*Morality Slave*

=拘束と葛藤=

クラヴィスの辿り着いた先にあったものは玉座であった。 王の座するただ一つの処。まるで悠久の時を越え彼を待っていたと言う様に、それは薄闇にうっすらと浮かび上がってみえた。クラヴィスはあからさまに気落ちした顔を作り大きく溜息を吐いた。表情には出さぬものの此処に向かい歩いていた時、彼は言いしれぬ不安と迫る恐怖を胸に抱いていた。己の先に何があるかもわからぬ不安、次の一足を踏み出した先にあるやも知れぬ奈落への恐怖。そんな諸々を引きずって行き着いたのが、この何の為にあるのかもサッパリわからぬ玉座だとは。それまでの緊張の糸が切れたのか、クラヴィスは疲れたように眼前の椅子に掛けた。
これはあまりにも無防備な行為だった。いや、恐らくその行為自体が闇の誘いであり、決して抗えぬ決め事だったのであろう。
掛けた途端彼の躯は何ものかに拘束された如く椅子に張り付き、立ち上がる事はおろか指先を動かすことも出来なくなった。唯一動かせる眉を顰め吐き捨てるかに言葉を落とした。
「わたしは…馬鹿か…。」
クラヴィスは悟ったのだ。これで完全に自身が闇に囚われたことを。


聖地の緩やかに流れる時の中で、日常は当たり前に始まり終わってゆく。
クラヴィスが目覚めてからも、幾つかの朝が来て同じだけの夜が過ぎた。彼が尋常でない覚醒をしたことはあの場に立ち会った者の胸にしまわれ、それ以外の者達には知らされていない。
未だ何も分かっていない状態で他の者に無用の動揺を強いるべきではないと、ジュリアスが頑なに主張した為である。クラヴィスは明日にでも完全に目覚めるかもしれぬと、ジュリアスは言葉に力を込めて言ったのだ。それは彼の望みでありまた叶わぬ夢かもしれなかった。
そうして何の変化もなく日々が過ぎて行った。医師が告げたようにクラヴィスが屋敷で今まで通り暮らすのは、全く問題がないようであった。それに彼の様子は足繁く通うリュミエールから逐一ジュリアスに伝えられていた。
「先程は本を読んで差し上げました。」
報告に訪れたリュミエールが優しげな笑顔でそう言った。
「ジュリアス様も、一度お訪ねになればよろしいのではないでしょうか?」
執務室を辞する際、水の守護聖はもう一度微笑みながらジュリアスに声を掛けた。それを受けたジュリアスは「そうだな。」と頷き微かな笑みを見せた。だが、それは彼にしてはとても不確かな心許ない貌に思えた。


閉じられた扉を暫し見つめた後、ジュリアスは何気なく闇の執務室に顔を向けた自分に気付いた。今、そこに主の姿はない。
現在クラヴィスの執務もジュリアスが執り行っている。日に幾度も必要にかられその部屋を訪れねばならず、扉を開けた時無人のデスクがジュリアスを迎え、その度に胸に去来する寂しさとむなしさに躯が震えるのだった。あの日以来ジュリアスは一度も闇の館を訪ねていなかった。実際、二人分の執務をこなし、それ以外の雑務をすべて一人で執る彼には時間がなかったのも事実であったが、ジュリアスはあのクラヴィスと向き合って冷静でいられる自信がなかったのが本当のところだろう。
不思議そうに自分を見つめる紫の瞳が、この上もなく恐ろしくて仕方がなかった。自分の髪を撫でる指の優しさや、躯に廻された腕の強さや、囁くように己の名を呼ぶ涼やかな声が二度と戻らぬのではないかと思えて、クラヴィスの元へ行くことなど出来なかったのかもしれない。
しかしその反面片時も離れていたくないのも真意であり、自分でもいったいどうしたいのかが測りかねていたのだ。


ジュリアスは己の無力と弱さを不甲斐なく思い、そんな自分があまりにも脆弱な存在であることが悔しかった。
机上に組んだ手に額を押し当てジュリアスは密やかに一つの名を呼ぶ。
「クラヴィス…。」
それは求めて止まぬ魂の片割れの名であった。





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