*PRIMAL*
=6=
「それで・・何の用だ・・?」
クラヴィスの声が耳に流れ込んだ。その声の抑揚のない冷たさにジュリアスは我に返った。
「それは・・王立研究院からの・・。」
ここまで言ったジュリアスが言葉を切った。一度大きく息を吸い込むと、言いかけた言葉とは違う一言を発した。
「それより、そなた・・今何をしていた?」
細い眉が上がり薄い唇から吐息にも似た声が流れ出る。
「・・・お前の見た通りだが・・。」
何をそれほど驚くことがあるかと、クラヴィスはあからさまに呆れた顔をした。
命の終わりに発せられる想いは、決して穏やかなものではないことなどジュリアスも勿論理解していた。そして魂の終焉に立ち会うクラヴィスが、それら行き場のない思念を受け入れていることも知ってはいたが、ただその行為がこれほどの苦痛を伴うこと等とは思いも寄らなかったのだ。
「今までも、この様にして浄化してきたのか?」
「いいや・・。」
平素ならこれほど立て続けに星の最後を見送ることなどあり得ない。一度内包した負の思念を浄化するのに数日から数週間掛かったとしても、再び同じ場に立ち会うのは身に刻まれた痛みも記憶の隅に仕舞われた頃である筈だった。短い期間に何度も取り込んだ嘆きが消える間もなく新たな哀しみを内包するうちに、それはクラヴィスの体内に積み重なり、今回のような目に見えるほどの大きな核を形成したのだ。
「こんなことは、希だ・・。」
宇宙が崩れ始めた今だから起きただけだと、クラヴィスは疲れたように視線を組んだ両手に
落とした。
「なぜ・・私に一言相談しなかった?」
星の命数を変える事など出来ないのは分かり切っていた。それでもこんな辛い思いをしていると知っていたなら。だがこの先に続く言葉をジュリアスは知らない。変わりにその痛みを我が身に受けるとでも?それとも首座の一任の元に他の者に受けさせるとでもいうのか?そんな事は不可能だ。
あの思い出の笑顔を求めながら、自分にはクラヴィスに返せるものが一つもない。
『私は何と身勝手で貪欲な人間なのか・・・』
ジュリアスは悔しそうにきつく唇を噛んだ。
「お前の手を煩わせるつもりなど・・ない。それに、これは闇のサクリアを宿した・・・、わたしの宿命のようなものだ・・。」
視線を上げたクラヴィスの顔に浮かんだのは、諦めでも哀しみでもなかった。そこにあるのは、お前には関係ないといった拒絶の色。ただそれだけだった。
「そなたが、私を憎んでいることは・・分かっている。」
用がないなら帰れと告げようとしたクラヴィスは思いも寄らぬジュリアスの一言に立ち上がったまま、扉を背に自分を見つめるすこし蒼褪めた顔を凝視した。
「私の・・した事で、そなたが・・どれ程傷ついたのかは分かっているつもりだ。憎まれて・・・・詰られても・・当然の事をしたのだから。でも・・・・・私に出来ることなら・・言って欲しい。」
ジュリアスの言葉には常に在る尊大さも厳粛な響きもない。弱々しい声色には懇願の意が込められているだけだ。
「わたしがお前を憎んでいる・・・?」
何を根拠にジュリアスがそんなことを口にするのかが分からなかった。
「私が、あの森の湖で・・・そなたに告げた言葉は、 アンジェリークは・・必ず行くから・・待っていて欲しいと・・私に・・そなたに伝えて欲しいと・・・・それを・・私は・・。」
顔を歪め切れ切れに放つ言葉を拾い、クラヴィスはジュリアスが何を言っているのかを理解した。現女王が即位する直前の出来事だった。
確かにクラヴィスは金の髪の女王候補に想いを告げた。『傍に居て欲しい』と。その少し前から互いの気持ちが離れていることは分かっていた。ジュリアスは守護聖としてのクラヴィスの怠惰な振る舞いに怒りを現し叱責を繰り返していた。やはり光と闇は相容れぬものなのかと、諦め始めていたのは否定できない。いくら求めても手に入らぬ光だと感じていた。
だから煌めく髪の色と清冽な瞳の輝きを持つ少女の上に求める者の姿を重ね、図らずも手を伸べてしまったのかもしれない。それとも彼女の屈託のない笑顔が交差し絡み合い、既に修正できないと諦めた想いを解き放ってくれる希望に思えた故だったのか。しかしあの時彼女がこの手を取る事がなかったのを、今になってみれば幸いだった。
確かに彼女に寄せたのは仄かな恋だったに違いないが、それならジュリアスに抱く想いとそれが果たして同義かと問われれば即答など出来なかったと思われる。ジュリアスを求める心はもっと熱く狂おしい。あの少女に告げた心を恋だと言うなら、彼へのそれは深い愛情なのではないだろうか。
もしあの少女と結ばれていたとしても、所詮自分の求めた暖かな光はジュリアス以外にはなかったのだと今更ながら思い知らされていたはずだ。森の湖で自分を見つめ、怒りのためか頬を上気させたジュリアスに『守護聖の自覚を持て』と詰られた時、これで全てが終わったと思ったのだ。己の浅はかな行いを清廉なジュリアスが許すはずがないと確信したからだ。それでも彼を想う心を捨てる事は出来ず、それを悟られまいとジュリアスに向けた己の視線や態度がどれ程彼を傷つけていたのかを知り、クラヴィスは自分の続けてきた愚行を恥じた。
「わたしは・・・・お前を憎いと・・思ったことなどない。ただの・・・一度もだ。」
ジュリアスは自分が何を言われているのかが全く分からないといった顔で向けられた紫の瞳を見つめ返した。
「だが、このわたしの態度が・・お前にそんな風に思わせていたなどと・・。・・・済まなかった。」
クラヴィスの瞳に哀しげな影が降り、何かに堪えるように歪んだ美しい顔を見てジュリアスは困惑した。何故クラヴィスが謝らねばならないのか、何故それほど哀しそうな顔をするのかと。そして何故憎んではいないなどと言うのかが、本当に分からなかった。
何か言わねばと頭の中に言葉の断片を並べようとして、先程からどこかボンヤリとして思考が回らぬことに今になって気付いた。クラヴィスの機転により昏倒こそ免れたものの、やはり濃密な闇のサクリアの影響を少なからず受けたのだと思った途端、自分の身体がぐらりと揺れるのを感じ、ジュリアスは足に力を入れ何とか踏みとどまろうとした。だが力を入れた足の下に在るはずの床の感触がなく、膝ががくりと折れて前のめりに倒れるのを止める事が出来ない。視界のすべてが霞が掛かったような白い靄に遮られ、何かを掴もうと差し出した腕を細い指が捉えた。そのまま身体を抱え込むように抱き取られ、背に腕が廻されて支えられるのが分かった。
「ジュリアス・・?」
名を呼ばれてハッと顔を上げると、触れるほど近くに今は黒に見えるクラヴィスの瞳があった。
「大丈夫か?」
心配そうに覗き込むクラヴィスに大事ないと答え身を離そうとした途端、息が出来ぬほど強く抱きしめられた。
「何をする!」
黒衣の胸に添わせていた腕に力を込めて腕の拘束から逃れようとした時、もう一度「ジュリアス」と呼ぶ微かに震える声が耳に流れ込んだ。
『ジュリアス・・。』
夢の中でいつも聞こえる幼いクラヴィスの声と変わらぬ甘く優しい響きが身体の中に広がり、胸の奥が暖かな温もりで満たされてゆく。まだハッキリとしない頭でジュリアスは考えた。これは・・夢なのだと。そうでなければクラヴィスがこんな優しい声色で自分の名を呼ぶ筈などないと思ったからだ。夢ならば・・醒めないで欲しい・・。そう思い、黒絹を纏う肩に頭を預けた時その愛しそうに名を呼ぶ声が何か囁くのが聞こえた。
「わたしは・・お前を・・・憎いとも疎ましいとも思っていない。ずっと・・以前から・・お前を・・・・・愛している。」
驚嘆とともに上げた視線の先に言ってしまった自分の一言に驚き目を見開いたクラヴィスの白皙があった。
聖地の門を一人出て行くまで決して言うまいと決めていた言葉を腕に抱いた身体の温かさと愛しさに思わず口にした自分の愚かな振る舞いを諫めるのも忘れ、クラヴィスは溢れ出る想いを伝えずにはいられなかった。
「お前だけを・・ずっと愛していた。」
呆然とそれを聞いていたジュリアスの指が小刻みに震え、色のない唇から信じられぬと言った響きが洩れた。
「何を・・・馬鹿な・・。」
信じられる筈がなかった。自分の行いへのクラヴィスの報復だと思った。こんな虚言で自分を翻弄し、そのすぐ後に冷ややかな侮蔑の眼差しを向けるのかと。混乱する思考の中でジュリアスはその言葉だけは聞きたくないと足掻き、渾身の力を込め細い腕の拘束から今度は本当に身を解放しようとクラヴィスを突き飛ばす程の勢いで腕を伸ばした。
素早く身体に廻した腕が解かれジュリアスが胸についた腕を取られる。手首にクラヴィスの長い指が絡み、なんとしても離すまいと握りこまれた。ジュリアスに望む答えを言わせたい訳ではなく、ただ言ってしまった言葉をもう収める事が出来ぬのならせめて全てを伝えなければならないとクラヴィスは狂ったように腕を引き抜こうとするジュリアスをもう一度引き寄せると胸に掻き抱いた。
「お前だけだった・・。お前以外は・・・考えられなかった。だが・・こんな事を言えば・・恐らく、わたしを許さぬと思った。」
痛ましい声だ。まるで己の罪を語る懺悔のように聞こえた。
僅かに顔をずらして視界の端に捉えたクラヴィスの横顔はきつく瞳を閉じ、今にも泣きそうに思えた。
「あの金の髪の娘に・・傍らに居て欲しいと告げた。・・・それは本当だ。 お前が私に何を求めているのかも分かっていた・・・。だが・・、私はそれには答えられぬ。 それでいて・・・・お前の心が欲しかった。それが叶わぬなら・・・せめて・・。 だから、あの様な真似をした・・。呆れただろう・・・?」
突然抱きしめていた腕の力が抜けたと思うとクラヴィスはくるりと身を返し、
「済まなかった・・・。今言ったことは・・・・忘れてくれ。」と呟いた。
始まってもいないものが終わることはない。例えそれを拒まれたとしても、ただ何もなかった様に空虚な闇の中に消えていくだけだ。そして希望は二度と訪れない。それだけのことだ・・・。薄暗い室内に深い絶望の溜息が落ちていった。
続