*Holy Garden*

=11=

あの光の庭にあったのは、果たして如何なるものであったのか?
それは、護りたい者だったのか。
それとも、護られたい心だったのか。



クラヴィスが再びその場所に戻った時、彼を迎えた顔ぶれは先程より少し変わっていた。ルヴァの姿は無く、それは間もなく開始される執務に就く為自室に戻ったのだと思われた。彼に替わりクラヴィスを待っていたのは、女王補佐官であった。彼女のもつ気品と高貴さが今は感じられぬ。まるで寄る辺ない子供にも似た不安そうな顔で、彼女は入室してきた闇の守護聖に軽い一礼を寄越した。
その横に立つ主任研究員が一際厳しい表情を浮かべクラヴィスに歩み寄った。彼は数枚の紙片を差し出し、これをご覧下さいと言った。書かれた文字を無言のまま読み終えるとクラヴィスは顔を上げ、常と変わらぬ押さえた声色で「分かった…」とだけ返した。
「そこに書かれた通り、サクリアの放出量の幅は僅差なのです。大きすぎても小さすぎても…。」
次ぎの言葉を彼は言えなかった。これからそれを行うクラヴィスに「失敗すれば貴方とジュリアス様は次元に飲み込まれるか、爆発に巻き込まれ跡形もなく消えてしまう」とは、どうしても告げられなかったのだ。
クラヴィスがそんな事は分かりすぎるほど理解していても、彼には言えない一言であった。その様子を見つめ不意にクラヴィスは笑った。穏やかな、静かな笑みであった。もう、何もかもを許したと言っているように思えた。



「今一度、お考えにはなりませんか?」
少し後に控えていた補佐官が強張った声でそう聞いた。
クラヴィスは鼻先で笑うと軽く頭を振り「いや…。」とだけ答えた。もう、如何なる言葉も無駄なのだと思えた。クラヴィスの中ではすでに何もかもが決まっているのだと。
「さぁ…。」
闇の長衣を翻し、クラヴィスは奥の扉に進む。背に揺れる髪がサラリと揺れた。補佐官の小さな祈りが捧げられ、主任が「ゲートを開いて下さい。」と指示する声が響いた。室内には相変わらず無機質な機械音が溢れる。ゆっくりと歩を進める足取りには、迷いも、恐れも、自戒も見留られない。ただ、その先へ。ジュリアスの待つ場所に。
重厚な扉が軋んで長い音を引き閉じていった。



薄暗い廊下の先にひときわ輝く回廊のゲートが開いている。
クラヴィスは僅かに歩調を早め、まるで吸い込まれるかに光の扉に入っていった。通常、このゲートを抜けた途端、目的地側に開いた出口へ引き寄せられる様に回廊を通過するのだ。しかし、今は出口となる扉はない。回廊に一歩踏み入ったクラヴィスは微かに顔を顰めた。空気が重い。澱んで身体にまとわりついてくる。肌に触れるその感触はねっとりと湿っているかに思えた。
こんな、息をするのも憚れる中でジュリアスはもう何時間も救出を待っている。そう思った途端、それまで押さえていた焦りがゆるりと頭をもたげた。クラヴィスは更に歩調を早め手にした書面に示された地点に急いだ。一度うしろを振り返り大凡の目測と自身の歩幅から、恐らく此処で間違えがないと思える場所で立ち止まると彼は静かに瞳を閉じた。つい今し方エルンストが言った言葉を頭の中で反復する。
『時空壁を破るのに必要と思われるエネルギーは、以前クラヴィス様が行われた惑星βに落とされたサクリアの量と同等だと結論が出ました。』 
あの時のサクリアの放出量をイメージする事が出来ますか?
主任の探るような言い回しにクラヴィスは苦笑した。今まで屠った数々の惑星を忘れる事など出来ないと思ったからだ。星々の最後の嘆き、叫び、怒り、哀しみ、時に感謝、労り、そして絶望は忘れるどころか何時いかなる時でも鮮明に脳裏に描きだせる。いや、描き出せるのではなく脳裏に焼きつき忘れる事も捨て去る事も出来ないのであった。
それらに悩まされ、自身の纏うサクリアを幾度呪ったか知れない。皮肉な事に今はそんな過去の苦痛が先へと進む道を開く糧になるのだ。だから、彼は冷めた苦い笑みを浮かべずにはいられなかった。僅かに俯き一度深い息を吐いたのち、クラヴィスは記憶に刷り込まれた数々の憂いの中から一つの嘆きを引き上げる。啜り泣く様なか細い哀しみであった。星に断末の声を上げさせたあの時のサクリアをイメージする。
差し出した左手に集まるサクリアの輝きが徐々に大きくなり、周囲の澱んだ空気が俄に巻き上げられ長い黒髪を煽った。
『あと…少し。』
間違いは許されぬ。僅かの誤りもあってはならぬ。胸の内で自身に言い聞かせるかに呟きながら、より慎重にクラヴィスは手にするサクリアの量を計る。更に強くなる輝きと供に吹き上がる風が彼の衣装の裾までもはためかせた。



『これ…か。』
彼の口元から囁きにも似た一言が零れた。俯いていた顔を上げ見開いた瞳でしっかりと目標を捉え、クラヴィスは何の迷いもなく手にした眩い球体を眼前の壁に向けて一気に放った。目を射る強烈な光と足下に伝わる振動。何かが壊れる圧倒的な風圧。しかし、不思議な事に炸裂するサクリアが時空壁を破る音は皆無であった。恐ろしいほどの光の渦に堪らずクラヴィスは瞳を閉じる。そして、ゆっくりと瞼を開いた時、その瞳に飛び込んで来たのはポッカリと開いた時空壁の穴であった。人が二人は通れると思える空間が目の前に口を開けていた。
『一度開いた穴は暫くすると閉じてしまいます。予測では完全に閉まるまで2〜30分ほどの時間があると思われますが、あくまでこれ は計算上の予測でしかありません。出来るだけ早く、それから、もし穴が閉じるまでにジュリアス様を発見出来なかった時は例えお一人でもお戻り下さい。』 
エルンストの言葉が脳裏を過ぎる。
発見出来ぬ時は、一人でも戻る…。
常と変わらぬ優雅な身のこなしで欠損した壁を通り抜けながらクラヴィスはまた小さく笑う。ジュリアスを見つけられぬなどあり得ない。まして、一人で戻るなど考えもしない。恐らく彼の思いはこんな所であろう。何が彼にそこまでの確信を持たせたのか?実のところそれは確信でも自信でもありはしないのだ。
彼にとってジュリアスを失う事はあってはならぬ事で、もし仮に連れ戻れないとしたら、それこそがこの世を失うと同義であった。こんな事を言えば間違いなくジュリアスに多大な叱責を喰らうだろうが、時空壁が閉じるまでに戻れない時、彼はこの場に留まるつもりであった。
光が失われれば、同時に闇も消える。ジュリアスの居ない聖地など戻る価値のない廃墟と同じなのだろう。



難なく時空壁を越えた先にも又同じ色のない世界が広がっていた。
クラヴィスは一度何かを探るかに瞳を閉じ、すぐに確信に満ちた顔である一点をひたと見つめた。そこにジュリアスが居る。足にまとわりつく長衣の裾を煩わしそうに捌くと、確かに触れる光のサクリアに導かれるまま、真っ直ぐにその場を目指し歩きだした。





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