*PRIMAL*
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「人は愛する者に何度名を呼ばれたかで、その愛の深さを知ることができる。」
それは誰が言った言葉だったか。
それとも何かの書物で目にしたものか。
この世に生を受け両親の腕に抱かれ「ジュリアス」とこの名を授かってから。
光の守護聖として聖地に召還されるまでの数年に、恐らく父や母から幾度となく名を呼ばれた
筈だった。
だが、朧気な記憶の中のそれには愛情を確信するほどの甘く幸せな響きがあったのかどうか覚
えていない。
それより、あの闇の執務室で出会ったスミレ色の瞳を持つ幼い守護聖が小さくこの名を呼んだ
時に感じた、胸の震える高ぶりこそが確かな喜びだった。
初めて会った頃から何処か哀しげな表情をする彼。
闇の守護聖クラヴィスが時折見せるはにかんだような笑みが好きだった。
周囲に自分と歳の変わらぬ者が皆無だったからかもしれないが、自分にとってクラヴィスは特
別な存在だと思っていた。
それは、友達とも同僚とも兄弟とも違う。その感情に名前をつけるとしたら・・・・。
そこまで考えたジュリアスが不意に我に返ったかに首を振り、軽く引き結んだ唇の端に苦い笑
みを刻んだ。それは、在るはずのない幻想を恰も現実と混同し、無意識に手を伸ばした自分を
嘲笑するように見えた。
寝台の上に仰向けになり天蓋の内に描かれた美しい模様を目で追いながらジュリアスはポツリ
と呟いた。
「そんな筈は・・。」
生まれてこの方誰かから愛されたことなど無く、まして誰かを愛した事などない自分にそんな
感情が存在するなど、馬鹿げた考えだと彼は今一度苦笑を浮かべた。
こんな浅はかなことを思うのも、またあの夢を見たせいだと静かに眼を閉じながら考えた。
それは今までにもう数え切れぬほど見た懐かしく切ない夢。
いつも明け方に見る光射す庭の記憶。幼い自分とクラヴィスが闇の館の裏庭で遊ぶ姿。
背後に鬱蒼とした森を拝した庭の一画で、たぶんまだ十にもならぬ二人は屈託のない笑顔を浮
かべ何かを話している。
何故か声は聞こえず、だが恐らく何かを相談している風で随分と真剣な顔の自分がクラヴィス
に語りかけているのである。
一陣の風が吹き抜けるのを合図に自分が立ち上がると、遅れまいと立ち上がり掛けたクラヴィ
スが不意に「ジュリアス」と呼ぶ声だけがこの音のない世界に響く。
その細い風の音にもかき消されそうな声はあまりに優しく耳から流れ込み、胸の奥に染み渡る
温もりに変わる。
差し出した自分の手を躊躇いがちに取る小さな手のひらが伝える暖かさに、胸が熱くなり視界
が霞む。そして目覚めるとやはり自分の瞳は滲んだ涙で濡れており、細い指先で拭うと決まっ
てそれは途切れる事無く溢れてくる。
暫し目を閉じて物思いに耽っていたジュリアスが、深く息を吐き瞳を開いた。
「早く起きなければ・・。」
今日は月の曜日で執務開始の前に定例となっている朝議が行われる。
それより更に早く執務室に入りすでに用意されてはいるが、もう一度資料を確認しなければなら
ないとジュリアスは身を起こした。
昇り始めた朝日がカーテンの隙間から射し込み、幾筋もの光の帯を床に落としている。
遠くに小鳥のさえずりを聞きながら、寝台から降り立ったジュリアスは着替えのために隣室に向
かう。頭の隅に夢の記憶を追いやりながら、波打つ金の髪を背に揺らしてジュリアスはユックリ
と寝室を横切った。
あれは夢の中にしかない温もりであり、もう今は何処にもありはしない幻なのだ。
手を伸ばしても触れることも叶わぬ幻想。
「ジュリアス」と小さく呼ぶクラヴィスの笑顔などは・・・。
続