ユウスズミ

零×ジャック

 「ユウスズミへ行かないか?」
前日には提出し終わっているべきレポートを、20時間ほど遅れて出しに行った零は、耳慣れない単語を投げられ盛大に眉を寄せた。
「なんだって?もう一度だ…、ジャック。」
ブッカーは一度黙る。頭の中で何かを確認する素振りで、天井の辺りを見上げてから、例の単語を更に注意深く発音した。
「ユウスズミ…じゃなかったか?ヨウスズミ…と発音するのか?」
今度は零が口を閉ざす。耳から流れ込んだ単語を数度反芻した。不意に得心が降ってきたらしい。いつもの無感情な口振りで、それは夕涼みのことか?と訊いた。
「そう、それだ!」
「あんた、意味が分かって言ってるのか?」
今は確かにフェアリーも夏期で、日中の外気は汗ばむくらい高い。でもここは基地内で、空調は快適な温度を維持してるから、わざわざ何処かへ涼みに行く必要はない。どうやらブッカーは上へ出ようとしているらしい。そろそろひしゃげた太陽も地平線へ飲み込まれる時刻だ。しかし外気はこの部屋より遙かに高い温度と考えて間違いない。だからそれは微塵も夕涼みにはならない。
「ここに居た方が涼しい。」
零はにべもなく言い切る。面倒なデスクワークを終わらせたのだ。行くならバーが良いに決まっていて、そこで冷たいビールにありつけるなら言うことはなかった。
 当然断る台詞を言い放つつもりで、零がその形へ唇を動かすよりも早く、ブッカーが先制攻撃をしかけた。
「あと少しで終わるから、付き合え。」
出掛かった一言を言わなかったのは、否と口にしたなら理由を問われるのが判っていて、何某かを返さないと到底相手が納得しないのが目に見えていたのと、どうしても拒否する理由を零が持ち合わせていなかったからだ。何となく厭だではダメな気がした。それくらいブッカーは件の夕涼みへ拘っている風に見えたのだ。


 頭上に広がる空はすっかり漆黒に染まっている。もう禍々しいブラディロードも見えない。薄底のサンダルは丸みのある草の感触を普段より具に拾う。ただあまり歩きやすくない。ブッカーが投げ寄越したそれは零にはサイズがでかすぎる。踵の辺りがしっくりこない。だからいつもよりノロノロと前を行く男の背を追っていた。
「暑い…。」
渋々付いてくる羽目になったままが言葉尻に滲む。小さく呟いたつもりだったが、前方の男に聞こえていたらしい。濃鼠を身につけた背が返る。
「風がないからな。」
違う…と零は思った。相手の思いつきに付き合ってやろうと首を縦に振った途端、ロッカールームへ引っ張っていかれ、これを着ろと差し出された衣服が思いの外暑いのだ。見た目は涼しそうだった。でも袖を通し、帯まで結んだら途端に汗が噴き出た。
 なぜ浴衣なんだ?と訊いたのは当然のこと。ブッカーは偶々取材に着たジャーナリストの好意を受けたのだとほざく。
「関連性が全くわからない。」
「だから相手が日本人だったんだ。オレが日本の文化に興味があると言ったら、自分はもともと被服系の記事を担当しているから、和装の小物ならくれると言ってさ…。」
「浴衣が欲しいと強請ったのか?」
「いや、キモノを着てみたいと言ったのさ。」
「これが送られてきたのか?」
「ああ、これなら着られるだろう…てことだ。」
「あんた一人で着たらいい。」
「折角、二着あるんだ。付き合えよ…零。」
結果、零はそれを着て滑走路脇の草地を歩いている。やはり断固として断るべきだったと後悔したのは、借り物のサンダルがどうにも馴染まないと判った時。そしてもしかしたらブッカーは最初から二着欲しいと頼んだのではないか?と疑ったのは、ついさっきのことだ。普通なら好意で一着は送るだろう。わざわざ色味の違う浴衣が、しかも帯まで揃えて二人分あるのはどう考えても可笑しい。やられた…と零は臍を噛む。
 ブッカーはずんずん昇降口から遠い方へ進んで行く。その先にあるのはフェンスと緊急退避用のシェルターだけだ。他は何もないし、決してそこが涼しいとは考え難い。
「ジャック、何処まで行く?」
「もう直ぐだ。フェンスが見えるだろう?」
「そこに何がある?」
ブッカーは足を止めゆっくり振り向いてから何もないと予想通りの台詞を垂れた。
「何もないなら、もう戻ろう。」
「強いて言えばシェルターがある…な。」
それは何もないのと同じだ。付き合うのも此処までと、零は踵を返そうとした。これ以上は御免だ。歩きづらいし、着付けない浴衣は裾がびらびらして気になる。そしてやはり糊の利いた新の木綿は、汗ばんだ肌に貼り付いて気持ちが悪かった。
「そんな不貞腐れたツラするなよ…。無理矢理連れ出したのは悪かった。シェルターの辺りから見る基地の全景は意外と見応えがあるんだ。そこでビールでも飲もうと…。」
ガサガサと乾いた音が鳴る。抱えていた小さな紙袋から缶を取り出すと、ブッカーは差し上げて見せる。そんなモノを持ってきていたと、零は気づいていなかった。見えていたけれど、無視していたのかもしれない。
「おまえと夕涼みってヤツをしてみたかったんだ…。」
背を返しまた歩き出す直前、ブッカーが独り言のように言った。
「飲んだら直ぐ帰るからな、ジャック。」
零は踵を返すのを止める。相変わらずの仏頂面で、のろのろと歩き出す。
「それなら最初からそう言えばいい…。」
モソリと呟くと前方から何か言ったか?と声がする。
「何でもない…。」
ブッカーが夕涼みという単語に何を期待したのかは判らない。零よりも日本へ対する知識は持ち合わせている。だから単なるオリエンタルな幻想を抱いてるとは思えない。
「ジャック、なぜ浴衣で夕涼みなんだ?」
もう何度も訊いたそれをまた零は口にした。
「浴衣を着て、川だったか…夜の湖畔かもしれないが、そんな場所で風に当たっているフォトグラフを見た事があってな…。タイトルが夕涼みだった。」
「その真似事か?」
「いつかは日本に行って、オレもその風情を堪能したいと思うんだが…。」
「行けばいいだろう?」
「それがいつなのか…皆目判らないからな…。」
終わらない戦争を憂いた風な言い方に聞こえた。ふん…。呆れたのか、馬鹿にしているのか、納得したのか不明な音が零の鼻先から漏れる。
「あんたがロマンティストだってのを…忘れていた。」
聞こえていても構わない。零はくっきりとした輪郭の台詞を垂れる。
「何だ?何て言った?」
けれど丁度頭上を掠めた偵察機の轟音にかき消され、それは前方の男へ届く前に霧散していた。
 零は少しだけ歩みを速める。サンダルの歩きづらさは変わらない。ただここで引き返しても仕方ないと思った。それに少しも涼しくならないだろう夕涼みに付き合って、温くなったに決まっているビールを飲むのも悪くないと、腹の底で考える。苦労性の男のささやかな愉しみを、ここで反故にしたらきっと寝覚めが悪いだろうと、零は更に歩速を上げた。


 基地とその外を隔てるフェンスに意味はなかった。どこで仕切っても、ジャムには全く関係ないからだ。地球の軍事基地とは違う。そんな囲いを作っても、ジャムはどこからともなく現れ、瞬く間に攻撃を仕掛ける。基地上空の制空権は現在FAFに在る。もしもフェンスを作るなら、それは基地を覆うように空の上に作るべきなのだ。ならばこのフェンスの意味はなんだ?
「区切りが欲しいんだろ?ここから先は外側で、こっちからはオレ達の場所だって、目印が欲しかったんだろうさ…。」
意味のない囲いへ背を預け、取りだしたビールを零へ差し出すブッカーが答える。
「それともあそこの森から…。」
背後へ頭だけを返し、間近に見える黒々とした森を眺めて、人の居る場所を確保しているつもりなのかもしれないと、ブッカーは宣った。
 フェアリーの植物は地球のそれと大いに異なる。青臭さより甘さが強い。下草は丸みを帯びた葉を持つ。そして鬱蒼とした森は金属のような光沢があった。それが夜になると黒曜石に似た黒さを纏う。美しいと言うより禍々しい。知らぬ間に傍らまで侵蝕してくる錯覚を呼んだ。
「やっぱり温い…。」
すぐ横から聞こえる考察を聞きながら零はビールを一口飲んだ途端、微かに眉を顰める。
「相当冷やしておいたんだがな…。」
盛大に喉へ流し込んでおきながら、ブッカーも残念そうに言った。気温は昼間に比べたらましな程度だ。風は相変わらずそよとも吹かない。後方の森から漂ってくる甘い匂いばかりが鼻につく。だが目を前方へ向ければ、確かにここから見る基地の全景はかなりのものだ。薄闇の中、蒼白い照明に浮かび上がるそれは威圧感を消し、無機的な美しさをまとっていた。
「おい、おまえ…。」
語尾が笑いに揺れている。何を笑うと零は相手の様子を伺った。
「どうするとそんなに着崩れるんだ?」
シェルターの少し後ろにある常夜灯から薄蒼い光が届く。それに照らされる零は、凄まじく前の袷が開き、裾も大いに割れ、帯がなければ羽織っているだけと変わらない有様になっていた。
「歩いていたら…こうなった。」
如何にもな返答に苦笑するブッカーが、直してやると手にしたビールを足下へ置く。自分でも具合が悪いと思ったのか、零は自分から相手の前に立った。
 「あんたも大して変わらないぜ?ジャック。」
向き合ってまじまじと見れば、なるほどブッカーも胸前が見事にはだけている。幾分マシなのは、裾が零ほど乱れていないことだ。
「オレのは自分でくつろげたんだ。」
おまえとは全然違う。言いながら器用な手が零の浴衣を整える。棒立ちのまま、零はされるままになっていた。
「ジャック…。」
やはり帯は一度解いて、結び直す方が賢明かと、後ろへ回り込もうとした途端、零が呼んだ。
「どうした?」
顔を上げるのと、零の唇が鎖骨の辺りへ落ちるのはほぼ同時だった。
「零!」
ガシャンとフェンスが耳障りな音を発てる。零は食らいついたまま、上背のあるがっしりとした躯を網状の囲いへ押し付けていた。
 鎖骨から首筋を迫り上がった口唇が、ブッカーの唇へ辿り着くのはあっという間だった。しっかりと筋肉の乗った肩へ、噛みつくように吸い痕を残すと、零は急いた風に相手の唇を塞ぎにかかった。きっとブッカーも予感していたのだろう。柔らかな感触が口吻へ当たったとき、観念したかにそこを重ねてきて、零が輪郭を辿る動きで舌を這わせれば、その窄めた先端を軽く吸った。あとはどちらも夢中で互いの口唇を欲しがり、競うように吸い合って、湿った音を幾つも夜の中へ垂れ流した。舌が絡み合う頃、零の浴衣はさっきよりだらしなく着崩れていて、ブッカーは零を笑えない有様になり果てる。
「おまえ…いつも突然すぎるぞ…。」
唾液を滴らせ、離した唇の間で舌先を舐め合ったあと、ブッカーが咎める風に言う。
「それなら…、ここでSEXしても良いでありますか?少佐殿。」
「ダメだと言ったら?」
「聞こえなかったことにする。」
「余計に暑くなるぞ?」
「もう…充分汗をかいた。関係ない…。」
逞しい軍人の腕が、しなやかな戦士の躯を抱き締める。耳元で穏やかな低音が囁いた。
「明日は非番じゃない。忘れるなよ。」
「了解だ。」
零の力強さが、ブッカーをグィと抱き返した。森の中から申し訳程度の風が吹いた。甘さが零の鼻先を掠める。
この甘さに煽られたのかもしれない…。
もう一度唇を合わせ、更に股間を押し付けながら、零はなんとなくそう思った。


 肩から腕へ尋常でない力が籠もっている。更に金網を掴んだ両手の指は、それが食い込むくらい握りしめていた。荒く忙しない呼吸。腰を支えられていなければ、今にも膝がガクリと崩れそうだ。凡そ誰かに見られたくない様子で、ブッカーは尻を背後へ突き出す。零が後ろからペニスを付き入れていた。まだ半ばまで届かない。固い丸みが腹の中を掻き分けるのが判る。
「うっ…っ…ん…。」
苦しそうに詰まった音が、地面へ向けて俯くブッカーの口元から落ちた。
「ジャック…。」
片手で腰をゆるりと撫で、零は相手の様子を探った。辛そうに短い呻きが幾つも洩れる。時々、脇腹が引きつった風に震えた。
 手持ちに潤滑剤がなかった。代用品は唾液と股間を押し付け合った結果溢れた精液という適当さだ。そして普段より充分事前の準備をしなかった。中を満遍なく拡げるのを怠った。それは簡単に脱げそうな衣服が災いした。肌に貼り付く暑さの所為もある。そしてずっと漂っている甘すぎる植物の香り。それが一番の原因だと零は確信した。冷静な男にしては珍しい。取り敢えず鳥羽口が緩むのを待ち、零はしっかり固くなった性器をブッカーのアナルへねじ込んだのだ。腹の中が竦み上がるのが判った。肉体も同様、フェンスへ両手をついたブッカーの腰が、愕いて逃げるのを掴んで切っ先を強引に衝き入れた。
「く…っ……。」
苦痛以外を含まない声がこぼれ、でも一度入れた竿を引き戻すわけにもいかず、零はそのまま腰を進める。
「ん…っ…ぅ…。」
中はずっと零を拒んでいる。押し戻す動き以外を示さない。それを振り切って奥へ進むのは、零にとっても凡そ快感にはほど遠い。ましてブッカーは…。愉悦の欠片すら感じるはずもなく、ひたすらに苦痛を覚えているだけだ。
「ジャック…。」
薄い零の唇が『ごめん…。』と動いた。滅多な事では聞くことの出来ないそれは、残念ながらブッカーへ届かなかい。聞こえてはいただろう。でも内耳でずっと羽虫の飛び回る音に似た、ジンという響きが鳴っているから、零の謝罪は遠く朧気な声音として耳管を震わせただに終わる。
 腰を支える片手が外れる。スルリと零の腕がブッカーの下腹へ廻った。萎えきって項垂れたペニス。迷わず指を絡ませた。固く握り、指を上下する。戸惑ったように竿が震えた。
「ぁっ…ぅ…零っ…。」
最初はゆっくりと、だが間もなく急かされたかに速さを増す指の上下動。陰茎が熱を持つ。硬さを思いだし、竿が手の中で脈動した。血流が集まる。
「ん…あっ……ん…。」
呻きの間に愉悦が滲んだ。
「あと…少しだ。」
言い聞かせる零の声音はひどく静かだった。腹の中から強張りが消える。細かく震え、無遠慮な異物を包み込もうとした。さらにゆるく蠢いて、奥へと誘う動き。零はそれを逃さない。波を見分けるように、引き込むうねりを選び、腰を入れた。
 全部が納まるまで零はブッカーの雄から手を離さなかった。強弱をつけ扱き続けた。時折、ぬるりと体液を滲ませる先端を指の腹で擦る。感じ入った声が聞こえた。それは内部の粘膜へカリを擦りつけてもブッカーから吐き出されるようになる。根本までが飲み込まれると、零は一旦動きを止めた。長く細い息を吐く。一拍おき、ブッカーからも同じ吐息がこぼれた。
「ジャック…。いいのか?」
「ああ……。」
振り向かず了解を返す。
「零…。」
「なんだ?」
強張った肩から力が抜ける。ブッカーは緩慢な動きで振り向いた。拭きだした汗で日向色の前髪が額へ貼り付いている。蒼い眸が物理的に滲んだのだろう涙で濡れていた。もの言いたげな眼差し。零は確かめる風に数秒見つめる。
「判ったよ、ジャック…。」
言いながら顔を寄せる。労いのキスだ。唇が重なった時、ブッカーから満足気な溜息がひとつ落ちた。
 律動が始まる。もうあとは激しさを増すだけだ。皮膚の打ち合う音が響く。それに絡む粘ついた水の音。熱を孕んだ呼吸音。時折、互いを呼び合う声音。あとは喘ぎと詰まった呻き。
「あっ…レイ……くっ…。」
「ジャック…達くの……か?」
言いながら深みを激しく衝く。
「く…ぁ…っ……。」
ブッカーの背が不自然に撓る。内壁が零の雄を絞り上げた。
「うっ……。」
奥を突き上げる零が息を詰める。
「あっ…ぁっ…。」
ブッカーがブルと全身を震わせた。
「ジャック……っ…。」
先に射精したのは零だった。引き戻しかけた陰茎を大きなうねりが襲った。堪える間もなく、狭窄の中へ熱い精液をぶちまける。それが最後の刺激になり、音にならない声を絞りつつ、ブッカーもフェンスへ向け白濁した体液を吐き出した。
 零がペニスを抜く。待っていたかに、ブッカーの膝が折れた。だがそれを支える余力は零にもない。二人の男はその場にへたれ込んだ。そしてそのまま縺れるように仰向けに寝ころぶ。汗で貼り付いた生地を通して草の柔らかさが背中へ当たる。真上を眺める零が言った。
「風が出てきた…。」
サワサワと木々の葉が擦れ合う音がする。砂漠と森林地帯に温度差が生じたからだ。
「これで夕涼みもできた…な?」
ブッカーが得意そうに訊いた。
「ああ、これで完璧だ…。」
素肌に触れる風が心地よい。零は上空を見つめたまま、少しの間その気持ちよさを愉しんだ。
「なぁ…ジャック。」
「なんだ?」
「このままだと官舎へ戻れない…。」
着替えの為に一度基地内へ寄らなければならない。シャワーも必要だ。でも、未だ残っている人間がいる。誰にも見とがめられず、ロッカールームへ辿り着くのは、至難の業だろうと零は声を曇らせた。
「なにか良い案はないのか?」
「オレも今それを考えていたところだ。」
「それで何か思いついたか?」
「残念ながら…何も思いつかん…。」
苦笑混じりにブッカーが返す。零は盛大に溜息を吐いた。
 風が仰向ける男達の上を吹き抜ける。乾いた砂の匂いのする風だ。困り果てたまま、無言で上空を睨み付ける零は、ずっと漂っていたあの匂いが消えたことに気づく。甘く、粘り着いてきた植物の香りは、吹いてきた風に消され、もう何処にも残ってはいなかった。







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