*夜の都*

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月も星も風もない夜は、どこか落ち着かぬ気分になる。
森の梢を越えて遠く聞こえる鳥の声が、妙に近く感じるのも天を覆う雲が、低く垂れ込めているからだろう。間もなく時計の針は真夜中を告げる。少し前までは何の目的もないままカードを繰っていたが、それも早々に片づけてしまった。
それから今までの間、彼は熱心に本を読んでいる。膝の上に広げた革張りの表紙を閉じてクラヴィスは一度壁に掛かる時計を見遣った。彼にしてはそれ程遅い時刻ではない。
しかし雲に阻まれた夜空には眺める月も星もなく、どうせ本を読むだけならもう床に入ろうかと身を預けていた寝椅子から徐に身体を起こした。
カタリと音がした。テラスに続く窓の外から聞こえた気がした。
風もない今宵に木の葉があたる筈もなく何か居るのかと、クラヴィスは怪訝な顔でその方に視線を向けた。窓が外側に引かれるのが見えた。開かれたそこに立つのは、思わぬジュリアスの姿であった。
平日のしかもこんな時間に彼が予告もなく現れるなど予想すらしなかった事であり、クラヴィスは室内に入って来たジュリアスをただ呆気にとられたと言う表情で見つめるばかりであった。
「突然すまない。」
ジュリアスは詫びを述べながらクラヴィスに近寄り、相変わらず呆然と己を見つめる相手に照れたような笑顔を見せた。 「多分まだ起きていると思ったから来てしまったのだが、もし休んでしまっていたら帰ろうと考えていた。」
彼にしては珍しい言い訳めいた物言いで言葉を繋げ、しかし未だ何も言わずに自分を眺めるクラヴィスにどうかしたか?という視線を送りながら小さくその名を呼んだ。
「クラヴィス…?」
「ああ…。」
何に対しての返事か分からぬ曖昧な一言を返し、クラヴィスは立ち上がると当たり前のようにジュリアスを抱き寄せた。夜の冷気の中を馬で来たのだろう、腕に抱く躯も頬にあたる髪も思うより遙かに冷たい。
触れあった唇も同じように冷えていたが、重なったそこから零れたジュリアスの吐息は嘘のように熱く隠微な湿り気を含んでいた。気のせいではなくクラヴィスはいつもより強引な口づけを寄越す。一度引こうとしたジュリアスの頭を押さえ、さらに貪る如く唇を奪う。
呼吸がままならなくなり苦しげに眉を寄せたジュリアスが腕の中で身体を捩り離れようと藻掻くまで、クラヴィスはその拘束を解こうとはしなかった。
「んん…。」
苦しそうな呻きが洩れる。これ以上は無理だとばかりにジュリアスの腕が合わせていた胸の間に差し入れられた。
それにはクラヴィスも素直に従うしかなく塞いでいた唇は解放したが、しかし身体に廻した腕を緩める事はしなかった。ジュリアスが呼吸を整える間もクラヴィスの手は背や腰を緩やかに撫でる。
外套の上からでもその動きは確かな次への予兆を伝えるには充分で、ジュリアスはそれに流されまいとしながらも、クラヴィスの与える愛撫に己の背が細かく泡立つのを止める事が出来なかった。



「……ジュリアス。」
名を囁きながらもその指がしなやかに身体の線を辿る。魔法の如くジュリアスを快楽に導くそれがまた新たな歓喜を運ぼうとした刹那、それを振り切るかにジュリアスが言葉を発した。
「クラヴィス。それ以上は…駄目だ。」
止めてくれ…。
理性が欲望を凌駕したのか。誘うように淫らな眼差しを向けながらも、ジュリアスはこれ以上の扇情を中止してくれと懇願する。
「どうして?」
僅かに笑みを浮かべクラヴィスは問う。
「私は…話があって来たのだ。・・抱かれに、来たのではない。」
クラヴィスの腕に身を任せてしまわぬ為に殊更語気に力を入れジュリアスは話す。
「昼間の続きを…。何故そなたが陛下の命に従わぬのか、どうしてもその理由が聞きたい。」
くっと喉を震わせて笑うのが聞こえた。
「お前も、相当しつこいな。どうしても、聞きたいか?」
面白そうな声色に変わる。
「ああ、それも私が納得のいく説明が欲しい。」
冷静さを取り戻した蒼い瞳が強い輝きを宿していた。
それをあっさりと交わすかにクラヴィスは悪戯な笑みを作り、ジュリアスの顔を覗き込むと声を潜めてこう言った。
「一度…。」
「え?」
何を言われたか分からぬジュリアスは素っ頓狂な声を上げた。
「一度、したら…。その後で教えてやる。」
ジュリアスのうっすらと上気していた頬が見る間に紅に染まった。
「馬鹿を言うな!」
怒声を受けながらもクラヴィスは悪びれるでもなく、当然の事だとでも言いたげに眉を上げる。
「お前、したくないのか?」
更に不思議そうな眼差しで問うクラヴィスに、とうとうジュリアスが苦笑を漏らした。
常に物事を達観した風でジュリアスの心中などすべて見通したとでも言うかに、彼の欲する言葉や温もりを事も無げに寄越す。クラヴィスの広げた腕の中には永久の安息が約束されていると思え、そこに身を委ねる度にジュリアスは自身の存在の脆弱さを思い知る。
己の掲げる誇りなどクラヴィスの前では何の意味も持たぬのではないかと疑うことすらあった。それがこうして誰憚ることなく振る舞える時を持つようになってジュリアスは気付いた。クラヴィスが自分にだけ見せる様々な顔には、こんな妙に子供じみた一面もあるということに。
それは可笑しくもあり、この上もなく愛おしいと思えるのだった。ジュリアスは柔らかな微笑みを浮かべ穏やかに語る。
「明日も執務がある。だから、一度だけだ。だがその後必ず聞かせてもらうからな。」
クラヴィスは満足そうに目を細め軽く頷いて見せた。
伸べられた手に導かれジュリアスは寝室へと続く扉に向かう。その先には熱い吐息と隠微な滑り、喉を割る嬌声すらも飲み込んでしまうシーツの波が彼らを迎えていた。



そして翌週の月の曜日。
守護聖全員と女王とその補佐官を乗せたシャトルは、彼の惑星に向けて聖地を後にした。





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