り返し襲う内部の収縮が間隔を狭め、クラヴィスの腰を挟むしなやかな両足がガクガクと震え始めた。背を撓らせ、嬌声とともに幾度も名を呼びながらジュリアスは何かを求め虚空に腕を彷徨わせる。その手を取り、引き寄せ、汗にぬめる躯を抱いてクラヴィスは最後の滾りを打つ。眼前に白い光が弾けた。呼吸が止まる。すべての音が消えていった。射し入る白い光の中、彼らは同時に目指す先へと駆け上がるのだった。
抱き合ったまま事の済んだ気怠さの中に漂う時間は何にも増して幸福だと感じる。
背をゆっくりと撫でる腕に少し力を入れて抱き寄せようとすると、やはりおのれの背にあった腕が抱き返してくる。その仕草には何の迷いも躊躇いもないと思われ、そう思った途端クラヴィスはもう一度その柔らかな躯に新たな刺激を与えたいと願わずにはいられない。明日はジュリアスも休みだと言っていた。あと一度くらいなら彼も拒みはしない筈だとクラヴィスは胸にある顔の細い顎に指をかけ、未だ快楽の名残に濡れる唇に口づけようと顔を寄せた。
ただふれ合っていたのは僅かの間ですぐにそれは深く重なり、重なった途端クラヴィスの舌がジュリアスの口内を熱く蹂躙し始める。ジュリアスも吹き込まれる息の熱さに酔いながらそれを迎え自身の舌を絡めた。気が遠くなるほども強く吸われ、白濁する意識の隅にほんの少し前に二人して感じたあの全てを焼き尽くした灼熱の感触が蘇る。クラヴィスの背にある華奢な指先が細かく震えた。それが合図だったかにクラヴィスは片手をジュリアスの足に這わせ、そのまま熱を持ちはじめた下腹部の徴を手のひらに納めた。指を絡ませただけでジュリアスのそれは鼓動を刻む。
その一点だけが鋭敏な感覚を持ち、微かに指先が触れても先端から先触れが溢れるほどであった。クラヴィスの唇が首筋から胸に降りる際にいくつもの印を刻む。互いの欲望が向かうのは間違いなく同じ先だと思われた時、ジュリアスは大きく息を吐いて不意に躯を離そうと身を捩った。またジュリアスの理性がそうさせるのかと、クラヴィスは半ば強引に手にした彼の象徴を握りこもうとしたのだが、今度は確かな意志を持って腕の中のしなやかな躯が拒否を示した。
声を震わせジュリアスは言う。
「クラヴィス…済まない。今宵、二度は…。」
揺れる意識の中でジュリアスは謝罪を述べ、それと共にクラヴィスの与える刺激の中断を望んだ。
「…どうして?」
まさか拒まれるとは思いもよらないクラヴィスは不愉快さを隠しもせず尋ねた。何故止めろなどと言うのか?しかも突然に。多くを語らぬ言葉のうちにはそんな様々な気持ちが渦巻いていた。
「そなたに伝えるのを忘れていた。明日の朝、来客があるのだ。」
心から済まないと思っているのだろう。ジュリアスは視線を外し消え入りそうな声音でそう言った。
「来客?」
即座に返したクラヴィスは驚いたと言うよりは全く納得がいかないとでも言いたげな顔である。
「誰だ…?」
休日の早朝に個人の屋敷を訪ねる者がいったい如何なる人物なのか、クラヴィスには想像も出来ない。しかもそれが光の守護聖、首座の私邸なら尚のことである。
クラヴィスを不愉快にさせたのは自身の不用意な態度だと分かっている。次を欲したのは自分も同じで拒むなつもりもなかったのが本当のところだが、伝えねばならない事柄を言い忘れていたのも確かに己の落ち度なのだ。出来るなら怒りを露わにしてくれた方がその先を続けられるものを、こうなった場合クラヴィスは声を荒げるわけでもなく、どちらかと言えば静かな語り口で問うのが常である。その時クラヴィスは決まって感情を殺した冷たい面を作り、その後で微かに悲しげな顔をする。どこかやるせない、寂しげな顔を。きっとそれは今宵も同じだろう。そして最後は何も語らなくなるのだ。
そんな彼を知っているジュリアスは複雑な表情で深くため息をつき、しかし躊躇することなく年少の守護聖の名を口にした。クラヴィスに隠し立てする謂われなどないからである。
「何故、あの者が…。」
名を告げられた事でますます訳が分からなくなったクラヴィスは、まるで独り言のように呟いた。
「本当に済まなかった。」
言いながらジュリアスは濡れ羽色の髪に指を滑らせ、両手でクラヴィスの頭を胸に抱いた。黒髪に隠れる耳元にジュリアスの静かな声が流れ込む。
「私にどうしても頼みごとがあると言ったのだ。断るなど出来なかった。」
そしてまた済まないと囁いてジュリアスは何も言わないクラヴィスの滑らかな額に口づけた。
月の光。白く、冷え冷えと。
会話の途絶えた室内に忍び込み、一条の帯となってただ抱き合う二人の上に降り注ぐ。部屋に満ちていた熱は知らぬ間に消えていた。果たしてその欠片も残さぬほど。
続