*PRIMAL*

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 長く薄暗い回廊の突き当たりに重厚な扉が見えた。 その先には女王と守護聖以外は何人も踏みいることが許されぬ、この王立研究院で最も神聖な領域とされる「星の間」がある。そこは宇宙に存在する数多の星々に守護聖がサクリアを注ぐ場である。重い扉を開くと円形の天井には煌めく星空が描かれ、円筒型の何本もの柱に支えられた部屋の中央には祭壇が設えてある。数段の階をゆっくりと上がり、クラヴィスは間もなくその命数を終わろうとする惑星に向けてサクリアを注いだ。
 女王のサクリアが衰退を見せ始めてから、この宇宙は終焉に向かって緩やかに崩壊してゆく。それはもう誰にも止められぬことで、希望と未来そして誇りを司るジュリアスが崩れ行く速度を何とかくい止めようと日々身を削っても、終わりの時を幾らか延ばすことしか出来ずにいた。そして幾つもの命が消えてゆく。
 クラヴィスの持つ安らぎのサクリアはそうした命の終わりに、僅かでも安息をもたらすべく与えられるのである。すべての物に安らかな死を・・・。胸の奥で祈るように呟きながら上げた左手から、望まれるままに闇のサクリアを注ぐのだった。



 眼を閉じたクラヴィスの横顔には何かを慈しむようなだが、どこか哀しげな表情が浮かんでいる。普段、決して感情を面に現さぬ寡黙な彼はその彫像を思わせる美麗な造りの顔と相まって、他人に冷徹な人間であるかの印象を与える。しかし人との接触を極端に嫌う一面を見せながら、実は自身より弱い立場の者達や一度心を開いた相手には何の躊躇いもなく持てるすべてを与えてしまうところがある。例えそれによって自分に苦痛がもたらされてもだ。
 今も惑星の命が尽きる刹那、未練、悔恨そして哀願といった負の感情が注がれたサクリアの軌跡を辿りクラヴィスの中に流れ込んでくる。それを拒むことなく自身の体内に抱くように、すべてを受け止めようと彼は心を開き向かえいれる。美しい白皙が俄に歪み、黒髪に囲まれた額に冷えた汗が浮かぶ。物理的な痛みとは異なる魂の苦痛に苛まれ、それに耐える為か全身が小刻みに震えるのが分かった。
 最後の輝きを放った惑星が煌めく残光を引いて消えていった。掲げていた細い腕がゆるゆると降ろされる。踏みしめていた足の力が抜け、がくりと膝が折れるとクラヴィスはその場に崩れるように座り込んだ。俯いた顔は蒼白で胸の中を幾つもの爪痕が刻まれるような細かい、だが鋭利な痛みが襲う。それが収まるまでの時間は永遠のものとも思えたが、多分十分にもならぬ長さであったろう。



 壊れゆく世界で繰り返される星々の最後を、こうして見送るのも終焉が近づくにつれてその頻度を増してゆく。身に刻まれる思念の傷はこれからも数え切れぬほど増えてゆくだろうと、ゆっくりと身体を起こしながらクラヴィスは思った。しかし既に魂に立てられる爪の痛みなどには馴れてしまった。毎夜訪れる縋るように伸ばされた無数の白い腕に、全身を掴まれることにもだ。何もなかったとしても所詮クラヴィスの眠りは浅く、何度も夜の明けぬうちに目覚める際に小さな呻きと全身を濡らす冷えた汗があるか無いかの違いでしかなかった。
 闇のサクリアを宿す者の定めと諦めることを覚えたのも随分以前の事だと考えながら、この身に纏うサクリアの安らぎには余程甘美な魅力があるのかと薄く笑った。微かに揺れる身体を足に力を入れ支えながら、開けた扉の先に暖かな光のサクリアを感じクラヴィスは一度立ち止まった。「星の間」から続く数段の階の下に、壁にもたれこちらの様子を窺うように立っているジュリアスの姿を捉えたクラヴィスはあからさまに眉を顰めた。その不愉快そうな表情をみとめたジュリアスの秀麗な顔に、辛そうな翳りが降りるのが見えた。
 クラヴィスはそんなジュリアスを無視し、視線を足下に落としたまま無言でその横を行き過ぎようとした。
「クラヴィス?」
探るような声が追い掛ける。
 なんだ・・?と振り向こうとした時視界が歪み、揺れる身体を支える為壁に手をつこうと伸ばした腕を暖かな手に掴まれた。だが、次の瞬間その手は激しく振り払われる。咄嗟に引き戻した腕を胸に当て、瞠目したジュリアスの表情にクラヴィスの胸が鈍く痛んだ。そんな顔をするな・・と心の中で強く叫ぶ。守護聖の首座の顔を作るのを忘れたジュリアスの脆さを眼にした時、押し殺した心の声を上げ純白の衣装を纏う線の細い躯を抱きしめたい衝動を押さえるためクラヴィスはきつく目を閉じた。それがジュリアスには苦悶に絶えるかに見え、先程から抱いていた不安が煽られた。
 王立研究院でサクリアの供給に関する資料を求めていたジュリアスは微かに触れる闇のサクリアの波動が乱れ、揺れる感触を覚えてクラヴィスが居るはずの星の間に急いだのだ。だがジュリアスは扉を押し開き中に入るのを躊躇った。姿を現したクラヴィスの蒼褪めた顔色に、何事かが起こったのだと確信し迷惑そうに顰められた顔に気圧されながらも声を掛けたのであった。払われた腕を所在なげに降ろしジュリアスは口を開いた。
「どうしたのだ?」
しかし返された答えはいつもを変わらぬ「いや・・別に・・。」の一言だった。他の答えを期待していた訳ではなかったが、ジュリアスは落胆し又僅かの苛立ちも覚えた。
「何が・・別にだ。そのような様子で・・、私がそんな言葉で納得が出来るとでも思っているのか?」
「いいや・・。」
言いながらクラヴィスは口の端を上げ笑みを浮かべた。まるで相手を馬鹿にしたような皮肉な笑みを。それはお前などに何が分かるとでも言っているかに見える。
「クラヴィス!!」
上気し頬を赤らめたジュリアスの語気が上がる。だが次ぎの言葉はクラヴィスの口元から零れた一言に遮られ軽く引き結んだ唇を割ることはなかった。
「お前に・・言うことなど何もない。それに・・何度も言った筈だが・・わたしの事など・・構うな。」
心が軋む音がした。また重ねた虚言に心が喘ぐ。クラヴィスは眼前の美しくそして愛しい者から、静かに視線を外した。



 ジュリアスの紅く染まった頬が見る間に冷めていく。クラヴィスを捉えていた蒼天の瞳が数回瞬き、行き場を失った視線が宙を彷徨う。
「余計な事をして・・・・済まなかった。」
そう一言を告げたジュリアスは、振り向きもせずに歩み去る黒衣の背から目を外すことはなかった。今だらりと降ろした両手が固く握られその拳が震えるのは怒りの為などではなく、触れることは疎か声を掛けることも拒まれたことで如何にクラヴィスが自分を憎んでいるのかを、また確信してしまった心の痛みに耐えているからだ。
 これほど近くに居ながらお互いの間に刻まれた溝の深さは果てしなく思え、夢の中に響いた暖かな声色で名を呼ばれることなど、二度と叶わぬ願いなのだとジュリアスは小さく溜息をついた。すでに、視線の先にクラヴィスの姿はなく、高い天井近くに開いた明かり取りの窓から射し込む午後の光だけが大理石の床に静かに落ちていた。





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