*Morality Slave*
=黒い安息=
たしか…目を開いたと思った。
いや間違いなく今自分は目を開けていると、視界の先に広がる真っ暗な世界を眺めながらクラヴィスは怪訝そうに細い眉を上げた。まず考えたのは自分が何処に居るのかということだった。王立研究院から自室に戻り、眠りについたのは寝台の上だった筈だ。しかし、この場所は・・・。
いくら目を凝らしても自身が立つこの空間には、闇以外の何ものも存在していない。足下も恐らく天井があるべき頭上も、もしあるとするなら壁か或いは何か厚い布を張り巡らした様な、自分の周囲すべてがただ黒という色で覆われている。それに、音がない。
仮にもし眠っている間に何ものかに捕らえられこの場所に閉じこめられたとしても、まったく音のしない空間などあり得ない。それなのに足で強く床と思われる部分を蹴ってみても確かに靴の裏には堅い板に触れる感触はあるが、そうすれば必ず発つであろう音がしなかった。
クラヴィスはもう一度大きく首を巡らせ周囲をぐるりと見回した。そして一度深い溜息を吐き呟いた。
「やはり…そういう事か。」
彼が自身のサクリアの異変に気付いたのは、かれこれ2週間ほど前の事だった。それは丁度女王のサクリアの弱体が顕著に現れ、その為に複数の惑星が崩壊を始めたことにより闇のサクリアの需要が急激に増加した頃である。宇宙が求めれば求められただけの供給をせなばならない。それが守護聖の努めであるならば。勿論クラヴィスも需要に見合う供給を行った。注がれたサクリアを補うように、体内には新たな安らぎの力が生まれる。そして、また望まれそれを注ぐ。そんな状況が暫く続いた後クラヴィスは突如体内に通常では考えられぬ、サクリアの膨大な増殖を覚えた。
己が纏うサクリアについて、実のところ彼自身も全く分かってはいない。何処で生まれ、どのようにして宿主を選び、いつになれば尽きてしまうのか。だが、この異常な増加という現象に関しては、クラヴィスなりの予想をたてる事が出来た。例えば災害などで土地に根付く木々が失われた時など、僅かに残った種が存続の為に大量の子孫を生もうとする。平素では考えられぬ需要を求められた時、サクリアがその枯渇を恐れ自らより多く湧き出したとしても不思議ではない。彼はそう考えたのだ。
ただ急激に溢れだしたサクリアを制御するのは、いくら慣れ親しんだ力でも容易な事ではない。一つ間違えば強大な力の暴走を許す結果になるか、あるいは押さえ切れぬ闇に呑まれるか。それが、この何日もクラヴィスの心を塞ぐ悩みであった。
そして、今その闇の中に己が居るのだとクラヴィスは確信した。この暗黒の安らぎからどうすれば抜け出せるのかと思案しながら、彼は今ひとつ頭を掠める姿に想いを馳せた。多分、己の肉体は寝室のシーツの上で眠っているのだろう。聖地の時間でどれほど経ったのかは分からなかったが、間違いなくジュリアスはこの事態を目の当たりにしている筈だ。
「あれは…さぞかし不安に思っているだう。」
きっと蒼褪めた顔をして難しい貌を作っているに違いない。平静を装うとして、それでも拭えぬ不安に心が震えているだろう。
「早く戻ってやらねば……。」
ポツリと言ったクラヴィスは更に目を凝らして、漆黒の世界に微かにあるやも知れぬ道標を探すのだった。
目の前に差し出された湯気の立つカップを受け取るしなやかな指がまだ微かに震えていた。気遣わしげに顔を覗き込みながらリュミエールが言葉を掛ける。
「落ち着かれましたか?」
ジュリアスは小さく頷き渡された器の中に揺れる液体に目を落とした。
クラヴィスが覚醒しないのは闇に囚われたのだと思った途端、ジュリアスの鉄壁とも言える理性が音を発てて崩れた。もしかしたら二度と目を覚まさないのではないかと言う恐れが、彼を突き動かし思いも寄らぬ行動を起こさせた。もし、あの時リュミエールが声を掛けなければ、またクラヴィスに突然の覚醒がもたらされなければ、多分ジュリアスは四肢を弛緩させたクラヴィスの頬に平手を強く当てていたかもしれない。
あの時、ジュリアスはそれ程取り乱し、そして眼前の事実に恐怖していたのだ。だがクラヴィスは目を覚ました。それも、あっけないくらい突然に。
寝室から続く居間の椅子に掛け、ジュリアスとリュミエールは静かに待っていた。
確かにクラヴィスは覚醒したのだ。しかし、その様子は見守る誰の目にも安堵を運ばなかった。ハッキリと見開かれた瞳を巡らせ、自分を見つめる全員の顔をクラヴィスは眺めた。とても不思議そうな眼差しで。まるで生まれて初めて出会った人々を見る様な表情で。
クラヴィスに未だ某かの異常が起きているのは明かであった。医師と職員は顔を見合わせ頷き合った後、ジュリアスに一つの提案を寄越した。
「今少しお時間をいただいて、クラヴィス様のお体をお調べ申し上げたいと存じます。」
終わりましたら直ぐにお知らせいたします。
職員に促されるまま二人は寝室を辞して、この部屋でその知らせを待っている。恐らくそれが彼らにとって望ましい報告ではないのは分かっていたが。
続