*Holy Garden*

=9=

研究院が召集した守護聖はルヴァ一人であった。
全員を集めたところでただ無用の混乱を煽るだけだと考えられた為か結局、院からの詳細が告げられるのはこの二人だけに絞られたのだ。ルヴァはいつもと変わらぬ物腰で部屋に入り、これから伝えられる事実を知ってか知らずか酷く静かな顔でクラヴィスの隣りに並んだ。モニターに映し出されるのは実際には見える筈のない回廊内の映像で、これは得られたデーターを解析し確証のおける数字を拾い出して作った架空の画像である。主任研究員は小さく咳払いをしたのち厳かに話し始めた。
「それでは、ご説明いたします。」
現在ジュリアスの居ると思われるポイントに、長く曲がりくねった回廊を例えば歩いて救出に向かった場合、目的の地点に到達するのに凡そ五時間を要す。何とか無事に辿り着き負傷したジュリアスを保護し戻るのに同じく五時間。これは不眠不休で歩き続けたとしたらの話だ。しかし、回廊内には至る所に時空の歪みや不規則に現れる分岐が存在し、それらに僅かでも捉えられれば最悪の場合救出に向かった者までもが、次元の狭間に飲み込まれることになる。つまりこの救出法は実行できないという事である。
操作パネルを動かしエルンストは次ぎの画像に切り替えた。
「現時点で最も有効かつ適切と思われますのは、この…」
そう言って彼はモニターを指さした。聖地側から入り数メートル行った辺りを指し示し、そこにある時空壁に穴を開けるのが最良の方法であると彼は述べた。
「ジュリアス様の居られる場所を計算しました結果、この壁を破り直線の最短距離を確保すれば凡そ30分ほどでこちらに戻る事が可能だと思われます。但し、時空壁に一時的にでも穴を開ける場合、大容量のエネルギー放射を行います。もし、万が一ジュリアス様が壁のごく近くいらっしゃいますと、この方法も実行は難しくなる訳です。」
クラヴィスは相変わらず何の感情も面には出さず、ルヴァは深く聞き入りながら数度小さく頷いた。
「今、概算ではありますがジュリアス様の居られる地点を調査しております。間もなく結果が…。」
彼が言いかけた途端、小走りに駆け寄った職員が解析結果を示す紙片を差し出した。主任研究員はそれを確認し大きく頷くとそれまでと比べれば幾分柔らかな表情で「これなら、問題はないと思います」と頬を緩めた。
「後は…」
「後は、どれ程のエネルギーが必要なのかが問題になりますねぇ?」
エルンストの言葉を遮ったのはルヴァであった。
彼は穏やかな声音に反して、随分と厳しい顔で続けた。
「ハッキリした事は分かりませんが、時空壁と言うのは実のところ堅い壁ではないのでしょ?質量があるようで、実際には厚い空気の壁に近いものだと思いますよ。それに穴を開けるとなると中途半端な容量では駄目なのではないかと、私は考えているのですが…それは大丈夫なのですか?」
「それは、只今計算しておりますので…。」
ルヴァの考察は間違っていなかったらしい。
エルンストは俄に言い淀むとまたポケットからハンケチを取り出し軽く額を拭った。
「どういう意味だ…?」
それまでただの一度も口を開かなかったクラヴィスがポツリと洩らした。ルヴァはそれに出来るだけ分かり易い答えを返す。
「つまり、ですね。堅い壁…そう、石でも厚い木で出来たものでも構いません。それに穴を開けるならどうします?クラヴィス。」 
クラヴィスは即座に答えた。
「大きな力を掛けるか…何か道具を使えば良かろう。」
「そうです。ある一点に大きな力を掛ければ穴は開きますね?では柔らかく、とても厚みのある、しかも弾力のあるものに穴を開ける としたら?」 
クラヴィスの柳眉が上がる。一体何が言いたいのか?と言っているのだろう。
「同じことだ…。大きな力を掛ければ穴は開くだろう。」
「そうです。大きな力を掛ければ穴は開きます。ただ、その力の大きさが石や木の壁を破るものとは比べ物にならないくらい大きくなければならないんですよ。中途半端な力は弾かれて…拡散してしまいます。」
時空壁は恐ろしいくらいに厚みのある空気の集まりに似ている。
それを破るとなればどれ程のエネルギー容量が必要なのか、恐らくエルンストとルヴァには分かっているのだろう。それが彼らがこの方法を簡単に実行に移させない理由なのだ。果たして、この王立研究院の施設にそれほどの大質量エネルギーを作り出せることが可能なのかが今この時最大の問題とされているのだ。もし、それも不可能であるならまた最初から全く別の方法を探さねばならない。しかし、ジュリアスの救出は一刻を争う。
一縷の望みを掛け、この場に居る全員が打ち出される結果を待つのだった。



現と夢の間を漂いながら、ジュリアスはクラヴィスを思う。
自身を受け止める胸は彼の肉体だけでなく内包するすべてを、それは苦悶であったり激情であったり歓喜であったりする、何もかもを包み込み収め惜しげもなく安息を与えてくれる場所である。果たしてそれらを、与えられる安らぎを受け取って良いのか、受け取るなどしてはならぬ禁忌ではないかと悩み拒絶したこともあった。
ジュリアスは護られる事、与えられる事、許される事に慣れていかった。慣れていないと言うより恐れていたのだろう。彼に許されるのは仕えること、護ること、与えることだったからだ。それ以外を教えられなかった。それしか知らなかったのだ。それまで庇護する対象であったクラヴィスが彼の元を離れ、二度と戻らぬと思っていた相手から思いを告げられ、その日を境に気が付くと自身が護られる存在になっていた事に少なからず驚き、どうして良いか分からず伸べられた腕を払おうとしたのだ。



『その時、確かクラヴィスは少し笑って、私の髪に触れながら…言ったのだ。』
  おかしな奴だ…と。
貰えるものは、貰っておけ…と。
お前にしか、やるつもりなど無い…と。
そして、あの腕に引き寄せられ胸に抱かれたのだ。



忙しなく浅い呼吸を繰り返していたジュリアスが、ふと何かを思い顔を顰めた。それは痛みの為ではなく、未だ誰も現れない虚空を薄く開けた瞳で捉えた彼の胸を不意に掠めた不安からであった。これ程時が経っているのに、救助が来ない理由を考え彼は一つの結論を引き出した。この場所に向かう術が無いのか、或いはそれが困難を極めているのだろうと。そして微かな呟きを洩らす。
「あれが、また無茶な事をしなければ良いのだが…。」



時のない空間にそれは吸い込まれ消えていった。





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