*PRIMAL*
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月の曜日の朝。
9人の守護聖が集う定例の報告会は執務開始より半刻ほど前に始まる。一段高くなった壇上に立つジュリアスが今週の執務に関する注意事項を読み上げた後、張りのある声で年少の風の守護聖の名を呼んだ。先週この年若い守護聖が受け持つ惑星で起きた事象について緊急の会議が持たれ、その結果に基づき彼の行った対処と、その後の報告を求めたのである。
指名を受けたランディが緊張に頬を紅潮させ、手に持った書面を読み上げるのを聞きながら、ジュリアスは自分の対角に立つ闇の守護聖を視界の端に捉えた。こういった会議などの場には必ずと言って良い程遅れて現れるクラヴィスが、今朝は定時に扉を入って来たのだが何処かいつもと違う様子に先程から何度もその姿に視線を送っている。
大概の場合クラヴィスは入り口から音もなく大理石の床を奥に進み、ジュリアスの立つ壇上の隣りにある彼の定位置に立つ。その場に居る誰にも会釈などせず、無愛想な顔でジュリアスに冷えた一瞥をくれ、その後は議事の進行など全く興味もなさそうに佇んでいるのである。
それが今朝は入って来た時から視線を床に落とし、ジュリアスを見ることもなくずっと俯いている。元来クラヴィスは口数が多い方ではない。言ってしまえば少なすぎる。寡黙と言う言葉がこれ程ピッタリする者もいないくらいだ。だから会議が始まってから一度も口を開かなくとも、この場に居る者の誰もが様子がおかしい等とは思わないだろう。
だがジュリアスにはその僅かな変化も気付いてしまうし、今もそれが気になって仕方がなかった。幼い頃から共に過ごしてきたからか、それとも幾ら自ら否定したとしてもその存在がジュリアスにとって「特別」だと思えてしまうからなのか。
(どこか具合でも悪いのだろうか・・?)
ランディの報告が終わり続く言葉をジュリアスが発するまでの僅かな静寂の間に、クラヴィスが深く息を吐くのを耳で捉え絹より細い金の髪に囲まれた聡明な額を曇らせた。
取り立てて病弱という訳ではないが、凡そ健康的とは言い難いクラヴィスは成人してからは差程でもなくなったものの、子供の頃はすぐに体調を崩しジュリアスを心配させた。今も体調不良を理由に執務を休むことが多いのだがこれはただの言い訳である場合が殆どで、大概ジュリアスに見抜かれ後で小言をくらう羽目になる。だが、仮に具合が悪かったとしても、そうだとは決して言わない。他の者にも、そしてジュリアスにも。誰にも何も告げることはない。この世のすべてに興味がなく『生きていく』ことすら煩わしい。そんな彼の生き様が癪に障る。現実を、この地に生きる自身を認めろと何度声を荒げたことか。例えその言葉の裏に潜む届かぬ想いが伝わらぬとしても。せめて瞬く間より短い刹那、傍らにある光の暖に冷えた手の先を翳して欲しいと。
だが、その度に瞳の紫が拒絶を灯すのを目の当たりにし埋められぬ溝の深さを知るだけだった。実際、薄い唇から「構うな」「迷惑だ」と言葉を投げられた事がある。幾度も、幾度も。それでも又ジュリアスは同じ過ちを繰り返す。
案の定、朝議の散会を告げ皆が退出する後から少し遅れて扉に向かう後ろ姿に声を掛けてしまった。
「クラヴィス!」
ジュリアスのよく通る声が天井の高い広間に響いた。だが、それを無視してクラヴィスは振り向きもせず歩を進める。その態度がジュリアスの冷静さをいとも簡単に突き崩す。大股に近寄り、後ろから肩を掴むと強い口調でもう一度名を呼んだ。
掴まれた肩がビクリと震え振り向いたクラヴィスの瞳を捉えた途端、ジュリアスは続く言葉を飲み込んだ。クラヴィスは掛けられた声を無視したのではない。それが聞こえていなかったのだ。狼狽えた表情を張り付けた白皙を覗き込んだジュリアスに向けられた紫の瞳は、不愉快さを現す意志も冷えた光も宿していない。そこにあるのは虚ろな暗黒の闇であった。
咄嗟に肩に置いた腕を引いたジュリアスの背を、悪寒にも似た冷気が駆け抜けた。クラヴィスがその身に宿すサクリアは闇。それは深い夜に広がる安息と同時に、命を葬る死の静寂をもたらす。もし、クラヴィスが自身の闇の魅惑に囚われたとしたら、それは彼を底なしの暗黒に引き込むに違いない。仮にそれがクラヴィスの望みでなかったとしても、何かの弾みで伸ばした手を絡め取られ抗することも叶わなければ、恐らく緩やかな眠りに落ちるように闇の帳の内に堕ちてゆくのだ。
自分の脳裏を掠めた懸念にジュリアスは震えた。
「なんだ・・?」
押さえた低い声に我に返った蒼色の瞳を見返すクラヴィスには既にさきほどの虚ろな翳は微塵もなく、い つもと変わらぬ不機嫌そうな、そして僅かに怪訝な表情が見えるだけだった。 ジュリアスは慌てて言葉を探す。自身の胸の内を悟られぬかに殊更ハッキリとした口調で尋ねる。
「そなた・・どうかしたか?」
「いや・・・別に・・。」
切れ長の眼が細められる。そこに宿るのは侮蔑と拒絶の意志。分かり切ったことだった。ジュリアスは密かに苦い笑みを刻む。クラヴィスは声を掛けられる事はおろか、ジュリアスと同じ場に居することさえも拒んでいるのだから。
「ならば、良いが・・。」
ジュリアスの一言を聞くが早いか、これ以上お前の顔など見たくないとでも言いたげにクラヴィスは即座に踵を返し足早に歩み去る。
もう何も言うことも、引き留める術も知らぬジュリアスは、ただ背に揺れる漆黒の髪を見つめていた。その姿が扉の外に消えて行くまで。
続