*PRIMAL*

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 それは木の曜日。出仕したジュリアスが朝から二つの会議を終え、自分の執務室に戻ったのは昼を少しまわった時刻だった。デスクに腰を下ろしたジュリアスに秘書官から、午後の予定の一部変更が告げられた。
 主星から僅かに離れたβ-552星系の惑星に点在する少数民族間で起きている争いを収めるべく、王立研究院が導き出した供給量に基づきクラヴィスと共にサクリアを送ることになっていた。女王のサクリアの衰えは星の滅亡などの具現的な事象以外にも、惑星の民の精神にも不安をもたらすという影響が見受けられた。まだ現時点では大きな争乱は起きていないにしても、小さな紛糾はそこ此処で発生している。今回のように早期に発見された場合は、最も適切な処置として筆頭二人の司るサクリアをもって民を導くことになっている。不安に揺れる人々に闇のサクリアの安らぎを与え、その後に光のサクリアの溢れる希望と誇りを送るのである。
 手に持つ報告書に書かれた文字を一つ一つ追いながら、彼はサクリア供給の延期と闇の守護聖の欠勤を告げた。
「供給を先に延ばすとの事だが、それによる影響は無いのか?研究院は何と言ってきているのだ・・。」
語気を強めたジュリアスの圧倒的な威圧感にほんの一瞬怯んだかに見えたが、彼は直ぐに気を取り直し問われた内容に的確な返事を返した。
「研究院からは後数日猶予が見込まれているので、本日の供給が行われなくともさほどの影響は認められず、との事でございます。」
それから・・。僅かに言い淀んだのをジュリアスは見落とさなかった。
「また、クラヴィスは無断での欠勤なのか?」
「いえ・・、闇の館の使者からの書簡によりますと・・」
確か昨日もクラヴィスは聖殿に上がらなかったと、ジュリアスは臍を噛んだ。しかもそれは何の連絡もない無断欠勤だったのだ。
 数枚の紙片の中から一枚を取り、秘書官は丁寧にそれを読み上げた。そこには昨日よりクラヴィスは私室に籠もり出仕はできない、場合によっては明日も聖殿に上がることを見合わせたいと書かれていた。
「私室から外に出ない・・?本人からの報告は何もないと言うのだな?」
左様でございます、秘書官はそれ以上は伝える言葉がなくただ恭しく頭を下げるばかりだった。
「わかった。後ほど私が直接出向き事の次第を確認してくる。王立研究院にはその様に伝えておいて欲しい。」
畏まりました、秘書官は礼をするとジュリアスの言葉を伝えるため執務室から出ていった。
『また一人で何をしようとしているのだ・・・。』
 先日から気になっていた平素とは違うクラヴィスの様子を思い出し、ジュリアスはやはり自分が確かめねばならぬと意を堅くした。



 闇の館の玄関でジュリアスを迎えた館付きの執事は、この予期せぬ首座の訪問に微かに驚きの表情を浮かべた。しかし彼は見る間に穏やかな笑みを向け「いらっしゃいませ。」とそつなく会釈した。気が急いていたからではなく湾曲した言い回しを嫌うため、ジュリアスは突然の訪問の目的をハッキリと告げた。執事の顔が俄に曇り、言葉を選ぶように視線を一度伏せた後、
「クラヴィス様は昨日より私室に籠もられており、何方の訪問もお断りするようにと申し使っております・・。」
そう言うと申し訳なさそうに深く頭を垂れた。
「それに付いては報告を受けている。ただ、執務に関して急ぎ話をしなければならぬのだ。
 無理を言って済まないが、とりあえずあの者の部屋まで通してもらえぬだろうか?」
ジュリアスにしては大層穏やかな言い回しであったが、向けられた視線には譲れぬ強い意志が込められており、執事は直ぐさま畏まりましたと邸内に招き入れた。
 館の中には人の気配がなく、クラヴィスが多くの使用人を置く事を嫌い必要最低限の人間のみを使わせていることが窺えた。館の奥にあるクラヴィスの私室の前に立ち、ジュリアスは執事に下がるよう促した。扉を叩きながら張りのある声で「クラヴィス」と呼びかけた。確かに室内には人の気配がする。それよりも闇のサクリアを強く感じ、扉の向こうにクラヴィスが居ることは明らかだった。だが、返事はない。
 もう一度名を呼びながら手を掛けたノブが抵抗なく回る事に、ジュリアスは幾分驚いた顔をした。鍵を掛けているわけではなかったのだ。
「入るぞ。」
ゆっくりと扉に手を掛けた途端、叫びにも聞こえるクラヴィスの声が放たれた。
「駄目だ!ジュリアス。入るな!!」
思いも寄らぬ強い語気に流石のジュリアスも一度掛けた手を引いた。しかし彼がここで退くわけもなく、何を言っていると言いながら再度扉を押し開こうとした刹那クラヴィスの悲鳴に近い声が聞こえた。
「やめろ!!扉を開けるな!」
只ならぬ様子にもうジュリアスは迷うことなく室内に飛び込んだ。



 部屋に入ったジュリアスは目の前の信じられぬ光景にその場に立ち竦んだ。厚い帳ですべての窓が覆われた薄暗い室内の壁際に置かれた机の上に、覆い被さるように身を伏せたクラヴィスから恐ろしい強さのサクリアが溢れ出ており、それは渦巻きながら主を包み込んでいる。
 間もなく暗さに目が慣れ、細部まで見えるようになったジュリアスの双眸が捉えたものは、机上に伏せたクラヴィスが某かの塊をその胸に抱き込んでいる様であった。それは球形の物質に見えたが、注視すればドロドロと蠢く生き物のようでもある。そして確かな事はその核となる何かが禍々しい負の力であり、クラヴィスがそれを少しずつ体内に取り込もうとしているのだ。
「そなた・・何をしている・・。」
力無く零れた言葉をクラヴィスが拾った。
「あと・・少しで終わる・・・。・・・黙っていろ。」
呻くかに絞り出した声にジュリアスは言葉を飲み込んだ。
 降りてきた沈黙の中、声を失った人のように只目の前で繰り広げられる音のない戦いをジュリアスは見つめ続けた。最初に見た時には人の拳ほどの大きさだった塊が、今は卵くらいの大きさになっている。時折クラヴィスの苦しげな呻きが唇を割って洩れる以外静寂に包まれた部屋の中に、ジュリアスは自分の激しい鼓動が響いている錯覚に襲わた。
 机上に置かれたクラヴィスの組んだ両手が大きく震えたと思うと、身体を包んだサクリアが一際強い輝きを放った。その途端悶えるかに揺れていた負の力が一気に弱まり、あっと言う間に黒衣を纏った胸の中に吸い込まれ消えていった。それと共に闇のサクリアが緩やかに凪いで、クラヴィスの中に収まるのがわかった。


 深く息を吐いたクラヴィスが身を起こし椅子の背に持たれる。閉じていた瞼がゆっくりと開き、顕れた夕暮れ色の瞳がジュリアスを捉えた。不安げな心許ない小さな顔を一度だけ愛しそうに見つめ、しかしそれは直ぐに冷めた眼差しに変わった。
「何故・・入って来た・・・。」
あ・・・、クラヴィスの制止を無視し室内に入った自分の軽率さを責められたのだと理解し、ジュリアスは言葉を探す。
「あと少し、わたしがサクリアを押さえるのが遅れていたら・・・お前にも、影響があったはずだ・・。」
 扉の外にジュリアスが居ることを感じ、そして恐らく彼は室内に入って来ると読んだクラヴィスは咄嗟に放出していたサクリアの質量を出来うる限り落とした。それにより体外に出ようとする負の力への拘束力が弱まるかもしれなかったが、それよりも圧倒的な闇のサクリアを受けたジュリアスの身に影響が及ぶことを恐れたのだ。中で何が起きているのかを知らぬジュリアスが、無防備に入って来れば光に引き寄せられた闇のサクリアをまともに受け、昏倒するくらいでは済まないとクラヴィスは咄嗟に判断した。
「まぁ・・お前に何もなくて、・・・何よりだった。」
静かに眼を伏せるクラヴィスの口元が微かに綻ぶのを、ジュリアスは見逃さなかった。
『ジュリアスが、怪我しなくて・・良かった。』
スミレ色の瞳に安堵の色を浮かべ、儚く優しい笑みが零れる。記憶の中の幼い姿に、今ほんの数秒浮かんだかに見えた微かなクラヴィスの笑みが重なった気がした。





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