*BLUB*
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或る朝、目を開けた先に見慣れた扉があり、その向こうに何があるかなど勿論知り尽くしていると思っていた。
開ければ単なる日常が繰り返されるだけなのだと。
それは何の変化も訪れぬものであり、ただ一日が終わるたびに「約束の日」に近づくだけの、命の欠片を捨てる行為でしかなかった。
只でさえ緩慢にしか時が流れぬ聖地に生きることは、退屈で穏やかで孤独な終わらぬ夢を見続けるのに似ている。
いや、夢そのものだと言えよう。何時醒めるとも分からぬ長く辛い夢。
しんとした夜明け前の冷気が忍び込む室内を、クラヴィスは素足のままで横切る。テラスに向いた窓に歩み寄り、それを大きく開け放ち朝靄に霞む庭を見渡した。
世界は混沌とした闇の名残の中にあって、永遠に色彩を纏う事がないかに思える。しかし醒めぬ夢などないように明けぬ夜もありはしない。
裏庭から続く森の中でも一際高い梢を越えて、白濁した風景の先に昇りゆく朝日の先触れを見た。新たな一日の始まりを告げる一筋の光が、瞬く間に空を塗り替えてゆく。
深い闇色から希望の碧へ。
それまで他人に触れられる事は、ただ煩わしいだけだと思っていた。まして自身の奥深くにある心だとか想いだとかに、誰かが手を差し入れる等許されぬことだと信じていた。また反対に自分がそんな愚かな行為をするとは、夢にも思っていなかった。あの一言を告げるまでは。
それに彼が受けるとも思っていなかった。いや、そうではなく告げるつもりがなかったから、受けると言う結果を想像など出来なかったのだ。欲しいものは眺めるものであって決して手を触れるものではない筈で、例えば聖地の門の外に広がる眩い景観と同じ憧れこそすれ自身が得られぬが真実だと決めていた。
ところがその真実が実は虚で、己が長く虚だとしていた煌めきが真実となった。彼は触れても良いのだと言った。僅かに俯き、凡そらしからぬ微かな声音でそう告げたのだ。
僅かの間に暁光は更に強く世界を染め、薄く垂れ込めていた朝霧もない。木々の更に上方から差し込む陽の光に残り香の様に漂っていた夜の欠片も消し去られていた。
クラヴィスは手を翳す。朝の温もりと輝きに。
彼者の司るその『光』を感じるかに片手を空に差し上げ、そして微かに口元を緩めた。恐らく自身でも気づかない穏やかな顔を与えた者の面影を虚空に思い、彼は声に乗せずその名を呼んでみる。唇の動きに合わせ描く姿が確かになるきがした。
大振りの窓から冷えた空気が室内の暖を奪っていくのも気にせず、彼はいつまでもそうして佇んでいた。
どれくらい其処に立っていたのだろう。遠慮がちに扉を叩く音に返した声は幾分上擦っていたかもしれない。重厚なそれを通して執事が寄越した知らせをクラヴィスはずっと以前から知っていたとでも言う風に、どこまでも静かに「分かった…。」と応えた。
「間もなく宮殿からお迎えが参るそうでございます。」
「そうか…。」
急な女王の謁見に慌てるでもなく、彼は身支度の為に隣室へと消えていった。
閉め忘れた窓から風が吹き込んだ。
湿った土と緑の香を含むそれは室内を一渡りした後、行き場を失い暫し留まると大気の中に飲まれていった。
続