*Holy Garden*
=4=
クラヴィスの前に立つ男は上着のポケットから丁寧にたたんだハンケチを取り出し、額に滲んだ汗を拭った。
『これで何度目だ…』
口にこそ出さぬがクラヴィスは胸の内でそう呟き、小さく舌打ちをした。手にした布を再び仕舞うと主任研究員はやはり先程と全く同じ言葉を口にした。
「以上、申し上げました経緯を踏まえ現在出来うる限りの方法で、ジュリアス様の消息を調査しております。」
主任は一度言葉を切り、クラヴィスの瞳を見つめる。彼の眼差しには半ば懇願の意が込められている様だった。
「何か僅かでも分かりましたなら、直ぐにご報告いたします。ですので・・。」
クラヴィスがこの場に足を踏み入れてから、ゆうに半刻は経っている。現場の責任者である主任が彼に現状の報告を開始し、それに対してクラヴィスが幾つかの質問を投げた。
その度に神経質そうで、いかにも学者と見受けられるこの男は、変わらぬ説明を繰り返し、額の汗を拭い、最後に必ず同じ言葉を述べるのだった。
「ですので、今暫くお待ち下さい。」
案の定、また同じ文句を言い、しかし今度はクラヴィスに向かって彼は深々と頭を下げた。
『暫くとは、いったいいつまで待てば…』
喉もとまで出かかった一言をクラヴィスは収める。
この者にそれを言ったからといって、何かが変わる訳でも、ましてや自分の望む結果が得られるわけでもないのは分かり切った事であり、飲み込んだ一言を発したとしても、ただ主任研究員を萎縮させ彼が再び頭を下げるだけでしかないからである。
「分かった。」
クラヴィスはそれだけ言い、未だ頭を上げようとしない主任を置いてくるりと背を返した。
「何か…子細な事象でも、必ずご報告いたします。」
背に追いすがる声にクラヴィスは顔を顰める。
『子細な事象など、必要ない。あれの無事だけを伝えれば良いのだ…。』
また、その言葉は胸の奥に落ちるだけで、闇の守護聖は訪れた時と少しも変わらぬ静かな物腰で、自室に戻るためにこの場を後にするのだった。
聖地には市井の民が想像も出来ぬ様々なものがある。
それは高度な医療技術であったり、最新鋭の惑星サーチシステムや、民間では使用不可能とされる高速航行可能なシャトルだったりする。その中でも特筆すべきは「次元回廊」のシステムである。本来高速巡航シャトルが一部に於いてワープ航法を用いたとしても、数日から数十日かかる過程をこの次元回廊を使えば瞬時に移動することができる。王立研究院内にある回廊の操作パネルに目的地の時間軸を定める数値を打ち込み、合わせてその場の詳細な座標を入力することで、聖地と任意の惑星の決められた場所にゲートを開くことを可能としている。
但し、この夢の移動システムにも幾つかの弊害はある。まず守護聖及び彼らと同等の力を持つものでなければ、その空間を移動する事は出来ない。それ故、ある惑星で争乱などの凶事が発生した場合でも、このシステムを使って一個師団或いは一個中隊を現地に派遣するのは不可能なのだ。せいぜい守護聖の供となる幾人かが、そのサクリアに庇護され同行する程度でしかない。
また、いくら細かく座標を入力したとしても、例えばAという惑星のBという住民の家屋の居間への移動という様な、ピンポイントでのゲートの開通は望めない。大まかに、Bの家屋の周囲数十メートル以内へのゲート開通が、良いところである。だから、まだ誰も行った事のない惑星に赴く際には利用できない。果たしてその先に何が在るのかを調査した上で使用しなければ、闇雲にゲートを開いた結果、利用者を過度の危険に晒すことにも成りかねぬからだ。
そして、これが最も汎用性に薄い点とされるのだが、ゲートの開閉は聖地側のみしか行えないのである。出向いた土地で不測の事態が生じ、決められた時刻より早くゲートを開くよう願った時は衛星間通信などの手段をこうじて、その由を聖地に伝えねばならない。もし、そうした手段を失ったとしたら、ひたすら定刻を待つしか策はないのだ。だが、これらの弊害をもってしても「次元回廊」は安全で最も的確な移動手段だとされてきた。
この日、この時までは。
「だからさぁ〜〜、もっと分かりやす〜く説明して欲しいワケよ。」
緊急に召集された議事の席に夢の守護聖の声が上がった。これは、一部の守護聖を除いた全員の意見に違いない。まず手渡された報告書には今回の事故の全容が確かに書き記されているのだが、いかんせんその文面は専門用語の羅列に他ならず、一読しすべてを理解するなど難しいことこの上なかった。
着座する全員の視線が大地の守護聖に注がれた。ルヴァは痛いほどの視線を受け、それでも変わらぬ穏やかな言いようで話し始めた。
「そうですねぇ、何からお話すれば良いか…。」
すかさず彼の言葉尻を掴み、某かの言及を、例えば『分かり易くさっさと言え!』或いは『要点だけ言やぁいいんだよ!』
といったたぐいの言葉を吐こうとした年少の守護聖は、その手にピシリと隣席に座るオリヴィエの攻撃を受けそれらを飲み込んだ。
「皆さんはご存じかもしれませんが、そもそも次元回廊と言うのは…。」
僅かの間、どう切り出そうか思案していたルヴァは、その明晰な頭脳に埋蔵された知識を誰にでも理解できる様ごく普通の言い回しに直し説明し始めた。彼の解説を要約すればこの様な事になる。
普段人々が暮らす宇宙は三次元の通常空間にあり、その中を行き来する場合惑星間に広がる距離を時間軸に沿って移動することになる。だが、この通常宇宙と隣り合って別の時空も存在するわけで、それを現在は「異相差空間」と呼んでいる。「異相差空間」は通常宇宙からは独立し、普通に生活する上では接する事も目にする事もない。
王立研究院の技術を駆使しこの空間に大質量のエネルギー放射によるゲートを開き、この中を移動する事により今まで考えられなかった時間での惑星間移動を現実のものとしたのが「次元回廊」である。光の扉と呼ばれるゲートには一時的に膨大なエネルギーが掛かり、その爆発によって別空間への穴を開けていると考えるのが適切である。
一口に爆発といってもそれは瞬く間よりも短い刹那に起こる為、実際にゲートを通る際、利用者が何らかの影響を受けることもない。ならば、今回の事故は如何にして起こったのか?それは、本当に些細なミスと偶然が引き起こしたとしか言いようのない、しかし、結果として首座の守護聖を失うかも知れぬ大事となってしまったのだ。
ルヴァは小さな息を一つ吐くと、再び口を開いた。
「入り口と出口に掛かる力の均衡が崩れた結果、と私は理解しました。」
「それで、ジュリアスは何処に行っちまったんだよ!」
それまで何とか口を差し挟むのを我慢していたゼフェルが、堪らず声を上げた。
「今分かっているのは、どこか別の空間ではないか…と言うことだけなんですよ。」
全員から言葉にならぬどよめきが起きた。
ルヴァの口から出た言葉を聞き、誰もが同じことを考えたに違いない。それは、何処にいるのかも全く分からず、探す手だても無に等しいと言っているようなもので、今後どういった手段でジュリアスを探すのか、誰にも分からないのではないかと言う懸念であった。それ以上口を開く者は居なかった。
遅い午後の光の射し入る室内に、重い沈黙が垂れ込めた。
続