*Holy Garden*

=6=

背を走る悪寒に再びジュリアスは落ちていた眠りから現実に立ち戻る。恐らく負った傷が熱を持ち始めたのだろう。どれ程の時間が流れたのかと、にべもない事を思い微かに口元を上げて苦笑した。果たしてこの場に時間の概念が存在するのかも分かりはしなかったからだ。自身が意識を眠りの端に委ねていたのが、ほんの数十分くらいにも思え、またすでに何日も経ってしまった様にも思えた。
多分、それほどの時間が過ぎたのではないだろうと、何の根拠もない結論を引き出し、そうすることで彼は胸の奥に確かに在る不安と言う名の凝りをうち消そうと努力した。
いや、根拠はある。
あの王立研究院が何の策もなく、この事態に手をこまねいている筈などないからだ。職員達はありったけの手段でこの現実を打破するよう動いているに違いない。ジュリアスは彼らの職務に対する姿勢をよく知っているし、相当の信頼を寄せている。だから、彼がそう思うのは当然のことだった。そう思いながら、ジュリアスは突如一人の者の名を脳裏に浮かべる。
「クラヴィスは、どうしているだろう…。」



そう思った途端、彼の眼前にその姿が現れた。
肩に掛かる黒髪。真っ直ぐなそれは項垂れるその横顔を隠す。ふと上げた顔はまだ幼く、夕暮れを写した瞳には溢れるほども涙が在った。不安そうな表情。何かを求める。在るはずの姿がないと涙する小さな姿。
いつも・・泣いてばかりいた。
何故そんな姿が浮かんだのかとジュリアスは不思議に思った。そんな、遙か昔に置いてきた線の細い肩を、どうして今この時に思い描くのかと。
そして、微かに笑う。
まさか今のクラヴィスが自分の不在に涙するわけでもあるまいと。勿論、心配しているだろう、間違いなく。きっといつにも増して不機嫌な顔をしているに違いない。周囲の者が身を竦ませるくらいに。だが、こうして何をするでもなくその者を思うと、鮮やかに甦るのは頬を伝う涙の跡であった。



気のせいではなく、先程より胸の閉塞感が増したと思えた。
幾度も浅い呼吸を繰り返しながら、身に掛かる現実を振り切るかにジュリアスはクラヴィスを想う。少しでも平静でいられる様に、また、あの姿を描くだけで纏うサクリアを感じられる気がしたからだ。肩の傷からの流血は止まったらしく、首筋にあったぬるりとしたなま暖かさも今はない。
しかし、全身を苛む痺れにも似た痛みは薄れるどころか少し前までは動かせた指先の微動さえままならなくなっている。
額には冷えた汗が浮かび、頬は不自然なくらい熱いのだが躯は不規則に訪れる悪寒<で震えていた。あと、どれ程待てば扉が開くのかとに詮無い事を考え、それと供に脳裏を掠める「諦め」の文字を慌てて消し去る。
そして、またジュリアスは彼の者の名を囁く。
あれは・・いつの事か・・・。
もう、泣くなと何度言ったことだろう。それでも泣きやまぬクラヴィスを宥め、時には叱ったこともあった。それが、ある時から泣かなくなった。一粒の涙も流さなくなったのは、いつの事だろうとジュリアスは記憶の糸を手繰り寄せる。
あれは、いつだったか…クラヴィスが涙を捨てたのは。
いや、捨てたのは涙だけではないとジュリアスは眉を寄せた。
あのあどけない顔から消えたのは儚げな笑みであり、心のままに現す怒りであり、少し後から消え入りそうにジュリアスと呼ぶ小さな声音であった。
思えばそれはクラヴィスの背が自分と変わらなくなり、肩先にあった髪が胸の辺りでサラサラと揺れていた頃であろう。闇の守護聖の勤めとして初めて惑星を一つ屠ったのち、数日の休みの後聖殿で顔を合わせたクラヴィスから、すべての感情が抜け落ちていた。その時、ジュリアスはまだクラヴィスの行った行為の意味を知らず、彼の身に降りかかった某かを想像する事も出来なかった。
何故、そんな虚ろな瞳の色になったのかと、訝しく思いながら「大丈夫か?」と声を掛けたのだ。クラヴィスは蒼褪めた顔を向け、哀れみにも似た表情を浮かべ微かに笑うと「何でもない」と一言を残しジュリアスの前から去っていった。それ以来、クラヴィスが涙を流すのも、怒りに声を上げることも、ジュリアスの姿を見留め嬉しそうに笑うこともなくなった。
でも、その存在はジュリアスにとって変わる筈もなく、やはり気に掛け守るべき対象であった。以前と違い、そうする度に迷惑そうな顔を向けられたとしてもだ。守護聖として、また首座としてではないジュリアス個人として、唯一そう願っていたに他ならない。
視線を逸らされ、あからさまに拒絶されてもジュリアスの想いは変わらなかった。いつか、時が経てばわだかまりも消え、幼い頃に交わした約束のままに歩んでゆけると信じていた。
「我ら二人が陛下の両翼となって宇宙を支えていこう。」
その時が来れば、あの笑顔が返ると思っていたのだ。
しかし、それは叶わぬ願いとなった。
あの森の湖に寄り添う影を見た時に。



しんとした空気が締め切った室内にも忍び込み、早朝の冷気に一度身震いしてクラヴィスは目を覚ました。彼はいつの間にか執務室のデスクで眠ってしまった事を知り、苦々しく顔を顰めるとやおら凭れていた椅子の背から身を起こした。いくら繰り返しても掴めぬ光のサクリアの根元を求めて自分に出来うる、また思いつくすべてを試してみた。だが、それらは一つとして実を結びはしなかった。
自身の先見の力に慢心している訳ではなかったが、少なくとも何かを得られると思いこんでいた。そんな自分の思い上がりに彼は舌打ちし、机上に置かれた未だ何も映さぬ水晶に視線を向けた。それは相変わらずチラチラと不規則に輝き、意味のない不確かな模様を描くばかりであった。これ以上何が出来るのかと自問した途端、クラヴィスは立ち上がり母に託された水晶球を掴むと信じられぬ強さで床に叩きつけようとした。募る焦りと自身に沸き上がった怒りが、物静かな闇の守護聖を突き動かしたのかもしれぬ。
細く長い指から球体が離れようとした瞬間、クラヴィスは振り上げた腕を引き寄せた。何かが見えた。ほんの刹那であったが確かに見えたのだ。それは、見覚えのある蜜色の髪。間違いではないと確信した。たった一度結んだ像はジュリアスの姿以外のなにものでもなかった。





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