*BLUB*
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白亜の宮殿は薄い早朝の光の中に夢ほども美しく佇んでいる。休日の朝、人の気配はなく東の車寄せからその内に入っても己の靴音が高く響くだけであった。白大理石の床に窓から射し入る陽光が反射し瞳を射抜くほども光って見えた。突然の謁見ではあったが、呼び出された者達は微塵も驚きはしない。もう何日も前からこうなをずっと予想していたからである。
謁見の間の手前に位置する控えの間の扉を開いた先に既に先客が居てもジュリアスはやはり驚かなかった。呼びだされるとすれば自分と彼だと分かっていたのだ。ただ、誰も気づかぬ程度に整った眉を引き上げたのは彼が先に来ていたのが意外だった、それだけであった。
「おはよう」
控えの間に張りのある声が流れる。言われた方は掛けていた椅子から立ち上がりもせず幾分顔を上げて頷いただけだった。
「そなたが先だとは思っていなかった。」
「そうか…。」
興味の欠片も宿さぬ答えが返った。再びクラヴィスは胸の前の腕を組み直すと僅かに俯きその夕暮れ色の瞳を伏せた。彼の態度をジュリアスは別段気にもとめない風である。昨日と同じ、その前の日とも変わらぬ空気が互いの間に流れているからだ。それにこれから赴く女王の謁見を前に何かを語るつもりもなかった。本当は聞きたくもない、知らずに過ぎていくならそうであって欲しいと願う勅命が下るのだと彼らは理解していた。
謁見の間に続く扉が音もなく開く。振れ係が女王が玉座に降りたと告げる。微かな衣擦れを引き二人は扉に向かう。彼らの姿が扉の先に消えるのを待っていたかに扉が再び閉じてゆく。これまでとこの後を分ける運命の扉だと、この時ジュリアスは背後でゆっくりと閉まるその気配を感じながら胸の奥で一人思った。
薄い帳を幾重にも降ろした奥に女王は居るのだ。彼女の肉声は例え僅かの距離を置いて膝をつくジュリアスにもクラヴィスにも届かない。確かにその場所に在っても決して顕わになってはならぬ者。それが女王なのである。
女王の言葉は補佐官を通して伝えられる。常に穏やかで日溜まりの温もりを思わせる補佐官の声音がいつになく緊張を孕んでいる事で、これより下る女王の命の重さが窺えた。
「この宇宙は新たなる煌めきを望んでいます。」
その一言の意味する何かが二人に俄な危機感を運ぶ。それはつまり…。
「次代の女王を選出する女王試験の実施を命じます。」
また、一つの時代が幕を閉じるのだ。それはあまりにも短く辛い日々の終わりでもあった。
「謹んで拝命いたします。」
「御意に…。」
言葉は違えども異存のない意志を表す筆頭守護聖に補佐官は軽く頷いてみせた。
「これは勿論正式な勅命です。後日、詳細は書面にてお届けするよう手配しますが、それまでこの件に関しては他言無用でお願いします。」
これは補佐官からの補足である。正式な公布まで伏せておくのは、まだ年若い守護聖達への配慮であろう。
「女王陛下がご退出になります。」
帳の奥が微かに揺らめいたのち、今そこにあった女王の輝きが消えていった。
これほど近くに居れば、その身に宿すサクリアの弱体が如実に感じられた。事は火急なのである。恐らく正式な公布も数日うちだと察せられる。
補佐官の退室を振れ係が伝える。漸く彼らは顔を上げた。そしてどちらからともなく声が洩れる。
「女王試験…か。」
「…ああ。」
二人が初めてその選出に関わった女王が次ぎの世代に玉座を渡すのである。感慨とは異なる様々な想いが去来するのは当然だった。しかし現実はそれほど単純ではなく、確かにやって来る終わりまで今の宇宙を支えていかね
ばならない。それと同時に来る試験の準備が始まる。振り返るのはまだ早い。あの時は…と語るのは全てが終わるその日を迎えてからだ。今はまだ進むしかない。だからそれらを互いの胸にしまったのである。
先に扉に向かったはのクラヴィスであった。すぐ後をジュリアスが追う。控えの間を抜け二人は廊下へと出ていった。
先ほどより高く昇った朝日は更に強く射し、窓外に見える庭園の色をより鮮やかに際だたせていた。
「クラヴィス」
前を行く黒衣の背に声が降る。
「馬車は東か?」
「いや…西だ。」
「少し話があるのだが…。」
「此処で…か?」
瑠璃より蒼い瞳が僅かに逡巡し宙を彷徨う。
「此処で構わない。」
「何だ…?」
ジュリアスが一度深く息を吸い込む。何か言いづらい話か、或いは未だ迷っているのか。本人は気づいていないだろうがこれは彼の癖である。既に心が決まっているなら間をおかず話始める筈であった。
「暫く、執務以外で会うのを止めたい。」
細い眉が上がる。明るい陽光の下では菫色に見える瞳がジュリアスの言わんとする先を探っている。
「暫くとは?」
「少なくとも…女王試験終了までは…。」
端切れの悪い答えにクラヴィスはあからさまに怪訝さを作った。
「何故?」
「この時期に…私事は控えたい。」
「それが理由か?」
「……そうだ。」
クラヴィスに向けられた瞳の奥が微かに揺れた。心が何かを隠す故の揺らぎだろう。理由がそれだけでない事をクラヴィスは瞬時に見極めた。
「お前がそうしたいなら…、わたしは構わぬが…。」
「………。」
自身の迷いをきっとクラヴィスは見抜いてしまったのだろうとジュリアスは小さく臍を噛む。彼に隠すなど出来ないのは分かっている。けれど今は言えない。言いたくなかった。
「話はそれだけか?」
「そうだ…。」
ジュリアスが一体何を秘めているかまでは分からないが、確かに内に何某かを隠しているのだろうとクラヴィスは確信する。けれど聞こうとはしなかった。本当は聞きたくなかったのかもしれない。
「わたしは屋敷に戻るが、お前は?」
「私は執務室に寄っていく。」
「そうか…。」
黒絹の裾を返し、クラヴィスは振り返りもせずにその場を離れた。西の車寄せに向かう為、先で二手に分かれる角を曲がる時彼は視界の端で未だ立ち去りもせず自身を見る姿を捉えた。後になってこの時の事を彼は幾度も後悔したのである。どうして戻ってその心根を問いたださなかったのかと。
徐々に遠ざかる後ろ姿から視線を外すことなくジュリアスはいつまでも見つめていた。
何を隠しているのかと実は聞いて欲しかったのではないかと、窓から射し入る光の帯に照らされながら揺れている黒髪を凝視しつつ何度も自問を繰り返した。本当の理由は何かと、いつもの全てを見透かした顔で聞き出して欲しいと望んでいたのではないのか?
もし仮に聞かれたとして、それを包み隠さずジュリアスが語ったとしたら彼はどうしただろうか?
鼻先で軽く笑ったのちに、お前はくだらない事で色々考えを巡らせると呆れた風に言うのかもしれない。難儀な奴だと言いながら抱き寄せるに違いない。宮殿の回廊で不敬だとジュリアスが怒ってみせるのも知らぬ顔で。
そうして欲しいと望んでいながらも、彼は何も語らなかった。
気づけば回廊には誰の姿もない。聞き慣れた靴音も既に遠く消えていた。
続