*Holy Garden*
=8=
室内は喧噪に満ちていた。
それはクラヴィスの予想に大きく反しており、だから彼は戸口に佇んだままほんの僅かの間次の一歩を出せなかった。まだ朝と呼ぶよりも夜の終わりに近いこの時刻にも関わらず、部屋に詰める職員達のある者はモニターの伝える情報を声高に読み上げ、またある者は両手に抱えた紙束を振り落とさんばかりに室内を駆け回る。計器が発てる耳障りな機械音の中、部屋の中央で全員に指示を放っていた主任研究員が入り口に立つ長身に気付いた。
彼は足早に近寄り深々と一礼をしたのち、どこか興奮に上気した顔を向けこう言った。
「先程ジュリアス様のサクリアを探知いたしました。」
その喜ばしい報告を受けたクラヴィスは、しかし眉一つを上げるわけでもなく押さえた声で「そうか…」と返しただけであった。
そんなクラヴィスの反応には既に慣れている主任は構わず先を続けた。これは少なくとも先に進む道が開けた訳であり、口憚る事ではない。彼は嬉々として詳細を語る。感知したサクリアはジュリアスのものに間違いがなく、その強さに衰えもない。場所の詳細は現在調査の真っ最中であり、その結果も間もなく得られるに違いない。
「調査結果が出ましたらすぐに救出に向かう手はずも整っております。それから・・・。」
伝えたい言葉はそこで途切れた。正確に言えばそれをクラヴィスが遮ったのである。
「ジュリアスは負傷している。医療班にもその旨を伝えておけ。」
何故そんな事を言うのか?とクラヴィスの顔に向けた視線が訊ねていた。
それに気付いたのか、気にも留めていないのか、クラヴィスはゆっくりと視線を室内に巡らせ忙しなく立ち働く職員の一人を捉えた。もとより童顔なのか、それとも見たままに若輩であるのか、まだ少年とも呼べるその者は室内の喧噪に反し一人壁に凭れ何をするでもなく立っていたのだ。
「あの者は…?」
研究院に赴任してから主任研究員は幾度もこの闇の守護聖の先見の能力を目の当たりにしてきた。確かにクラヴィスには他の者には見えぬ何かが見え、感じられるのを分かっているつもりであったが、こうして何の根拠もなくたった今所在が確認されたばかりのジュリアスの安否を延べられて、彼は明らかに動揺していた。だからクラヴィスがふいに発した言葉の意味を瞬時に理解できなかった。
「は?」
言いながら闇の守護聖が向けた視線を辿る。彼はその問いの意味を知る。何故、一人だけ何もせずにああしているのかと問われたのだ。
「それは…。」
言い淀み、どう返そうかと思案する様に細い眉が上がる。クラヴィスの不審げな表情に彼は意を決して言葉を返した。
常に的確な、どちらかと言えば事務的と思えるエルンストが、やけに言葉を選ぶ様子にクラヴィスは更に怪訝な顔を作った。しかし、その理由は直ぐさま明確となる。壁際に佇む職員、その者こそが今回の事故を引き起こした当事者であったのだ。
週末に行われる研究院施設の定期検査は、もちろんその日の朝も実施された。多々ある計器類の可動検査、宇宙の各所にある探査衛星のチェック、次元回廊の確認も同様に行われていた。入り口と出口に掛かる負荷を常に均等にせねば、指定した場所からかけ離れた何処かに利用者を送ってしまう不備を懸念し、これは何より念入りに行われる検査であった。
入出口、それぞれの負荷をまず最大値まで引き上げ、それを徐々に落としながら共鳴にも似た揺れ幅の誤差を修正していくのである。今回この検査に当たった職員は二人。その一人はこの日初めてその任をまかされた青年であった。彼は初の大任に落ち度がないよう、念を入れ丁寧に職務をこなした。通常一時間強で終了する検査はジュリアスが回廊を開く直前まで掛かっていた。
二人の守護聖を待たせてはいけないという焦りもあったのだろう。主星に向けて開く座標を指定する際、その者は出口側の負荷を元に戻すのを忘れた。聖地側の扉が開きオスカーとジュリアスが回廊内に入り、僅かの誤差で主星側の扉が開く時、遙かに異なる負荷値のもたらす共鳴振動による爆発が起きたのだ。若年の職員が驚愕し取り乱したのは当然の事であったが、彼はその直後から寸暇を惜しみ行方の分からない光の守護聖の所在を求め出来うる限りを尽くしていたのだった。
ジュリアスのサクリアを探し出したのは彼であった。壁に身体を預け束の間の安堵とこの後に下される処罰を思い、青年はただ立ちつくしていたのだろう。
「そうか…。」
エルンストの語る一部始終を聞き終えたクラヴィスは静かにそれだけを言った。言いながら彼は思う。事故の一報を聞いた時、ジュリアスの所在が分からぬと告げられた時、それが人為的な過失だと知った時、その当事者が誰であるかを教えられず幸いだったと。もしあの時点でそれを知らされていたら、自分はあの誠実そうな青年に何をしたか分からなかったとクラヴィスは胸の底で苦く思った。立ち上がれぬ程殴りつけていたか、或いは二度と目覚めぬくらいのサクリアをぶつけていたかもしれない。
だからと言ってその者を許した訳ではなかったが、今なら甚だ冷静とは言えないとしても事実の一旦として受け止められるからだ。万物に対し興味も関心もないと言われる自身に内在する激烈な感情を、それはことジュリアスに関してだけなのだが、収める術などクラヴィスは持ち合わせていない。万が一ジュリアスの身に災いが降りかかったとしたら、それを排除する為には何をしでかすか自身でも分からなかった。
そんな彼の一面を知るジュリアスは常にそれを諫め、事ある期とに「無茶なことはするな」と釘を刺していた。よもや、聖地で最も物静かでもしかしたら怒りや驚きなどの感情を持たぬのではと噂される闇の守護聖の中に、燃えさかる想いがあると誰も知らぬだけなのだ。
青年に関してそれ以上の言及がないと確信した主任研究員は、再び口を開きまた同じ一言を続けようとした。
「詳細が確認できましたら…。」
そこまで言いかけたエルンストの言葉を止めたのは計器が算出するデーターを読みとっていた一人の職員であった。
「主任!!これを。」
慌てて駆け寄るエルンストが上げた声にクラヴィスはハッとしてその方を見た。
「これは……。」
途切れた言葉の意味するところが果たして吉報ではないのは歴然としている。大股に近寄りモニターを覗き込む職員の後方からクラヴィスが某かを発しようとした時、振り返るエルンストが険しい表情でこう言った。
「ジュリアス様の元に向かうのは、甚だ困難かと思われます。」
主任研究員の顔には苦渋の影が射していた。
『何を・・馬鹿な事を言っている。』
言いかけた一言をクラヴィスは飲み込んだ。パネルに置かれたエルンストの両手が小刻みに震えているのに気付いたからだ。冷静沈着を常とするこの男がもたらされた事実に動揺を隠し切れぬ様が、ただならぬ問題の発生だとクラヴィスも理解したのだ。
室内に喧噪と沈黙が訪れた。
続