*Morality Slave*

=夕刻=

夜半より降り出した雨が夕暮れも間近な今頃になって止んだことに、ジュリアスはどこか釈然としない気持ちでテラスに続く窓を押し開いた。雨の雫をたわわに実る果実の如く枝につけた木々が、僅かに冷気を含んだ風に揺らされて、光に弾ける水滴を宙に振りまいていた。
硝子の擦れあうシャラシャラという音が聞こえそうで、色を落とした太陽の光を内包した粒の煌めきを、ジュリアスは放心したかに見つめながら、美しいと小さく呟いた。
聖地の見慣れた風景が時として見せる、こうした刹那の美観に巡り会うと彼は素直な感動と女王への崇敬を覚える。この美しい空の色も頬に触れる風も、すべて女王の恩恵に他ならないと思うからだ。
しかし…。
その女王の支配力は聖地の天候をも保てぬほど弱まっている。誰の目にも新たな力を迎えねばならぬのは、歴然とした事実として映っているだろう。ジュリアスにしても明日にでもその勅命が下るのではないかと考える。そうなれば、益々こうして穏やかな一日を過ごすのが難しくなるのも分かってはいるが。
開けた窓はそのままに、ジュリアスは室内に顔を巡らせ、壁際の寝椅子に横になる姿に目を向けた。少し前まで本を読んでいたと思ったが、やはり眠ってしまったようだ。
全く良く寝るやつだ、ジュリアスは口には出さず呟いて、その平和そのものに眠り込む者に歩み寄る。


土と日の曜日を続けて休むなど、最近の忙しさからは思いも寄らぬことであった。ジュリアスが執務の為に休日を返上する事は珍しくないが、このところはもしかするとクラヴィスの方が、休みを忙殺されているのかもしれない。彼の持つ先見の能力と司る闇の安らぎは、衰退の一途を辿る宇宙には必要不可欠なのだ。
真っ直ぐな黒髪が寝椅子からこぼれ落ちている。ジュリアスはそれを拾いそっと指を絡ませた。今朝目が覚めた時窓を打つ雨の音に、せっかくの休みを邸内で過さねばならぬと、少しばかりの不満を覚えた自分を思い、やはりこうしてゆっくりとした時間に身を置くことも悪くはなかったと、ジュリアスは目の前の穏やかな寝顔を眺め小さく笑んだ。常に守護聖の職務など興味も関心もないといった風を見せるくせに、例えばこの数週間など王立研究院からの召集が届く前に院内の施設に姿を現していたりする。
一度ジュリアスがからかうように「最近はやけに執務に熱心だな」と声を掛けた事すらある。その時はいつも見せる迷惑そうな顔で「夜になると星が騒いで眠れぬから仕方なくだ。」と返された。それが彼の『振り』なのか、それとも実際誰の耳にも届かぬ音を拾ってしまうからなのかは分からない。
ただ…。
クラヴィスが自身の立場や身に付けてしまった力を、今だに認めていない事もジュリアスは知っていた。
が、知ってはいたが理解は出来ない。何故彼がそうまでして守護聖を否定するのかは、逆に守護聖であろうとするジュリアスが分かろうにも分かりかねる部分なのである。


胸に置いた手の指が微かに震えた。夢でも見ているのかとジュリアスが今度はその指に手を延ばすと、思いもよらず閉じていた瞼が開き紫の双眸に捉えられた。
「やっとお目覚めか?」
ジュリアスの言葉は何故か囁くようで声色は甘い響きを含む。口の端がゆるやかに上がり、柔らかな笑顔のクラヴィスが答えた。
「キスでも・・しようとしたか?」
まさか…。
「よく寝られるものだと考えていた。」
無造作に前髪を掻き上げジュリアスは顔を窓辺に向けた。雲間を割った夕日が長いオレンジの帯となり床を染める。
「上がったのか?」
背に掛かる声に振り返ると、首だけを巡らせたクラヴィスが窓外に広がる夕景を眺めていた。開いた窓から流れ込む空気は少し冷たく、木の香りと雨の残り香を室内に運んだ。
「散歩にでも・・出るか?」
椅子から立ち上がったクラヴィスが、射し込む緋色の光の中でジュリアスの答えを待つ。
「そうだな・・・・。」
言いながら歩み寄るジュリアスを細い腕が迎え、二人は一度だけ軽く唇を合わせた。





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