*Holy Garden*

=3=

あの真っ直ぐな心が何者かに傷つけられぬよう、何にも代えられぬ無垢な光が曇らぬよう、辛いと哀しいと満たされぬと嘆かぬよう、決して離れず、だが寄り添わず、振り向けば僅か後を辿ると誓った。
それこそが己の道だと決めていた。そうすれば護ってゆけると信じていた。



それは音ではなかった。
足下を掬われる振動か、或いは大地が裂ける地鳴り。未だ嘗て感じた事のない何かであった。聖殿の自室で眠りの中に居たクラヴィスが、自身を大きく揺らすそれに飛び起きたのは、ジュリアスの背を見送ってから僅か半時も経たぬ時分であった。
某かが起こったのは明かであり、その時彼は咄嗟にジュリアスを思った。よもやジュリアスがこの振動を伝える事象に巻き込まれたのではと懸念したのだ。しかし、クラヴィスはすぐに思い直す。今ジュリアスは聖地にはいない。先程主星に降りると告げ次元回廊を開くべく、王立研究院に向かう姿を見送ったばかりだと思い出したからである。
慌てふためいて廊下に飛び出す文官を眺めながら、不遜なことだと自身に言いながら、それでも彼は一つ安堵の息をついた。この聖殿か、または宮殿のどこかで事故が起きたとみて間違いはない。恐らく幾人かが怪我を負ったか、あってはならぬ事だが最悪の事態も考えぬワケではなかった。間もなく誰かが報告に現れる筈である。そうなればクラヴィスはジュリアスに代わり、その場に赴き、指示を与え、勿論女王への報告をすることになる。
そして戻ってきたジュリアスに事故の全容を伝える報告書を認めねばならぬ。また、小言を言われぬよう、滞りなく事を進めるのは必至である。後で思い返すと、常人よりよほど勘の鋭い彼が、何も感じなかったのは不思議とも思えたのだが。この時クラヴィスはどうせいつも騒動を起こす年少の守護聖が、また何かやらかしたのだろうと高をくくっていた。
だが、それも仕方のない事かもしれぬ。何故なら新たな女王の御代に移り、彼女のサクリアは強く、全宇宙に遍く行き渡っており、此処は女王の統べる宇宙の中心であり、この地に想像を遙かに超えた大事が起こるなどあり得ないことだからだ。



「なんだと?」
クラヴィスの声は常と変わらず、低く聞き取るのに骨が折れるくらいで、事故の報告に訪れた使者は自分が何を問い返されたのか、反対に訊ねてしまいそうになった。よもや彼の目の前に立つ闇の守護聖が、驚愕し、ややもすればその場に座り込んでも不思議ではない衝撃に打ち震えているなど思ってもみなかったろう。使者からすればクラヴィスの声色も、物腰も、何もかもを見透かした眼差しも、まったくいつもと変わらぬ様に見えた。クラヴィスは少し間をおき、それからやはり静かにこう言った。
「分かった…。今すぐ行こう。」
そして音もなく部屋を横切り、何をか思うのも図れぬ感情を殺した面のままで、クラヴィスは光に溢れる大理石の廊下を歩いて行った。向かう先は王立研究院。事故はそこで起こった。
悠久の時を刻む聖地の、眠気すら誘う日常の中、恐らく昨日と少しも変わらぬ退屈な午後のひとときに、それは突然起こったのだ。次元回廊ゲートの爆発。そんな事は起こるはずがなく、あってはならぬ出来事であった。
そして…。
その時回廊に足を踏み入れた光の守護聖の姿が跡形もなく消えた。



自身の靴音がやけに大きく聞こえると、大理石を踏む乾いた響きを耳に受けクラヴィスは思った。笑えない冗談だとも思え、彼は口元に薄い笑みを刻んだ。ついさっきジュリアスは自分の目の前にいて、執務をさぼるなと小言を言っていた。私が戻るまで席を空けるなとも。その後、クラヴィスにしか見せぬ柔らかな笑みを浮かべ屋敷に来いと告げていた。薔薇が盛りだから、今夜は共に過ごそうと。
それが…何故?
突如クラヴィスの背を悪寒にも似た冷気が走った。彼は立ち止まり両手をきつく握りしめた。自身の指先が押さえようもないくらい、細かく震えているのに気付いたのだ。
後に従う使者が「どうかされましたか?」と声を掛けた。
「いや…。」
クラヴィスはほんの一瞬瞳を閉じ、僅かに息を吸い、そして長く吐き出した。
「何事もない。」
そう言うと、また急ぐでもなく一歩を踏み出し、真っ直ぐ前を向いたまま進んでいった。
研究院に続く回廊は薄暗く、高見にある小窓から射す光が細かな粒子となり降り注いでいた。どこからか、恐らくそれは建物の裏手にある庭園からだとおもわれたが、甘く高貴な芳香が流れ込んだ気がした。
「薔薇が…盛りだったな。」
あまりに微かな呟きに背後の使者が「何か?」と問いかける。クラヴィスはそれには答えず、歩みを止めることもしなかった。ただ靴音が響く。時を止めた様な、この建物の空気を震わせて。





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